殺人現場で、恋
秋風のララバイ。
冷たくて厳しい、厭世的な唄。
なんど経験しても、なんど倒れても、
ただ拳を握り、遣り過ごすだけの、
うらさみしい季節の唄。
「殺されたのは、建設会社社長、吉田透です」
私は白い手袋をはめ、しゃがみこんだ。
「刃物で一突き。凶器はみつかってません。
出血多量で息たえるまで、数分ってとこだったと思います」
私は死んだ男の顔をみた。その端正な顔立ちに、少々苛立ちを覚える。
いけすかない。
私のような、粘土を捏ねて三分ででき上がるような顔をしている人間は、こういう男を忌み嫌う。
「しょうかすうふんかんはいひてしゃか!しゃわいそいには!」
と、わざと死体に唾がたくさんかかるように話をしてやった。
「えっ?なんですか?」と後輩刑事の鈴木が聞き返す。
「いや、べつになんでもない」
私はすましたかおで立ち上がった。
鑑識があちらこちらで写真を撮っている。
小綺麗な部屋だ。女性の気配がする。
ふと死体の指をみる。
高価そうな指輪だ。私の給料の三ヶ月ぶんでは買えそうもない。
つくづく虫酸が走る。
「間違いなく、殺しだな」先輩刑事の高木が腰に手をあてながら言った。
「いや、自殺でしょう」
「はっ?」無精髭に薄い白髪頭の高木が、驚いて目を丸くした。
「としき、冗談だろ?」
私は眉根を寄せてため息をついた。
こんな男の殺人捜査なんてまっぴら御免だ。
だが、流石に自殺は無理があるか。
遺書みたいなものでも書いてくれてりゃあよかったのに。
「えぇ、じょうだんですよ・・」
そう言った刹那、鈴木の声。
「あっ、奥さん、もう大丈夫なんですか?」
私は奥さんと呼ばれた女性をみた。
「えっ?」思わず声をあげる。
「としきくん?」と彼女。
「さとみ、さとみなのか?」
「なんだ知り合いか?」高木が私を見た。
「えぇ、高校の同級生です」
なんて事だ。私が高校生のころ、喉から手が出るほどに欲しがった女性が、この男の奥さんだと!?
私は怒りでいっぱいになり、死体をふんずけてやりたい気持ちになった。
だから、本当にふんずけてやった。
「先輩!!」と鈴木の声。
「あっ、つい驚いて足元がふらついてしまった!!ごめん、ごめんな、さとみ」
「いいの気にしないで」とさとみの声。
肩までの黒髪、厚い唇、狐のように可愛らしい目。大人になったさとみは、さらに魅力的になった。
ピンクのセーターに、白のスカート。小柄な体は、抱き締めたら崩れてしまいそう。
守ってやりたい。私の中でまだ、彼女への想いは生きているみたいだ。
「ん?」私は彼女を見て、違和感を覚えた。
なにかがおかしい。
改めて彼女をみる。上から下まで舐めるように。
本当に舐めてしまいたい。あぁ、おさえきれない。。
「ん?」私の目が彼女の右手を見つめた。
右手がない。いや違う、右手をセーターの裾で隠している。そしてその裾から、なにか光るもの。赤いなにかがついている。
まさか!!
私はさとみを見た。悲しげな表情で頷くさとみ。
「としきくん、会えてよかった」
刹那、右手と一緒に、セーターの裾から刃物が現れた。
「俺も会えてよかったよ~」私は咄嗟に彼女に体当たりし、押し倒した。
「なにやってんだ、としき!!」と高木。
「あ、いや、あんまりに嬉しすぎて。ん?」
目の前に転がった刃物。私はそれを指差し、立ち上がる。
「こんなところに凶器の刃物がありましたよ」
「なんだって!?さっきまでそんなとこにはなにもなかったぞ!!」
「いや、実際あったんだからしょうがないでしょう」
高木が渋い顔をして、「わかった、すぐに鑑識にわたせ。指紋を調べる」と言った。
「わかりました」と私。まずい。柄の部分にはさとみの指紋が。
私は慌てて手袋を脱ぎ、刃物の柄を素手で拾い上げ、力をこめて何度も擦った。
「なにやってんだ!!としき!!」
驚きや怒り、困惑で、カオスと化した表情をむける高木。
「えっ?」と私。「あっ、俺はなにをしちまったんだぁ!!」
「先輩!!おかしくなっちゃったんですか!?」
私は鈴木のスーツの胸ぐらをつかんだ。
「そうだよ、アジャパー」
「もうやめて!!」さとみの悲痛な叫び声が聞こえた。
私は振り返る。
「私が殺したの。としきくん、気づいたんでしょ?気づいてそんなこと・・有り難う。タックル、とっても痛かったよ」
「さとみ・・」タックルじゃない。そう言いたかった。
「私ね、そいつのこと許せなかったの。あちこちで女をつくって、家庭の事なんかそっちのけ。もう我慢出来なくなっちゃった」
私は黙って彼女を見つめていた。
あどけなかった少女の面影はない。悲しさ、苦しさ、淋しさで、大人になってしまった彼女がいた。
いつから大人になってしまったの?私の知らないところで、私を置き去りにして。
「としきくん、お願い。私を逮捕して」
さとみが両手を突き出した。
「なんでだよ!!」私は叫んだ。
「だってこいつ生きてるよ!!ほら、見てみろよ!!歩いてる!!」私は渾身の力で死体を立ち上がらせた。
「ほら、生きてる!!歩いてるだろ?さとみ!!みんなも見てみろよ!!生きてるだろ!!」
「お前が無理矢理立たせてんじゃねぇか!!」と高木。
私は無視して、そのまま窓際に歩いていく。
「えっ?なんだって?」と私。ベランダへ続く窓を開けた。
「てめぇ!なに言ってんだよ!てめぇ、殺してやる!ちくしょう!」
私はそう言って、ベランダから死体を放り投げた。
ここはマンションの14階。死体が一目散に地面に落ちていく。
「先輩!!」「としき!!貴様!!」
私は振り返り、頭を下げた。
「私が殺しました」
「ばか!!」という声が聞こえ、顔を上げた。
刹那、抱き締められる体。
暖かい胸。華奢な体。甘い香り。
それだけでなにもいらなかった。自由なんて、孤独の裏返し。そんなものには価値なんてない。そう思えた瞬間だった。
「なんであの時、としきくんを愛さなかったんだろう。としきくん、あんなに私の事を好きだって言ってくれてたのに」
「さとみ・・」
「きっとね、きっと。私、子供だったから、意地悪したんだと思う。あまのじゃくみたいに、意地悪。間違ってた。私、間違ってた」
「間違ってなんかない、さとみはなにも間違ってなんかない」
私は彼女を抱き締める力を強めた。このまま壊してしまいたい。そして、灰になったさとみの全てを飲み込み、ひとつになってしまいたい。
「ずっと、あなたと一緒に生きてたよ」
そう言ったさとみの瞳に嘘はなかった。
「鈴木、この二人を牢獄にぶちこめ」
高木が鈴木に指示した。
鈴木が手錠をポケットから取りだし、私たちの方に向かってくる。
「おい!なにするつもりだ鈴木!」高木が鈴木を言葉で制止する。
「えっ?」と鈴木。高木がおもむろに言葉を続けた。
「この世界という牢獄に、手錠なんか必要ないだろ」
秋風のララバイ。
冷たくて厳しい歌声を、私たちは何度も耐え抜いた。
もう何があっても、生きていけるだろう?
なぁ、そうだろう?