タクラマカン砂漠で、恋
疲弊しきった私への、慰めのララバイ。
「幸せになれ、幸せになれ」って、壊れたみたいに繰り返す。
そう、例え壊れていると言われても、罵られても、幸せになれるのならば、喜んでこの歌を歌い続けよう。
君に逢えるのならば、なにもかもが本望だ。
私はきっと、タクラマカン砂漠を歩いている。
そう、砂と太陽とサボテン、あとは数人の日に焼けた男性達。
ぼろ布を纏って洋服だと主張するような、そんな出で立ちで。頭にも、布を巻き付けて作ったような帽子。全員がそんな装いで、そんな中に私もいた。
「水~みずぅ~」とか「あ~、う~」とかそんな声ばかりが聞こえては消え、聞こえては、消え。そのたびに私は、まるで砂の粒をかじるような、じゃりじゃりとした苛立ちと、渇きを感じていた。
「きょうこ」
私だけが、人の名を呼ぶ。
「なんだよきょうこって!きょうこが生かしてくれんのかよ。きょうこが飲めんのかよ」
そう言って男の一人が、私に掴みかかってきた。
「もう、きょうこの事なんて忘れちまえよ、きょうこはいなくなったんだよ」
「うるせぇ」私は力いっぱいに、男の手を払う。
「この砂漠にいるんだ。この砂漠でさまよっているんだ。俺は、タクラマカン砂漠に、彼女を探しにきたんだ」
「としき!」そう言って男は私を殴った。
男の名前はゆうじ。私の親友だ。
私の事を心配して、この砂漠についてきたのだ。
他の男達は知らない。多分、ツアーからはぐれた馬鹿どもか、或いは現地のさすらいびと。
「人間の体は六割だか、七割だかが水でできてんだよ。お前、こんな時は水だけに集中しろよ!」
私はどこまでも澄んだ空を見つめ呟いた。
「じゃあ、この砂漠でさまよっている筈のきょうこに、俺を飲ませてやらないとな」
「てめえ、としき!キ○ガイ野郎!」
通りすぎていくバイクマン達。ハーレーダビットソンなんかが、ブンブンと砂ぼこりをあげ、走っていく。
砂塵が舞い、体を包む。世界が見えなくなる。
手を伸ばして砂を掴む。この全てを掴みきれば、きょうこにあえる。そんな幻想に、私は項垂れ、膝をついた。
「そうだよな、こんな広い砂漠で、見つかるわけないよな。もう一度あって、確かめたかった。まだ求めてくれるか、まだチャンスはあるか、まだ、愛してくれるかを。。あんな酷い事を言って、傷つけて、きょうこは砂漠に逃げてった。俺は・・俺はなんてことを・・うぅ・・」
「としき!」
ゆうじの声が聞こえた。
「としき!オアシスがあるぞ!助かった!としき!こっちだ、早くこい!」
見ると、確かにオアシスが遠くにあった。
他の男連中が、「ハッピー♪ハッピー♪」と歌い、まるでバッタのように跳びはねながら、そちらに向かっていく。
ゆうじも、一瞬、二メートルの高さくらい跳びはねたんじゃないかと思えたぐらいに跳躍し、私を「カモン、カモン」と手招きしている。
そんな元気がまだ残っていたのなら、引き返して、飛行機乗って、帰ればよかったんだ。
「俺はいいよ」
「はっ?」ゆうじが唖然として聞き返す。
「俺はきょうこを探す」
「馬鹿やろう!てめぇ、俺はもう知らねぇからな。死ね、馬鹿やろう」
そう言って、ゆうじがオアシスの方に向かっていこうと背を向けた。その少しあと。
「がんばれよ、としき・・」
と聞こえたような気がした。いや、間違いない。
私はオアシスを後ろに歩きだした。
どれくらい歩いただろう。多分、十メートルも歩けなかった。
力尽きて、倒れこんだ私の耳に、きょうこの声が聞こえたような気がした。
「みずはいかが?」
私は微笑む。
「そんなものはいらない。俺の七割くらいは水でできてんだ。間に合ってる。そんなもんより俺は・・」
頭の上に冷たい雨。いやちがう、水を掛けられた。
私は驚いて、見上げた。
そこには太陽が輝いていて、ちぎれちぎれの薄い雲が流れていた。
綺麗な空だった。
ふと、太陽の輝きを、駱駝に乗った女性の姿が遮った。
「きょうこ」幻か?幽霊か?それとも、きょうこのドッペルゲンガー?
「としき」
駱駝から降りたきょうこが、私を見下ろす。
ラコステのオレンジのポロシャツに、クリーム色の丈の短いチノパン。
猫のような瞳に、笑うとできる可愛らしいエクボ。後ろに縛った髪の毛は、愛くるしい額を露にしている。
「本当にきょうこなのか?」
私は涙を流した。どれだけ表面が渇いても、体の中にある水は、なかなかしぶとい。
「本当よ。としき、ごめんね」
「いいんだよ、きょうこ。俺が悪かったんだ」
「としき、カラカラに干からびちゃってる」
私は笑う。
「あぁ、折角水をかけてもらっても、ダメみたいだ。出切るなら・・」飲ませてくれたらよかったのに、と言おうとした時、
唇に優しいキス。
私は潤いを取り戻していく。
立てる、歩ける、元気になっていく!
「愛してるよ、きょうこ」
私はきょうこを見つめた。
きょうこが微笑む。
私の頬を優しく撫でて、おもむろに口を開いた。
「私もよ、としき。体が消えて、砂になってしまっても、たった一粒の心で」
眩しい太陽の光が、彼女を背後から照らす。
女神だ。月並みな言葉だが、そう感じた。
「愛してる」
私は潤いで満たされた。
砂塵のノイズで、見にくい世界。
醜い世界。
私が、私自身に捧げる、潤いのララバイ。
いつかは晴れるや。いつかは・・
ハレルヤ。