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人質立て籠り事件現場で、恋(後編)

ララバイが聞こえない。

体の中に、頭の中に、

あらゆるところを私は探す。

ララバイが聞こえない。

どうしようもない人間だって、バレちまった。どうしようもない屑だって、気づいちまった。

私は静かに世界を見ている。

ただただ静かに、呼吸をしている。


拡声器を口元から離した。

あたりは静まりかえっている。

銀行の窓にはブラインドが降り、入り口にはシャッターが降りている。

中から人が現れる様子がない。

「拡声器じゃ駄目だな。中に電話があるだろ。その電話に掛けてみよう」

「そうですね。最初は犯人も外に現れてたんですが、途中からは電話でやりとりするようになりました。先輩がくるまで私がずっと交渉してたんですが、一人じゃ役不足だって言われて」

「そうか・・」中村は悔しげに拳を握った。

私はその様子に気がつきながら、『じゃあなんで拡声器を渡した?なんで電話の存在を先に言わない?なんか怨みでもあんのか?』と思った。

「中の電話番号、何番だ?」

私は携帯をスーツのポケットから取りだし、中村に尋ねた。

中村が電話番号を伝える。

私は中村に教えられた番号を押し、電話を掛けた。

数回の呼び出し音、私の心音が高鳴る。

「はい」と女性の声。

「ラーメン屋、しょうりゅう軒です」

「間違えました」と私は電話を切った。

携帯を確認する。中村に教えられた通りの電話番号だ。

「中村、電話番号間違えてないか?」

「あっ、間違えました。すみません」そう言って中村は、先程とは全然違う電話番号を私に伝えた。

『こいつ、わざとやってないか?』私はそう思いながらも、新しく伝えられた電話番号を押した。

数回の呼び出し音、今度間違えていたら殴ってやろう。

「もしもし」と男の声。「誰だ?」とただならぬ雰囲気。間違いなさそうだ。

「私は鷹山敏樹といいます。あなたと交渉したくて電話しました」

「名前なんてどうでもいい!早く車用意しろ!人質、ぶっ殺すぞ!」

私は決して相手の気持を逆なでしないように、慎重に言葉を選ぶ。

「わかった。車は用意する。だが、まずは人質の無事を確認させてほしいんだ。頼むよ。一度、状況を確認させてくれないか?私を中に入れてほしい。もちろん、一人で行く。それからすぐに車を用意する。約束するよ。」

電話の向こうに静寂が漂う。私は呼吸を沈めながら、相手の反応を待つ。

「なぁ、人質が全員なにもなく、無事なのを確認したいんだ」

何やら話あっている様子。やがて電話の向こうから声が聞こえた。

「いいだろう。一人で来い。ただし、下手な小細工を仕込んでこないとも限らない。パンツ一丁で来い」

「わかった」と私。

「そうして、一つお願いがあるんだ」

「なんだ!」と電話の相手。

「車が来るまで、私を中に入れておいてほしい。車が来たら、私ひとりを身代わりに、他の人質を全て解放してくれないか」

「てめぇ!調子に乗んなよ!」と男。私は電話が切られる事のないよう、慌てず、慎重に話を続ける。

「人質はひとりで十分だろ?逃げるのにも、大勢がいたら荷物になる。俺の手を縛って、足も縛って、なんだったら、亀甲縛りしてくれてもかまわない。そこまで言ってるんだ。なぁ、頼むよ」

電話の向こうで話あっている声が聞こえた。今度は、こちらの方にも明瞭に話の内容が聞こえてきた。

「車が来たら自分を身代わりに、全員解放してくれってさ。亀甲縛りしてもいいんだとよ!変態だよ、変態。どうする?」

「いいんじゃねぇか?変態だから、逃げねぇよ」と男の声。

「そうだな」

上手くいった。安心感を与える事で、相手の懐に入り込む。上出来だ。

「じゃあ、パンツ一丁で、亀甲縛りしてこっちに来い!わかったな」電話が切れた。

なんだか失敗した感じがする。私は渋い顔でうろたえる。

「どうしました?」と中村「先輩、なんかあったんですか?」

「中に入れてくれるそうだ。ただし」私は言った。

「パンツ一丁で、亀甲縛りした状態で行かなくてはいけない」

そう言った後、中村が一瞬見せた喜びの表情を、私は見逃さなかった。

かくして、私はパンツ一丁、亀甲縛りの状態になった。

銀行のシャッターが開いていく。中に入って来いという意味だ。

私は周囲の冷たい視線を感じながら、そちらに向かっていく。

何故だろう、人質が全員解放され、私一人が身代わりになった後、どこまでも逃走車で連れていってほしい。

出来るならば、犯人グループが無事に私を連れて逃げ切れる事を祈っている。そんな気持に襲われた。

車はすぐに用意するように中村に告げた。ただし、車は少し離れた場所に停車させる。私たちが車に乗り込むため外に出てきたところ、隠れているスナイパーが狙撃する。そんな作戦になっている。

スナイパーの腕が悪ければいい。もしくは、銃が壊れていればいい。何故だろう、私はそんな事も考え始めていた。

そして私は銀行の中に入り込む事が出来た。

正面、普段は銀行員が働いている場所に、人はいない。待合所の椅子がその前に並んでいるが、座っている人間もいない。右側を見る。そちらに十数名程の人質が集められ、泣いているもの、肩を寄せ合っているもの、何故か私を見てわらっているものが見えた。

そして左側、三人の犯人達が見えた。それぞれに目出し帽を被っている。

全員黒い繋ぎを着ていて、その内二人は拳銃を手に持っている。そして、一人だけ座り込んでいる人物。

ビニール袋を手にしている。

「ほら、言われた通りの格好で来たぞ」と私が言った。

「そうか。本当、恥ずかしい野郎だな!」

「そんな事はどうだっていい!」つい声を荒げてしまった。私は直ぐに後悔し、慎重に話を続ける。

「いや、悪かった。どうしたんだ?そこの一人。具合が悪いのか?」

私は座り込んでいる犯人の一人を見た。

「なんでもねぇよ!」と電話で話していた男が答えた。

「だめ、私、だめ」と女の声。座り込んでいた犯人の内の一人が言った。

犯人のうちの一人は女性だ。その女性が目出し帽を少し上げ、持っていた袋を広げて、嘔吐した。

私はその様子を見て息をのんだ。

『嘘だろ・・』頭の中を混乱が埋め尽くした。

首にハート型の痣。

まさか、まさか。

知らずの内に目を見開いていた。呼吸は止まり、血液の流れが止まってしまった感覚に陥る。

脳が酸素不足で痺れを訴えている。あいまいになっていく世界。

「おい!おい!」先程の電話の男の声が聞こえ、私は世界に戻ってきた。

「で、車はまだか!」私は我に返り、話始める。

「あっ、そうだ。人質の無事は確認した。外に電話を掛けていいか?」

「変な事言ったら人質殺すぞ!わかったな。早くしろ!」

私は犯人の了承を得て、電話を掛けた。中村が電話に出る。

「人質は全員無事だ。車、用意出来たか?」

「おい!」と男。「車に俺達が乗り込んだら、絶対追ってくるなと伝えろ!もしも追ってきたら、お前を殺すぞ」

私は男に言われた通り、中村に伝えた。私は電話を切り、男に伝える。

「車が用意出来たそうだ。まずは、人質を解放してくれ」

銃を持った犯人二人が、なにやらひそひそと話し合いをしている。

やがて電話の男が言った。

「わかった。人質を解放する」

私はひとまず安堵した。再び中村に電話を掛け、人質が出ていく事を告げた。

「では、落ち着いてゆっくりと外に出て行ってください」

人質達がぞろぞろと外に出ていく。そして一人もいなくなったのを確認し、私は犯人グループに言った。

「じゃあ、俺たちも行こう」

犯人グループの内、電話の男が私の方に向かって来た。

「ちょっと待ってくれ」私は言った。「そちらの具合の悪そうな人を、私が連れていく。二人は拳銃を持っているし、少しでも楽な状態の方が、気持的に都合がよくないか?」

私の方に向かってきていた男が、歩みをとめた。少し思慮している様子を見せた後、おもむろに口を開く。

「わかった。じゃあ、それで頼む」

私はその言葉を受け、座り込んでいる女性の方に向かっていった。

「大丈夫かい?」私はしゃがみ込み、女性に声を掛けた。

「えぇ、大丈夫」間違いない。私は確信した。甘く、空気すら痺れるような声。忘れはしない。

ミキさんだ。

一体なぜ、こんなところに。まさか、そんな馬鹿な。確信はしたが、無理やりにでも疑いをもとうとする脳。しかし、どうしても直ぐに消えてしまう。

「行くぞ!」と電話の男。私は右側からミキさんの左肩に手をまわし、優しく立たせた。

立ち上がった瞬間、私の耳に囁き声。

「としきくん・・」触れた右手が滑り落ち、崩れ落ちてしまいそうな感覚に陥る。

世界がモノクロに見えた。周囲の音も、心音も聞こえない。そんな僅かな時間が私を包んだ。

ミキさんがゆっくりと歩き出した。私も傀儡のように、つられて歩き出す。

「ミキさん・・どうして」

前方に電話の男、後方にもう一人の男。どちらにも聞こえないように、私は呟く。

「としきくん・・私ね、あの後、お酒におぼれてしまったのよ。そして、悪い男に引っかかっちゃった。馬鹿でしょ?あの時ね、私のせいで男の人を死なせてしまった時、気がついちゃったせいなのよ」

飛び降り自殺しようとしていた男性を、私達は説得していた。あの時を後に、ミキさんは警察を去った。

ミキさんは、飛び込んできた男性を、咄嗟に避けてしまった。そして男性は、そのまま地面に落下していった。

「私ね、あの時こっちに向かってきた男の事を、気持悪いって思ったの。結局、私はそんな人間なのよ。今まで普通の人間の皮を被っていただけ。そうわかった時、皮を被る事が凄く嫌になっちゃって。もう、どうでもいいやって思っちゃったら、こんな事になっちゃった。わたし・・わたし・・」

「何話しているんだ!」と後方の男の怒鳴り声。私は振り向き、答えた。

「そんな姿で寒くないのか?って心配してくれてんだよ!」と私は言った。

「そうか」と後方の男。「悪かったな」と続けた。

私達は銀行の外に出た。車は少し離れたところに停車されている。私はさり気なく周囲のビルの上を見た。

何処かでスナイパーが狙っている。

「としきくん・・」とミキさんの声。

「立派になったわね」

「そんなわけないでしょう!だって、パンツ一丁で亀甲縛りしながら歩いているんですよ!どこが立派なんですか!」

涙があふれ出る。恥ずかしいからじゃない。憧れた女性と再会することが出来た。それなのに、相手は犯罪者に落ちぶれてしまっていた。

神様がいるなら、こうなってしまった訳を聞きたい。話せないなら話してくれるまで、私は神様のもとを離れない。そして理由によっては、私は悪魔になる事を厭わない。

「ミキさん」と私。「私が今からやること、絶対に気にしないでください。これは全て、あなたのためです」

そう言って私は、ミキさんから手を離した。

パンツ一丁、亀甲縛りの状態で、ミキさんの周囲を踊りながら回る。

「ヨイヨイ!ヨイヨイ!」と声を上げながら素早く回る。

停車している車の向こう、群衆が呆気にとられているのがわかったが、私は気にしない。

「なにやってんだ?」と後方の犯人。前を歩いている犯人もこちらを何度も振り返っている。

しかし私は、ミキさんの周囲を踊りながら回る事をやめない。こうすることで、スナイパーはミキさんを撃つことが困難になる。私はミキさんを守る為に踊っている。全然恥ずかしくない。

なんだか初めて自分を誇れる気持になっていた。好きな人を守るということは、こんなに素敵な気持になれる事なのか。

目の前の男が、運転席の扉に向かっていく。

刹那、銃声が鳴り響いた。

扉の前で、犯人が倒れ込む。

もう一発、銃声。

後方の犯人も倒れ込む。

残された私とミキさん。私はパンツ一丁、亀甲縛りのまま、踊るスピードを速める。

私達の周囲に竜巻を起こしてやる。そんな気持。

「やめろ!撃つな!」私は叫んだ。「この人だけは撃つな!いいか!絶対に撃つなよ!」

私は踊りをやめない。最後までミキさんだけは守り抜いてやる。例えこの身が果てようとも構わない。

変態だと罵られても構わない。

喜んで変態をひきうけよう。

「としきくん・・もうやめて」ミキさんの悲痛な声が聞こえた。

「としきくん、私、立派になったとしきくんの姿を見る事が出来て、本当によかった。私ね、としきくんの事、本当に心配だったの。この人、私がいないとダメなんじゃないかって。私が傍にいないといけないって。なのに私、あなたの事を置き去りにして、警察をやめちゃった。そしてこんなふうに・・・。ごめんね」

「ミキさん・・」私はミキさんの周囲を素早くクルクルと回りながら、涙していた。涙がミキさんの周囲を包み、そのままミキさんの姿を消してしまって欲しい。もし、そう出来るならば、私は体の中の水分を全て涙に変えてしまい、干からびでしまっても構わない。寧ろ、それが本望だ。

「だけど、私がいなくてもこんなに立派になって。私、本当に幸せよ。私、私・・」

そう言ってミキさんが、運転席の扉の前、倒れている男の方に駆けよっていった。

「この人、私の彼氏。凄く悪い男で、どうしようもない男で。なんで一緒にいるんだろう。そう思いながら一緒にいたのよ。ずっと、ずっと、としきくんの事・・」そう言って倒れた男の手から、拳銃を取る。

私は踊りをやめて、その場に立ち尽くしていた。ミキさんが拳銃をこちらに向ける。

最後にミキさんが口を開いた。銃声が鳴り響き、聞こえなかったが、間違いなくこう言った。

「愛してたのに」

私は倒れていくミキさんを見ていた。

自然に膝を折り、崩れていく私の体。

「としきさん!」中村の声。警察仲間達がこちらに向かってくる。

遠くでざわめく観衆の声を聞きながら、私は呟いた。

「人生は酷だよ。酷すぎるよ。ねぇ、ミキさん・・」


ララバイが聞こえない。

体の中に、頭の中に、

あらゆるところを私は探す。

ララバイが聞こえない。

どんな人間にも、聞こえるはずだ。屑だって、なんだって、聞こえるはずだ

今は聞こえない。でもやがて、また聞こえるはず。

私は静かに世界を見ている。

私は静かに、耳を澄ましている。

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