実はね?
「一つ良いかな、お母さん」
「なぁにー? 唯」
「なんで、黙ってたのよぉーッ!?」
―――― 一時間前 ――――
「まあ、入りなさいよ唯? あら、羽が突っかかるわね……えいっ!」
「えええぇちょっと今お母さんドア曲げた!? 素手で曲げたよね!?」
結局救急車も呼べず困り果てた私は、瑤を背負って帰ってきた。そしたら、まるで動じない、しかも今人間離れしたことをやらかした母・麻衣に出迎えられたのだ。
「その人寝かせるんでしょ? 早く! あと唯、先にお風呂入っちゃってねー」
「あ、うん……って驚かないの? というか、この姿の私が唯だってなんで一発で信じてるの?」
ちなみに私の姿は、金髪天使モードのまんまである。
「まあまあ、そのあたりも後で話すからーちゃっちゃと行きなさーい!」
追い出されるようにして、居間からバスルームに行った。その途中、やっぱりあちこちに翼をぶつけてた。結構痛い……
「ったく、なんなのよ! この羽、邪魔!」
洗濯機の前まで何とかたどり着くと、来ていたTシャツやジーンズを脱ごうとして、
「……どうやって脱ごう?」
先ほど生えた翼がTシャツを突き破っていることに気付いたのだった。
唯が、洗濯機の前で悩んでいたころ――――
居間のソファにとりあえず寝かされていた瑤が、目を覚ました。シャワーの水音が聞こえる。
「人の家……?」
「あら、意外と早く起きてくれた! えっと、天使の男の子?」
「うわ!? え、誰?」
初対面のはずの若い女性に、顔を覗き込まれていた。ただ、おれには見覚えがある気がした。そうだ、この女性、唯の母親だ。事前に渡された資料に家族構成も載っていたから、そこで見たのだろう。
「どうもー! 唯の母親で、麻衣です。よろしくねー」
「あ、ども……て、俺のこの姿見て、よく冷静でいれますね、あなた」
能天気かつハイテンションな自己紹介だ。違和感を感じてまじまじと見ると、麻衣はきょとんとして見つめ返してきた。
「だって、天使のことはだいたい知ってるもの」
今度は俺がぽかんとした。
「知ってる? なぜ……」
「その話は唯がシャワーから戻ってきたらね。ところで麦茶飲む?」
「ムギチャ? あ、はい。いただきます」
ムギチャとは確かこの国の、飲み物だったはず。とりあえず、もらっておくことにした。
麻衣がポットとグラスを用意しながら、天気の話をするようにつぶやいた。
「唯のこと、頼むね」
あまりにあっさりしているが、聞き逃しはしなかった。どういう意味で言ったのか分かったからな。
「俺が、唯を連れてくこと分かってるみたいですね。いいんですか? 正直、どうやって説得しようか悩んでたんすけど」
「大体知ってるって言ったでしょー? はい、どうぞ」
「……どうも」
手渡されたムギチャを嚥下すると、冷たさが心地よく怪我した体を落ち着けてくれた。と、同時に頭がすっとクリアになる気がする。
麻衣には調子を狂わされるが、本人はいたって冷静なようだ。
とりあえず、あとは唯のメンタルを支えてやることさえできれば、スムーズに本部に帰還できそうだった。
しばらくして、シャワーの音がしていたほうから、ごごん! という音がした。
(何やってんだ、あいつ)
そんなことを考えていると、今度は隣から、
「ちょっと、瑤くん! 目をそらしてる場合?」
麻衣が怒鳴ってきた。
仕方なく自分の手元をまた見た。その手に持っていたのは、ジョーカーが入ったトランプの束。
唯が戻ってくるまで暇だったので、そこで麻衣がトランプを持ってきたのだ。しかもやり始めたのはいわゆるババ抜き。二人でやるものではない気がする。
「あのー……。これ楽しいんですか? 何か他のヤツのほうがいいんじゃあ……」
「なに言ってるの! どれがババか考えるだけで楽しいじゃないの! ほーら、瑤くんもやって!」
「いや、俺がババ持ってるじゃないですか……」
やっぱりこの人、よく分かんねえ。
唯が無事にリビングに帰還したのはさらに十分後のことだった。
何故か疲れ果てた様子の瑤がソファにぐでっとしているのに対し、麻衣が何やら上機嫌で麦茶を入れていた。
「お母さん、何かあったの?」
「唯が遅いから遊んでたのよー。ババ抜きでね!」
(なるほど……お母さんの二人ババ抜きか)
何度か付き合ったことがあるが、その退屈さは知っている。ただ、お母さんは楽しそうなんだよねー。
「で。瑤も目は覚めたんだね。じゃあ後で話すって言ってた話を……」
「うんうん! 話すね。何と何と! 唯にはホントはお姉ちゃんがいるんだけど天使になって今はいなくて、ついでに私も魔術師なんだよね! 二人目だから私もあらかたのことを知ってるってわけ。黙っててごめんねーあはは!」
「へー……ってええええ!? 何軽いノリで言ってんのお母さん! どういうこと! ねえ!?」
「いやだから唯にはお姉ちゃんがいて……」
「そこじゃなくて!?」
「あー……、ちょっといいか?」
あっけにとられて固まっていた瑤が、やっと間に入った。
「一個づつ確認させてくれ。まず、唯には姉がいる。」
「そうそう!」
「で、その子はすでに天使になっている。ここにはいない。そんで、唯はこのことを知らなかったと」
「うん。知らない」
「で、麻衣さん。あんた……じゃなかった、あなたは魔術師であると。娘がもう天使になったことがあるから驚かない。あー、やっとわかった。そりゃ冷静なはずだ」
瑤はそれで納得したような様子だが、唯はまだ混乱していた。
そして、冒頭に至る。
「言っても信じなかっただろうしなあ」
「そうなのよねー。あんまり広めてもいけないって前に迎えに来た天使が言ってたし」
「前に迎えに来た天使?」
「あなたの姉、玲は今は天使たちの世界にいるはずなの。そこの瑤くんみたいなお迎えが来たのよね。天使は人間とは暮らせないから……」
迎え、とはなんなのだろう。そういえば、瑤がスカウトするとか何とか言っていた。
「もしかして、ここで暮らせなくなるってことなの? なんで?」
この母親の語り口だとそういうことになりそうだった。
「唯、さっき私はドアを曲げたよね? 私は天使ほどの力はないけど、あれくらいの力はあるのよ? つまり、天使はもっともっと力が強い。怪力と言ってもいいかもね。そうでしょ、瑤くん?」
瑤のほうを見ると、彼は実に苦い顔で唯に向かって頷いた。
「俺たちは皆、怪力持ちだ。それは間違いない」
「えっと、具体的には?」
「素手でビル解体ができる程度。学校の体育に参加してみろ。ボール投げで軽く一キロは飛ばせるぞ」
「はあ……」
例えが壮大過ぎてよく分からない。
とにかく凄いらしいのは分かった。が、
「別に街を出なくたって、力を加減してればいいんじゃないの?」
「力加減しようにも、気ぃ抜いたら終わりだぞ? 授業中に居眠りして、机に頭突きしたら?」
「む……」
唯は黙り込んでしまった。授業中に爆睡した経験が嫌というほどあるからだ。
それを見た瑤は、呆れたようにため息をつく。
「それに、さっき襲ってきたみたいな悪魔の危険もあるぞ。周りにも危険が及ぶし、お前も喰われたかぁないだろう」
「そりゃ、まあ……」
「ま、別に今日いきなり出発しようなんて言わない」
「どういうこと?」
「数日間は待っててやる。ま、そしたら嫌だと泣き喚こうが連れて行くぜ。いいですよね、麻衣さん?」
「いいわよ~」
「ちょ!? お母さん、あっさりと!」
どうやら、唯がスカウトとやらをされて、どこかしらに連れて行かれるのは決定らしかった。
「とりあえず、唯の体。見た目だけでも元に戻しとくか」
話は終わったとばかりに、瑤が全然別のことを言ってきた。
「元に戻すって……?」
「ちょっと黙ってろ。……エンダン!」
よくわからない掛け声とともに、体にむず痒さが走った。その感覚は一秒と経たずに唯の体を去り、気が付けば、
「あ、あれ? 黒髪? 背中軽くなってる……?]
体に変化が起こる前の、人間の『唯』の姿に戻っていた。
瑤が、さっきの掛け声――もしかしたら呪文?によって自分の見た目を変えたらしい。
「それで、人前には出れるだろ」
「すご……」
その日は、なんとなくお開きになり、瑤は居間で、唯と麻衣はそれぞれの部屋で寝た。
貸してもらった布団に横たわって、居間に残された瑤は呟く。
「Armes Ding……」