そのに・仏神伏魔こともなし!
なんでこうなった。
高見 望は答えのない問いを自身に対して投げかけ続ける。
まあぶっちゃけると現実逃避し続けているだけだが。
彼女は現在、第三高校の職員室にいた。職を辞した教師――件の少年、天下 太平のクラスの副担任、その後任という触れ込みだが、はてさて何人がそれを信じている事やら。
ともかく何とかここまでは潜り込めたがこれから先どうなる事やら。暗雲が立ちこめているどころではない自身の行く末に暗澹とした気持ちになりながら、彼女は昨日の支所長とのやりとりを思い返していた。
「さて、特対の元に赴く前にちょっと注意事項を言っておくよ」
相変わらずへらへらとした態度で言う支所長。その視線が一瞬だけ真剣なものとなった。
「基本的には一つだけ。特対――天下 太平とは絶対に敵対するな」
「はあ……」
何を今更当たり前のことを。望は何を言ってるんだとばかりの表情を浮かべた。
が、支所長はへらりとした態度に見えて、かなり本気に真剣であった。
「ま、確かに当たり前のことだろうけどね。……アレに関わっているとそんな事も言ってられないんだ」
どういう事だと眉を顰める望に、支所長は語り続ける。
「ちょっと前にね、どっかのあるあるとかほるほるとか鳴く頭の悪い生き物が彼や周りの人間を強制的に自身の田舎にご招待しようとしたんだけど……」
そこで支所長は言葉を切る。
「いなくなっちゃった」
「え? いえその、それはどういう……」
「だから、うちを含めた各国の諜報機関がそれなりに調べても分からないくらい完全に、いなくなっちゃった」
ぞ、と望の背中を怖気が奔る。
いなくなったとは、単純に日本を追われたというわけではあるまい。自分達はともかく他の国の諜報機関はそれなりに優秀だ。それが調べても行方が分からないと言うのは有り得ないと言っても良い。
他国の諜報機関が調べた内容などそうそう漏れるものかと思われがちだが、実際の所現場レベルでは情報の交換は頻繁にあったりする。お互い情報を共有していた方が便利な場合が多々あるのだ。特に今回のような共通の目標がある場合は。
もっとも全ての情報をやり取りしているわけではない、隠すところは隠している。恐らくは消えた諜報員達の情報を掴んでいるところもあるはずだ。
だが逆に言えば……とても現場レベルでは口に出せない状況になっている、とも推測できるのだ。
一体どうやってなにをどうしたのか。思い付く限りの手段を模索してみるが、最低でも自分が考え得る中ではそれを成し遂げる術が思い当たらない。顔色が悪くなった望の様子を気遣う風もなく、支所長は話し続ける。
「もちろん悪意を持ってアレに接したものばかりじゃない。興味や好奇心、功名心はおろか、義志や義憤をもってアレと相対したものもいる。その中には正統なものや法的根拠に基づいたもの、人道的にも正しいものもいた。しかしその事如くが……破滅している」
へらりとした態度が少しずつ改められる。
「もう一度言う、天下 太平とは絶対に敵対するな。アレと敵対するか否か、それだけが分岐点だ。正義や悪など信念はいらん、良心も憎悪も全部捨ててしまえ。ただアレを監視するだけのマシンになりきるんだ。……それでも万が一、敵対する羽目に陥ったら――」
そういう支所長の手は。
「――何もかも投げ捨て、全力で逃げろ」
微かだが、確かに震えていた。
なんで私がこんな目に。何度問いかけてもわからない答えを望は自らに問いかける。
おかしい、順風満帆にエリートコースを突き進み、他との軋轢などけらもなかったはずなのに。どうしてこんなわけのわからない存在相手の監視任務なんぞにつかなければならないのか。絶望感を通り越し内心で現実逃避し続ける望。
彼女は知らない。かの支所に送られる人材は公平を期すという名目上、くじ引きで選抜されているということを。
まあそんな彼女の不幸な事情はおいとくとして。
「ようこそ三高へ、とでも言っておこうか。ボクがキミの上司ってことになる」
望の目の前で席に着き、足を組んだ姿勢でによりと妖艶に笑う女性。アップした髪に眼鏡、やたらと体のラインを強調し豊かな胸元をさらけ出しているスーツ姿。
どこのエロマンガだと言いたくなるような色気過剰な美女であるが……なぜだろう、どこかしら胡散臭く、そしておぞましいと感じてしまうのは。
表情には出さないが戸惑う望の心境なんぞ知った風もなく、美女は名乗る。
「【十手府 成螺】。しがない一教員だよ。よろしくね」
嘘だ。絶対嘘だ。思いっきり裏のボス級のアレやナニが見えまくってるやないかい。思わずそう言いたげに表情をゆがめる望。そんな彼女の様子を、成螺と名乗った存在は楽しげに見やる。
「ふふん、勘は悪くない。諜報員というのも案外馬鹿にしたものでもないね」
こいつ、いけしゃあしゃあと。奥歯をかんで憤りをこらえる。堂々と諜報員であることを公言されるのはともかく勘がいいも悪いもあるものか。隠す気なんぞ全くないくせに。
そんな望の内心を見透かしたように――実際見透かしているのだろうが――成螺はくくくと笑いをかみ殺す。
「悪い悪い、からかう気はなかったんだ。まじめに力が入っている人間をみるとつい、ね」
人間をおちょくるのが趣味であるコレとまともに対話できると考えるのが間違いなのかもしれない。望は早速何かを一つ諦めた。
肩を落として息を吐く。もう取り繕うのも面倒だと、彼女は投げやりに目の前の存在へと語りかけた。
「もういいです。とっとと話を進めましょう」
「おや、ボクのことを察知しておきながらスルーかい?」
「あなたみたいな存在相手になにをしたって無駄でしょう? だったらじたばたせずに普通にやりますよ」
「なるほど、ただ単に運が悪いだけじゃあなさそうだねえ。……まあいいや、じゃあとりあえずこれ読んでおいて」
「はい……?」
成螺から手渡された資料に目を通す。まさか目を通しただけで正気度が削られていくようなろくでもない代物じゃあるまいなと、少し用心しながらみていけば……なんのことはない、ただの指導要綱であった。
いや、ただのというのは少々語弊がある。いやに懇切丁寧で所々手書きのかわいいイラストなんぞが入った、結構気合い入っている資料だったりする。
「あの、これは……?」
「ん? ボクのお手製」
「なにまじめに教師やりくさってやがるんですかこの混沌」
普通に教師の仕事をしてる萌えるもとい燃える三眼ぽいものの態度にあきれた声を出す望。それに対して成螺はくねくねと身をよじりながら甘えた声でのたまう。
「だってえ、まじめに仕事しないと怒られるんだモン。……太平君に」
「アンタ特対になにやらかしたんですか!?」
「いやその、ちょっとちょっかいだしただけなんだけどね……」
そこまで言って、成螺は急にテンションを下げた。
「あのさあ、ネットゲームってあるじゃん?」
「? はあ?」
「いわばボクなんかは、データを改造したりシステムに介入したりして遊ぶ悪質なハッカー的な立場にあるんだけど……なんかおもしろそうなNPCがいたからアバターで接触しようとしたわけなんだよ」
「??」
「そしたら魔改造したはずのアバターが、データ上何の能力もないはずのNPCにフルボッコにされましてね……」
「……え~」
俯き暗い雰囲気を放つ成螺。その言葉はだんだんと陰鬱になってくる。
「……それどころかね、アバターが受けたダメージがそのまま本体に伝わってね? 画面の中と外でぶべらべらってね? 痛いんだよ?」
そこで成螺はがばりと面を上げ、半泣きになりながら望の肩をつかみぶんぶん前後に振りながら訴える。
「ねえわかる!? 圧倒的に有利どころか絶対に覆せない立場にあるはずなのにそれがあっさりひっくり返される感覚! 画面の外でによによしてる立場がいきなり渦中に引きずり込まれて墜されたあの屈辱! まったくもって要因も原因もわからないなにがどうなってるのかさっぱりな謎と恐怖! ボコられてるうちになんか芽生えちゃった快感!」
「わかんねえよ特に最後」
なんだかしおしおとスケールがちっちゃくなってきているような気がする。いや実際はとんでもない大事なのだろう。だがしかし目の前の存在からあふれ出す小物臭がそれを全く感じさせない。
ああ、なんとなくわかった。望は唐突に悟りを得た。
これが特対――天下 太平と敵対した者の末路、その一つなんだ、と。
高みから蹴落とされ、プライドを踏みにじられ、身も心もぼろぼろにされた挙げ句逆らう気力すら根こそぎ奪われる。相手が何者であろうが関係ない。それこそ目の前の超越存在だろうがなんだろうが問答無用に叩き伏せる。
災厄。なるほど関わった人間があれほど恐れるはずだ、厭世観にとらわれるわけだ。何もかもが平等に無意味で無力だと思い知らされるのだから。
……って、自分はこれからそんなのと関わらなくちゃならんのか。どよんと暗澹たる気持ちが望の心に満ちた。
「……で、そんな目に遭ってまでなんでアレと関わろうとするんですかあんた」
「端から見てる分には面白いんだよ彼の周り」(キリッ)
「地雷原に飛び込んでまでやることかい」
「……あとちょっとボコられる感覚が癖になっちゃって……」(ぽっ)
「最悪な本音だ!?」
自分はこれからこんなんとも関わらなくちゃならんのか。どよんと暗澹たる気持ちが望の心に満ちた。
で、なんやかんやでHRの時間になったわけで。
暗い気持ちが晴れぬまま、逆に言いたいことを言ってすっきりした様子の成螺に連れられ望は教室の前までたどり着いた。
2年D組。ここでの見てくれは至って普通のクラスのように思われるが……。
「さて、それじゃあ先にはいるから、呼ばれたら派手に華麗に登場してみんなの心を鷲掴みにしてちょうだい」
「んなスベること前提の前振りなんかしないでください」
無理難題をふっかけようとする成螺の言葉を適当に流してその場に待機する。ちえーとか唇をとがらせた成螺だが一瞬でいつもの表情に戻ると、「やあやあみんなおはよう」とか言いながらがらりと戸を開けた。
「地獄突き! 地獄突き!」
「横隔膜! 横隔膜!」
いきなり筆舌に尽くしがたい光景が展開されていた。
なんか教壇の前で女子生徒が二人喧嘩? してる。黒髪ロングのちっこい女の子と金髪で背の高い妙に色気過剰な女子。片手でつかみ合ってもう片手でそれぞれ相手の喉元や脇腹に向かって抜き手を突き込み続けている。
それはいい。いやよくはないだろうがいい。問題はその二人の背後。黒髪の女の子の背中には真っ黒の蝙蝠のごとき羽が生え、尾てい骨のあたりから先の尖った尻尾が伸びている。そして金髪の背中には光り輝く翼が生えていた。
で、それを目の前にした生徒たちは特に動揺するわけでもなく、やんややんやと囃したりどっちが勝つか賭けてたりする。動揺どころか完全に順応してた。
完全にフリーズする望。しかし成螺は慣れた様子で教室に入り、二人に近づくと。
「ていっ!」
それぞれの頭を掴み、ごりっと360度ほど捻った。
白目をむいて崩れ落ちる二人。それを完全に無視した成螺はつかつかと歩み教壇に立つと、「やあみんな、課題はやってきたかな?」と何事もなかったかのようにHRを始めようとする。
「「ちょっと待てェ!」」
「……ちっ、目覚めやがったか」
食って掛かる二人に対し忌々しげに舌を打つ成螺。柳眉を逆立てた二人はそれにかまわず言いつのる。
「死ぬかと思ったやないかい! もちっと手加減してもええとは思わんかコラ!」
「そうなのです! 私たちじゃなかったら天に還ってたかもなのです!」
「一撃で消滅してないからこれでも十分手加減してるんだよ? それよりもうHRなんだけどなんでここにいるのかな二人とも。クラスどころか学年も違うじゃないか」
じと目になった成螺からツッコミを入れられ「うっ!」と怯む二人。確かにちっこい方はネクタイの色が上級生のものだし、(色々と)でっかい方は下級生の色だ。
もう一度言おう、ちっこい方が上級生ででっかい方が下級生だ。
「ほっとけや! 圧縮の関係上普段はこの程度にしかなれんのや!」
「え、えっちじゃないです! えっちじゃないですもん!」
「……いいけどさあ、いい加減背中のモノをしまったら? 【ルーシー・不破】君? 【選流 美佳】君?」
もう少し隠せよ色々と。あわわと羽や尻尾を引っ込める二人に対して心の中でツッコミを入れる望。人外関係者ってこんなんばっかりか。
「にしてもアレだね、純粋に日本人に見える方がハーフっぽい名前でどう見ても外人さんですありがとうございましたってのが日本人にしか思えない名前とか、あほのこなのかなキミら?」
「アンタが言うな! アンタにだけは言われとうないわ!」
「名前というのは分かりやすくて奇をてらっていないのが一番いいのです!」
「……とまあそんなどうでもいいことはさておいて」
「「自分で話振ってて酷いな!?」」
「邪神ですから。ともかくお目当てはまた太平君なんだろうけど……」
そこまで言って成螺は教室を見回す。
「肝心の太平君の姿が見あたらないんだけど、遅刻?」
その疑問に応えたのは、いつものごとく太平と一緒に登校してきたはずのまひと。
「はいはいせんせー、たいへーちゃんならおなかの調子が悪いからって、トイレ行ってまーす」
「ああくそ、まだ調子がわりい」
「なんか世界がゆがんで見えますぜ兄貴」
「うう、またズボン買い直しっす……」
朝っぱらからサボりを決め込んだ番長たちがトイレに入ってきた。なんとか九死に一生を得た彼らは復帰早々懲りもせず登校してきた。あれだけの目に遭えば普通は尻込みどころかしばらく心と体に深いダメージが残っているはずだと思うのだが、さすがは番長と言うべきなのか常識外に鈍……頑丈なだけなのか。
ともかくサボるくらいなら最初からこなければいいと思うのだが、番長は学校にいてこそ番長という妙な信念を持ってるこいつらは、休むという発想そのものをもっていない。
あほである。
「それはそれとしていい加減拠点も見つけねえとなあ。番長が牙城の一つもないってのは格好つかねえぜ」
「体育倉庫も部室棟もだめでしたからね。怒られたし」
「曰く付きの旧校舎とかないもんすかね」
馬鹿なことを言いながら三人並んで用を足し、手を洗って出て行こうとする。
と、腰巾着の片方があることに気づいた。
「おりょ、でかい方が使用中っすね」
本当にどうでもいいことだった。しかしなぜか番長は不機嫌そうな顔になる。
「……気にくわねえな」
「どうしましたか親分」
「学校の便所ででかい方の用を足すってのは……漢じゃねえ」
むちゃくちゃな難癖であった。学校でうんこするのは悪。そんな小学生男子のような思想は中学生くらいで卒業するべきだと思うのだが、この男未だに煩っているらしい。
そんなガキ……少年の心を忘れていない番長は、つかつかと個室の前に歩み寄ると、いきなりドアに向かってがんがんと蹴りを入れ始めた。
「おるあ何クソこいてやがるんじゃコラァ!」
それに便乗して腰巾着どももからかいの声を上げたり清掃用の水道からホースを引いて上から水をぶっかけたりしだす。
「ぎゃははははだっせえんだよおらあ!」
「きれいにしてやるっすよありがたく思えやあ!」
完全にいじめである。しかし個室の中からは何の反応もなかった。それに対して調子に乗ったか、番長たちはさらに近場のゴミかごのゴミを放り込んだりドアの下の隙間から水を浴びせたりする。
ややあって、個室の中から水を流す音が響き。
どがむとドアが開いた。
「「「ゑ゛」」」
もちろんそこから出てきたのは、頭からゴミと水をかぶりびしょぬれのぐちょぐちょになった太平であった。
ずごん、と轟音が校舎を揺らす。
そのまま断続的に地震か落雷かを思わせるような轟音が次々と響いてきた。
「(な、なに地震!?)」
未だ教室の外に待機したままだった望はとっさに反応しようとする体を何とか押さえたが、扉の隙間から見える教室内部はさほど動揺した様子は見られない。せいぜい訝しげに周囲を見回す人間がちらほらいるくらいだ。
特に担任である成螺は欠片も動じる様子はない。ただちょっと天井を見上げてから頷き、出席簿になにやら書き出すだけだ。
「太平君、一限目は病欠、と」
「あー! えこひいきなのです! 仮にも教師ならば生徒は皆平等に扱わないといけないのです!」
ずびしと指を突きつけて成螺を咎める美佳。(まだいた)もちろん成螺は済ました顔で胸を張り、堂々と宣う。
「ふ……ボクは保身と媚びを売るためならいくらでもえこひいきをするよ! むしろ土下座もするし足もなめるし! それ以上のプレイとてやぶさかではない!」
「だからえっちなのはだめなのです! 肉体的なつながりだけでは真の愛を知ることなどできはしないのです! まずは交換日記から始めるべきなのです!」
「無駄にでかい乳と尻しとってよういうわこの愚妹。この駄乳が、駄乳がっ!」
「いたいいたいいたい! やめるのですねえさま!」
「……いいけどさあ、いいかげん自分のクラスに帰ったら?」
…………私はいつまでここで待っていればいいんだろう。今夜のご飯は何かなあ…………。
現実逃避しながら、窓の外に遠い視線を投げかける望だった。
「まったく、酷い目にあったわ」
憤懣やるかたないといった顔で、ジャージ姿の太平は言う。
結局一限目を丸々休んだ彼は、その直後の休み時間に現れた。病欠扱いになっていると聞いたときにはなんだか複雑な表情をしていたが、「まあ実際保健室に行ってたしな……」と諦め気味に矛を収めている。
なぜかは誰も聞いていない。だってだいたいわかるもの。
ともかく汚れを落とし、制服を何とかしようと悪戦苦闘したが結局は無駄で、仕方なくジャージに着替えようと教室に戻ったらこんな時間。また無遅刻無欠席が駄目になったとため息を吐く。
「とりあえずあとで番長殴るか」
「いい加減死んじゃわない?」
「……どっかオレの知らないところで勝手に死んでくれないかなあ」
「あれだけやって死なない方が不思議だけどさ……」
普通はあれだけやられたらまず間違いなく二度と関わろうとは思わない。そういう意味であの番長はかなりどっかおかしい。
常に自業自得ではあるが。
「(まあ他の人たちも似たようなものだけどさ。僕も含めて)」
「それはまあいいとして……結局オレは新しい副担任の先生とは顔を合わせなかったわけだが、どういう人だ?」
太平の問いに、まひとはちょっと考え込んでから答えた。
「なんてか……よけいな苦労を背負い込みそうなひと、かな?」
そのよけいな苦労を背負い込みそうなひとだが。
なぜかいきなり生徒指導室なんかにいたりする。
「それで、あなたはどちらさま?」
思いっきり警戒した表情で目の前の席に座った人物――話したいことがあると自分に持ちかけてきた女子生徒に問いかけた。なにしろ見るからに怪しい。光り輝くようなエメラルドグリーンの髪なんてどこの人種だ。
そのほんわかした空気を持つ女子生徒は、穏やかな笑みを浮かべながらこう答えた。
「名乗りが遅れました。我はここで生徒会長を務めております、【星野 聖霊】と申します」
「どいつもこいつも隠す気なしかこのやろう」
もはや取り繕う気もなしに思いっきり本音で悪態をつく望。そろそろやさぐれ入ってきていた。
それを気にした風もなく女子生徒――聖霊は話を続ける。
「ちなみにこちらで対特殊犯罪下請け業務を行っている精霊戦隊のボスでもありますね」
「なぜそこまであっさりバラすし」
「え? 諜報機関の方ならすでにわかっていらっしゃったのでは?」
「………………」
「………………」
「…………………………(汗)」
「…………………………(汗)」
沈黙が場を支配した。
ややあって。
「…………聞かなかったことにしてはいただけないでしょうかあ」
泣きそうな顔で聖霊が懇願してきた。こいつもなんかかなりダメっぽい。
なんだろうなあもう。全てを投げ出したいような気分になりながら、望はぐずる聖霊をなだめるように言う。
「そのあたりは前向きに検討するとして……それよりも何か話があったのでしょう? それを聞かせてはもらえませんか?」
「えう……はっ! そ、そうでしたねこほん!」
慌てて住まいを正し、巫女のような厳かな雰囲気を纏う聖霊。全てが手遅れだが。
「我がここにいる理由は、もう話さなくともわかりますね? 天下 太平、彼の存在があるからです。お気づきと思いますが、彼はただの強者ではありません。それどころか能力的には本当に、ただの一般人にしかすぎません」
それは成螺に言われたのと似たような話であった。望たち、というか諜報機関含む裏の世界の人間たちは多少なりとも成螺や目の前の存在のような超越者たちのことを認知している。この星というか世界に根ざしている聖霊はともかく、成螺などは正に次元が違う存在。自分たちなど歯牙にもかけない……どころじゃないくらいの差がある。
その彼女をして屈服させるほどの一般人、そんなものが存在するなど誰が信じようか。ゆえにどこの組織も存在も、天下 太平の秘密に迫ろうとしているのだが。
「一応我はこの星全ての精霊を統べる立場にありますので、人間であるあなた方よりはるかに多くを見通すことができますが……それでも彼には特別なものなど何もないと感じるのです。いかにむちゃくちゃで理不尽な行動でも、何かの力が働いた様子など欠片も見あたらない。これがどれほど恐ろしいことか、お分かりになりますか?」
何となくわかる。望は曖昧にうなずいた。
彼女はおろか次元の違う超越者にすら理解できない事象。すなわち未知。わからないと言うことは恐怖を呼び寄せる。それが容易く自身に害を及ぼせるものなのだから余計にだ。たとえ超越者であろうとも……いやだからこそ、その虞は絶大なものとなる。
彼女らがここにいるのは太平の力、その根元を見極めたいからなのだろう。他者に任せないのは力持つ者としての意地なのか自身の目で確かめないと気が済まないからなのか。しかし現状、成果が現れている様子はなさそうだ。
「ですから我々も手をこまねいているということなのですよ。とは言っても互いに協力しあっているわけではないのですが」
「まあ最低でも邪神とこの星の精霊が手を組むなんてあり得ないでしょうね」
成螺の言葉を借りるなら聖霊はいわばネットゲームの管理プログラム。クラッカーと仲良くなる理由はない。それ以前にそれぞれの勢力は全く別の思惑があるのだろう。多分相容れる部分は少ないのではないだろうか。
しかしと聖霊は人差し指をたてる。
「このままでは何もわからないままでしょう。ですから今からでも協力しあえるところはしあうべきだと思うのです」
「それで内調と共同を?」
わからない話ではないが……正直自分たちでは力不足なのではないかと望は考える。
神や魔がこぞって探り出せないことを、たかだか人間の自分たちが探り出せるとも思えない。一応建前上できれば探ってこいみたいなことは匂わされているが、せいぜい監視が関の山だろう。
と、そういうことを正直に言ってみる。隠し立てしてもバレそうだし意味はないと判断したからだ。
「それでも、我とは別な視点から彼を見られることは間違いありません」
「人だからこそ、見えるものがある、と?」
しかり、聖霊はそう頷いた。望は考える、悪い話ではないと。
こちらはただの監視だけしかできないが、逆に言えばそれだけで済むと言うことでもある。それだけの情報であれば横流ししたところで腹は全く痛まない。その上人外からもたらされる情報を手に入れられるとなればうまい話だ。
他の組織であれば色々な駆け引き損得勘定もあろうが、相手は人外、己の領分を守ることのみだろう。腹のさぐり合いはそれほどあるまい。
「……上司に話を通します。おそらくはGOサインがでるとは思いますが、本格的な話はそれからということで」
「かまいません。期限があるわけではありませんし」
この人にとっては時間など関係ないのだろうなあ本来。などと思いつつ、望はついでに疑問に思っていたことを問うてみた。
「ところでなぜここで生徒会長なんかを? あなたならその必要はないように思うのですけれど」
「学校という特殊な空間に関わるならば、そこで最も権力を持つ立場にある方が有利だと考えた結論なんですが……」
なんかまたあほなことを言い出した聖霊は、へにょんと肩を落とした。
「生徒会ってただの雑用係じゃないですかあ。事前の資料では校内だと絶対の権力を持っているかのように書かれてたのにい~」
「フィクション信じんなよ」
やはりこいつもアレだったか。そろそろ胃がきりきりと痛み出した望も肩を落とすしかなかった。
その後。
どうにも胃が重いままだった望は、休憩時間に胃薬でもないかと保健室へと向かうことにした。
そこで待ちかまえていたのは。
「胃薬? 簡単に薬に頼るのは感心せんのお、ちょっとそこに座るのぢゃ」
うんうんうなり声が響く衝立の向こうから姿を現したのは、白衣を着て立派なひげを伸ばしたよぼよぼのじいさんだった。
こんなんが保険医で大丈夫なのかな~といささか不安になりながら、備え付けの丸椅子に座る。その向かいの椅子に座ったじいさんは望の姿を上から下まで見て、うむと一つ頷いた。
そうして彼は、すう、と望に向かって手をかざす。
「奇跡びーむ」みー。
「ちょっと待てい!」
じじいの手の平から放たれた怪光線をアクロバティックな動きで回避しつつ望は問いただす。
「なんなんですかあなたは! まさか神とかいうんじゃないでしょうね!」
望の言葉に対して、すっとぼけた調子でじじいは応えた。
「とんでもない、わしゃ神ぢゃ」
「包めよおおお! オブラート使えよおおおおお!」
ついにたまりかねたか望は吠えた。咆吼した。魂の叫びだった。
そんな望の心境をおもんばかりもしないじじいは、ちっちっちと人差し指を振るい宣う。
「なにを言っておるか、【かみ】ではないぞ? 【じん】ぢゃぞ?」
「そんな罰当たりな名字があるかあああああ!」
「なんぢゃ!? ゲッ●ー2パイロットディスっとるのか!?」
吠えたくる望。ボケまくるじじい。
ややあって。
ぜーはーぜーはーと息も絶え絶えになった望は、力尽きたかどっかりと椅子に座り込む。その様子をじじいはほっほっほと笑いつつ「若いのお」と生暖かい目で見ていた。
「誰のせいですか誰の」
「天下 太平という少年のせいじゃの。ワシがここにいるのも、お前さんがここにいるのも」
責任転嫁するつもりかと一瞬憤りかけるが、よく考えれば実際その通りなので口を紡ぐ望。
じじいは好々爺然とした様子のまま、いつのまにやら煎れた茶をすする。
「ま、今日会わなんでもワシらはいずれ顔を合わせたであろうよ。どのみち挨拶回りはせにゃならんかったぢゃろうが」
「それはそうなのですが……なあんか釈然としないなあ……」
「この程度の理不尽、これより先いくらでも訪れよる。今のうちに慣れておくがよかろうさ」
むしろこの程度で済めば御の字ぢゃぞと、茶菓子のせんべいを囓りながらじじいは言う。そうかもしれないけれど、こんなんが毎日続くのかと思うとげんなりとしてくる。今から辞表の文章を考えていた方がいいのだろうか。望はちょっと本気で考え始めた。
それにしても、じじいはそう前おいて話を続ける。
「ようもこれだけ集まったものよ。そうは思わんか?」
半ば自分のことを棚上げしたような言葉に無責任なと呆れる望。しかしじじいは飄々とどこ吹く風だ。
「天上のものとは元々無責任なものよ。勝手に作って気に入らなければちょっかいを出す、此度のようにな」
「……天下 太平という存在を、容認できないと言うことですか?」
「左様。そもそもワシはあのようなモノが発生するようなシステムを作った覚えはないわ。バグにしてもいささか強力にすぎるわい」
そこで初めてじじいは不満げな様子を微かに見せた。
「システムとしては異常なく、しかし結果は狂う。たった一つのちっぽけな因子によってな。かてて加えてそれがどういう作用で状況を狂わせているか、さっぱり分からんときている。創造者としてこれほどの屈辱があるものかよ」
プライドの高いSEみたいな物言いであるが、気持ちは何となく分かる話だ。作り手としての矜持、同時に異常に対する興味もあるのだろう。ゆえに手ずから調べにきたのということか。
しかしならばと望は疑問を覚えた。
「えらく高位の部下もきてるみたいですが、そちらに任せておけばよかったのでは?」
「あれらにはあれらの思惑がある。そこまでワシは口を出す気はないのぢゃが……」
じじいは困ったように頭をかいた。
「なーんかアレに妙な影響を受けているようでのお……いまではすっかりへっぽこぴーな有様ぢゃよ」
つまりもうクソの役にも立たないといいたいのか。確かにあれでは何をしに来たにしても目的を果たせそうにないが、いいのかそれで。
「ぶっちゃけ最近ワシも、もうなにやったって無駄ではないのかなーなんて気になってのお……」
「いやあなたが諦めたら本当に終わりでしょうが!」
遠い目をし始めたじじいにツッコミを入れる望。このじじいが投げやりになったら本気で世界が滅ぶ。話始まったばかりなのにそんなことをされては困るでは済まない。
「しかし世界が滅んだとしてもアレが滅ぶ気がせんのはなぜぢゃろう」
「やらないでくださいねやらないでくださいね!? フリじゃありませんからねこれ!」
しゃれにならないどころではない。必死でじじいをなだめる望だった。
結局、彼女の心境と胃は荒れるに荒れた。
神の奇跡がなかったら、本気で回復しなかったかもしれない。
ちなみに保健室の奥のベッドには、うんうん唸る包帯の固まりが三つ転がっていたが、まあどうでもいい話である。
「つ、疲れた……本気で疲れた……」
一日の業務を終え、へろへろになりながら校舎を後にする望。
基本的に挨拶に回ったり仕事内容を教わったりするだけの一日であったが、それ以外が酷すぎた。今日一日だけで百年分くらいの疲労がのしかかってきたかのように思う。
こんなのが毎日続くのか。死んでしまった場合過労死になるのか。労災は降りるのだろうか。
段々と絶望的になってくる思考。と、望の懐で携帯電話が震える。
「はい、高見です」
「こちら支所長だけど……どうだい、仕事は終わったかな?」
「はい。これから報告に戻ろうと思いますが」
「いや直帰でいいよ。疲れただろう?」
「……お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えて今日はこれで。報告は明日以降に」
「土曜にまとめてでかまわないさ。ただ一つだけ。……特対、天下 太平。直接見てどう思った?」
「はい。彼は………………あれ?」
シリアスに会話を繰り広げていた望は、びきりと硬直する。
よく思い返してみた。よく思い返してみたが――
「…………私、特対と会ってません今日」
「はい?」
鉛のような沈黙。
風がむなしく流れた。
ややあって、望はぼそりと言葉をこぼす。
「……………………やめる」
「え?」
「やーめーるーもうあたしやめるうううううう! 辞表だしますじひょーやめますやめさせてくださいやめますからね!?」
「ちょまってまってまって落ち着けええええええええ!!??」
だだっ子のように泣きわめきながら望は吠えた。猛り狂った。心の底からの叫びだった。
こうして高見 望の教師生活一日目はぐっだぐだのまま終わる。
彼女の未来に幸あれと言いたい。
なお、辞表は受理されなかった。
「で、あれが新任の副担任か」
「そうだけど……なんかエキサイトしてんね?」
「…………またおかしなのが増えたなあ…………」
「うんたいへーちゃんがそれいっちゃだめだからね?」
ひゃっはー二次創作はすべて消毒だあ!
……脱力具合がはんぱない緋松です。
さて太平君周辺の人外どものお話。これでだいたい主要キャラクターは出そろったと思われます。これから本格的に話は動き出すのですが……舵取りができるのかどうかが最大の問題。だってぜってー勝手に動くものこいつら。
先行きが不安にはなりますがまあなんとかすます。……できるといいなあ。
あと望さんはずっとこんな感じ。がんばれ、すごくがんばれ。
そゆことで今回はこれまで。




