1月1日の昼
ジャンヌは、お節料理をつまんで餅を食べた。
面倒な正月行事が始まる。
10時頃に、家を出た私達が向かった先は、十字家先祖が眠る墓地だ。
家から1時間程かかる場所にある。実に遠い。その上着いた後も、お墓まではとても長い坂を歩いて登らなければならない。面倒な行事の一つだ。
墓に辿り着いたら、皆掃除や準備を始める。
私は蝋燭に火を付ける役目を担った。前世は、火刑に処された身である私にとって火と言うものはあまり好きになれないものなのだが止むおえまい。マッチを20本消費して何とか火を付け終えると、他の仕事は両親や弟に任せて、私は墓にやってきた猫と暫し戯れた。
すべての準備が整うと、家族は皆、墓に手を合わせ念仏を唱える。
私も表向きは同じようにしたが、心の中で十字架を手に持って「大いなる神よ死者に安息を! アーメン!」と囁いた。しかし、よくよく考えると、ここに眠るご先祖様達よりも以前に私は生きていたかと思うと複雑な思いだ。きっと、このジャンヌ=ダルクも今は英雄扱いだからどこかに墓或いは供養碑でも建てられて、今頃祈りを捧げられているのだろう。もっとも、肝心の魂はそこにはなく、今はこの日本にあるわけだが。
墓参りが終わり、昼食を済ませたあとは神社に行った。
導曹寺と言う名前で、交通安全、厄除けで有名らしい。我が十字家は祖父の代から、正月にこの神社に行く事を欠かさぬらしい。感心な話だが、私にとってはこれも面倒なものである。なにせ、この神社は有名故に人が多すぎて参拝するまでに30分近く、立ったまま待たされるのだ。そこまでして、あてになるのかわからない御利益を祈るよりも、私は静かな教会で祈りたいと思う。こんな大変な思いをして鈴をがらんがらんと鳴らしても、災いはやってくる時はやってきてしまうのだ。
何とか参拝を終えると、恒例のおみくじを引いた。
我が家の一年の運はここで占うのだ。
みな、一枚ずつおみくじを買うと、一斉に開ける。
私も、恐る恐るおみくじの紙を開いた。
両親は、共に大吉だった。
弟は、これまた大吉だった。
私は、末吉だった。
皆、去年と同じだ。
かつては、神の御加護にあった身でこの私だが、いまやおみくじでこんな微妙なものしか出ない身の上であるあたり、少し悲しくなる。とりあえず文面を見てみると、待ち人は「来る」、失せ物は「いつか見つかる」、結婚は「控えよ」だった。正直どうでもいい。本当の神の言葉を知っている以上、こう言う類のものは所詮遊びにすぎない。神は本当に隠されてしまったのだろうか?
こうして1日の用事が終わった。
家に帰ると年賀状が届いていたが、私の分は一枚も無かった。