第3話 方針を決めよう
キサラ姫は外交上の楔として送り込まれた。
彼女の存在があるから、気を遣っていろんな条約で有利になる。そういう計算の元でね。
庶民だって息子の奥さんの実家には気を遣うでしょ。
国も同じだし、まして奥さんの実家が資産家だったりしたら、かなり顔色をうかがうことになるだろう。
だから、キサラ姫の自殺はアンリウ帝国にとって想定外のはずなのだ。
にもかかわらず、そこからわずか四年で侵攻を開始している。
国境の小競り合いじゃない。
本格的な侵攻の準備にかかる時間が四年というのは短すぎるのだ。
「あるいは順番が逆なのかもしれませんね。我が主君よ」
「逆?」
「侵攻は最初から予定されていた。キサラ姫は準備が整うまでの時間稼ぎとして送り込まれた」
「自殺は偶発的な事態でしかなかったけど、開戦の口実に都合が良かったってことね」
アンリウ帝国にとって、姫は死んでも生きていても、どちらでも良かった。むしろ口実に使えたから自殺してくれて良かったというところか。
欲をいえば、侵攻の準備が整ったあたりで死んでくれたら最高だったのにって感じかな。
そしたらリシャール王国は防戦すら満足にできなかった。
四年の時間があったから、私たちは戦うことができた。それでも破滅を二年ほど先に延ばしただけだったけど。
「しかし、そうまでしてアンリウが我が国を攻めたい理由はなんでしょうか? 彼らがほしがるような資源など、こちらにはありませんが」
トリアンジュが首をかしげる。
リシャールというのは、かなり甘めに評価しても大陸では中堅どころの国だ。
ここでしか産出しない資源があるわけでもない。
アンリウほどの大国が王族を犠牲にしてまで欲しい国ではないのである。
「でも、何かあるのでしょうね」
私たちは敗れたが、アンリウ帝国だって小さくない損害を被っている。
けっして楽勝だったわけではない。
それでも彼らは侵攻を諦めなかった。膨大な犠牲の上に勝利をつかみ取ったのである。
何のために、という部分に関しては、私は処刑されてしまったので知るよしもない。
「あるいはキサラ姫は、そのへんのことを知っているかもしれない」
「つまり保護ではなく、懐柔するということですね。我が主君よ」
皮肉げな笑みをより深くするトリアンジュだった。
「キサラ姫についてどう思うかって? それってわざわざ訊きにくるような話かい? 姉さん」
婚姻についての存念を尋ねたところ、やっと見つけた王太子であるユーリアスは鼻で笑った。
立太子されたというのに、相変わらず王宮の美女たちと遊び回っているから、捕まえるのに苦労した。
「あなたが執務室にいないから探し回ったわけでしょ。女遊びをやめろとはいわないけれど、執務時間くらいは執務室にいなさいな」
「父上の仕事を全部取ってしまったらやることがなくなってボケるかもしれないだろ? 僕が遊んでいるのも親孝行ってもんさ」
王太子として立てられたばかりのユーリアスに難しい案件が任せられるわけがない。
ユーリアスでもこなせそうな案件を国務大臣と侍従長が選んで渡していると思うんだけど、それすら面倒がって女の尻を追いかけ回しているんだから、まあこの国の未来も安泰でしょう。
こんなやつのために、戦場では多くの兵士が血と泥にまみれて死んでいったわけだ。
馬鹿馬鹿しくなってくる。
まあ、どうでもいい話だけどね。
私はもうリシャール王国のために仕事をするつもりはないから。
「政略結婚だからたいして興味がないのは判るけど、相手はまがりなりにもアンリウの姫よ。下調べとかはしてないわけ?」
「べつにしてないな。北の蛮人なんかどうでも良いし。どうせ結婚式の時に一回あって終わりだろうし」
夫婦の勤めを果たすつもりはないってことね。
離宮にでも押し込めておく、と。
そんなに間違った考えではない。変に情を移して王宮のことを探られるというのもあまり面白い話ではないし。
ただそれだと、キサラ姫が自殺してしまった理由が判らないな。
夫に相手されないから自殺する、などという乙女心とは、政略結婚をする姫君は無縁だ。
そもそもそんな乙女回路をもった娘は、相手国の王子に本気で惚れてしまって祖国の情報を漏らしたりするから外交には適さない。なので国に残されるのが普通である。
「ユーリ好みの色白美人かもしれないわよ?」
「ないない。肖像画なんて信じられないし、北方人なんて絶対に男よりガタイの良いデカ女に決まってるさ」
偏見に満ち満ちたことをいう弟だった。
たしかにアンリウをはじめとした北方民族は、一般に体格が良くて体力もある。
でもそれはあくまでも一般論で、華奢な女性だって多くいるだろう。
それ以前に、女性の価値を体格で決めようというんだから、我が弟ながら度しがたい。
「むしろ姉さんは、なんでキサラ姫に興味があるんだ?」
「アンリウの情報が得られないかと思ってね」
国境を接している二つの国の間に完全な平穏はあり得ないから、と、適当なことを言ってユーリアスが陣取っていたバラ園を辞す。
男装している私に、弟お手つきの女官たちが奇異の視線を送っていた。
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