第0.5話 悪いことじゃない 1
━━━時は遡り、1学期中間テスト終了後の7限。
「はい、1学期も落ち着いたということで、なんと…!」
「「なんと?」」
「席替えでーす!」
「「おぉー!!」」
席替え、と聞こえた瞬間、クラスが沸く。
人との関係がない俺にとってはあってないようなイベントだが、なるべく後ろの方がいい。
「じゃあ、女子から番号順にくじ引いてってくださーい」
まずい。女子がワイワイくじを引く中、俺は顔面蒼白だ。
女子みんなにとって、The・空気、扱いにくい俺はハズレ枠である。
ハズレ枠が後からのうのうと隣の席、近くの席に乗り込んでくる、という犯罪が生み出されてしまう。
「うわ、一番前。窓際なだけマシか…」
「まじ?おつー」
「なぎ、一番前なんだ!私一番うしr…んぶぶ」
「おだまり」
(まさかの顔面鷲掴み…)
桜瀬さんは、けっこう大胆らしい。
「さあ、次は男子、引いてって」
「なあ芹本、お前桜瀬の隣になりたいんだろ?」
「おいおい静かにしろって、嘘つくなよ」
「えー、まさか暁月派?」
「お前!」
この通り、桜瀬さんは超モテモテだ。
この前机で寝たフリをしているとき聞こえたが、彼女は中学生時代、色恋沙汰に巻き込まれたことがあるらしい。
どうせ彼氏がいるだろうに、それでも諦めない男子はなんなんだろう。
現実世界の恋愛感情など、争いの火種にしかならないのに。
「あ。」
取り出したくじには、堂々と『2』と書かれている。つまり、窓際の前から二番目。
体中に悪寒が走り、黒板の左上を見る。
【ストーブ】
【1】桜瀬 【7】
【2】 【8】水森
前に桜瀬さん、横に水森さん。
水森涼珠さんは、よく桜瀬さんとつるんでいる人だ。
桜瀬凪、暁月夏海、水森涼珠の3人がこのクラスのTOP3である。
そのうちの二人が、俺の前と隣に来るのである。
━━━「マジで?かわいそすぎ」「気まずいよ絶対」
少し静かになった教室に、そんな呟きが聞こえる気がする。
もちろん、その哀れみは俺に向けてではない。
俺と前or隣になってしまった二人に向けてのものだ。
罪悪感で、俯いたまま自分の席に早歩きで戻った。
「みんな、残りの時間少ないけど隣の人と挨拶、軽い自己紹介してね」
みんながガヤガヤと笑い合う中、俺は怯えながら横をチラチラ確認する。水森さんが話そうとずっとこちらに体を向けている。
それが1分くらい続いた後、痺れを切らした水森さんが口を開く。
「………桐島、だよね?よろしく」
「あ、ああよよろしく、み、みずもりさん」
「…………ミミズもり…?」
「……………」
「好きな食べ物は?」
「えっと、ええと、リンゴ…!」
「ふっ……趣味は?」
「…ゲーム…」
「どんなやつ?」
「…銃撃つやつ」
「面白そ。名前は?」
「…桐島和希です」
「んふ……ゲームの名前聞いてる」
「あ、ああ…」
「はい、そろそろ終わりでーす。みんな仲良しだね!じゃあ号令」
◇◆◇◆◇
━━━やばい。始業式の自己紹介でもスベったのに、またやらかしてしまった。
名前は?、って絶対ゲームの名前聞いてたのになんで自分の名前を答えてしまったんだ。
その後、俺は頭を抱えて自分の事故紹介を呪っていた。
対しての水森さんは、暁月さんと、前の席の桜瀬さんと、その他諸々と話している。
「すず、なぎ、前の方だったけどいい感じ?」
「━━━
俺は水森さんが何か言う前に耳を塞いで机に伏す。
どれほど酷評されても、俺が悪いのだから何も言い返せない。
嫌だ。聞きたくない。聞こえたくない。聞こえてしまいたくない。聞いてしまいたくない。聞かない。
さっき聞こえた気がした呟きを頭の中で反芻すると、言われた覚えがない言葉ばかりが作り出される。そんなこと、絶対声に出して言わないような人たちだと分かっていても。
━━━『最悪』『前とかやだ』『隣とか無理』
◇◆◇◆◇
何分伏せていたのだろう。
「━━━━。」
耳元で、熱を持った風が囁く。
左耳から右耳の方へ頭を撫でる風が心地よく、首筋に感じた涼しさと混ざり合う。
「━━━━?」
聞こえない。
「…?」
極度の緊張で喉が渇いているのか、声が出なかった。
耳を塞いでいたはずの手は、額の前に重ねてクッションにしていた。
視界は一面木材。机にピッタリと伏せすぎて、首を悪くしてしまったかもしれない。
寝てしまっていたらしい。
じゃあ、耳を塞いでいたのは夢?
安心した。体が意識に追いつかないが、頑張って手を握って開いて、を繰り返す。
寝て起きて、少し精神が安定した気がする。
「、やっと起きた」
「…ん?」
「あ、桜瀬凪です」
まだ身体がだるいが、声ははっきりと聞こえる。
今はいつなんだろう。7限の終了後から、何分経った?
「…あ、桜瀬さん。ところで、今って…?」
「もうみんな帰っちゃった。部活もないし。私はずっと起こそうとしてたのに、起きなくて」
「…迷惑かけてごめん」
1-3はおしゃべりが多く、日が傾き始めてから帰り始める人が多い。ということは、もう帰らなければマズい。
「…体動かない感じ?」
「いや、動ける…」
少し強がって、身体を起こす。すぐに帰る準備をしよう。
夕焼けに、机しか映っていなかった視界が染まっていく。桜瀬さんの手から落ちる影が反対側の壁へと手を伸ばしていた。
「え……」
「…そうだ、起こしてくれてありがとう」
起こしてくれたお礼を言い忘れてたな。
桜瀬さんの声はなんだか安心する。たった今しっかりと聞いたばかりだが。
相変わらず風が強めで、桜瀬さんの髪が舞う。
「桐島君、それはどういたしましてだけど…その、」
「泣い、てる…?」
自分が泣いていることを自覚したのは、言われて2秒ほど経った後。口に塩味を感じた時だった。
「あ…あ…」
自覚した途端、涙が堰を切ったように溢れ出す。頬を伝って、顎に伝って、集まって、落ちる。
なぜ自分が泣いているのか考える余裕もなかった。
「大丈夫?」
西陽が涙で眩しく揺れる。小さな声で呼びかけてくる桜瀬さんの顔も見えない。
心配させてしまっている自分が情けなく、さらに涙が。
「…っ、拭いて」
桜瀬さんはポケットからハンカチを取り出し、こちらへ差し出す。
受け取りたいが、起こしてもらったし、さすがに尽くされすぎだと思う。桜瀬さんもきっといい気分ではないはず。
あと、少し恥ずかしいから。
1人でできることは1人でやる。常に孤独な俺の中では常識。
「…大丈夫だから。心配しなくていい」
「拭きなよ」
「さすがに俺も尽くされすぎだと思うし、何より自分の管理は自分でできるから。桜瀬さんは桜瀬さんのことだけやってればいいし、俺も俺だけの」
「あのね」
「…泣くのは悪いことじゃないよ」
「それに、誰かに助けてもらうのも悪いことじゃない。相手がやりたくてやってる手助けなら」
「崩れそうな時こそ、強がったらダメ。今すごい顔色悪いし」
「……」
「自分じゃ絶対にできないこともある。実力面の話をしてるんじゃなくてね。ほら」
「うん…」
桜瀬さんの言葉には、説得力があった。
彼女の言葉が、崩れそうな心を治してくれる一番の『手助け』だ。
俺も正直頼りたかったから、ハンカチへと手を伸ばす。
ハンカチが指に触れた瞬間、それがするりと抜け出した。
「え?」
もしかして騙された?俺。
「んふふ…」
抜け出したハンカチは、下から現れて俺の顔にくっ付いた。
「やっぱ私が拭く」
━━━こういうのも、悪いことじゃない。