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「あの、樋口さん。なんだか皆さんさっきと比べてやけに元気になったみたいですけど、どうしたんですかね。」
「え、ああ。あんた、平気なんだな。まー、その話はまた今度にしよう。でもさ、とりあえずしばらくはやる気に満ち溢れたふりでもしててくれないか。」
「ふりですか。なぜ、そんなことを。」
「なんだろうな、運命ってやつかな。でも、その運命をつなぎとめられるかは、今後のあんた次第さ。仮にうまくいかなかったらその時は、縁がなかったってことかな。」
「あの、正直に言うと、さっきの吸入薬に何か薬物的なものでも入っていたんじゃないかと疑っているんです。」
「そんなことはないね。そんなことより、そろそろ作業を始めようぜ。」
作業は単純なものが多かった。
ベルトコンベアから流れてくる石のようなものを色別に分ける作業。レバーを回して中にある何かをすりつぶす作業。粉上の何かを箱のなかに入れる作業など、誰にでもできてシンプルなものだった。
作業中には、この機関がいかに素晴らしいのかということと、幸福とはなんであるかを説くようなアナウンスが延々となされていた。
作業自体も単純なものなので、隣にいる会員と談笑をしながら作業を進められた。
作業中に隣で作業をしていた少々恰幅のよい男に話しかけられた。
「僕はね、ここに来る前はね、ずっと施設で暮らしてたんだ。でもね、今は幸せだよ。みんな僕のことを必要としてくれるんだ。」
「は、はぁ。そうなんですか。」
「うん!僕はね、施設で暮らしてたんだけどね、ここではみんな僕を必要としてくれるんだ。だから僕はここに来て幸せなんだ。」
「え、あ、はい。」
「あのね、僕は幸せなんだ!みんな僕を必要としてくれるから!僕は施設で育ったんだ!」
隣の男は何度も同じことを文章構成を変えて、しかしテンションは一定で一方的に話してきた。
さすがにうるさく感じたので何か一言言ってやろうと思ったが、今朝、樋口が「やる気の満ち溢れたふりをしろ」と言っていたことを思い出したため、話に乗っかっておくことにした。
「そうなんですね!しあわせなんですね!俺もです!」
「そうでしょうそうでしょう。僕はね!施設で暮らしてたんだけどね!今はとても幸せなんだ!みんなが僕を必要としてくれるから!」
一日中このやり取りをやらされてさすがに疲れた。
それにおかしいのは彼だけではなかった。周囲の話も話半分で聞いていたが、それもあまり会話になっていない様子だったのだ。お互いが同じ事を同じテンションで何度も言い続けていた。また、それもみんな万遍の笑みで会話を続けていくのだ。聞いていて不気味に感じて仕方なかった。
しかし、おかげで確信した。実は、朝に吸わされた吸入薬は気分を高揚させる麻薬のようなもので、今自分たちが行っている作業は、その麻薬づくりなのだ。
だとすれば、この会への入会を断れないような人達ばかりを集めていることにも合点がいった。
翌日も翌々日も同じ作業を強いられた。
いい加減にこの環境にも慣れ始めてきており、実は自分も幸福者なのではないかという気持ちも芽生えてきた。しかし、明らかにおかしいということが自分の中では明確なため、何とか自分の意思を持ち続けるように努めた。
一週間が経つ頃にはそろそろ頭がおかしくなってしまいそうだった。
考えてみてほしい。毎日何時間も頭がおかしい連中と会話をさせられるのだ。それにそいつらはいつも笑っていて「自分は幸せ」だと主張してくる。こんなの平気でいるほうがおかしいじゃないか。
俺は本気でここから抜け出したいと思った。しかし出入り口のあの警備の量、どう考えても抜け出すことはできないと思い知らされた。そういえば、樋口さんはどうなんだろう。なんとなく彼はこの狂気の範囲外のような気がする。しかし仮にも彼はフロアリーダーである。そんな彼に「ここを出たい」などということはナンセンスなような気もする。
別に樋口さんに限ったことではない。要するに俺はこの狂気の集団の中から、自分と同じような感覚を持ち合わせている仲間を探しているのだ。
明日も、もっと言えば今後はずっとこの場所で暮らしていくのだと思うと、気が参ってしまった。