二、檜錦、目立つ
家のことだけでも大変なのに、学校でも生徒会長などという面倒な役職を背負い込んでしまうのが、檜錦の悪いところである。
基本的に、断れない性格なのだ。
生徒会長になったのだって、そうだった。
和也たちの年は会長の立候補者が出ず、前の執行部が有望な後輩を探して説得に当たった。
毎年、前期後期とも、生徒会長になるのは二年生だ。前期の生徒会長は前年度のうちに決める。
だから、対象となるのは一年生だったが、優秀な生徒たちは早くから受験勉強に集中したいと考える人が多かった。
当時、執行部はちょっとした事件を抱えていて、そこに踏み込まずに、生徒会の運営だけをやってくれる生徒を探していたのも祟った。
地味だけれども、周囲の雰囲気を和らげるタイプの秀才がいる、という噂を聞きつけて、執行部が錦のところにやってきたのは、立候補締め切り二日前だった。
あのときの教室の雰囲気を、和也はよく覚えている。
錦はクラスにとって、いわば絶対に教えたくない行きつけのレストランのような存在だった。
居心地、つまりつきあい心地がいい。彼に相談すれば、たいていのことは穏便に解決してくれる。悩みも和らげられる。勉強も教えてくれる。うちのクラスだけの神様だったのだ。
そんなところに、問題の執行部がやってきた。
教室の引き戸のところで、まず、クラス委員が入室を阻止しようとした。クラス委員が押しのけられないように、クラスメートが彼らの後ろに立った。自分たちだけの秘密の園を守り通そうと、殺気立っていた。
にもかかわらず、錦が自ら執行部の前に出ていってしまい、話を聞いて、引き受けてしまった。ついでに、執行部の抵抗を解消して、ちょっとした事件のほうも片づけた。
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「ええ、ちょっと足首を捻ったみたいで。……はい。僕は、彼と高校が一緒だったんです。……保健管理室、ですか?」
錦の声が耳に入って、和也は我に返る。
見ると、錦の姿は見えない。人だかりができていて、声はその中央からしている。
このままでは、錦はまた、面倒ごとを引き受けてしまう。
和也は人だかりをかき分けた。
「場所、なんとなくわかりました。連れていき」
錦がそこまで言ったとき、和也はようやく人の輪の真ん中に飛び込み、叫んだ。
「駄目だって、錦。おまえ、入学生代表でスピーチすることになっているだろう!」
しまった、と思ったときは遅かった。まわりがざわつきはじめ、こいつが首席、などという言葉があちこちで聞こえてきた。
ああ、錦を目立たせてしまった。
そう後悔したとき、錦が遠山を背負って立ち上がり、にっこり笑った。錦自身より背の高い遠山を背負っている姿は、どう見ても一般的な光景ではない。だが、錦の笑顔が醸す柔らかい雰囲気に、皆、のまれていた。
「大丈夫、走って行ってくるから、間に合うよ」
学生たちが、誰からともなく錦の通り道を開けた。左右に笑顔で礼を言いながら、錦は講堂の階段をひょいひょいと上がっていく。
「わかった。俺もついていく」
和也は周囲の視線から守るように、錦の真後ろについた。
講堂を出るとき、こんなささやき声が聞こえた。
「あの人、どの部活に入るんだろうな」
和也は小さく舌打ちをした。
大学デビューは失敗だ、と思った。