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武蔵と市  作者: KEN板屋
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東の町へ

~ ( 回想・七年前 ) 捨楽と漣の家 ~


捨楽と漣が出会ったあの雨の日から早三年の月日が経つ、捨楽は七十三歳、そして漣は十歳に成っていた。


家に来た頃の漣は夜な夜なうなされては泣きながら飛び起きる事もあり捨楽を不安にさせたがそれも一年程で落ち着いた、捨楽は(つと)めて漣の過去には触れない様にしていたのが良かったのだろう、(辛い過去なら忘れてしまった方がいい) これは捨楽が身を持って経験していたからだ。

ここで少し捨楽の生い立ちについて語ろう、捨楽は貧しい百姓の三男として生を受けそして親を大いに失望させた、捨楽の大きく曲がった背中は老いたからでは無い、生まれつきなのだ、差別や偏見が我が者顔で蔓延(はびこ)る世で捨楽の幼少~青年期は筆舌に尽くし難いものだった、醜い自分を恥じ生まれた事を呪う終わりの無い日々の中で(みずか)の命を断とうと考えたのも一度や二度では無い、そんな失意のどん底にあった捨楽だが二十歳(はたち)の時に運命と呼べる出逢いがあった、それが人形である。

自身の容姿に多大な劣等感を抱いていた捨楽にとって人の理想形を()して作られた人形の美しさに心を奪われた、そして抑へ様もない情熱に突き動かされる。


「自分の手で美しい人形を作りたい!!」


取る物も取り敢えずに弟子入りを志願するが重い障害のある身体(からだ)を一目見るなり無下に断られる、だが諦めはしなかった、何日も通い詰め飯炊(めしたき)や掃除でいいからと弟子入りを許して貰う。

二十歳とやや遅い始まりではあったがそこから我武者羅(がむしゃら)に人形作りに打ち込んだ、しかし血が滲む様な努力をした分けでは無い、人形作りが楽しかった、天職だと思った、メキメキと腕を上げる(さま)に師匠も舌を巻き五人居た内弟子の中で最も後に入った捨楽だが最も早く独立を許されたのは捨楽だった、この時初めて雅号である "捨楽" を名乗るのだが元の名は辛い過去と共に忘れた事にしよう。


話しを戻す、

捨楽は漣に様々な事を教えた、老いた自分がいつ居なくなっても困らぬ様に出来る限り事は漣に任せた、炊事洗濯は勿論のこと畑の世話、食べられる野草やキノコの見分け方、薬草の作り方、兎や魚を獲る仕掛けなど生きて行くのに必要な知恵や工夫を。

漣もまた元々勘が良いのかどんどん吸収し十歳に成った今では身の回りの大半を漣が担ってくれている。


三年の間に変化があったのは何も漣だけでは無い、捨楽にも確実に変化が訪れていた、生活に潤いや彩り、責任が生まれたせいだろう、一時期はかなり衰えを感じた肉体と精神だが今の自分は三年前より若返った気がした、その活力はある想いとなって沸沸(ふつふつ)と湧き上がり今夜漣に話そうと決めていた。

今日の晩餐は二人の大好きな鮎の塩焼きだ、初夏の鮎は産卵を控え身が太っているから本当に美味しい、鮎にかぶり付き至福の時間を満喫した後は高楊枝を咥え肘枕(ひじまくら)(くつろ)ぐ捨楽がおもむろに話し出す。


「漣、わしゃぁここ引き払って東の町へ行こうかと思っているのじゃがどうじゃろう?」

しかし突然の事に漣はどう言葉を返していいのか分からない、ただここでの生活にも慣れ毎日が楽しかった漣にとってそれは嬉しい申し出では無かったのは確かだ、何も言えずに戸惑う漣に捨楽はこう続けた。


「わしゃぁな、やりたい仕事よりやるべき仕事をするのが職人じゃと信じて来た、じゃから人形作りの注文が無くなったら作るのは止めた、誰からも()でられずに生まれた人形は不憫じゃからのぅ、その代わりに義手や義足作りをここ十年以上続けて来たんじゃ、それは求められ喜ばれ誇れる仕事じゃと思う、じゃがな、どこか物足らなさも感じていたんじゃ、やはり本当に作りたいのは人形なんじゃないかと・・、

わしゃぁもう七十三じゃ、残りの人生が五年なのか十年なのかそれは判らん、じゃが残された時間は好きな事だけに使いたいんじゃ、人形は容姿に(とら)われて居たわしゃぁの魂を解放してくれた、真っ暗闇じゃったわしゃぁの人生に光りを与えてくれた恩人なんじゃ、その人形に恩返しをせぬまま死んでは悔いが残る、老い先短い(じじい)我儘(わがまま)じゃて」


しかし漣にはまだ抵抗があった、七つから十に成る迄の多感な三年を過ごしたこの家は漣にとっては実家その物だったしここには楽しい思い出しかなかったから。


『・・・この家で人形作りは出来ないの?』

「駄目なんじゃ、こんな処でも噂を聞き付けて義手足の注文が入るのは必要とされているからなんじゃ、しかし人形は違う、ただ()でる事しか出来ない贅沢品じゃ、人形で商売をするには人が多い処、豊かな処でなければならん、東には大きな町がある、噂では(みかど)が移りやがて(みやこ)となる大きな町じゃ、わしゃぁその町でもう一度人形師としての腕を試してみたいんじゃ」


捨楽の強い決意に漣も腹を括った、

義父(とと)がそうしたいのなら漣はついて行くよ、だって漣には義父(とと)しかいないもん』

「そうか、ついて来てくれるか、ありがとうな漣」


実を言うと捨楽には漣には話せぬこの土地を離れたい理由がもう一つあった、他ならぬ漣の為だ。

人生の大半を人形作りに、その美しさに情熱を注いで来た捨楽、(おのれ)の審美眼には自信がありそして確信していた。

(五年もすれば漣は美しく成長するじゃろう、老若男女(ろうにゃくなんにょ)誰もが振り返り見惚れる美しい女に。

じゃが美しさは時として災いを招く、悲しいが今はそう言う時代なんじゃ、その時に自分は居ないかもしれない、居たとしてもこの老いた身体(からだ)では守ってやれない、ここでは駄目じゃ、野武士に襲われれば一溜りも無い、漣の為にもここを離れなければならない・・)


それからの捨楽の行動は早かった、荷物を纏め人足(にんそく)を手配、老いて(なお)盛んな捨楽とは言へ七十三、しかも障害のある身体では長旅など出来ないからだ、幸い蓄へはそれなりにあり(かご)や荷車など必要な物は全て準備し出立(しゅったつ)した。

漣にとっては勿論だが捨楽にとっても初めての長旅だ、しんどく無いと言ったら嘘になるが漣が一緒ならどんな苦労も乗り越えられる、狭い籠の中で揺られながらも向かいに座る漣を顔を見ているとまるで大海原(おおうなばら)へ漕ぎ出す船に乗ったかの様に心踊る捨楽だった。


・・・・・・・


東の町を一望出来る高台から見下ろす、噂に(たが)わぬ、いゃ、噂以上に大きな町だ、数え切れない家屋と人の数、活気と賑わいに満ち満ちていた、漣は目を見開きポカンと口も開いている、捨楽は【ブルッ・・】と大きく武者震いをし、

(よっしゃ! いっちょやったる!!)


【パンッ!!】と勢いよく(みずか)らの両頬を叩き気合いを入れる捨楽を漣は驚きと心配で見つめていた。


少しの不安と大いなる希望、

この町で新たな生活が始まるのだ。

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