捨楽(しゃらく)
~ ( 回想・十年前 ) 捨楽の家 ~
まだ肌寒い春の夜の雨、ずぶ濡れになりながらも漣は歩き続けていた、だがその足取りは弱々しく目に力は無い、自分がどこに居るのか、どこへ行こうとしているのかも考えられない、いゃ、考えてしまえば辛いだけだ、あの光景が何度でも繰り返えされてしまう。
(もうやめよう、このまま何もしなければいい、何もしなければ父や母や市っちゃんのところへ行ける・・)
もう歩く事さへままならなくなった漣の目の前に薄明りが漏れる一軒の民家、助けが欲しかった分けではなくこの冷たい雨さへ凌げればよかった、ヨロヨロとその家の周りを歩くと納屋の戸が僅かに開いている、中は真っ暗だがその闇に吸い寄せられる様に倒れ込むとそのまま眠りに付いた。
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数本の蝋燭が立ち並ぶ薄暗い部屋、そこで一人の老人が一心不乱に木を削る、何度か削っては片目にして剃り具合を確かめまた削る、老人はこうして何十年も物作り続ける生粋の職人だ。
老人は希代の名工と謳われたカラクリ人形師だった、その手から生み出される人形には魂が宿るとまで称えられ名立たる大名もその作品を欲した、だが同時にカラクリ人形は工芸品の域を出ず優れた茶器や書画に比べればその扱いは低かったのも事実だ、戦乱が激しく成れば成るほど注文はパッタリと途絶え人形師としては仕事は殆ど無くなってしまう、そこで日銭を稼ぐ為に始めたのが義手や義足の制作だった。
戦や破傷風、癩病などの病で手足を失う者が多かった時代に老人の作る精巧な義手足は多くの者の生活の助けとなった、老人もまた人形作りの経験や技術が生かせ人の役に立つ仕事に遣り甲斐を感じここ十年程は義手足の制作を生業としていた。
真夜中になっても老人は作業を続けた、老いた体に鞭を打ってもかつての勢いで仕事は出来ない、だが自分の作る手や足を一日千秋の想いで待ち続ける人の為に仕事に没頭する、夕刻に降り始めた雨は日付が変わる頃にはすっかりと止み雲の合間から満月が顔を覗かせる、月明かりが格子窓から老人の手元を照らした時だ【ガサッ、ゴト・・】っと裏の納屋から物音が響いた、老人は作業の手を止めると憮然たる面持ちで鎌を手に部屋を出た。
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疲れの余り一度は眠りに付いた漣だがそう長くは続かなかった、濡れた着物は容赦なく体温を奪い続け歯はカチカチ、体はブルブルと震えが止まらない、どんなに心は疲弊しても体は本能で生き様とする、暗闇の中で濡れた着物を脱ごうとしたのだが何かを倒してしまい大きな音が納屋中に響いた。
すると暫くして【ズシャッ、ズシャッ】と不気味な足音が徐々に近づいて来る、だが寒さと恐怖で身は竦みその場から一歩も動けずに居ると【ギイィィィ~~・・】
軋んだ音を響かせながら納屋の戸がゆっくりと開いた、大きな満月を背に浮かび上がったのは巨大な鼻、曲がった背中、長く乱れた髭や頭髪、そしてギョロリッと睨む眼光と手に持った鎌、まるで達磨の妖怪かモノノケの類いの姿に声も出せずにただ見つめながら、(あぁ死ぬんだ、漣は悪い子だから・・)
「狸かイタチが納屋を荒らしているのかと思ったが小わっぱじゃったか・・」
達磨の妖怪では無く年老いた男だった、それもかなり高齢の老人、
「来い、腹が減っているのじゃろう? 大した物は無いが何か食わせやる」
漣はこの時初めて自分が酷く空腹なのに気づいた、多少戸惑いつつも言われるがまま老人の後を追うと薄暗い部屋に通されたが目の前の異様な光景に二・三歩後退る、蝋燭の薄明かりがゆらゆらと照らすその先には間違へ無く人の手や足、それらが無造作に幾つも並べられていたからだ。
(やっぱり達磨の妖怪じゃ・・)
「あぁこれか、怖がらんでえぇ、ここに有るのは全て作り物じゃ、わしゃぁ手足を失ってしまった者の為に代わりに成る手や足を作る仕事をしておる、まぁ本業はカラクリ人形師じゃがな、ほれっ、あそこに作り掛けの人形が幾つか有るじゃろう」
部屋の奥には数体の人形が立ち並ぶ、だがその人形たちはいずれも未完成で五体揃わず着物も着ていない、骨組みや複雑な仕掛けが丸見えで漣がよく知る布を縫い合わせたお手製の物とはまるで違う、ただ何故だか可愛らしく先程までの緊張が少し和らいだ。
「しかしお前さんよく見たら泥だらけじゃな・・、まずは風呂じゃ、飯はそれからじゃ」
家風呂など珍しかったが風呂は老人の唯一の趣味、手早く薪をくべ湯を沸かしてくれた。
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ついさっきまで寒さで震えていた体に湯の温かさが沁みわたる、"生きたい" とする力が沸き上がるのと同時にあの家での出来事が脳裏を過り【ブンブン】と頭を振るが振り払えるはずもなく漣を苦しめた。
充分に温まり風呂を出ると外には作務衣が用意してある、小柄な老人の物だがそれでも七つの漣にはかなり大きい、その作務衣に包まれると一年程前に亡くなった祖母と同じ様な匂いがした、畑仕事で忙しい父母に代わり漣や市の面倒をよく見ていたのは祖母だったので二人はとても懐いていたのだ、どこか懐かしさに袖の辺りを鼻に押し当て【すぅ~~~】っと深く作務衣の匂いを嗅いだ。
「出たか、お前さんの泥だらけの着物は洗ってもうたわ、少々不恰好じゃが乾くまでの間はそれで辛抱してくれ、まずわこっち来い、芋が焼けてるぞ」
焼き芋にかぶり付く、先程迄の生気の無い表情からは想像も出来ない食べっぷりに老人は少し安心した。
「食いながらでいいから話でもするか? わしゃぁ捨楽と言う者じゃ、じゃが捨楽は雅号で本当の名は別にある」
ムシャムシャと芋を頬張り『・・がごう?』
「雅号が難しいか? う~ん・・そうじゃなぁ、あだ名みたいなもんじゃ、本当の名は・・・、暫く使わん内に忘れてもうたわ!!」
『クスッ』
「さっきも言うたがわしゃぁカラクリ人形師でな、職人として一人立ちする時に自分で付けた、楽を捨て一生精進する決意を込めた名じゃ、お陰でこの歳になっても苦労が絶えんがのぅ・・、ところでお前さんの名は?」
『漣・・です』
「でわこれからはレンと呼ぼう、っでレンは幾つになる?」
『七つ』
「七つかぁ・・」
その後、暫くの間は一心不乱に芋を食う姿を眺め続けた、そして食べ終え指先をペロペロと舐める漣に尋ねる。
「レンはどこから来た? 帰る家は無いのか?」
漣は押し黙る、頭の中にあの地獄の様な光景が鮮明に甦り体が小刻みに震え出す、屈託のない子供らしかった表情が一変した事に激しく動揺しつつも平静を装い、
「まぁいい、言い辛い事もあるじゃろう・・」
(しかし弱ったのぉ~)
捨楽は思い悩んでいた、幼子を一人養うのはそう難しくはない、だが捨楽は既に齢七十の老人だ、今日は元気でも明日どうなるのかは判らない、年端も行かぬ幼子をこの先何年見続けられるのかと想うとおいそれた事は言えないのだが。
「行く処が無いならここに居ればいい、お前一人くらい食わせやる、じゃがわしゃぁ~見ての通りの老いぼれじゃ、やがて体が動かん日も来るじゃろう、そうなればレンの面倒をどころか自分の尻も拭えなくなる、その日が訪れたならレンはこの家は出て一人で生きて行く、恨みっこ無しじゃ、いいな!」
『はいっ』
こうして捨楽と漣の二人だけの生活が始まった。