漣(れん)
~ ( 回想・十年前 ) 市と漣の暮らす村 ~
市と漣は閏年の閏日に生を受けた双子の姉妹、そして七つに成るまでの時間を共に過ごした。
双子なのだから当たり前の様に思えるかもしれない、だが群雄割拠の戦国の世でも特に激しさを増した時代、絶え間なく続く戦、それに加え干ばつや洪水による飢饉や疫病などで民は疲弊、中でも百姓は苦境に喘いでいた、兵糧不足から年貢の取り立ては厳しくなる一方で粟や稗や黍ですら満足に食えず幼い命はいとも容易く失われて行く、この乱世で双子の姉妹が七年もの間同じ時を刻めたのはそれだけでも恵まれていると言っていい。
市と漣はちょっとした村の人気者だ、可愛らしくおしゃまで容姿は生き写しと言っていいほど似ている、親でも時々間違えてしまうほどで他人はまず見分けられない、そこで村人達はどちらかが一人で居る時でも「市漣ちゃん」と連名で呼んでいた、だが『市漣ちゃんじゃ無くてイチなの!』とか『レンなの!』なんて怒られたりすると「こりゃ参ったなぁ~」なんて頭を掻くまでがお決まりなのだ。
こうして市と漣が村人から親しまれていたのは二人の父がこの村の頭百姓をしていたからに他ならない、頭百姓とは様々な揉め事の仲裁やお役人との交渉を引き受ける重責だ、土地や水や収穫の分配など諍の種は幾らでも有りたった一握りの米を理由に血が流される事さへある、百姓が弱く奪われてばかりの存在だと思ったらそれは間違いだ、近くで大きな戦があれば竹槍を携えて落武者狩り、命乞いをする手負いの侍を突き殺し金目の物は全て奪い去る強欲さも合わせ持つ、そんな一筋縄ではいかぬ百姓達を束ねる頭百姓には賢く人望の有る者で無いと努まらない、市と漣の父は村人から信用され頼られる存在だったのだ。
・・・・・・・
小春日和のなか漣は一人で野草を摘んでいた、普段は二人で行動するのが常だが姉の市は昨日から軽い熱を出し今は大事を取って家で寝ている、そんな市に早く元気になって貰いたくて生薬なるタンポポを探していたのだ、タンポポの根を乾燥させた物が蒲公英根という熱冷ましの薬になると母から教わった、幸い今の時期にタンポポは豊富に咲いていてそう苦労もなく沢山集まる。
『いっぱい採れたぁ~っ! これだけあれば市っちゃん元気になるかな?』
漣は少し興奮していた、子供ながらに仕事を任された事、姉の為に役立てる事が嬉しいのだ、直ぐにでも市に飲ませてやりたいとウキウキした気持で風呂敷一杯のタンポポを眺めていたところだった、遠く木の陰からこちらを見ている怪しげな人影、頭のてっぺんから足の先まで外套で覆われて男か女なのかも分からない、この村の人間ならほぼ顔見知りなので市や漣の姿を見ると笑顔で声を掛けてくれるのだがその人はただこちらをじっと見ている、何か不吉な胸騒ぎが漣を襲う。
急いで風呂敷を畳み帰り支度をする、早々に準備を終え立ち上がると漣の目前にはあの怪しげな人物が居た、あまりに唐突の事に体は硬直し声も出せない、するとその人は身を屈め漣と目の高さを揃えると頭を覆っていた布を捲り上げ隠されていた顔を露わにした。
{驚かせて悪かったね、少しだけお話をしてもいいかな?}
細面で白髪交じりの初老の男、しかし思いの他優し気な表情に少しだが緊張の糸がほどけ声を出す事が出来た、
『なっ、なん・・ですか?』
{君はこの村の子だよね、頭百姓をしている五平と言う人を探しているのだが知っているかな?}
(ホッ・・、父を知ってる人なら悪い人じゃなさそう)
『五平は漣の父だよ、でも今は裏の畑で家にはいないよ、漣は市っちゃんの為にこのタンポポを早く持って帰らなきゃ』
{タンポポなんてどうするんだい?}
『市っちゃんが病気でタンポポはお薬になるの、だから漣がいっぱい採ったんだ』
{イッチャンは君の姉妹かな?}
『そうだよ、市っちゃんがお姉ちゃんで漣が妹なの、でも生まれた日は同じ、だって双子だから』
(双子の姉妹か、使っている偽名も聞いていた通り、間違い無い・・)
{偉いね、お姉さんの為に頑張ったのだね}
誉めらたのが嬉しくて漣の警戒心はすっかり無くなっていた、
『うん、だからもう帰るね』
{待って、頑張ったご褒美にこれをあげるよ}っと小さな包みを出し掌の上でそっと開く、
『何これ、食べれるの?』
{これは金平糖と言ってとっても甘いお菓子だよ、さあ、お食べ}
金平糖など見た事も聞いた事も無かったがその可愛らしい見た目に何の躊躇もなく二つあった一つを口に含む、すると漣は目をまん丸くして、
『あまぁ~い、おいしーーーっ!!』
砂糖が極めて貴重で高価だった時代、百姓の子が甘い菓子を口にする事などあるはずも無くその美味しいさに感動した、そして残る一つも直ぐに頬張ってしまう、
『あっ、市っちゃんにも食べさせたかったのに全部食べちゃった・・、おじちゃん、この甘いお菓子もう無いの?』
男は空になった包みを丸めると、{今あるのはこれだけ、でもおじちゃんのお使いをしてくれたらまたあげるからね}
『お使い? いいよ、あっ! おじちゃんの手にも蛇のお絵書きがあるのね、漣の父にもお絵書きがあるの、同じだね』
{これは蛇じゃなくて龍と言う伝説の生き物さ、君の父とおじちゃんは古い友達なんだ、これはその証}
『ふぅ~ん、仲良しなんだね、それでお使いって何?』
今度は懐から笹の葉の包みと翡翠の勾玉に麻の紐を通した首飾りの様な物を出すと、
{この笹の葉の包みの中には極楽浄土に行けるお薬が入っている}
『ごくらくじょうど?』
{とても有難い処だよ、一切の痛みや苦しみの無い素敵なところ}
『こっちの石は?』
{これはね}
翡翠の勾玉を漣の目の前に下げてそれをゆっくりと左右に振りだした、
ゆっくりと・・
・・ゆっくりと・・・・
・・・・ゆっくりと・・・・・・・
『この石、とっても綺麗だね・・・・』
振れる翡翠をじっと見つめていると何故だかとても心地よく意識は徐々に囚われて行く、足は地から離れてフワフワと浮き上がる不思議な感覚。
{いいかい、今から渡すお薬を今日の晩の汁物に入れるんだ、誰かに見られない様にそぉ~と入れるんだ、そぉ~とだよ、でないとご利益が消えてしまう、そして大切な事、決してレンから箸を付けてはいけない、父母が極楽浄土に旅立ってからレンも食べるんだ、いいね}
『・・・うん、わかった、そぉ~と入れて父と母が食べたら漣も食べる・・』
{そうだ、レンは賢い子だね}そう言うと笹の葉の包みをそっと漣の手に握らせた。
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まだ夢の中にいる様で足元がおぼつかない、気づかぬ内に初老の男はどこかに消えていたが漣の右手にはあの笹の葉の包みがしっかりと握られている、その包みを虚ろな目で見つめながら、
『おうち、帰らないと・・』
漣は帰路についた、集めたタンポポの風呂敷はその場に残したままで。
・・・・・・・
家の前では少し呆れた表情の母が漣の帰りを出迎える、
『ただいま・・』
⦅漣、遅いから心配で探しに行こうかと思ってたんだよ・・⦆
すると『漣ちゃんおかえりー!』っと市が明るい声で家から出て来た、
『漣ちゃんは市の為に元気になる草を集めてくれたんだよね?』
(元気になる草?)
漣はこの時初めてタンポポの入った風呂敷を忘れていた事に気づき、
『タンポポ、忘れちゃった・・』
うなだれ気落ちしている様子の漣を市はかばい、
『でも大丈夫、もう熱は下がったから、今日は母が漣の好きな大根とカブをいっぱい煮てるんだ、市も元気になったらお腹がすいちゃって、楽しみだね!!』
⦅何ぼぉ~っとしているんだろうね、この子ったら、市の風邪が伝染ってなきゃいいけど・・⦆
直ぐさま市は自分のおでこを漣のおでこにくっ付けて、
『漣ちゃんをおでこ冷たいよ、熱はないみたい』
⦅それなら大丈夫か、もうちょっとで晩ご飯だからその泥だらけの手を洗って来なさい⦆
(晩ご飯・・、ごくらくじょうどのお薬・・)
漣は手を洗うと晩の支度をする母の元に行き尋ねる、
『母、漣にお手伝いする事ない?』
母は少し怪訝な表情をした、漣は市に比べやや内向的で自分から何かを申し出る事の少ない子だが、(きっと風呂敷の事を気にしているのね・・)
⦅じゃあその大根とカブの煮物に味噌を溶いて貰おうかな、味噌は最後に入れた方が美味しくなるんだよ、あと火傷をしない様に気を付けてね⦆
『うん・・』
漣はゆっくりと少しづつ味噌を溶いで行く、その姿に思わず笑みがこぼれた、娘とこうして晩の支度が出来る事がとても嬉しい、
⦅その位で味見しようか?⦆匙に味噌汁をすくいスッと飲む、
⦅うん、漣が作ったお味噌汁とぉ~~ても美味しいよ⦆っと残り半分を漣に差し出す、
『コクッ・・、おいしい』
母は漣の様子に安堵し炊いた雑穀のお櫃を持って土間から離れた。
(そぉ~と入れるお薬・・)
漣は袖から笹の葉の包みを出し開く、中にはサラサラした茶褐色の粉が入っておりそれを躊躇う事なく全てを鍋の中に流し入れる、そうするのが当然であるかの様に体が動くのだった。
・・・・・・・
『い・た・だ・き・ます!』
市が元気よく掛け声を出す、市、漣、そして父母、四人揃っての晩ご飯、普段と変わらない食卓、ただ一つ、何時もより元気が無く食事に箸を付けない漣に気づき父が尋ねる、
「漣の様子が少しおかしいな、どこか具合でも悪いのか?」
⦅ちょっと昼間に失敗しちゃってね、大した事じゃないのにまだ気にしているみたいなの⦆
「そうか、漣、済んだ事はくよくよするな、それより冷めない内に早くお食べ」
『漣ちゃんの作ったお味噌汁すっごく美味しいよーー!』
(父と母が食べたら漣も食べる・・)
漣も味噌汁のお椀を持ち上げ箸を付けた時だった、
【うっ、ゔぐ!、ごふっ・・】
父、母、そして市がほぼ同時に咳き込むと手にしていたお椀がこぼれ落ち【グァシャン!!】とブチ撒けられた、父母は鬼の様な形相で自らの首を絞める様に喉元に手をやり顔からはみるみる血の気が失せて行く、口から大量の泡を吐き仰け反ると大きな音を響かせ頭を床に叩き付けた!!
市は苦悶の表情で片腕は腹を抱へもう片方の手を助けを求める様に伸ばすがその指先が漣に届く寸前に、
【げぼっぉえぇぇっ!!!!!!】と胃の中の物を噴水の様に吹き出すと漣の着物にベッタリと降り掛かる!!
(あれっ、父も母も市っちゃんも何で苦しそうなの? だって晩ご飯・・・・、お味噌汁・・・、漣の作ったお味噌汁・・、お薬? ごくらくじょうどのお薬?!)
先程までの地に足が付かない感覚から徐々にではあるが正気を取り戻し始めた、
(あの薬だ、あの中に悪い物が入ってたんだ!!)
直ぐに父母に駆け寄るが既に息は無く先程まで青白かった肌は土気色に変わる、市は微かに息があったが幾ら揺すっても呼び掛けても反応は無く目は虚空を漂う、完全に呪詛が解けた漣の目前はさながら地獄絵図へと一変していた、
(みんな死んじゃう、漣が入れたお薬で、漣のせいで・・)
漣は家から飛び出した、その場には居られなかった、怖かった、離れたかった、優しかった父母の鬼の様な形相、そして苦悶に満ちた市の顔が脳裏に焼き付いて離れない、外はいつしか激しい雨、ぬかるんだ道に足を取られ勢いよく転ぶ、しかし泥まみれになりながらも立ち上がりまた走り続ける、月明かりも無い暗闇の中をただひたすらに寒さと疲れで動けなくなるまで。