朝
朝露が煌めく清々しい朝、市は一番に起きると外へ出て煌めく朝日を全身に浴びながら身体のそこかしこを伸ばしていた、たったそれだけの姿が何故だかとても美しくそして儚い。
武蔵は小屋の中から時の経つのも忘れその姿を目に焼き付けていた、今にも壊れ朝霞の中に消えてしまいそうな市の姿を。
・・・・・・・
「師匠おはようございます、丸二日足止めになっちまいましたね、今日からまた張り切って東都を目指すとしましょう」
『おはよう武蔵、猪丸も目覚めた様だな』
[うぃっす・・、花はまだ寝ているぞ、起こすか? このまま寝かしといて背負子に乗せてもいいが?]
『花はそのままでいい、発つ前に聞いて欲しい話があるので』
「何です? 改まって」
『武蔵は以前に妹と生き別れた時の事を尋ねたな? それについて話しておこうと思う』
「確かにあの時は聞きましたが師匠にとって辛い過去なら無理にとは思いません、俺は師匠と旅をしながら剣を磨きそして妹さんを見つけたいだけです」
『だがこの先も旅を続ける仲間なら互いの事を知っておいて損はあるまい?』
武蔵には少なからず躊躇いがあった、これから語られ様としているのは愉快な話で無い事は聞かずとも判っていたから、その閉ざされた過去、幼い市の身に起こった不遇を知る事でここまで築いた関係が変わってしまうのでは? 何故だかそんな不安が武蔵の胸を締め付けるのだが。
「ではお聞かせ下さい、何があったのかを・・」
『あれは今から十年前の卯月の事、私が七つの時だった、夕食に毒を盛られてな、それで父母は亡くなり妹の漣は忽然と姿を消したのだ』
(何だって?!)
思わず息を呑む、飢えや病、戦で呆気なく命が失われる乱世においても毒殺は聞くものではない。
様々な陰謀、怨恨が渦巻く公家や大名の間では起こり得る事かもしれないがそれも噂話で耳にする程度、お家の恥が漏れ広がる事はまず無いからだ。
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「ひょっとして師匠はどこかの大名のお姫様だったりとか?」
『ふっ、まさかな、武蔵と同じ百姓の子だ、ただ父は頭百姓をして居たから暮らし向きは平百姓よりは良かったのかもしれない、豊かな暮らしでは無かったがひもじい想いもしなかったよ』
「上役ですか、何か恨みを買ってしまったとか?」
『大人の事情は正直判らない、理解するにはあの頃の私はあまりに幼な過ぎた。
私は毒の入った夕食の大半を吐き出せたので命は助かったがそれでも藻掻き苦しんだよ・・、何とか身動きが取れる様に成るまで一日なのか二日なのか三日なのか、とても長く感じたが今となっては記憶も曖昧だ』
「そして見えなくなっていた・・」
『そうだ、暫くは辺りが暗いだけかと思ったよ、だが陽の光を肌で感じ自分の目が見えて無いのだと悟った、すぐ傍らに居た父母はもう冷たく硬くなっていて幾度呼び掛けても応えてはくれない、そして真っ暗闇の中を手探りで探し回ったが漣の姿はどこにも無かった・・』
「助けは呼ばなかったのですか?」
『呼ばずとも直に村人が集まって来て私は連れ出された、何も告げらず誰が自分の手を引いているのかさへも判らない、それがとても怖かったのは今も覚えている、やがてその手は離されどことも知れぬ場所で私は一人取り残された、また迎えが来るのを信じ待ち続けたがこの手が二度と引かれる事は無かったよ』
あまりに非道な仕打ちが無性に腹立たしくて「クソったれ! 」っと悪態を吐き自らの腿を【バチンッ!!】と叩き、
「 いくら 疎ましくとも幼子を置き去りにするなんて! ロクでもねぇ連中だっ!!」
『無理もない、百姓の暮らしは貧しく口減らしに子を売る事さへ珍しくもない、若い娘は女郎宿へ売られ身も心も朽ち果てるのが常だが盲の幼子では売り物にすら成らず手に余ったのだろう、不幸中の幸いってやつかもな』
「っにしたって!!」
『勘違いをするな武蔵! 私は同情して欲しい分けでも恨み辛みを吐き出したいのでも無い、むしろ生かされただけで感謝している』
「・・・・」
『それに多少は哀れんでくれたのだろう、去り際に握り飯を二つ残してくれたよ、滅多に口に出来ない米の混じった握り飯をな、それを不安と孤独の中で泣きながら食べたせいか妙にしょっぱくて、でも美味しくてまた泣けて来て、今想へばあの握り飯が幼い私に生きる力を与えてくれた、そんな気がするよ』
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「それからはずっと一人で?」
『まぁ色々だがここで話す必要もなかろう、死ぬほど辛い想いもしたが今となってはどうでもいい、ただ生きているかもしれない漣の事だけは気がかりでな・・』
武蔵は【ゴクリッ】と生唾を飲むと最も引っ掛かっていた事、これだけは市の真意を確かめておかねばならずやや口籠る様に尋ねた、
「もしかして師匠は消えた妹さんを疑っているとか? その、毒の事で・・」
武蔵の問い掛けに対し市は暫しの間沈黙を続けた、その可能性を全く考えて無かったと言えば嘘になるからだ、そしてよくよく考えた末に想いを吐露する。
『それは無いよ、まだ七つの子が親や姉の私を殺す理由が無いし毒の知識も無ければ入手も難しい、それに私たち家族はとても幸せだった、恨みや憎しみなどとは無縁・・・、だが』
「だが?」
『何かしらの事情を知っているかもしれない、そう思える理由、いゃ女の勘とでも言うべきか、漣に会えばそれが解ける気がするんだ、一体あの日に何があったのか? なぜ父母は命を奪われなければならなかったのかが・・』
市の中で十年前の記憶が朧気ながら映り出される、自分や父母が藻掻き苦しむ中で何故か漣だけは夕食に口を付けずに怯え震へていた、これが市が記憶している最後の蓮の姿であり最後の光でもあったのだ。
武蔵は「ふぅ~~~~っ・・」と大きな溜息を吐くと、
「良かったぁ~、師匠が復讐の為に漣さんを探していたとしたら俺はこの場で旅から外れても構わないと・・、だってそれじゃ辛過ぎます、悲し過ぎます、そんなの師匠と俺の旅じゃない! 東都へはやっぱり夢と浪漫に溢れてないと、そうですよねっ! 師匠!!」
『優しいんだな武蔵は、お前のそう言うところは嫌いじゃ無いぞ』
[思った以上に分け有りみたいだな、わしもその漣という人に興味が湧いて来た、出来る限り力になるぞ!]
『ありがとう、頼りにしている、武蔵!! 猪丸!!』
【ムニャムニャ・・】〘しっこ・・・〙
「おっ、花も起きたみたいだな、よしっ! 漣さんの待つ東都に向け出発だ!!」