雨宿り
昨日から降り始めた雨が今朝になっても降り止まぬ、この時期にしては珍しい長雨だ、こうした時は雨が上がるのをじっと待つしかない、濡れて体が冷えると思った以上に体力を奪われるし今は花も居る、幼子が風邪をこじらせて大事に至る事も決して珍しく無い、兎にも角にも長旅で無理は禁物だ、今は良い具合に雨風をしのげる空き家を見つけ間借りしていた。
(師匠と花は起きてから手遊びをしている、花に遊び方を教わりながら手遊びしている姿はいつもより少し幼く見えて可愛らしかった。
猪丸は朝からずっと木を切ったり削ったり、何でも花を乗せる背負子を作るのだとか? 猪丸が加わってから花を背負うのはもっぱら猪丸の役目になったし甘えられるのがまんざらでもない様子、俺としては願ったり叶ったりだが背負うと両手が塞がるし花も足が痺れるとかで駄々をこね出す、「なら歩けっ!」と説教の一つも言いたく成るがそこはまだ七つ、甘えたい盛りなので目を瞑るとしよう)
「随分と楽しそうだな?」
[あぁ、物作りってぇのは結構楽しいぜ、木や土や石や鉄が形を変えて別の何かに生まれ変わる、言うなれば神様の弟子にでも成った気分かな? ちょっと大袈裟だがな]
「ふぅ~ん、不器用な俺にはよく判らないないな、つかぬ事を聞くが何で武士に成った? 大工の方が向いてたんじゃないか?」
[あれっ、話して無かったか? 家は代々続く宮大工でわしはガキの頃からノミや鉋で遊んでたよ、棟梁だった親父に憧れて将来は宮大工に成ると思っていた]
「でも大工には成らずに武士に成った分けだ、何でだ?」
[わしが十五の時にその親父がポックリと逝っちまってな、長兄のわしがお袋やまだ幼い弟を食わせなきゃならん、もちろん宮大工は真っ先に考へたが見習からじゃわし一人食うのが精一杯、母弟の面倒までは手が回らん、それで手っ取り早く銭になる仕事を探していたら弓の腕を買われて武士に成ったって分けさ]
「そうか、猪丸の弓は有名だったからな、誰よりも強い弓を引き誰よりも遠くの的を射ると」
[だが飛び道具の主役が鉄砲や石火矢に代わってからは肩身の狭い思いもしたけどな、"デカイだけで刀も振れない木偶の坊" って陰口を叩かれる始末さ、まぁ元々武士に成りたかった分けでも無ければ主君の為に命を賭すって柄でも無い、武士に未練は無いって事よ]
「宮大工には?」
[大事な時期を戦で棒に振っちまったし宮大工は弟が継いでくれた、弟とは暫く会って無いが今じゃ結構な腕前らしいしぜ、お袋はもう逝っちまったし自由気ままなマタギは性に合ってる・・、それにマタギだってこれ位は作れるしな!]っと出来たばかりの背負子を得意気に持ち上げた。
「おぉっ、いいじゃねぇか!!」
[花ぁ~っ、ちょっと乗ってみろよ!]
花も嬉しそうに駆け寄るとチョコンと座り猪丸が[おいしょ!!]っと背負う、
[よしっ! これなら両手が空くし足が痺れる事も無いぞ! これから毛皮を敷くからもっと良く成るからな!]
〘わーーーーい!!〙っと両手を上げて喜ぶ、チョンチョンと猪丸の肩を叩くと振り返った頬に【チュッ】と接吻をする、
[おっ! おい、よせよっ・・]
「バァ~~カ、なにガキ相手に照れてんだよ!」っと冷やかすと間髪入れずに
【ボカッ!】
「いっ! 痛ってぇなぁ~!!」
[やかましいわ!!]
『ところで武蔵は何で侍になった、まさか本気で天下一だの剣を極めると思っているのではあるまい?』
ずっと黙って二人の話を聞いて居た市だがその瞬間に和やかだった空気が "ピン" と張り詰めた感じがした。
「・・、そうですね、確かに本気でそう成ろうとも成れるとも思ってませんでした」
『だろうな、昨日の動きで大方判る、お前鍛錬を疎かにしていたな』
"昨日の動き" とはスズメ蜂相手の立ち回りだ、巣の蜂の子を食料として得るのが目的だが飛び回るスズメ蜂を切るのは市が剣の腕を磨くのによく利用していた。
[しかし疑ってた分けじゃ無いが本当に凄いんだな、市師匠は、向かって来るスズメ蜂をバッタ、バッタと一刀両断だから正直タマゲタよ、ありゃ神業だ、それに比べ武蔵と来たら・・]
「あぁ見ての通りこのザマさ、まるで切れなわ何ヶ所も刺されちまうわで尻尾巻いて逃げたよ、そのせいでまだ熱っぽいや」
『スズメ蜂は図体や羽音が大きいし動きは鈍い、蝿を切るより簡単だ』
「師匠には簡単でも凡人には難しいんですよ、でもまぁ侍になった時は剣で身を立てる、天下一の剣士に成るんだって本気で思っていた時期もありましたよ、俺は百姓が嫌いでね、百姓にだけは戻りたくなかったから」
『なぜ親を否定する?』
「俺の親父やお袋は朝から晩まで泥にまみれて土を耕し雑草を毟ったり、でも痩せた土地からは僅かな恵みしかない、その僅かな米や麦ですら大半は年貢で納め自分らは粟や稗の毎日だ、隠していた蓄えだって野武士に脅されれば土下座して差し出す」
[でもよ武蔵、それはなっ]
「判ってるよ、親父だって辛いんだ、悔しいんだ、歯喰いしばって頭を下げる他ないんだって、
それでも這いつくばって命乞いをする親父は情けなかった、俺は奪われてばかりの人生なんて真っ平御免だ、それに姉貴が死じまったのも大きいかな・・」
『以前に話してくれた姉さんの事か、他に兄弟は?』
「下に弟と妹がいたらしいけど二人とも一歳を迎える前に死んで殆ど記憶はありません、だから俺にとっての姉弟は姉貴ただ一人です、優しくて村一番の美人で自慢の姉貴だった・・、でもそんな姉すら俺は守ってやれなかった、力の無い自分が堪らなく嫌になり家を飛び出し侍になった、大切な人を守れる漢に成りたくてね」
『・・、なら怠けていては駄目だな』
「鍛練に励んでいた頃もありましたよ、百姓出の俺を召し抱えてくれた恩に報い命を賭して闘おうと、このお方を天下人にするんだと、でも負け戦で主は死に藩は取り潰し、俺は左腕を失いそれからは行く宛ても無くその日暮らしの日々です。」
・
・
・
『出会った時の弟子入りの口上、あれは嘘だったのか?』
「嘘じゃないです!」
武蔵は市の盲の目を真っ直ぐに見据えそう応えた。
「師匠の殺陣を見た瞬間に血が湧き立ち張り裂けんばかりに胸が高鳴りました! 前を覆っていた霧が一気に晴れた! 俺はまだ腐っちゃいない、この熱く滾る血潮があればまだやれる! 心技を鍛え己の剣を誇れる漢に! 大切な人を守れる漢に成るんだと!!」
『そうか、しかし前にも言ったが私は何も与えてはやれない、せいぜい蜂の切り方くらいだ、まずは手始めに喰って克服するのだな』
「えっ?! やっぱりアレを喰うんですか?」
『その為にソコにあるのだろ?』
[何だ、武蔵は蜂の子は好かんのか? 結構旨いし滋養も付くからな、酒があればツマミに最高なんだが残念な事に酒は無い]
「だって見た目芋虫じゃんかよ・・、花だって嫌だろ、こんなの喰うの?」
〘花たべるーーー!!〙
「えっ! マジで、ところでコレってどうやって喰うの?」
『私は生でも充分だがな』っと一匹をつまみ出し "ヒョイッ" と口に含む、
『うん、旨い』
「うわっ・・」
[初めてなら軽く炙った方がいいな、あと背ワタにはエグ味があるから取った方が食べ易くはなるぞ]
猪丸が彫刻刀の様な小刀を取り出し蜂の子の背を開く、そして軽く左右から押すとドス黒い背ワタが【ニュルッ】と飛び出た、
「キモッ・・」
[これをサッと炙ってだな]っと軽く火を通すとヒナ鳥の様に大きく口を開けて待つ花に "ポイッ" と放り込む、
もぐもぐ・・・〘おいちぃ!!〙
[おぅ! 花はイケる口だな、こいつは将来が楽しみだ、蜂の子を肴に一緒に酒でも飲もうぜっ!]
「気が早いわ!!」
『さぁ、武蔵も遠慮なく喰え、蛹になってる奴も旨いからな』
猪丸の小刀を借り自分で背ワタを取る、(こんなゲテモノは喰いたくない、喰いたくないがその空気を察してニタニタしながら様子を伺っていやがる、ここで喰わねば花にも笑われかねない) "こん畜生" とばかりに口に投げ入れ、
【もぐもぐ、ごくりっ・・・・】「あれっ、うっ、旨い・・?!」
猪丸が得意気な顔で[だろっ!]
「これ旨いよ! 見た目からは想像出来ない上等な味だぜっ!!」
『よかったな、喰うのが克服出来たなら次は親蜂を切れる様に鍛練だ、強く成りたいのだろ? 武蔵』
「まぁそっちは時間が掛かりそうなので追々と言う事で、さぁ俺がどんどん割いてワタ出すんでジャンジャン喰ってやりましょう!」
〘わぁーーーーい!!〙
こうして数百匹いた蜂の子が全て四人の胃袋に収まった頃には雨も上がり綺麗な夕焼け空が広がっていた、明日からはまた旅が続けられそうだ。