猪丸(ししまる)
「(結局はこうなると思ったよ・・)」
『何か言ったか?』
「独り言でぇ~す、気にせんで下さい」
そうブツクサと愚痴を垂れながら歩く武蔵の背中にはスースーと寝息を立てる花がいる。
『天下一の剣士に成るのだろ? これも修行だと思へば苦にもならんぞ』
「(子守りで強く成るなら世のかあちゃんは最強かって)ブツブツ・・・」
『だから "母は強し" って言うだろう』
(チッ、聞こえてやがる、地獄耳め)
武蔵は前を歩く市の背中に渾身の "あかんべー" をすると、
『師匠に対して随分と尊大な態度だな、武蔵』
(剣の事は何一つ教えない癖にこうした時だけ師匠面かよ・・)
「 師匠、ホントは目見えてるのでは?」
『そうだな、見えていたとしても頭の後ろには付いて無いはずだが?』
「師匠なら後ろに目があっても俺は驚かないですよぉ~」
〘しっこ・・・〙ムニャムニャと目をこすりながら花が目を覚ました、
「師匠ぉ~花がしょんべんだって、ちと一休みません? 俺も疲れました、なにせ背中の荷物が重いんで」
〘花のこと?〙
そう言いながら武蔵の顔を覘き込み顰め面になる、これから泣くぞとばかりの "脅し" だ。
(チッ、餓鬼の癖に小賢しい処世術を身に着けやがって、女と言うのは幼くても侮れん)
「はぃはぃ、花ちゃんはちぃ~とも悪くありませんよぉ~、悪いのは誰でしょうねぇ~、ちぃ~とも面倒見ない誰かさんですかねぇ~」
〘花はムサシがいいのっ!!〙
『ふっ、良かったじゃないか、気に入って貰えた様で』
(畜生、俺と師匠の上下関係を弁えていやがる、ホント侮れん・・)
「俺も用を足して来ます」
『花の面倒も見てやれ』
「俺は "大" の方ですけどいいんですか?」
〘花クサイのいや――っ!!〙
「っだそうなんで花の面倒は師匠よろしくぅ~」
「ったく、花の下の世話まで見させるなってぇの!」っと再び愚痴りながら藪の中に入って行く、
「ここいらでいいか・・」と帯を緩めて屈もうとした時だ、背の高い芦の分け目からこちに狙いを定め今まさに弓を射ろうとする大男の姿が目に入った!!!!
武蔵の呼吸は一瞬止まり「まっ待て! 俺は人だ!!」っと促すも
【シュヴァーーッ!!!】
疾風の如く放たれた矢は風を切り裂き突き進む!!
「南無三っ!!!!!!!!!!!」
【キュアァァァーーーーー!!】
まさに間一髪、矢は武蔵の直ぐ脇をかすめ後ろにいたキジを射止めていたのだ、
「キッ、キジ?! はぁ~~っ、マジで死ぬかと思った・・・」
腰が抜けその場にへたり込むと矢を放った大男が慌てて駆け寄り、
[スマン、スマン、驚かせて悪かったな、詫びと言っちゃ何だがこのキジは分けてやるからそれで水に流しくれや]
「・・そりゃありがとさんよ、寿命が数年縮んだ代償にしてはちと・・、んっ?! お前、猪丸じゃねえか?」
[そう言うお前は・・、ひょっとして武蔵か?!]
「そうだよ! 武蔵だよ!! 猪丸無事だったのかーーーーーっ!!!!」
[おうよっ! また生きて会えるとは思わなかったぜ!!]
「ひでぇ戦だったからな、互いに生きてたなんて奇跡だな!!」
[あぁっ、悪運だけは "天下一" だ!]
「俺の台詞を取るんじゃねぇよ、ところで猪丸は何をやってる?」
[何って見ての通りマタギよ、お前こそこんな処で何用だ?]
「俺か、俺は東都に向けて旅をしている最中だ、実はもの凄い剣士の弟子にして貰った、直ぐそこに居るから挨拶して行けよ! 」
(もの凄い剣士か・・、今更武士に未練も無いが会うだけは会うか)
・・・・・・・
『随分と遅かったじゃ無いか?』
〘ムサシうんちながーーーーい!!〙
(あっ、クソするの忘れてた)「 悪い悪い、偶然昔のダチに会ってね、同じ釜の飯を食った戦友って奴です、今ここに来ますよ」
続いて猪丸が巨体を揺らしながら現れる、その姿を見るなり花は直ぐさま市の影に隠れた。
「こいつは三年前の戦で共に闘った猪丸って言います、まぁ実際は "いのししまる" だけど "ししまる" 弓の名手でこう見えて手先が器用なんですよ!」
[武蔵、お前嫁を娶ったのか?]
「違うよ、この方は市様だ、さっき話した俺の師匠さ! 目は見えないが凄腕の剣士なんだぜ、野武士四人を相手に無双した殺陣なんか見せてやりたかったよ!!」
[ふぅ~~ん・・]っと下から上へ舐める様に市を見るとニヤリ笑みを浮かべ、
[暫く会わない間に冗談の腕前だけは上達したみたいだな、武蔵]
その冷やかす様な台詞に武蔵の表情は険しくなり、
「かつての馴染みだからって俺の師匠を馬鹿にしたらタダじゃ済まないぞ」
[悪りぃ悪りぃ、そう恐い顔すんなって、挨拶がまだだったな、わしは猪丸だ、マタギをやってる、よろしくな!]
『市だ、よろしく』
〘・・・・〙
[んっ?! じゃあ市師匠の裏で縮こまっている童はお前の子では無いのか?]
「あぁこの子は花って言ってな、ちょっと訳ありで一緒に旅をしているんだ」
すると今度は猪丸が武蔵を "ギョロリ" と睨み付け、
[まさかとは思うが "人買い" では無いだろうな?]
「よせや、俺がそんな悪党に見えるか? まぁ詳しい事が聞きたきゃ後で話すよ、それに花が怯えてるじゃねぇか、可哀想に・・」
無理もなかろう、猪丸は六尺(180cm)そして30貫(110kg)を有に超える巨漢だ、毛深く髭を蓄へ右目には眼帯、そして毛皮を羽織っている、花から見たら熊と見間違うばかりの容貌。
「はぃはぃ大丈夫だよぉ、このおっちゃん怖いよねぇ~、でも花を食べたりしないからねぇ~」
しかし花は市の後ろに隠れたまま出て来ようとはしなかった、子の扱いなどまるで判らない猪丸はポリポリと頬を掻き困惑するが一つ閃いたのが懐をモゾモゾと弄ると何やら取り出し[ほれっ]と花の目の前に差し出す。
「おっ、竹トンボじゃねえか? そんなのガキの頃以来だな」
だが竹トンボを見てもキョトンとした表情の花、どうやら初めて見る様だ、
[んっ、ひょっとして知らないのか? これはな、こうやって遊ぶんだっ!!]
【ヒュルルルルルルルルーーーーーーーーー・・・・】
天高く舞い上がり青い空へと吸い込まれる、花は市の影から飛び出し両手を広げ追い駆ける! やがてヒュルヒュルと舞い降り【ポタリッ】と落ちた竹トンボを拾い上げると小走りに駆け寄り猪丸に〘はいっ〙と返そうとするが、
[やるよっ!]
顔をクシャクシャにして竹トンボを握り締める、直ぐに自分でも飛ばしてみるが花の小さな手では上手く飛ばないみたいだがそれでも楽しそうだ。
「猪丸、今日はそのキジで一緒に晩飯でもどうだ? 積る話もあるしよ!」
[たまには大勢で喰う飯も悪くないかもな]
「よしっ! 決まりだ!!」
・・・・・・・
思う存分に鶏肉を食べた後は焚火を囲んでまどろむ四人、辺りはすっかり暗くなり花は猪丸の膝枕でもう寝息を掻いている、最初はあれほど怯えていたのが嘘の様だが懐かれた猪丸の方が少々戸惑い気味なのが可笑しい。
「それにしても毎日こんな旨いもん喰ってるのか? マタギはいいな」
[流石に毎日って事は無いがキジやサギ、兎なんかはよく喰ってるな、鹿や猪といった大物を狩った時は物々交換で米や野菜を手に入れる、それに百姓ってぇのは結構色ん物を隠し持っててな、交渉次第じゃ酒だって手に入るぞ!]
「そういや俺の親父も隠してたよ、クソ不味い密造酒だけどな、どこの百姓も似たり寄ったりってとこか」
[正直者から早死にする世だ、生きる為には皆必死だよ、ところでな武蔵、わしは一度でいいから熊を仕留めたいと思っている、熊を狩ったら一人前のマタギとして胸を張れるが今のところは矢を持ってかれてばかりだ]
「猪丸の弓を持ってしても相手が熊じゃなぁ、やっぱり鉄砲じゃないと太刀打ち出来んだろ?」
[バカッ!! 弓で仕留めてこそ価値があるんだよ! それに鉛の礫を喰らった獣肉は不味くなるしな]
「迷信迷信、そんなハズないって!」
[迷信だろうがいいんだよ! わしは鉄砲は嫌いでね]っと右目の眼帯を指先で【トントン】と叩いた。
「そういやさっきから気になってたんだよ、その目どうしたんだ?」
[あの戦で手持ちの矢が尽きてな、丸腰じゃどうしよもねぇから何か武器になる物を探してたのよ、そしたら鉄砲を抱えた仏が居たんでちょいと拝借したのさ、しかし撃った途端に胴金が弾けてこのザマよ!]
「慣れない事はするもんじゃ無いな」
[全くだ、でも両目が潰れてたらあそこでお陀仏だ、わしにはまだツキが残ってたよ]
そう言った後に盲の市が目に入ると少し気まずそうに、
[あっ・・、スマン、勘に障った様なら許してくれ]
『目の事なら何も気にして無い、それより久々のご馳走だったよ、ありがとう』
「師匠は器がデカイんだ、些細な事でスネたりしないさ、しかし猪丸が目なら俺はこれを失ったぜ」っと言いながら左腕の義手を外し鈍く光る鋼の槍を自慢気に見せ付ける。
「どうだ、カッコいいだろ!」
[おぅ、そんな仕掛けがあったなんて全く気づかなかったよ、よく出来るじゃねぇか、その義手]
「いゃ、義手じゃなくて槍の方を褒めろよ!」
[ハハッそうだな、なかなかカッコいいぞ、ところで武蔵、この童の事なんだが?]
「花か? そんなむさっ苦しい股座でよく寝てられるなぁ~、しかし竹トンボと飯で幼子を手懐けて・・、ヤラし」
【ボカッ!!】
「痛ってぇなぁーーーっ!! 殴る事はねぇだろう!」
[ 阿保、ふざけるんじゃねぇ!]
「ったく、洒落の判らねぇ奴だな」
[おいっ!!]
「はぃはぃ実はな・・・・」
・・・・・・・
[そうか、親が野武士に・・、長きに渡った戦乱の世も大勢は決したからな、まだ方方で小競り合いは続いているがかつての様な大戦はすっかり無くなったよ、お陰で食い扶持を失った浪人共で町は溢れ侍に見切りを付ける奴も多い、そして一部は野武士に成り下がり民百姓を苦しめる、天下統一だ泰平だと言った処で弱き者には辛い世が続くな・・・、んっ?!]
〘おっとぅ・、おっかぁ・・〙
花が微かな寝言を呟く、目には小さな涙が一粒浮かんでいた。
「寝てると思って油断してたぜ、耳元でこんな話をしているから夢枕に出て来ちまったかな?」
猪丸は指先でそっと涙を拭うと、
[親の最期、見てないといいな]
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「あぁ、そうだな」
[わしは風来坊の無頼漢だ、子はおろか妻を娶る事も無いと思っていたが懐かれると可愛いいもんだな、何かこう胸の奥が温かくてこそばゆい味わった事の無い感じだ、世の親ってぇのはこんな気持ち成るもんなのか?]
「さぁな、俺もここ数日一緒に過ごしてちっとは愛着が湧いて来た処だよ、結構こまっしゃくれたガキでさ、世渡りが上手そうだ」
[女は図々しい位で丁度いいいんだよ、 っにしても東都かぁ、う~む・・・・、]と花の寝顔を眺め髪を撫でながら考へた後に、
[武蔵よ、わしも旅に付いて行く事は可能か?]
「それ本当かよ! 猪丸が居てくれたら正直助かる、弓の腕は確かだし何より花が喜ぶ! いいですよね! 師匠!!」
『もちろんだ、歓迎するよ』
[じゃぁこれからよろしく頼むわ、相棒!!]っと大きな手で武蔵の背中を【ドンッ!!】と叩く、
「痛ってえぇぇ~~~っ!!」
こうして猪丸という頼もしい仲間が加わった。