市と漣 ( 武蔵と市 短編小噺 その二 )
時系列で言うと本編「龍尾 (第零幕 / 武蔵と市 前日談) 後編」、市と漣の誕生から六年後、二人が六歳の誕生日を迎えた時の物語なので二十四話(前編)、二十五話(後編)を読んでからだとより入り易い物語になります。
~ ( 回想・本編一話より十一年前 ) 市と漣の暮らす村 ~
( 三月五日 深夜 )
菊(百合の母)が一昨日(三月三日)に亡くなった、父と同じ労咳(※結核)だった、享年五十七歳、大往生と言うには早く呆気ない人生の幕切れに娘の百合は悲しみに暮れて居た。
「百合、辛いのは判るが何時までも悲しんでは義母も安心して成仏出来んぞ」
⦅だって、ほんの一月前迄は元気に赤子を取り上げてたのに、母だって六十でも七十でも産婆を続けるんだってあんなに張り切ってたのに病気になったらアッと言う間で・・⦆
「確かに早かったな、労咳とは恐ろしい病だ」
⦅でもあんまりだよ! あんな村外れのボロ小屋に追い払うなんて、まるで姥捨山じゃないか!!⦆
「もし労咳が村中に蔓延したら手に負えん、それが判ってたから義母も納得の上であの小屋に籠ったのではないか?」
⦅だけど娘のあたしでも会うどころか食事を運ぶ事も許されない、それで突然亡くなりましたなんて・・、母の死に水を取る事も出来なかった⦆
「百合、村人を恨んではいけないよ、実の娘だからこそ反って辛かろうと世話を申し出てくれたのだ、それに万が一百合、そして市や漣が労咳になったらどうする?」
百合はすやすやと眠る市と漣の寝顔を見つめながら様々な想いを巡らしていたのだろう、先ほどまでの険のある表情は徐々に和らいで行く。
⦅そうだよね、あたし達にとって一番大切なのは市と漣だものね、わがまま言ったらバチが当たるね・・⦆
「親の死は辛いものだ、しかも突然の別れでは無理もない、ただ俺達夫婦にとって何よりも大切なのは市と漣だ、この子たちは何があっても守ってやらねば」
⦅うん、分かったよ、もう言わない⦆
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「しかし、どんどん辛くなるな・・、戦は拡大する一方だし年貢の取り立ては益々厳しい、百姓の暮らしがこれほど過酷だとは想いもしなかったよ」
⦅・・・、五平さん、もしかして百姓に成った事を後悔してる?⦆
「それは無いよ、あのまま忍びを続けていたらもう生きて無いだろう、危険な仕事ばかりだったからな、それに百合と夫婦になればこそ可愛い娘にも恵まれた、ただな、朝から晩まで田んぼを耕し草を毟っても家族に食わしてやれる米も無い、米どころか粟や稗さえも兵糧に成る物は全て出せと言う有り様だ、侍をしていた頃は百姓の苦労など顧みずに白い米を食ってたが立場が変われば世界がこうも変わるとはな・・」
⦅一昔前はここまで酷くはなかった、百姓だってたまにはお米を食べてられたし、全て戦が悪いんだ、早く戦の無い世に成れば良いのに・・⦆
「時代の趨勢は判らないが耳に挟んだ程度だとまだまだ長く続きそうだ」
⦅五平さん、怒らないで聞いてくれる?⦆
「どうしたんだ、急に?」
⦅北の裏山に少し開けた土地があるの、そこを耕し水を引き田んぼを作れないかな? 米一俵なら採れるかも、せめて市と漣だけでもお米を食べさせてあげたいの⦆
「隠し田と言う事か?」
⦅・・、う、うん⦆
「百合、それは出来ぬ相談だ、隠し田が見つかれば重罪だ、どんな処罰を受けるか判らないし場合によっては村全体に責任が及ぶかもしれん、もしそんな事に成ったら我々を快く迎えてくれた村人に顔向けが出来ない」
⦅・・、そうだよね、五平さん頭百姓だもん、ズルなんて出来っこ無いのに馬鹿な事を言ってごめんなさい・・⦆
「いゃ、百合が子を想う気持ちは充分に判る、しかしこの村はまだマシにな方だ、領主のお膝元だけあって比較的平穏に暮せて居る、しかし聞く処によると離れにある集落では野武士が襲い根こそぎ奪われ女は犯されたそうだ、それを思えば我々はまだ恵まれてる」
⦅分かったよ、今のは忘れて、それにお米は食べられなくても野菜や芋なら充分にあるし山に行けば山菜やキノコ、もう少ししたら五平さんの大好きな筍も沢山採れるし何とかやり繰りして頑張るよ!⦆
「その意気だ、百合!」
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⦅ところであなた、母が亡くなった事を市と漣にどう伝えたらいい・・⦆
「う~む・・、二人とも義母によく懐いてたからな、実は今日も市に聞かれたんだ、お婆は何時帰って来るのと・・」
⦅いつまでも隠せないしね、明日にはあたしが話すよ⦆
「頼むよ、娘の涙は苦手だ」
・・・・・・・
( ※四日前に遡る / 三月一日 昼 )
閏日(二月二十九日)に生まれた市と漣は閏年でなければ三月一日に誕生日を祝う、今日この日に二人は六歳を迎えた。
春と言うにはまだ肌寒い三月初旬、市と漣はヨモギやフキノトウ、セリなど食べられそうな野草を探していた、少しでも父母の助けになりたかったのだが思う様には集まらずに市は虫の居どころが悪い、その苛立ちから二人の間では定番になっている "ある事" への不満をこぼし始めた。
『漣ちゃんどう? 市はまだこれっぽっちだよ・・』
『漣もぜんぜん、まだ早いよ、もうちょっとしたらツクシとかゼンマイが採れるけど・・』
『そうかぁ~、ところでさぁ、水車小屋の作蔵爺ちゃん市の事をまた「市漣ちゃん」って呼んだんだよ、だから "市漣ちゃんじゃなくてイチだから" って言ったの、でもちっとも覚えてくれない』
『漣も牛飼いの与平おじちゃんに「市漣ちゃん」て言われた、いくら似てるからって変な呼び方をしないで欲しいよね』
『どうしたら市と漣の顔を覚えてくれるのかな?』
『髪の結び方を変えてみるとか? 市っちゃんは頭の後ろで束ねて漣は横で束ねるの』
『う~ん・・、何かそれイヤ、髪じゃなくてちゃんと名前と顔を覚えて欲しいの!』
『でもそっくりだし父や母も時々間違えてるよ』
『間違えるのはいいの! でも「市漣ちゃん」は何かキライ!!』
『漣はもうあきらめちゃった、ずっとそう呼ばれるんだろうなぁ~て』
『漣ちゃんは素直だよね、市と違って』
『だって大人は子供の言う事なんて聞かないし、お婆の事だって何も教えてくれない・・』
『漣ちゃんお婆に会いたい?』
『えっ?! 市っちゃん知ってるの?』
周りには誰も居ないのだが市は敢えて漣の耳元に口を寄せ自分が知る "秘密" を小さな声で話し出す、そうしなければならないほど特別な事を打ち明ける気がしたから。
『前に父や母が話してたのをこっそり聞いちゃった、お婆病気を治す為に一人でいるんだって』
『病気?! お婆病気だったの?』
『うん・・』
すると市は落ちていた小枝を手に取り【ガリッ、ガリッ・・・】と地面に何かを描きながら、
『村外れの溜め池の後ろにお地蔵さんが三つ並んでいるでしょ、そこから山に入る道があるよね? その道を進んだ先にある小屋にいるみたいなんだ・・』
『山の小屋?』
市は簡単な説明をし終えるとスッと立ち上がり少し汚れた手を着物の裾に【パッ、パッ】と軽く叩くと、
『ねぇ漣ちゃん、今からお婆に会いに行かない?』
『えっ、今から?』
『そう、今から』
『でも溜め池の近くで遊んだり勝手に山に入っちゃダメって父と母が言ってたし・・、それに迷子になったら怒られるよ』
『大丈夫、父と母にはナイショ、見つからなければ怒られないよ』
『う~ん・・・』
『漣ちゃん、お婆に会いたくないの?』
『会いたいよ! でもさぁ~・・』
『よしっ! じゃあ行こう!!』
そうして市は半ば強引に漣の手を引くと小走りに駆け出す、実は市もお婆に会いたいとずっと思っていたのだ、ただ一人では怖く言い出せなかったが漣も同じ気持ちだと知り居ても立ってもいられなかった。
・・・・・・・
山の奥へと続く道は鬱蒼と生い茂る木々たちで日の高い昼間でも薄暗い、森からはこれから繁殖期を迎える数百数千羽のムクドリたちの鳴き声が不穏なざわめきとなって響いていた、それは二人を暗い森へと誘う声にも追い返そうとする声にも聞こへ【ブルッ】っと一回、市の身が大きく震えたのに漣は気づく、
(市っちゃん、もしかして怖いんじゃ?)
『市っちゃんやっぱり怖いよ、父と母に話して一緒に来ようよ?』
『でも父や母がダメって言ったら? お婆に会えないよ』
『熊も出るって言ってたし・・』
『大丈夫! 寒いから熊はまだ寝てるよ、それにもし分れ道があったら引き返そう、でも一本道なら迷わないから』
さっきの震えは怖さじゃなく寒さのせいだったのかと思わせる程に自信満々の市の態度に最初は抵抗があった漣も徐々に絆され行く、
『この道の先にお婆がいるんだよね?』
『うん! 絶対にいるよ!!』
『じゃあ行こう! お婆に会いに!』
不安な気持ちを圧し殺し薄暗い山道へと入って行く、ここから小屋までは迷い様がない一本道で距離も極僅かだ、しかし市と漣にとっては初めての大冒険、ましてや親の言い付けに背いている罪悪感もありかつて無いほどに胸がドキドキしていた、その恐怖心を振り払おうと手をしっかりと繋ぎ声を合わせて歌を歌う、するとみるみる勇気が湧いて来ていつしか怖さよりも楽しさの方が勝っていた。
『漣ちゃん見て、こんなところに野苺がなってる!』
市は直ぐさま一つを捥いで口に入れた、
『う~ん、すっぱい!!』
そしてもう一つ捥ぐと次は漣の口に入れてあげる、
【もぐもぐ・・】
『すっ、すっぱいけどおいしいね!』
『そうだっ!! この野苺をお婆のお土産にしようよ!』
『お婆喜んでくれるかな?』
『きっと喜ぶよ、お婆すっぱいの好きだもん!』
『じゃあ漣がいっぱい採るよ』
『市も負けないくらいいっぱい採る』
二人で協力して沢山の野苺を集める、これを渡してお婆の喜ぶ顔が見たい!! その期待に益々胸が高鳴った、早く会いたい一心で自然と小走りになる、軽く息を切らしながら一本道を突き進むとやがて古びた山小屋に辿り着く、たぶんここにお婆が居るのだろうが窓は無く戸は閉ざされており中の様子は伺い知れない、どことなく不気味な佇まいに【ゾクリッ】と悪寒が走る、この戸を隔てた向こう側には魑魅魍魎が蠢いて居ても不思議では無い、まだ幼い二人にはそう感じたのかも知れない。
まるで金縛りに遭った様にどうする事も出来ずその場で立って居ると僅かに人の咳き込む声が漏れて来た。
『お婆? お婆なの? 市だよ、お婆に会いに来たの・・』
《・・・・、市?》【ゴボッ、ゴホッ】
『その声はお婆だよね? 漣ちゃんも一緒なの!』
『お婆? 会いたかったから市っちゃんと行こうって』
『ねぇお婆、入ってもいいよね?』
《ダメよっ!!!!》【ゴホッ・・】
戸を開けようと伸ばした市の手がピタリッと止まる、今までお婆からは聞いた事の無い強く激しい口調だった、優しかった祖母からは一度として叱責を受けた事が無かったので少し怖く感じた。
『・・・・、お婆、もしかして怒ってる?』
『怒らないで、市っちゃんが悪いんじゃないの、漣が会いたいって言ったから』
【ゴボッ、ゴホッ】《怒ってないよ、来てくれて嬉しい・・、ただし絶対に戸を開けてはいけないよ・・》
『何でっ! だってお婆に会いに来たんだよ!!』
【ゴホッ・・】《この咳は伝染るんだ、もし市や漣に伝染したら百合や五平さんに顔向け出来ないよ》【ゴボッ、ゴホッ・・・、ゴホッ・・】
『お婆、苦しいの?』
《大した事ない【ゴホッ】 ふぅ~っ・・、暫くここで休んだら良くなるから心配しないで》【ゴブッ・・】
『元気になるよね? お婆』
【ゴボッ、ゴホッ】《元気になるよ、約束する・・・、帰ったらまた一緒に【ゲボッ、ゴホッ】、あやとりやお手玉で遊ぼうね》【ゴホッ・・】
『じゃあ、約束だよ、またあそぼうね!』
【ゴブッ、ゴホッ】《あぁ・・》
漣が市の着物の裾を強く引っ張る、何故だか分からないがここに居てはお婆を苦しめる気がしたから。
『じゃあ、もう行くけど一つだけお願いがあるの、父と母にはナイショで来たからナイショにして欲しいなって』
【ゴホッ・・】《もちろん、市と漣とお婆の三人だけの秘密、誰にも言わないよ》【ゴボッ】
『ありがとう! 来る途中で野苺を採ったんだ、ここに置くからお婆いっぱい食べてね!』
『お婆、早く元気になってね、待ってるから』
《・・・・・》
そう言い残し市と漣は足早に立ち去った、遠のいて行く足音を確認すると閉ざされていた戸がゆっくりと開く、足下には二人が集めた山盛りの野苺、それを見た菊の目からは涙が溢れ出る、目頭を押さえても流れる涙は止まる事を知らない、しかし【ブホッ!!!】と大きな咳と共に大量の鮮血が飛び散り野苺に降り掛かる。
《うっ、うぅぅぅ・・、会いたかった、抱きしめたかった、私が取り上げた子、私が育てた子、私の可愛い孫たち・・・、もう二度と会えない・・・、うぅ、あぁぁぁぁぁぁ・・・・》
・・・・・・・
『お婆絶対元気になるよね、約束したもんね』
『漣はお婆とあやとりやお手玉で遊ぶの』
『じゃあ市はお婆とお人形を作る!』
『あっ! それいいな、漣もお人形作りたい』
『三人で作ればいいんだよ、お婆、針使うの上手だし!』
『そうだね、漣はかわいい女の子の人形がいいな』
『市はカッコいい男の子にする、父みたくすっごくカッコいいの!!』
『市っちゃん父のこと大好きだもんね』
『ちがうよ! 父が市と漣ちゃんを大好きなの!!』
『あはっ、でも楽しみだなぁ、いくつ寝たらお婆元気になると思う?』
『わかんないけど十くらいじゃない?』
『えぇ~っ、十も寝るの? 五つがいいな』
『じゃあ五つで!』
『ちょうど親指から小指までだね、いっぱい寝よぉ~と』
『うんっ!!』
~ 市と漣 ( 本編第七話 「漣」に続く ) ~
幼少期の市と漣で物語を考えた時に「二人にとって初めての大冒険」と言うテーマは直ぐに決まりました。
ただ当初は冒険と言うより「はじめてのおつかい」の様な可愛らしい話にする予定でしたがそれだと「受け身」になってしまう、二人にはもっと能動的に動いて欲しく「病気の菊(お婆)に会いに行く」のは市と漣が親の言い付けに背いてでも動くのに相応しい動機となりました。
ただ全体的にやや重苦しい話しになったのはコロナ禍の記憶のせいかもしれませんが幼い二人の初冒険を見守って頂ければと思います。
そしてこの話から約一年後の "あの事件" をきっかけに二人は別々の人生を歩む事になるのです。
(追伸)
武蔵と猪丸の出会いを描いた短編小噺を書いてます、2025年 1/11にお出しする予定なのでよろしければご覧下さい。




