隠し砦 その三
~ 忍びの里 ( 隠し砦の牢獄にて ) ~
一夜が明けた、昨日の幻竜の言葉がブラフでなければ漣の処刑が行われる命運の日、だが今の漣にとってそれは大きな問題では無い、死んで楽に成れるとは思わなかったがあまりに辛い現実に身も心も疲れ果てて居たのだ、しかし怒りや憎しみに魂が支配されるのだけは拒み続ける、残り僅かな命だとしても人らしく死にたかったから。
生きる気力も得られない夢現の中で不意に五六八の事を思い出していた、漣にとって五六八は初めて出来た同世代の友人、いゃ友人と言うのとは少し違う、ほんの一月とは言へ生死の境を共にした日々は唯一無二の絆に成っていた、そして互いに心に深い傷を抱へていた事を認め合へ許し合える同士でもあったのだ。
(五六八さん・・、二人で遠くの町へ行って、仕事は何でも良いから二人で頑張れば食べて行く位は何とか成ったよね? そうやって力を合わせて生きて行くのもいいし良縁があればそれぞれ別の道を歩んでもいい、漣だってお洒落すれば五六八さんに負けない位に "いい女" に成るんだから・・)
そんな他愛もない日常を思い描いていただけなのに五六八はもうこの世に居ない、些細な夢すら容易く奪われてしまう不条理にとことん嫌気が差していた。
『何で、どうしてなの? お腹一杯に食べられて好きな人や子供いて、長生きしてお婆になって孫と笑って、たったそれだけでいいのに何で幸せになれないの?
何で五六八さんは幸せになれなかったの・・・・・・』
打ち拉がれる漣の前に再び幻龍が姿を現わした。
{昨日はよく眠れたか?}
『・・・・』
{まだつまらぬ意地を張るか、どうだ、 我々の仲間に成るなら今日の処刑は見送ってもいいぞ?}
『・・・・』
{まぁいい、お前の為に十文字の磔台を用意した、どうやら無駄に成らずに済みそうだな、何でも遠い昔、西洋で神と崇められた男も十文字の磔刑で命を落とした、異国の神とは言へ同じ死に様なんて誉だとは思わないか?}
『・・・・』
{もはや心を閉ざしたか・・}
その時だった、
〈幻龍殿!!〉っと忍びの一人が慌てた様子で駆け寄り幻龍に耳打ちをする、最初は平然としていた幻龍だがその表情からは先程迄のふてぶてしいまでの余裕は消え去った、そして焦りや苛立ちなのかやや上擦った声色で語り出す。
{龍尾の娘よ、あるいは落日の里の光と成り得る存在かと期待したが見当違いだった様だな、一昨日はお頭を含む二人、そして昨日は三人殺された、僅か二日の間に五人もの仲間を失った訳だ、お前は光どころかとんだ疫病神だよ、これも龍尾の血の成せる技か・・}
『・・・・』
{そうそう、お前にとって耳寄りな知らせがある、何でも男と女の二人がこちらに向かっているそうだ、しかもその女はお前に生き写しだとか・・、
龍尾の血を引く者がまだ生き残って居たのか他人の空似か? 何れにせよ面白い余興に成りそうだな}
(・・・私に生き写し? 姉さん・・、市姉さんが生きていた? うぅん、そんなはず無い、戯言で漣を惑わす気なんだ、どこまで愚弄すれば気が済むのだろう・・)
{さぁ来るのだ、磔台が生贄の血を欲しているぞ}
漣は牢獄から出され幻龍と共に刑場へと向かう。
・・・・・・・
小太郎と花を安全な場所に移し武蔵と市は谷底を目指す、武蔵は平静を装ってはいたが心中は不安で押し潰される寸前だった、市の剣士としての力を疑った事は一度として無いがされとて生身の人間、矢や鉄砲が一発でも命中すれば勝負は決するだろう、その薄氷を踏む中で市の求めに応える働きが出来なければ自ずと結果は見えている。
死への恐怖は克服したつもりだったが "市の死" を想像すると途端に死ぬのが怖くなり僅かに震えている躰に気づく。
~~~[死を恐れては駄目だ、恐れは判断を鈍らし迷いは死をもたらす]~~~
猪丸の言葉が脳裏を過るが「(うるせぇよ・・、頭で判ってたってどうにもならねぇ事だってあるんだよ)」っと苛立ちがつい溢れてしまうと、
『武蔵、今から力んでいては満足な働きは出来ないぞ』
・
・
「師匠は怖くないんですか? 俺は師匠が、好きな女が死ぬかもって思うと正直怖い」
『潜って来た修羅場が違うからな、それに四六時中漆黒の闇に居ると肉体は当の昔に滅んで魂だけが生きる幻を見続けている・・、時折そんな事を考えるよ』
「師匠はちゃんと生きてますよ、綺麗な御御足も付いてるし何せこの俺が惚れるくらいだから!!」
『私は漣を探し求める事で己の生、存在する意義を確かめ様としているのかも』
「師匠にとって漣さんは唯一の希望ですからね! 俺じゃまだまだ力不足で不甲斐ないです」
『武蔵も希望に成ってるよ』
「えっ?!」
『どうした?』
「いゃ、少々ひねくれた師匠もたまには素直な事を言うんだぁ~って驚きました」
『ひねくれたは余計だろ? こう見えても女の端くれだからな、土壇場ともなれば素直に成るさ』
「じゃあ全てが無事に終わったら祝言と言う事で!!」
『考えておくよ』
「そこは考えるんだ・・(このひねくれ者め)」
『何か言ったか?』
「いいえ、師匠は相変わらず素敵です!」
・・・・・・・
谷底の断崖に大きな裂け目、その佇まいは冥府の番人が大口を開け全てを呑み込まんとしている様に見えた、武蔵は固唾を呑むと「ふぅ~~~っ」と大きく息を吐いて呼吸を整える、奥には微かに光が差し込めている事からここが砦への門口であろう事が容易に想像出来た。
「どうやらここで間違いありませんね、砦へ通じる抜け道は」
『猪丸の見立て通りか、大した漢だな』
「じゃあ行くとしますか?」
『気持ちは落ち着けたのか?』
「う~ん・・、まぁ程良い緊張って感じですかね? 反って弛み過ぎても駄目でしょうし」
『そうだな、では私を導いてくれよ、武蔵』
「はいっ! 師匠、では足元が滑り易くなってるのでこの手を取って下さい」そう言って手を差し出すと市は躊躇う事なく武蔵の手をしっかりと握った、(えっ??)
市の事、"バカにするな" と軽くあしらわれると思っていた武蔵は、(今日の師匠は本当に素直なんだな) っと妙な感動と若干の気恥かしさの中で、
(こうして師匠の躰に触れるのって温泉で背中を流した時以来だ、手を握ったのは初めてだし・・、でも細い指先だな、こんなに小さい華奢な手で乱世を生き抜いたんだ、ボロボロに傷付きながらもたった一人で・・)
そう想うと張り裂けんばかりの愛おしさに胸は苦しくなり、
(この命に代えても俺が師匠を守り抜く!!)
そう決意を新たにすると眩い光が二人を包み込んだ。
『武蔵、どんな様子だ?』
「中央に四・・、いゃ五人、そして櫓の上に一人、目に入るのは六人です」
(んっ? 磔台に人が縛られている・・、漣さんなのか?)
『漣が見えるのだな?』
「いゃ、ここからだとハッキリした事は言えませんが背格好からして恐らくそうかと・・、畜生めっ! 十文字の磔台に縛られた状態です」
市は胸に手を当て少し息苦しそうにしながらも、
『感じる・・、悲しみと絶望の中でも救いを求めている』
「どうします? 相手もこちらに気づいてるみたいですけど」
『昨日あれだけ派手な立ち廻りをしてはな・・、それに先程から物見の気配もあった、殺気が無かったので敢えて伝えなかったが』
「ここいらは奴らの庭ですからね、忍び相手に奇襲なんて無理筋だとは思ってましたがこうなった以上は正々堂々と行きます? いきなり矢や鉄砲が飛んで来るかもしれませんが」
『漣が囚われの身である以上はこちらから手荒なマネは出来ない、まずは交渉を試みる』
「話の判る相手だといいけど・・」
殺気を消し両手をだらりと下げる、目的は漣の救出であって戦では無い、しかし敵の本丸の中、何時どこから攻撃が加えられるかも知れない緊張の中をゆっくりと歩みを進めて行く、相手を刺激しない様に足音にすら気を使いながら。
砦の中央、男達と磔台に近付くにつれ疑念は確信へと変わった、(凄げぇ~まるで生き写しだ・・、漣さん、やっと会えた)
磔台に縛られていた少女は紛れもなく漣、その人だった、しかし今は目を閉じ微動だにしない、(まさか、手遅れだったのか?)
頭からスッポリと外套を覆う長身の男が口を開く、
{遅かったでは無いか、少々待ち草臥れたぞ、お前たちがここへ来た目的はこの小娘ではないか、名前は確か漣と言ったはずだが?}
その声に漣は閉じていた目をゆっくりと開らき朧気な視界の中で周りの様子を確かめる、幻龍と立ち並ぶ四人の忍び、それに対峙する男女の二人の姿、しかも女の佇まいは自分と鏡写しの様に全く同じであった。
(うっ、嘘・・?!)
目の前の光景が夢幻か現よなのか? その区別もままならないが漣の鼓動は一気に高鳴り血潮が全身を駆け巡る、青白かった頬が朱に染まり生気が呼び覚まされて行く。
『姉さん? 市姉さん・・ですか・・、本当に生きていた?』
『その声は・・漣か? 良かった、生きていたんだな・・』
漣の躰は震へ目からは大粒の涙が溢れ出す、
『姉さん・・、姉さんだ・・間違いない』
・
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『市姉さぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!!』
『漣ぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!!』
雄叫びの様に互いの名を呼び合う、十年もの間交わる事の無かった運命が重なり同じ時を刻み出す、しかしそれは思い描いていた再会ではなかった、漣は身の自由を完全に奪われ抱きしめる事も叶わない、市と漣の間にはまだ見えない大きな壁によって隔てられている。
{やはり片割れの一人か・・、あの時に死んだものとばかり思ったが生きていたとはな}
『漣は返して貰う!! 邪魔立てするなら斬る!!!!』
{戯けた事を、この娘は我々の仲間を二人も殺している、そしてお前たちは三人だ、おいそれと引き渡せると思うなよ!}
「俺達が殺ったのは二人だ! 一人は自害した!! 先に仕掛けられたのでやむを得ず応戦したに過ぎん! それに大切な仲間を一人失っている!!」
{我々の聖域を土足で踏み躙りよく言うわ! あれを見ろ!!}っと幻龍は上空を指し示すと、
{あの櫓の上にはこの娘に狙いを定め引き金を引かんとする者が居る、我らに指一本でも手出しすれば銃口は火を噴き鉛の礫が心の臓をえぐる!!}
『卑怯な・・!!』
「俺達はあの人を、漣さんを返して欲しいだけだ!! 戦をしに来たのでは無い!! 渡してくれれば引き下がる!!」
{虫のいい話だな、五人と一人の犠牲では釣り合いが取れん、埋め合わせはして貰うぞ!}
『解放の条件は?!!』
{・・、そうだな、その男、名を何と申す}
「むっ、武蔵だっ!!」
{では武蔵とやら、お主はここで切腹しろ、さすれば娘は解放してやる、どうだ、素晴らしい提案だとは思わないか?}
「なっ、何っ?!!!・・」
{介錯はそう、隣の娘、市・・と言ったか? お前に任せてやる、身内の手に掛かるなら本望だ・・}
しかし幻龍の言葉を遮り漣が叫ぶ!!
『いけません!! そいつは卑劣な男!! 約束など反故にするでしょう!!!』
『そうだ武蔵! こ奴の戯言など聞くだけ無駄だ! 切腹など断じて許さんからな!!』
「でっ、でもそれでは漣さんが!!」
『ダメだっ!!!!!!!!』
「・・・・」
『ここで死ぬならそれが運命だったのだ・・・・、漣、すまない、助けてやれなくて・・、でもこれだけは約束する、お前の命を奪った者を一人残らず私が殺す!!!』
『謝らないで、市姉さん、姉さんに一目でも会えたのがとても嬉しい・・、生きていて本当に良かった・・』そして流れ出る涙を止め様と静かに目を閉じる。
『市姉さん、さようなら・・・』
(どうすりゃいいんだ! 考えろっ 武蔵!!)
市は覚悟を決め『(漣が撃たれ様ものならその瞬間に斬り掛かるからな、武蔵)』っ呟く、
{こちらが譲歩した提案も交渉は決裂か? 残念だな、たかが田舎侍の腹一つで救えたのに愚かな事よ、では貴様らの望み通り処刑とまいるか・・}
そう言い終えると幻龍は右腕をゆっくりと挙げる、それが天高く頂点に達した時・・、
【ズダァァァーーーーーーーーーーーーーーン!!!!】
一発の号砲が鳴り響き市は幻龍目掛け疾風の如く斬り掛かる!!
・・がっ?!!!!
{なっ・・・・・??}
放たれた礫は幻龍の額の真芯を貫いていた、その孔からゆるりと溢れ出た鮮血は鼻の脇を伝い顎先から一粒滴り落ちると細身で長身の躰は立木が崩れる様に【ズシャン!】っと乾いた音を響かせ地面に突っ伏す。
『・・・・・?!!』
「いっ、一体何がどうなってるんだ・・、はっ?!」
武蔵は漣の安否を確認するが弾が当たった様子は無い、漣もまた何が起こったのか判らずただ磔台から横たわる幻龍を見下ろす。
うつ伏せで微かに指先だけが動く幻龍の元に忍びの一人が歩み寄ると頭を覆っていた外套を無造作に捲る、弾は額から後頭部へ抜けていた、完全に絶命した事を確認すると再び外套で覆い隠しピクリとも動かなくなった幻龍を哀れみや慈悲を捨て去った表情で見下ろしながら淡々とした口調で語り出す。
〈拙者は双龍と申す、こ奴は裏切り者ゆえ成敗した、それだけの事だ、あの娘に用は無い、好きにするがいい〉
しかし状況が呑み込めずに居た武蔵は、
「信じていいのかよ・・、理由はどうであれ俺達はお前らの仲間を殺しているんだぜ?」
〈忍びが闘いの中で死んだのなら致し方あるまい、それにこの里はもう終わりだ、こ奴の様な獅子身中の虫に蝕まれ何時しか武士としての矜持も失われた、弱き者から奪い女を犯す、これでは野武士と何も変わらん・・〉
『双龍殿、貴殿は真の侍なのだな』
〈侍も忍びも後の世には無用だ、乱世の終わりと共に消え去るのが運命、当に判っていながらおめおめと生き恥を晒したよ、だがそれも今日まで、我々はこの日この時をもって野に下るとしよう・・、 それより早くあの娘の縄を解いてやれ〉
【ブチッ、ブチッ・・・】
武蔵は漣を拘束していた縄を断ち切り身を自由にする、しかし立つ事もままならないほど衰弱しその場に蹲る漣を市はそっと抱きかかえた。
『やっと・・、やっと会えたな、漣・・』
『市姉さん・・、夢じゃないよね? 姉さんも漣も生きてるよね・・・・』
『夢じゃない、抱き締めてもいいか? 漣』
その言葉に漣は残された力を振り絞り自ら市を抱き寄せ耳元で囁く、
『ありがとう、姉さん・・』
『あぁ、懐かしい漣の匂いだ、十年前と変わらない、この温もりも何もかも・・・・』
だが互いの吐息が交じわる程の距離に居るのに一度として市と視線が合わない事に漣は気づく、
『・・、姉さん・・、もしかして目が・・』
『そう、全く見えてないんだ・・、十年前のあの日から』
『そうだったのですね・・、ごめんなさい・・、ごめんなさい・・・、姉・さん・・』
そう言い残すとまるで操り人形の糸が切れた様に【コクリッ】と項垂れ意識を失った。
「まっ、まさか死んでしまったのですか?!」
『大丈夫、呼吸も脈も安定している』
「じゃあ?」
『極度の疲労と緊張で一時的に気を失っただけだ、直に目を覚ます』
「そうですか、よかったぁ~」
『でも今日ほどこの盲の目を恨めしく思った事は無いよ・・』
「漣さん師匠とそっくりですよ、でも少しだけ漣さんの方が可愛いかもしれませんね!」
『武蔵っ!!』
「アハハッ、師匠には何時も意地悪をされてるからお返しです!」
『・・・・』
気づいた時には忍びの里から人気は無くなり市、武蔵、そして今は静かに眠りにつく漣、三人だけの静穏な時が流れていた。




