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武蔵と市  作者: KEN板屋
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漣は何処へ その三

翌日、朝日と共に出立した、もちろん銃声が轟いたあの谷に向けてだ、市の胸騒ぎは一晩中治まる事は無く昨夜は一睡も出来なかった、いゃ、市だけでなく武蔵や猪丸もロクに眠れぬ夜を過ごしたに違い無い、だが誰一人として疲れや眠気を口にする事も無く淡々と山を()りて行く。


『霜月にもなると夜はかなり冷えるな、猪丸は山で冬を越す事はあるのか?』

[それなりの備えをして数日なら山籠りをする事はあっても山を根城(ねじろ)に生活する事は無いな]

『猪丸でも冬山は厳しいか・・』

[厳しいのもそうだがマタギは狩った獲物を売ったり交換して米や野菜、味噌や塩を手に入れる、それにはどうしたって里に下りるしかない、それに山は怖いしな・・]

『山が怖い?』


[あれはマタギとして迎えた最初の冬だ、そん時のわしと来たら焦りや不安ばかりでな、(いくさ)じゃ数々の武功を挙げた弓も(けもの)が相手じゃ勝手が違う、小物は狩れても鹿や猪には全くと言っていいほど歯が立たない、あの日もそうだった、これと言った成果も無く食扶(くいぶ)ち分の(えもの)を片手に引き返そうとした時だよ、突然大きな牡鹿(おじか)に出くわしたんだ。

立派な(つの)金色(こんじき)に輝く稲穂の様な毛並みはまるで山の神と呼べる気高(けだか)さだった、しかも風下のわしには全く気付かずに木の皮を()み続ける、震えるほどの興奮で "奴を狩れたならマタギで食って行ける!" そんな願掛けで(みずか)らを鼓舞したのを覚えてるよ。

一心不乱に木の皮を()ぐ奴に狙いを定め(いち)()を放つも急所は外し()かさず放った二の矢はカスリもしなかった、奴は(あざけ)り笑うかの様に山奥へと消え去りわしは諦め山を()りる事にしたんだが・・]


『下りなかったんだな』


[あぁ、雪の上には奴の足跡と赤い血が点々と残されていた、それを見て欲が出たんだ、"手負いの鹿なら仕留められる" っと、

その時には日は傾き雲行きも怪しかったが(はや)る気持ちを抑へられなくて、だが追っても追ってもあの牡鹿が(ふたた)び姿を現す事は無く体力はみるみる(けず)られて行く、やがて日は落ち足跡も追えなく成る、ここでようやく過ちに気付いたんだ、もう山を下りる事すら出来ないと・・・、

それでも一晩位どうにか成るさ! っと思った矢先に突然の地吹雪、猛烈な風と寒さで右も左も判らず "もはやこれまで" っと死を覚悟した時だったよ、たまたま足を滑らせ落ちた処が()きの熊穴で命拾いをしたんだ]


『そうか、しかし失った物も大きかったな』

[市師匠は何もかもお見通しか]

『足音で薄薄(うすうす)勘づいてたよ、凍傷だろ?』


[足の指が鼻糞みたいに真っ黒、それが日が()つにつれ一本落ち二本落ち結局は四本を失った、まぁ命の代償なら安過ぎるが残された指じゃどうしたって爪先(つまさき)の踏ん張りが()かず山登りが苦手だ]


「知らなかった、昨日はやけに辛そうにしてるとは思ったがそんな事なら言ってくれよ」

[気を使われるのは()かんし(おのれ)の慢心が招いた結果じゃ武勇伝にも成らん、しかしあの時ほど死を恐ろしく感じた事は無かったな・・]

(いくさ)よりもか?」

[戦の恐怖なんざ屁みてぇなもんさ、高揚感で誤魔化せるしいざとなりゃ逃げ出しちまえばいいしな、しかし嵐の中に一人取り残されると頭ん中は妙に冴えてるのに逃げる事すらままならん、寒さと死の恐怖に震えながら神だか仏に(すが)るだけだ、己が如何(いか)にちっぽけな存在かを思い知らされたよ]


〔そんな事無い! おっちゃんは一流のマタギだよ!!〕

[わしが一流なのは弓の腕だけ、マタギとしては学ぶ事だらけだ、小太郎! お前はまだ若いしこれからもどんどん伸びる! わしを超えるマタギに成れよ!! だがこれだけは(きも)に銘じておけ、"マタギは山に(したが)い、山を(おそ)れ、山の恵みに感謝する" 山を支配しようなんざ(おご)った者に自然は必ず牙を剥くんだ、覚悟しろよ!]

〔ウンッ分かったよ! おっちゃん!!〕


『では自然が牙を剥くまであまり余裕は無いな・・』

[あぁ精々あと一月(ひとつき)師走(しわす)に入ると極端に寒く成るし食べ物も手に入り辛くなるからなぁ]

一月(ひとつき)かぁ・・』


残された時間に焦る気持ちとは裏腹に今から向う谷に、あの銃声の渦中に漣が居たとしたら? そう考えると不安ばかりが増して行き足取りは重くなる。


・・・・・・・・


大夫(だいぶ)下りて来たな、どうだ猪丸、辛くは無いか?」

[登りに比べれば楽なもんよ、それに気を使われるのは()かんと言っただろ? (かえ)って調子が狂うから放っといてくれや]

「ははっ、猪丸らしいな、じゃあそうするよ!」

〘ししまる~大丈夫? 花は心配してもいいよね?〙

[もちろんだとも! 花は可愛いからうんと心配くれ!]

〘わーーーーーい!!!〙

「なんじゃ、そりゃ・・」


〔おっちゃん見てよ! 煙だよ!!〕

そう小太郎が指し示す先には(かす)かではあるが煙が立ち登っていた。


「本当だ煙が見えるぞ! やったな猪丸!!  それとも里でもあるのかな?」

[こんな山奥に里だと? こりゃ相当ヤバいかもしれんぞ・・]

「ヤバいって、探してた煙じゃないか?」

[昨日聞いた鉄砲の音、そして昼間から警戒もせず煮炊きしているって事は野武士が巣食(すく)って居るかもしれん]

「じゃあどうするんだ、あそこに漣さんが居るかもしれんのだぞ! 今更(いまさら)()じ気づいて引き返へそうって言うのかよ?」

[わしだって駆け付けてやりたいよ! でもあれが野武士のアジトだとしたらどうする! 数も武装も判らねぇ相手とまともに()り合おうってぇのか? こっちは花や小太郎だって居るんだぞ!!]

「そっ、そりゃ・・・」


『猪丸の言う通りだ、これ以上進むのはあまりに無謀、私一人の為に皆を危険に晒す事は出来ないよ・・』

「ここで諦めるって言うんですか? 師匠」

『いゃ、ここから先は私一人で行くよ、あそこには漣が居る、きっと助けを待って居る、何故だか判らないがそう感じるんだ・・、だから皆とはここでお別れだ』

「馬鹿言わんで下さい、その目じゃ辿り着くだけでも無茶なのに、俺は行きますよ!」


『死ぬかもしれんぞ、武蔵』

「構いません、あそこが野武士のアジトなら幾ら師匠でも勝ち目が無い、むざむざ犬死にするつもりですか?」

『勝ち目が無いなら尚の事だ、死ぬのは私一人でいい・・』

「一人じゃ逝かせませんよ、最初に言ったでしょ、地獄の果てまで付いて行くって」

『大馬鹿者だな、お前は・・』

「馬鹿で結構、でも運よく生き残れたら俺と祝言して下さいね!」

『考えておくよ』

「よっしゃあぁぁーーーっ!!」


『猪丸、こんな事を頼めるのは猪丸しかいない、花と小太郎の事をよろしく頼む』

[それは構わないが・・、でもよ・・]

「おっと猪丸よ、やっぱりわしも行く何て言うなよ、猪丸だから二人を任せられるんだ」

『そうだ、負い目に感じる事など無いのだからな、むしろ猪丸には感謝しかない、そして花、小太郎、猪丸の言う事をよく聞いて・・』


〔やだねっ、おいらも行くよ!!〕

〘花もイヤだ! 市ちゃんもムサシも一緒がいい、さよならしたくない・・〙


「我儘を言うな、二人が居たら足手まといなんだ、判ってくれよ・・」

〔みんな仲間だろ! 家族だろ! おいらずっとそう思ってたんだ!! 何で一番大事な時に離れ離れなんだよ!!!〕

〘市ちゃんは花の事を守るって約束した! 約束したよねっ!!!〙

そして花は泣き出した、花が泣くのを見たのは出会った時、親が亡くなった事を伝えた時以来だった、そんな辛い想いをした幼子が今まで泣くのも我慢していた事に市の心が痛んだ、そして花を抱き寄せ、

『そうだったな、約束は守らないと、一緒に行こう花・・、小太郎も来てくれるか?』

〔もちろんさ!!〕

「師匠っ、それはいけねぇ、危険過ぎる!!」

[いいんじゃねぇか武蔵、二人は自分で決めたんだ、だったら危険も承知の上さ、それに様子見迄だ、本当にあそこが野武士のアジトならわしは花と小太郎を簀巻(すま)きにしてでも逃げるからな、悪く思わんでくれよ!]

『それでいいんだよ、猪丸』


武蔵は【ふぅ~~~っ・・】っと大きく息を吐き、

「本当にどうなっても知らんからな! だがそうと決まったのなら行くとするかっ!!」

[あぁ行こう、鬼が出るか(じゃ)が出るか、この目で確かめる迄は判らんからな!]


(間違いない、あそこには漣が居る、今行くからな・・)


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