( 第二幕 ) 漣は何処へ
一縷の望みを託しここ東都まで来たものの漣の失踪によって一度は心が折れた市だったが武蔵の励ましもあり再び旅立つ決意をする、だが漣は今どこに居るのか? 何をしているのか? そしてどんな人生を歩んで来たのかと想うと心の中は不安で一杯だ、しかしこの旅の結末が望まぬものであったとしても武蔵、猪丸、そして小太郎と花、この仲間達となら乗り越えられる、そんな気がした。
「師匠!! また新たな旅が始まるかと思うと俺は喜びと興奮で身震いしますよ!」
『武蔵を見ていると自分自身もその悩みも小さな物に思えてくるな』
「それって褒めてますよね?」
[市師匠にとっちゃ最大限の賛辞だろうよ]
「猪丸に聞いてないわっ! さて、これからどこへ行きましょう? 古今東西山のテッペンから海の果てまで俺は師匠に付き従いますよ!」
『まずは漣の家からだ、何かしらの手掛かりが有るかもしれん』
「えっ?! 漣さんの家を知ってるのですか?」
『奉行所で見分に訪れた人の一人から教わったよ、箇条書きはここにある』
「ふぅ~ん、そうなんですか・・」
『どうした? 浮かない返事だな』
「いゃ、東都ではこれまで以上に師匠の力に成ろうとハリキッてたけど俺ってあまり役に立ててないなぁ~とか思ったりして」
『そう言われてみればそうだな』
「えぇぇぇーーーーーっ!! そこは否定して下さいよ!」
『事実だからな、まぁ今後の活躍に期待するよ』
〘ムサシがんばれぇ~〙っと花が励ますと一同大笑い、その中で武蔵は一人苦虫を噛み潰したような顔をするしかない。
[ところで発つ前に市師匠には煩わしくてもこれを着けて貰おう]と猪丸は頬被りを取り出した、
「何に使うんだよ、そんな物?」
[何って顔を隠すんだよ、あの様子じゃ都中に人相書きが出回っている、その都度騒ぎになったら面倒だ]
『武蔵もこうした気配りが出来る様になれるといいな』
「はぃはぃ判りました、さぁ行きますよ!」
朝から少々ご機嫌ナナメの武蔵であった。
・・・・・・・
町の賑わいからは外れにある民家が疎らな処、そこに佇む古びた家屋が漣が東都で七年を過ごした場所、だが今は主を失いひっそりと静まり返っている。
「ここですね、漣さんの家は・・、僅か数週間前にはここに居た、そう思うと正直悔しいですけど」
[覆水盆に返らずってな、過ぎ去った事を悔やんでも始まらん]
『そうだな、早速調べてみるか?』
家の中は薄暗くひんやりとした空気が漂っていた、だが市にとってはどこか懐かしい匂いに感じられ、
『不思議と落ち着くな、ここは・・』と小さく呟く、
「もしかして判るのですか、漣さんの残り香とか?」
『そう想いたいだけだよ・・、ところで家の中はどんな様子だ?』
「単刀直入に言えばスッカラカンですねぇ~、何もありません」
[ 主が居ない間に粗方盗まれたのだろう・・、しかしこれでは何も無さそうだな、着物はおろか茶碗一個、箸一膳すら残ってないぞ]
『そうか・・』
「取り敢えず何か手掛かりがないか探してみますよ、そう手間も掛からず終わるでしょうし」
『頼むよ、探し物は苦手だ・・』
生活感の無いガランとした家の中を隈なく見て回るが何かが出て来るはずも無く諦め掛けた時だ、表で遊ばしていた小太郎が飛び込んで来て〔ねぇ、家の裏に人形が立ってるんだ、何かのおまじないかなぁ?〕
「人形だって?」
皆でその人形とやらを見に行くと小太郎が指刺し〔ほら、これだよ!〕
〘花がさいしょに見つけたの、すごいでしょ!!〙
「何でこんな処に人形があるのだろうな?」
[盛り土に成ってるし亡くなった養父の墓ではないか? ほれっ、この萎れた草はおそらく花だろう?]
「なるほど、花を手向けるって事は墓で間違い無さそうだ、じゃあこの人形は観音様の代りってとこかな?」
[まぁそんな処か・・]
市は跪くと手探りで優しく人形を触れ掌で墓の盛り土や枯れた草花を慈しむ様に撫でる、それは紛れも無くこの場所で漣が生きていた証、その跡形を肌で感じた市の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
(師匠の涙、初めて見たかも・・)
「師匠、漣さんは悪い人なんかじゃ無い、こうして養父を悼み花を手向ける心優しい人です、何か面倒な事に巻き込まれているんだ、俺たちが救ってあげましょう」
『そうだな、信じてやれなかった自分が恥ずかしいよ、漣に会いたい、今はそう強く想う・・』
市は手を合わせ養父への感謝と冥福を静かに祈る、
(漣を守って頂きありがとうございます、どうか安らかにお眠り下さい、そして願わくば漣の元へ導いて下さい・・)
・・・・・・・
[しかし参ったなぁ~、探そうにも何一つ手掛かりも無ければ身動きが取れんぞ]
「これからどうすりゃいいんだろうなぁ~・・」
突き付けられた現実に一同は頭を抱えた、この家に残されていたのは養父と思しき墓と人形だけ、これではどうする事も出来ずその場に座り込みただ夕焼け空を眺める、遠くでカラスが鳴いているが今の市たちには戻るべき場所も無ければ向かうべき場所すらも無い。
待てど暮らせど誰の口からも妙案が出るはずも無く時間だけが悪戯に過ぎたその時にやや年増の女が訝しげにこちらの様子を伺っていたかと思うと市を見るなり血相を変えどんどん近寄って来るのだ、
(マズイ、師匠頬被り外してるよ、こりゃ騒ぎになるぞ?!)
女は迷うこと無く市の目前に来ると両肩をがっしりと掴み、⦅どっ、どうしたんだい、漣ちゃん!! 突然居なくなったかと思えば急に現れたりしてっ! 凄く心配したんだからね!!⦆
そして大きくふくよかな体で市を力一杯抱きすくめ、
⦅もうっ! この子ったらぁぁーーーっ!!⦆
(漣さんの知り合いか? っにしても師匠苦しそうだ・・)
『うぷっ、私は漣ではありません、漣の双子の姉で市と言います!』
⦅えっ?! 双子の姉、漣ちゃんじゃ無いの? ・・・本当にぃ?⦆
女は市の顔をまじまじの覗き込み⦅そう言えば少しだけ雰囲気が違う様な・・、でもよく似てるわぁ~⦆
市は軽く咳払いをして呼吸を整えると、
『妹の漣を探し求めここ東都まで来たものの行方が判らず途方に暮れていました・・』
[間違えるのも無理もないがこの人は漣では無いので騒ぎを大きくしないで貰えるかな? 実は昨日しょっ引かれたばかりなんだ]
⦅漣ちゃん・・、じゃない、市ちゃんだっけ? この人達は?⦆
『私は目が不自由なのでこの者達の力を借りてここまで来ました』
⦅あんた目が見えないのかい?! それは大変だったろ、折角ここまで来たのにこんな事に成ってさぞ驚いたんじゃ無いか?⦆
[奥方、もし漣について何か知ってる事があれば教えて頂けないだろうか? わしらはどんな些細な事でも藁にも縋る想いなのだ]
⦅奥方なんて背中が痒くなるからよしておくれよ、あたしはトメで通ってるんだ、そう呼んでおくれ!⦆
[ではトメさん、漣について何か知ってる事は無いだろうか?]
⦅漣ちゃんを知る人は皆驚いてるよ、お役人を斬り付けた何てさ、でもそんな事をする娘じゃ無いんだよ!⦆
「やっぱり何かの間違い?」
⦅あぁ、漣ちゃんは控え目な処があったけど愛らしくてね、この辺じゃちょっとした人気だったんだよ、密かに想いを寄せる男も多くてさぁ~、大きな声じゃ言えないけどあたしの息子も漣ちゃんの事が好きみたいでね、用も無いのに家の周りウロウロしたり薪割りや水汲みを買って出たりしてさぁ、家の手伝いはロクすっぽしないによぉ、だから内緒にしているつもりだろうけど母親からしたらバレバレなの、ウフフッ、でもねぇ~、漣ちゃんはあんまり色恋に興味が無いのか恋人は居なかったみたいだしとっても可愛いのに紅一つ引かないで作務衣ばっかり着てたから少し変わった処はあったわね⦆
(流石におばちゃん、無駄話が多いな・・・)
⦅あと養父のお爺ちゃんととっても仲が良くてねぇ~⦆
『養父と言うのはあの墓に居る人形師の人?』
⦅そうそう、あんまり仲が良いんで血は繋がって無いって聞いた時は驚いたよ、でもそのお爺ちゃんが寝た切りになってさぁ、漣ちゃんが付きっ切りで身の回り世話をして居たんだよ、でも亡くなった時は本当に悲しんで気落ちしてね、見ているこっちが辛いくらいだったのさぁ、そんな優しい娘が理由も無く人様を傷付けるもんですか!!⦆
『もう一つ、ここで遊女と一緒に居たかはご存知無いでしょうか?』
⦅さぁ、あたしは見て無いけどお役人が五六八って言う遊女の人相書きを持って探してたからその人の事かな? 何か家の中や納屋までジロジロと見られて嫌な感じだったわぁ~⦆
『そうですか・・、他には?』
⦅あっ! そうそう、お役人が斬られた後に女が二人、いや三人っ言ってたかな? とにかく人が逃げるのを見たって人が居てね、それが漣ちゃんとその遊女かは分らないけどあの西の山の方だったとか?⦆
ようやく出た手掛かりに市と武蔵の鼓動は一気に高鳴る。
『その事はお役人には伝えましたか?』
⦅いいや、皆漣ちゃんの事が好きだったからね、訳あって逃げたいのなら逃がしてあげたくてさぁ⦆
「やりましたね! 師匠、西の山だそうです!!」
[おいっ本気か武蔵、その女が漣と五六八かなんて判らんし三人なら辻褄が合わんぞ?]
「でも今の俺達はこれに賭けるしかない! 賭けてみましょう!!」
『・・、そうだよな、何れにせよそれに賭けるしかないのだよな』
「そうですよ!!」
『トメさん、色々と教えて頂きありがとうございます!』
⦅困った時はお互い様じゃないか、もし漣ちゃんに会えたらよろしく伝えておくれ、あとここへは戻らない方がいい、漣ちゃんの事は信じてるけど道理だけが通る世じゃ無い、お役人が斬られたのは事実みたいだしその責めは誰かが負わねば面目が立たないからね・・、もう漣ちゃんに会えないのは淋しいけどどこか遠くの町で達者で暮らして居ればあたしは嬉しいよ⦆
『判りました、必ずそう伝えます!』
市たちは西の山へ向かった、それが本当に漣が向かった先なのか確証は無い、ただじっとしては居られなかった、この先幾多の困難が待ち受けていようとも覚悟の上、市の表情はどこか晴れやかだった。
「師匠、漣さんが信じた通りの人で安心しましたね」
『それもあるが漣が養父や周りの人々に愛され幸せな時を過ごしていた事が何よりも嬉しいよ』
「そうですね、漣さんは幸せそうでした、でも今は辛い想いをしているかもしれません、一刻も早く見つけないと!」
[う~む・・、簡単では無いが山に逃げ込んだのであればまだどこかに隠れて居るかもな、人目を避けるにはそれが一番だ]
〔おいらだって漣って人を探すよ!〕
〘花もがんばる!〙
『よろしく頼む、だがくれぐれも無理はしないでくれ』
「師匠の為なら無理も承知で頑張りますよ! 見事に漣さんと出会えた暁には俺と祝言してくれますか?!」
市は顔を真っ赤にし『それとこれとは話が別だ!!』
〘えぇぇーーーーっ!!! ムサシって市ちゃんの事が好きだったの? でも市ちゃん美人だからムサシじゃもったいないよぉ~〙
これには一同大笑い!! 武蔵は本日二度目の苦虫を噛み潰したような顔をするのだった。