五六八(いろは)
~ ( 回想・一ヶ月前 ) 謎の来訪者 ~
捨楽が亡くなってもうじき二年が経つ、漣は十七歳に成っていた。
あの暴漢の一件以降は何事も無い日常が続いていた、だがそれは平穏であっても満ち足りた日々とは言い難い空虚な時間、今の漣に家族はいない、頼れる人もいない、友達や好きな人もいない、漣は孤独だったのだ。
意味を持たずに過ぎ去ってしまった七百日余りに言い様ないやるせなさを感じていた時にその人は現れた、捨楽の墓の前に佇む一人の女の姿が。
『すみません、家に何か御用でしょうか?』
女はゆっくりと振り返る、とても綺麗だがどこか憂いのある人だった、女は漣と目が合うなり、
〖あんたこの家の人?〗っとややぶっきらぼうに尋ねて来たのだ。
『はい、そうですが何か?』
〖いゃ何でこんな処に人形が立っているのかなぁ~っと思ってさ、だって不思議じゃない? だから眺めてたんだ〗
『そこは養父のお墓なんです、養父は人形師でその人形は養父の作品なので』
〖ふぅ~んそうなんだ、何かこの人形さぁ、あたいに似て薄汚れているから親しみを感じるんだよねぇ〗
確かに人形は二年近くも野晒しなのでかなり汚れては居たがその女性の身なりは小綺麗で年も若い、何で "薄汚れている" と言ったのかその時の漣には理解出来なかった。
『この人形は十年、二十年したら土に還ると思います、人形好きの養父が怒るかな? って思ったのですけど一つ位は一緒に居させてあげたくて』
〖そうか、この子は土に還るのか、いいねそう言うの、きっと喜んでくれるよ〗
この言葉は正直嬉しかった、義父を想ってした行動を素直に認めてくれたのだから。
〖ところでさぁ、あたい今日寝る処が無いんだよね、何日かで構わないから置いてくれない?〗
『えっ・・あっ、はい、何日かでいいなら』
普段なら女性とは言へ見ず知らず人を泊めたりはしない、だが孤独で話し相手が欲しかったし人形の事で気を許していた漣は即座にそう応へていた。
〖ありがとう、あたい五六八って言うんだ、五、六、八って書いて五六八、十九歳、よろしくね〗
『私は漣です、十七になりました』
〖レンちゃんかぁ、じゃあ暫くお世話になります!〗
・・・・・・・
数日の約束で始まった五六八との共同生活だったがこの家に住む様になりかれこれ一週間が経つ、五六八はさほど饒舌では無かったが漣の問い掛けに普通に対応してくれるので毎日が少し楽しくなっていた、それにある程度お金は持っていたので負担を掛ける事も無かったのだが不思議な事に日が高い内は家から一歩も出ようとはしない、日が暮れてから近場をフラリと散歩するか夜風にあたりながら虫の声に合わせ鼻歌を歌っている、その姿が妙に艶やかで (大人の女性って五六八さんみたいな人を言うのかな?) っと何時も作務衣ばかりで色気に目覚めない自分が見劣りする様で気恥ずかしくもあった。
そして今宵も軒下に腰掛け月夜を眺めながら鼻歌を口ずさんで居る、月明かりが照らす五六八の佇まいは何時になく神秘的で (やがて月よりの使者が迎へに来たりして?) 何てかつて読んだお伽噺を思い出していると不意に五六八が問い掛けて来たのだ。
〖ねぇ漣ちゃんさぁ、あたいの事を何も聞いて来ないよね、どうしてなの?〗
『五六八さんの人となりに興味が無いからです』
〖ははっ、漣ちゃんて嘘が下手だよねぇ~、そんなハズないじゃん、どこの馬の骨かも分からない女が転がり込んで来たら普通気になるでしょう、もしかしたら人を殺めているかもよ?〗
そう言って五六八は悪戯な笑みを浮かべている。
『・・・・・、誰にだって触れられたく無い過去はあります、漣にだって・・、でも養父は何も聞かなかった、だから五六八さんにも聞きません』
〖養父ってあの人形の下に埋まってる人だよね? しかし漣ちゃんも訳ありなんだぁ~、まぁそうでもなけりゃぁこんな処で一人暮らししてないか〗
『ここは義父との大切な場所なんです、そんな言い方しないで下さい!』
漣のちょっとした剣幕に少し驚いた様子の五六八だったが軽く頭を下げると、
〖ごめんよ、あたい育ちも頭も悪いから言葉使いがなってないんだ、堪忍しておくれ〗
『いいんです、漣も強く言ってごめんなさい、何か義父の事になると感情的になっちゃって・・、
でも五六八さんがお話ししたいのならどうぞお気遣い無く、人の話を聞くのは嫌いじゃ無いので』
〖ん~どうしよっかなぁ~、今日はおしゃべりしたい気分なんだよねぇ、でも折角だから漣ちゃんから "聞かせて!" ってお願いして欲しいなぁ~〗
(うわ、面倒クサッ)『じゃあ五六八さんについて聞かせて下さい、お願いします!』
〖もぅ~しょうがないなぁ~、漣ちゃんたら〗
『・・・・』
〖あたいさぁ、売られたんだよ、オヤジに〗
『えっ?!』
〖ウチのオヤジはてめぇの酒代欲しさに娘を売るクソ中のクソでね、まだ十三の娘を女郎宿に売り飛ばしたのさ、それがあたい、分けもわからず女郎の世界に入って六年かな? その間男を喜ばす術しか教わらなかったよ、だからあたい文字も読めないんだ〗
『五六八さん、やっぱり止めましょう・・』
〖いいんだよ、今日はおしゃべりしたいんだから、あと五六八は源氏名ね、バカでも一から十までは書けたからあたいが付けたの、結構気に入ってるんだ、クソが付けた名は肥溜めに捨てたから、それでさぁ、ついこの間に身請けが決まってね、身請けって分かるよね?〗
『あっ、はい・・』
〖漣ちゃん賢いから知ってるか、でね、最初はちょっと嬉しかったんだよねぇ~、年季明けまで辛抱したところであのクソオヤジの事じゃまたどこかへ売られちまう、いゃ売られるならまだマシか、もしあんな奴に手篭めにされたらきっと殺しちまう、それほど憎んでたし・・、
だったら身請けもいいかなぁ~って、それに相手はジジィだけど凄い金持ちで蔵を三つも四つも持ってるんだよ! 妾も何人も居てさぁ!!〗
『・・・・・』
〖でも結局は同じなんだよ、女郎も妾も、スケベジジィの慰み者になって飽きられたらポイッさ、その頃には女としての値打ちも無けりゃぁ女を使う以外に何も知らない・・、そんな事ばかり考えてたら全てが嫌になって気づいたら女郎宿を飛び出してた〗
『それで家の裏に居たのですか?』
〖そう、だから漣ちゃんには感謝しているんだぁ~、あたいには帰る家も無ければ女郎に戻るのも嫌、身請けにも行きたくない、あたいの居場所なんてどこにも無いんだよ〗
・
・
『五六八さん、行く処が無いならずっと居させてあげたいけど何年も何十年も隠れて暮らすなんて無理だと思います、ここじゃ何れは見つかっちゃう・・・・、
それに今預かっているお金が尽きたら働いて貰わないと困る、漣一人の生活だって正直楽じゃないので』
〖漣ちゃんてホント優しいよね、言い辛い事でもちゃんと言ってくれる、大丈夫、落ち着く先を見つけたら出て行くから・・・、
でももう暫くだけ匿って、お願い!〗
そう言い軽く手を合わせペロっと舌を出す、甘える様な上目遣いの "お願い" は妖艶な色気とは真逆の少女の可愛らしさでつい絆されてしまう、
(もう、調子いいんだからぁ)『はいはい、もう暫くですよ』
〖でも漣ちゃんて愛らしいよねぇ、モテるでしょ?〗
『モテません』
〖嘘だぁ~漣ちゃんが女郎になればアッと言う間に売れっ娘だよ〗
『なりません!』
〖ねぇ漣ちゃんて生娘?〗
『いっ、いきなり何です?! そんなの答えません!』
〖ふぅ~ん、生娘なんだぁ~、いいねそう言うの、大切にしなよ〗
『言ってません! それとも未通女だからって馬鹿にしているのですか!』 (あっ?!)
〖・・、バカになんかしない、羨ましくってさぁ、あたいは十三で直ぐに客を取らされてその時は男と女が何をするのかも知らなかったんだよ、だから怖くて痛くてただ泣きじゃくってた、そんなあたいを見て男は余計に喜んでたけど・・、あんな獣の交尾じゃ無くて漣ちゃんには好きな人と楽しい "まぐわい" をして欲しいなって〗
『余計なお世話です!!』
・・・・・・・
そんな砕けた会話で互いに少しは打ち解けた翌日の事だった、漣が庭先で洗濯をしていた時に一人の男が訪れたのだ、整った身形、腰に差した刀からお役人であろう事は直ぐに判った、言い様もない緊張感に震えそうな声と体を必死に抑へて平静を装う。
〈すまぬ、人を探しているのだが少し手間を取らせるがいいか?〉
『あっ、はい』
〈この人相書きに見覚えは無いか? 五六八と言う遊女の女だ〉
(五六八さんだ・・)
『さぁ、知りません、その人がどうしたのですか?』
〈うむ、実はな、忽然と姿を消したのだ、まぁ女郎宿から抜け出す遊女は多いがこ奴は身請けが決まっていてな、身請け元から探して欲しいと依頼を受けこうして居る分けだ〉
『ごめんなさい、私には何も判りませんので・・』
〈そうか、処でこの家の家主は?〉
『私ですけど』
〈他に同居人は?〉
(ドキッ!!)『居ません・・』
〈何っ?! 若い娘が一人で住んでいると言うのか?〉
『はいっ、駄目でしょうか?』
〈駄目では無いが不用心だな、少し家の中を見させて貰うがいいか?〉
(まずい、五六八さんが見つかっちゃう)
『家の中は困ります! えぇ~と、その・・、(あっ!) 実はシラミが一杯居て大変なんです! お役人様が噛まれたら申し訳ないので入らない方が・・』(何よこれぇ~、もっとマシな言い訳がなかったの)
〈お前、何か隠しているのでは無いか? まぁよい、見させて貰うぞ〉
『だっ、駄目です!!』漣は両手を広げ役人の前に立ち塞がるが、
〈えぇいっ邪魔だっ! どけ!!〉
【ザザァァァーーッ!!】
強引に押し除けられると勢い余って横っ倒しになり、
『痛いっ!!!』
〈何だ、こ奴は?〉
入口を塞ぐ様に白虎が立っていた、そして刃が開かれた腕を真上に振り上げる、
(あっ、ダメだ・・)
『白虎っ!! ヤメテェェェーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!』
【シュバァッ!!!!】
絶叫と時を同じくして白虎の刃は上から下に垂直に振り下ろされてしまう。
・
・
・
・
【ポタッ・】
【ポタッ・・、ポタ・・・・、ボタッ・】
役人の鼻頭は真っ二つに裂け血が滴り落ちる、自身の身に何が起きたのか確かめ様と鼻を抑えた、するとその手は真っ赤に染まり役人の顔はみるみる青褪めて恐怖や怒りの形相へと豹変する。
〈おっ、おのれぇぇ~っ、怪しげな術を使いよって!!〉
摺り足でジリジリと後退ると白虎との間合いを取った処で踵を返す、みるみる遠退く後ろ姿をただ見送る他無くその道すがらには滴り落ちた血が生々しく残されていた。
取り敢えず五六八は守れたがこれが如何なる結果をもたらすのか直ぐに整理など出来るはずも無い、しかし危うい事だけは家の中から出て来た五六八のただならぬ様子で判った、五六八は強張った表情と震える声で、
〖れっ、漣ちゃんまずいよ・・、お役人を斬っちゃうなんて・・〗
『えっ?!』
〖捕まったら打ち首になるかもしれない・・、いゃ、絶対に打ち首だよ!〗
『うっ、うちくび・・?』
〖漣ちゃんとにかくここを離れよう、直ぐに追手が来る、捕まったら最期だよ!〗
五六八は言う事は決して大袈裟では無い、役人に対する狼藉、しかも申し開きも無い状況では打ち首が相当だろう、漣はようやく全てを理解し驚愕した。
漣と五六八、そして白虎は逃げた、都から一歩でも離れなければならない、少しでも遠い処、人目の無い処へ、まるで十年前のあの日の様にただ闇雲に逃げるしか無かった。




