小太朗(こたろう)
市たち一行は大きな宿場町に居た、久々の賑わい、世話しなく行き交う人々の息づかいや呼び込みの掛け声、馬の嘶きに心が躍る、花はこれほど大勢の人を見るのは初めてなのだろう、キョロキョロと辺りを見回して落ち着きがない。
「活気があって良い宿場町ですね、師匠!」
『そうだな、蹄や荷車の巻き上げる土煙り、人の汗の匂いで私は酔いそうだよ・・』
[都が東に移ってからはこっちはどんどん栄えるな、でも東都はこんなもんじゃ無いらしいぜ! 嘘か本当か知らんが百万の人が居るって話だ!!]
「百万!!! それってマジかよ!」
[実際に数えた分けじゃないだろうがそれ位多いって事さ、確か武蔵は以前に行ったんだよな? 東都]
「俺が行ったのは十年近く前だ、家を飛び出して大きな町に行けば仕事もあるかと思ってな、でもその頃は都に成る前だし立ち寄った程度だから実の処よく知らん」
『てっきり詳しいのかと思ったが見当違いか・・』
「大丈夫ですって! 漣さんは俺が必ず見付け出しますから!!」
(万が一ならぬ百万分の一の人探しかぁ、ましてや武蔵が相方だと先が思いやられるな・・)
『あぁ・・、頼りにしている』
市は力無くそう応えるしかなかった。
[ところで武蔵、久々にどうだ?]っと言いながら指先でお猪口をクイッとする動作を見せる、
「もしかして酒か? そりゃ呑みたいのは山々だが銭はどうするよ? 予め言っとくが俺は一文無しだからなっ!」
[それが有る処には有るんだよ]
猪丸は懐から銭袋を取り出し得意気に【ジャラジャラ】と振って鳴らした。
「おぉぉっ猪丸! 愛してるぞーーっ!!」っと力一杯に抱き付くと、
【ボカッ!!!】
[気色悪りぃんだよ!!]
「痛ってぇーよ、洒落の判らねぇ奴だな・・、ところで師匠はイケる口ですか?」
『私は遠慮しておく、二人で楽しんでくれ』
〘花もおさけのむーーーー!!〙
[花はまだお預けだ、悪く思わんでくれよ]
〘なんでよーーーーっ!! ししまるのイジワル!〙
膨れっ面で【プイッ!】とソッポを向かれた、
[参ったなぁ~、こりゃ・・]
「さ~け、さ~け、さ~け、ところで銭はどうやって稼いだんだ?」
[毛皮は結構金になるし鹿の角は刀を置く台座にすると武家が喜んで買ってくれるよ、あとは百姓相手に斤や鍬の修理とか出来る事は何でもやる]
「ふ~ん、俺もマタギに鞍替えしようかな?」
『そうだな、侍より向いてるかもしれんぞ』
「師匠、しれっと酷い事を言ってません?」
『気のせいだ』
「まぁいいか、あっ、そこの呑み屋にしようぜ!」っと店を決めた時だ、
【ドンッ!!!!】
子供が勢いよく猪丸にぶつかると詫びを入れる事も無く一目散に走り去ってしまう・・、
[おいっ!! 気を付けろや、んっ?]
「どうしたんだ、猪丸?」
[ 盗られた、銭袋が無い・・]
「えっ、ひょっとして今のガキか?! 野郎ぉ~~っ貴重な酒代を! 待ってろ俺が取り戻す!!」
武蔵は脱兎の如く駆け出す、脚には自信があった、あの地獄の様な戦場、そして落武者狩りからも逃げ切り命を繋いだ脚だ、(絶対とっつかまえてやる!)
しかし敵もさることながら縦横無尽に素早く駆け回りなかなか距離が縮まらない、(こうなりゃ根比べだ、逃げ切れるもんなら逃げてみろ!)
しかし勝負は割と呆気なかった、すばしっこいとは言え所詮は子供の脚、幾多の死線を潜り抜けて来た武蔵とは自力がまるで違う、ついに追い詰められ観念したのか地べたに膝を落とし【ハァッ、ハァッ】と荒い息遣いで大きく肩を揺らしながら睨む様な眼つきで武蔵を見上げる。
「どうやら年貢の納め時だな、さぁ、出して貰おうか?」
しかし【バンッ!!】と両手を地に付け土下座になり叫ぶっ!
〔お願いだっ!! 見逃してくれ!!!!〕
「俺らは旅の者だ、先を急ぐし銭さへ返せばお前をどこかに突き出すなんて考えてねぇよ」
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〔銭は、返せない・・〕
「はぁ? この場に及んで何言ってやがる!!」
すると武蔵の着物の裾を絞る様に縋り付き、
〔 ねっ、姉ちゃんが病気なんだ! 直ぐにでも医者に診せなきゃ死んじまう! 頼むから見逃してくれ・・頼むよ〕
「ふざけんじゃねぇぞ! 盗人が今度は泣き落としかよ、てめぇどこまで腐ってやがる!!」
〔嘘じゃないんだ、本当に姉ちゃん病気なんだ、もう何日も飯も喰って無い、このままじゃ死んじまう・・〕
その時遅れて市たちが合流した、
『捕まえた様だな、っで銭は取り戻せたのか?』
「それが返せないって言うんですよ、何でも姉が病気とかで、その場凌ぎのハッタリでしょうけど・・」
〔本当だよ、信じてくれよ・・Ф・§〇・ΔΣ・・〕その後は嗚咽で聞き取れないが武蔵の中で若くして逝った姉の姿が頭を過る、思い出したくもない苦い過去に【ゴクリッ】と固唾を飲み込むと「クソったれ!!」っとやりどころの無い苛立ちが口から漏れた。
「姉ちゃんの処に連れて行け、もし嘘だったらただじゃ済まないぞ!」
[おいっ、信じるのかよ? また逃げたら事だぞ]
「逃げたら何度でも捕まえる、信じてやるのは一度だけだ、二度目は無い」
〔・・・、おいらの家はこっちさ〕
・・・・・・・
連れられて来た処に一行は愕然とした、それは廃材を繋ぎ合わせただけの掘っ立て小屋とも呼べない粗末な代物、戸などは無く雨風さへ満足に凌げない有り様だ。
[これが家か? 馬だってもう少しマシな処に居るぞ・・]
そして入口に近付くと中に入る迄も無く確信した、重い病人の出す独特と異臭と汚物が混じった匂い、(嘘じゃ無かったのか・・)
心の奥底では (嘘であってくれ) と思う気持ちの方が強かった、この先に若い娘の苦しむ姿があると思うと正直やりきれないが今更後にも退けない。
『流行り病かもしれない、花は外で待っていてくれ』
当然の判断だった、市、武蔵、猪丸の三人が中に入るが、
「こいつは、何ってこった・・」
〔何日か前から飯も喰えなくなって昨日からは返事もしてくれなくなったんだ・・〕
「姉さんは幾つなんだ?」
〔十七だよ・・〕
「十七だぁ!!」
信じられなかった、目の前にいるのは骨と皮だけになった老婆と見間違うばかりの女の姿、とても十七の娘には見えずそれどころか生きているのが不思議なほどの衰弱だった。
[梅毒だな・・]
『その様だな、匂いで判る』
〔嘘じゃ無かっただろ? 頼むよ、直ぐ医者に診せたいんだ、銭は必ず返すから・・〕
市はその女の顔や腕を撫でたり口元に耳を寄せ呼吸の状態を確認し終えると、
『無駄だ』
〔えっ?!〕
『梅毒を治す方法は無い、効きもしない薬を高値で買わされるだけだろう』
〔薬で治らないなら祈祷師でも・・〕
『それもまやかしだ、何の意味も無い』
〔じゃあどうすりゃいいんだよぉぉーーーーー!!!!!!〕
『出来る事は滋養の付く物を沢山食べさせて身の回りを綺麗にする、それでも治る事はまず無い、しかし姉さんはもう手遅れだ、物を食べるどころか意識すら無い、呼吸や脈も弱っている、もって後数日、いゃ、今日一晩だって持つかどうかも判らない有り様だ・・』
〔そんなぁ~、姉ちゃん・・・、
わぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!!!!〕
もの言わぬ姉に覆い被さり泣き出した、こうして来たものの高見の見物だけで何もしてやれない無力さに心が痛む、だが今はその姿を見守る事しか出来ない。
・・・・・・・
暫くして落ち着きを取り戻すと少し照れ臭さそうに〔盗んだりして悪かったな、これ返すよ〕っと銭袋を猪丸に渡した。
「どうするんだ、これから?」
〔暫く姉ちゃんの傍に居るよ、家族はおいらだけだし一人で逝かせたら可哀想だから・・〕
[そうか・・、じゃあコレでも喰いながら姉ちゃんを看てやれ]と猪丸は保存食の干し肉を何切れか手渡した、
〔ありがとう、おいらなんかに親切にしてくれて〕
「じゃあな、俺らは行くよ、姉ちゃんとの時間を大切にな」
これ以上の長居は無用だ、一行はその場を後にした。
・・・・・・・
「猪丸よぉ~、久々の酒なのにどうしてこんなにしょっぺぇんだ?」
[さぁな、馬のしょんべんでも入ってるんだろうよ・・]
〘ししまるーっ、しょんべん飲んでるの?〙
[そうだよぉ~、だから花には呑ませられないんだ]
〘花しょんべんならいらないよ、お団子がいい!〙
・
・
「あの姉さん、弟を食わせる為に・・」
[武蔵、それ以上は言うんじゃねぇ、判り切った話だ]
そして猪丸は花を横目にチラッと見る、子供の前でする話しじゃ無かろうと暗黙の合図だ。
『気にするな、今の世ではありふれた不幸だ、我々が出来る事など何も無い』
「そうだよな・・、俺如きが人を救おうだなんておこがましいな・・」
『ただ救えなくても義理や人情を果たす事は出来る、今日の武蔵は間違っていたとは思わない、それに姉の事を思い出したんじゃないか?』
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「えぇ、そうです・・、姉貴の姿と重なってね、だからあのガキの言う事が嘘であればと願ってました、逃げ口上ならどれほど気が紛れた事か」
『でも嘘じゃ無かった・・』
「アイツは知恵も力も無いのに姉さんを必死に守ろうとした、それが盗みを働いていい理由に何かならねぇ、クソみっともねぇ真似だがアイツにはそれしか出来なかった、そんな奴の態度が無性に腹立たしくてね、俺は姉貴に何が出来た? 何一つしてやれなかったじゃねぇか」
・
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『あの子の姿に自分の無力さを思い知らされた っか・・・、
だが武蔵だけじゃ無い、私も無力だ、人はあまりに無力だからこそ神ですら見限った世を怨みながら死ぬか、泥水を啜ってでも生き続けるしかない』
[市師匠の言う通り、だが目の前にあるのは泥水じゃない、しょっぺぇ酒だ! さぁ呑めっ! 呑んで泥を啜ってた奴なんざ忘れろ!!]
「言われなくったって呑むよ! とことん呑んで綺麗サッパリ洗い流してやる!!」
〘しょんべんで洗うの?〙
・・・・・・・
その晩は有り金を使い果たすまで呑み明かした翌日の早朝の事だ、まだ少し酒が残る気だるい体に鞭を打ち出立しようと居た時にその子は目の前に現れた。
「昨日のガキじゃねぇか、どうしたんだ? 銭盗もうってぇならもう無いぜ、全部呑んじまったからな」
〔おいら盗人でも恩を仇で返すほどクズじゃ無いよ、昨日の晩に姉ちゃん逝ったんだ、それを伝えたくて〕
「そうか・・、残念だったな」
〔でも姉ちゃん最後に "ありがとう" って言ったんだぜ、聞こえなかったけど口はそう動いてた〕
「感謝の言葉で旅立てるなんていいな、俺もお前の姉ちゃんみたいに死にたいよ」
その言葉に少年はニコッと笑った。
〔ところでさぁ、おいらも連れてってくれないか? ここに居る理由も無いし外の世界を見たいんだ、それにこう見えてもおいら結構役に立つぞ! 〕
「盗人と一緒じゃ常に懐が心配だな」
〔銭はもう無いんだろ? 無いもんは盗めないから安心しなよ!〕
「そりゃそうだ! 師匠ーーっ! どうします、連れて行きますか?」
『来るなと言って来そうだからいいんじゃないか? どっかの浪人も同じだったし』
「うわっ、酷・・、じゃあ取り敢えず自己紹介だ、俺は武蔵だ!」
『私は市だ』
[わしは猪丸だ]
〘花だよ、よろしくねっ!〙
〔おいらは小太郎、十一歳だっ! 昨日までは盗人だけど今日からは真人間に成ったのでお見知り置きを!!〕
「なんじゃ、そりゃ」
こうして新たな仲間が加わり五人の旅となった。