白虎(びゃっこ)
~ ( 回想・二年前 ) 喪の仕事 ~
捨楽の骸は家の直ぐ裏に穴を掘り土葬とした、何時までも傍に居て欲しかったし捨楽もそれを望んでいたはずだから。
埋め戻した盛り土の上には捨楽の残した四体の人形の中で唯一完成していた一つを墓標として立てた、この人形は雨風に晒されやがて朽ちて果てるだろうが亡き主と共に土に還る人形があってもいい、(きっと義父も許してくれるよね・・)
漣はその前で手を合わせ静かに祈りを捧げる。
この家に残されたのは制作途中の人形が三つ、白虎と言う名の動かないカラクリ人形、そして捨楽が長年愛用していた工具の数々、その使い古された工具を見て呟く、
『人形作りも教えて欲しかったなぁ、漣は飲み込みがいいから数年もしたら義父が驚く様な人形を作ったかもよ?』
そんな事を考えていたら知らずと涙が頬を伝う、それはもう永遠に叶わぬ願い、淋しいや悲しいでは言い表せ無い、心が抜け落ちポッカリと穴が空いた様だった。
何時しか漣にとって親との思い出は七つから八年もの間、慈しみ大切に育んでくれた養父が全てに成っていた、実の父母との記憶はあの日を境へに重石の蓋をし今では顔すら朧気になる、酷い娘と思うかもしれないがそうする事でしか幼い心を守る術が無ったのだ。
一人で取る食事は味も素っ気も無く一時期はかなりやつれた漣だったが四十九日も過ぎた頃にはようやく以前の生活を取り戻しつつあった、食欲も徐々に出て一人だけの生活にも慣れる、こうして人は辛い事を忘れ前に進むのだろう。
・・・・・・・
捨楽が亡くなって三月以上が経った、一~二ヶ月の間は人形を求め度々人が訪れたが事情を説明すると皆捨楽の死を悼み漣を優しく励ましてくれた、だがそうした人々も日を重ねる事に減り今ではこの家を訪れる人は殆ど居ない、時より近くの世話好きオバサンが様子を見に来る程度だ。
人々の記憶から捨楽が消へて行く現実に淋しさを感じつつも (義父が作って来た人形はこれからも多くの人にずっと愛されるよね) っと思うと心が少し軽くなる。
そんな静かな日々がずっと続くと思っていたある日の事だった、何の前触れもなくその男はやって来た、歳の頃は二十歳前後だろうか? 背が高くガッシリとした体格、他人の家の戸に図々しくもたれ掛かり緩く開いた着物に手を入れ足先でもう片方の脛をポリポリと掻いている、お世辞にも素行が良い感じでは無いが外見で蔑ろに扱うわけにも行かず、
『ごめんなさい、人形を買いに来たのならもう売ってないんです』
しかし男は何も言わずに漣を見ながらニタニタとやらしげな笑みを浮かべているだけなのでもう一度、
『人形なら無いんです、主が亡くなったので・・』
すると男はようやく口を開いた、
「へぇ~っ、噂通り可愛いじゃねぇか、作務衣なんか着て洒落っ気が無いのがまたそそる」
直感でヤバイ奴だと確信した、だが大声を出して助けを呼びたくともまだ何かをされた訳でも無く判断を迷わせる、極力相手を刺激しない様にやんわり追い返へそうと『すみません、お引き取り願えないでしょうか?』っと諭すが、
「こんなシケた処で若い女が一人暮らしも大変だろう、どうだ、家に来ないか? お前一人くらい食わせてやってもいいんだぜ」
その明白に見下す態度に漣の表情は一瞬で険しくなった、義父との大切な思い出の家を "シケた処" と揶揄された事に腹が立ち今度はやや強い口調になり、
『お気遣いなら結構です、私はここが気に入ってるので! 用が無いならお引き取り下さい!!』っと言い返すも男は帰るどころかもたれていた戸から離れ徐々に近づいて来るではないか、(これは相当マズイんじゃ・・)
すると棚にあった未完成の人形の一つを手に取り、「なんだよ、あるじゃねぇかよ人形、出来損ないみたいだが買ってやろうか? 困ってるんだろ、銭によ」
考えるよりも先に身体が動いた、男の手から人形を奪い取り『これは義父の大切な形見なんです! 勝手に触らないでっ!!!!』
あまりの剣幕と睨み付ける視線に男は一気に逆上し漣の左腕の掴むと力任せに持ち上げ「下手に出てりゃいい気に成りやがってこの女! お前なんざこの場で犯っちまってもいいんだ!!」
『いっ、痛い!! 離してっ!!!』
しかし目は血走り我を忘れた男が聞き入れるはずも無くもう片方の手を作務衣の胸元に忍ばせ乳房を掴む、いざとなると恐怖で声も出せずただひたすらに (誰か、誰でもいいから助けて!!)
そう願った次の瞬間だった、男の動きがピタリと止まり押し殺す様な息使いだけが耳元に響く、漣は瞑っていた目を恐る恐る開くと男の喉元には鋭利な刃が突き付けてられていたのだ、少しでも動けば喉は裂け一瞬で絶命する程の間合いで、そしてその刃の元を辿ると・・・、
白虎だった (えっ?! なにっ???)
・
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「なっ、何なんだよ、こいつ・・、何で人形が動くんだよ・・」
顔面蒼白となりガタガタと震えながらヘタレ込むと着物の下腹部がジワリと濡れた、恐怖のあまり失禁したのだ、そして脳天を突き破るが如く叫ぶ、
「悪霊だぁぁーーっ!! 悪霊の住む家だあぁぁぁぁぁ――――ーーーっ!!!!!」
何とか立ち上がるとおぼつかない足取りで逃げて行く、小便を垂れ流し幾度もコケる無様な姿に罵声の一つも浴びせたいところだが今の漣にそんな余裕は微塵も無い、直ぐ傍らには喉元の高さに刃を突き出したままの白虎が何を語る事なく立って居るのだから。
胸の鼓動は先にも増して高鳴るがそれは噯にも出さず能面の様な表情でソロリソロリと家の外まで行くと後ろ手でそっと戸を閉めた。
【すぅ~~っ、ふぅ~~~っ・・】
大きく深呼吸をし混乱する頭をどうにか整理しようと試みる、
(何で白虎が動いたの? だって今まで一度も動かなかったじゃない? 夢? 幻? 見間違えじゃ無いよね?)
多少冷静さを取り戻すと閉じた戸をそっと開く、僅かな隙間から覗くとやはり白虎はこちらに向い手には刃が握られていた、(夢じゃない・・、けど何で? どうして?)
その時、義父のあの言葉が脳裏に甦った。
~~~「白虎は守護の神獣じゃ、わしゃぁいずれ居なくなるが漣を見守り続ける為にそう名付けた、じゃから形見だと思って大切にしてくれ」~~~
(守護の神獣? 見守る?)
勇気を振り絞り話し掛ける、
『白虎さん、さっきは助けてくれてありがとうね、白虎さんは義父の形見で守護の神獣だから漣を傷つけたりはしないよね? 大丈夫だよね? 絶ぇ~~ったい信用しているからね! 裏切ったら薪にして燃やしちゃうからね!!』
すると白虎は手にしていた刃を肥後守の様に折り畳む、鋭利な刃物が無くなっただけでもホッと胸を撫で下ろした。
『そうだよね、漣は最初から疑って無かったよ』
実はまだ半信半疑でドキドキは治まってはなかったが白虎の傍に行き胸の辺りを擦りながらもう一度お礼を言った。
『助けてくれてありがとうね、白虎』
・・・・・・・
白虎は言葉は一切発しなかったが漣の言う事は理解し手助けをしてくれた、例へば薪き割りは漣が最も不得手とする仕事の一つで何時も手は豆だらけ、時にはその豆が割れ斧の持ち手を赤く染めながらも生活の為にはやるしかなかったのだが今では白虎が代わりにしてくれる、本当に頼りになる相方を残してくれたと義父に感謝しきりなのだが実は一つだけ大きな不満があった、それは見た目に華が無い事だ。
捨楽が今までに作って来た人形はどれも美しく艶やかだったのだが白虎は地味で素っ気ない、それがどうしても許せなかった、(これが義父の遺作であって良いはずが無いよ)
漣は居ても立っても居られなくなり東都を駆け回り腕利きの織物師に陣羽織を、そして蒔絵師に白虎の蒔絵を胸に描いて貰う、すると何とも勇壮で優雅なカラクリ人形になったではないか!!
『義父、白虎は凄く素敵になったよ、残してくれたお金を沢山使っちゃったけどいいよね? 白虎とこの家さへあれば食べて行くくらいは何とかなるんだから、 義父はこれからも漣を見守ってね』
雅に生まれ変わった白虎にそう語り掛けるのだった。
漣の過去編はもっと簡素に描く予定でしたが書いている内に楽しくなり想定より長くなりました、次話からは武蔵と市の物語に戻りますが漣の回想は本編と並行し今後も綴られます。
その都度、時間軸が多少前後しますが本作のもう一人の主人公でもある漣、市と双子の姉妹でありながら全く違う人生を歩む事になる漣の物語がこの作品の大きなテーマとなります。