別れ
~ ( 回想・二年前 ) 捨楽と漣、東都にて ~
捨楽と漣が東都に移り住み五年の月日が流れた、捨楽七十八歳、漣は十五歳の美しい女性に成長した、十五と言えばちらほら縁談の話が舞い込んでも不思議では無い年頃で町娘達は綺麗な着物や化粧に夢中になるのが常だが漣はそうしたお洒落に全く興味が無く動き易いからと作務衣を纏い捨楽を落胆させた、孫娘の様に愛おしい漣にはやはり可愛い着物を来て欲しいのだが「親の心子知らず」と言った処か?
二人の生活は至って平穏だったが唯一の大きな変化と言えば噂されていた通り西から帝が移りここを東都とした事だ、恐らくこれは帝の意向では無く時の将軍が遷都によって己の権力を誇示する為だろう、まぁ何れにせよ庶民には "どうでもいい" 話しなのだが。
引っ越しの人足代が思ったよりも嵩み残った軍資金では町の中心からは離れた民家が点在する場所に居を構えざる得なかったのだがここは町湯が近くにあり好きな風呂に足繁く通えるのは有難い、昔なら容姿に引け目を感じ町湯など行けなかったのだろうが今の捨楽に詰まらぬ見得も柵も無く湯仲間も出来て楽しい。
この町で捨楽は精力的に人形作りに励んでいた、店を開いた場所が悪かったせいで最初の一年程は思う様に売れず苦労もしたが徐々に評判となり今では注文残りを抱える程の人気だ、庶民でも少し無理すれば買える小柄で普通の人形を中心にしたのが良かったのだろう、かつては己の技術の粋を施したカラクリ人形で大名や公家から感嘆と賛辞を得る事こそが職人の誉と考えていたのだが今は庶民の笑顔が何よりも嬉しい。
・・・・・・・
家の事を一通り終えると作業をする捨楽の姿をただぼんやりと眺めるのが漣は好きだった、思えば七つの頃からもう八年、何時も直向きに淡々と物作りに励む姿を見続け来たのだから。
ただこの町に来る前と来た後では有る違いに気付いた、義手足を作っている時の捨楽は無表情か時折顔を顰めたりする程度だったが人形を作っている時は口元が緩んだり慈しむ様に眺めたりと表情がとても豊かなのだ、その姿を見ていると (義父は本当に人形が好きなのね) と自分まで嬉しくなる。
『義父、邪魔じゃ無かったら少しお話ししてもいい?』
「構わんよ、なんじゃい?」
『義父は人形が好きでこれまでも沢山の人形を作って来たけど家に有るのは数体だけ、好きな人形とお別れするのって淋しくないの?』
「もちろん淋しいのぅ・・」
『やっぱり淋しかったんだ!』
「そりゃ~のぅ、他人から見れば人形なんてどれも同じじゃろうが実は一つ一つ個性があって皆違うんじゃ、出来の良い子もおれば悪い子もおる、でも全てわしゃぁの子じゃてやはり名残惜しいのぅ」
『でも結局は全部売っちゃうよね、やっぱりお金の為?』
「う~ん・・お金の為、少し違うかのぅ」
『ごめんなさい、嫌な聞き方して』
「いゃいいんじゃよ、お金も大事だがそれだけじゃないんじゃ、そうじゃなぁ~漣はわしゃぁにとって可愛い孫娘みたいなもんじゃ、出来る事ならこのままずっと傍に居て欲しいと思う、じゃが漣を好いてくれる人が現れて漣もその人を好いちょるなら送り出してやるのが漣にとっての幸せじゃ、人形も同じじゃて、好いてくれる人が手に取って愛でられるのが一番幸せなんじゃ」
『・・そうだよね、でも漣はずっと義父の傍に居るよ、どこにも行かない』
「そう言って貰えると嘘でも嬉しいよ」
『嘘じゃないっ! 義父が生きてる間は絶対お嫁に行かないから、約束だよ!』
「じゃあ百まで生きて漣が貰い手の無い行かず後家になっても恨まんでくれよ」
そう茶化し「ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ」と笑う捨楽の首元に白く細い腕が両側から覆い包み耳元でそっと囁く、
『いいよ、だから長生きしてね・・』
「・・・・」
一瞬でも気を抜けば涙がこぼれてしまいそうなほど嬉しかった、こんなにも慕われるなんて思ってなかったから、漣の為なら本気で百まで生きられる、そんな気がした。
『義父・・』
「うん、なんじゃい?」
『あの大きな人形はずっとあそこにあるよね? あれは売らないの?』
「あぁ白虎の事か? あれは売り物じゃない・・」
『白虎って名前なんだぁ~、何か強そうだね、じゃあ白虎はずっとここに居るんだ?』
「白虎は守護の神獣じゃ、わしゃぁいずれ居なくなるが漣を見守り続ける為にそう名付けた、じゃから形見じゃと思って大切にしてくれ」
『えぇ~っ、やだぁ~! 漣はもっと可愛い人形がいい!! あれちょっとおっかないもん、それにカラクリ人形だから動くんでしょ?』
「それが動かんのじゃよ、暫くカラクリ人形から離れていたんで勘が鈍ったのかのぅ? 動くはずなんじゃがさっぱりじゃ・・」
『しっかりしろ義父! そんなガラクタは薪にして燃やしちゃうぞ!!』
「こりゃ一本取られたなぁ!」
捨楽と漣はケタケタと大笑いをした。
・・・・・・・
そんな事があったほんの数日後の事だ、何時も通り作業していた捨楽が突然倒れる、脳梗塞だった、しかしそんな病名や治療法も無い時代、手を施す術も無く捨楽は床に伏せてしまい寝たきりの日々が一週間以上も続いていた。
『義父は頑張り過ぎたんだよ、暫く休んだらきっと良くなるよ』
「・・・・もう良くなりゃせん、自分の体じゃ、自分が一番よう判る、自慢の右腕もピクリッともせん、感覚すら無いんじゃ・・」
『そんな弱気な事を言ってちゃ駄目! 治るって信じていると病気の方が逃げ出すんだから! それに百まで生きる約束でしょ!!』
「・・、そうじゃったなぁ、でもすまんのぅ」
『何で謝るの?』
「こうして漣に下の世話までさせてもうて、さぞ臭いやろ?」
『ウンチは老若男女誰でも臭いのっ! 漣だって臭いんだから気にする事ないよ』
「漣は本当に優しい子じゃて、わしゃぁの人生で一番の幸せは漣とめぐり会えた事じゃ」
『漣だって義父に救われた、あの日のお風呂と焼き芋は一生忘れないよ』
「まだ覚えとっちゃったか?」
『もちろんだよ、ねぇ何で漣の事を助けてくれたのか聞いてもいい?』
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「美しかったから」
『えっ?!』
「美しかったんじゃよ、眩いくらいにな・・、わしゃぁの作る人形は人よりも美しく雅だと信じて疑わなかった、それが人形じゃと、しかし漣を見た時に思うたんじゃ、あぁ、なんて美しい子なんじゃと・・、
わしゃぁ醜く生まれたからのぅ、どうせ蔑まれ報われん恋ならせん方がいいと人を好きになった事が無かったんじゃ、でも漣を見た時に愛おしゅうて堪らなくてな、今想へばあれが初恋じゃった、齢七十の爺が七つの子に恋心を抱いてたんじゃ、とんだスケベ爺じゃよ・・、がっかりしたか?」
『がっかりなんてしないよ、幾つになっても人を好きになるって素敵だし漣が初恋なら嬉しいよ、だけど漣にとって義父はずっと大好きで大切な義父だよ』
捨楽の目からとめどなく涙が溢れ出る、そして目は瞑ったまま
「ありがとうな、漣、わしゃぁに家族を得る喜び、そして人を愛する気持ちを教えてくれて・・」
それから半月の後、捨楽は愛する人に見守られながら幸せに満ちた七十八年の生涯に幕を閉じた。