帰還
長い夢を見ていた気がした。
それがどんな長い夢かは思い出せないが、現実に意識が帰ってきてもまだふわついた感覚が抜け出せないでいた。
久方ぶりに感じる様な暗い夜の喧騒。虫の音、風の音、今までいた無音の空間と比べると、普段心地良いと感じていた空間はもはや、街中の喧騒の様に騒がしく感じた。
しかしそれで起きる事はできず、もう少しだけ、何故か残っていた眠気を解消させる為に、再び目を閉じた。
そして夜から、朝日が立ち昇り、暗闇の世界を照らし出した。
幸い沢山の木々に囲まれた為、光が直接当たる事は無かったが、日時と共に変わる角度によって、隙間光が琳の顔を照らした。
「んん〜...眩しい...」
眉をひそめ、照らしてきた光から逃げるように顔を反対側に向ける。
「もう...朝か」
照らされた光に、眠気を一気に飛ばされ、体をゆっくりと伸ばす。
「ふんうぬぬぬぬぬっ、はぁ〜!」
起き上がる前の日課を済ませ、重たい瞼と共に上半身を起こす。
「んーーー、どこだ此処?」
思考が停止する。そして次に此処が何処だかを必死に理解しようとし、直前までの記憶を必死に手繰り寄せる。
「あれぇ...俺なんでここに...」
そう言えば一度起きた筈だったと思い出し、暗くて何も見えなかった上に迫ってきた眠気でもう一度寝たので、この記憶は参考にならなかった。
「えぇーーーーーっと...あ、そうだ俺....」
夜中に目覚めた記憶の一つ前を思い出そうとすると、手足が繋がれ、全身を槍で封じられた巨人を思い出した。
そこから寧ろ琳が思い出そうとせずとも、記憶の方から思い出させようと押し寄せてきた。
「そっか...帰ってきたのか...」
辺りを改めてもう一度見渡し、心の底から湧き上がる感情を抑えきれず、立ち上がり叫ぶ。
「帰ってきたんだぁああああ!!!」
早速何処か道に出られる場所を探し始める琳。
しかし場所が場所、無数の木々が生え揃った森の中で、どの方角に行けば良いか分からないでいたが、何故かピンと、それもざっくりとだが進むべき方角がわかる様な感覚に、琳はその本能に従って走り出した。
「すご...体軽いし、めちゃくちゃ早く走れてる!」
覚醒者となった肉体はもはや一般人とは大幅に違い、蹴り上げた足は更に体を前へ前進させ、振り上げた腕はブレる全身のバランスを更に整える。
こうして常人より数倍の足の速さを手に入れ、疲れなど感じる暇もなく、ただ徐に走り始り続ける。
そしてあっという間に、川に沿って作られた道路を見つけ、その道路に沿って走り始めると、反対車両で車が通ったのを見て、急いで追いかける。
「すいませぇえええん!ちょっと止まってもらっても良いですかぁあああ!!??」
ブゥゥゥゥンッ!!!
琳の言葉に車は停まるどころか、更に加速して瞬く間に見えない距離まで消えていった。
「えー?話聞こうとしただけなのに...」
車に逃げられて少ししょぼくれるが、引き続き道路沿いを今回は歩き始める。
「走ったのがちょっと気持ち悪かったかな?流石に車とほぼ同じスピードで走られたら俺でもビビっちゃうもんね」
そして再び対向車線から車が現れるも、今度は先程の車よりも更に速い速度で通り過ぎていき、手を挙げる隙間もなく消えていってしまった。
「ちょっとちょっと...あの速度は流石にスピード違反でしょ!ってか運転手の顔ちょっとこわばってなかったか?」
出していたスピードよりも、なぜか運転手の顔を思い出し、そこに引っかかった琳。
そしてすぐに今度は、2台の車が現れ、前の車と同じくものすごい速度で通り過ぎていった。
「2台の運転手の両方ともめちゃくちゃビビった顔...何かから逃れるのか?」
そう思い、琳は逃げてくる車の方向に向かってトップスピードで走り出す。
そして走り出してから数分するとキャンプ場に到着すると、そこら中で慌てふためく人達がいた。
そしてその内の1人の車に乗ろうとしていた中年男性に声を掛ける琳。
「ちょっとすいません!皆さん慌ててる様ですが、何かあったんでしょうか!?」
「君は今到着したのかね!?だったらすぐに引き返した方がいい!近くでダンジョンが出現して中から一匹のモンスターが出てきたらしい!」
「ダンジョン!?それは...行くしかないですね...」
「何を血迷って!見たところまだ若いが...もしかして覚醒者なのか!」
「はい!だから安心して此処で待っててください!モンスターは俺が倒してダンジョン攻略するんで、おじさんには色々と聞きたい事が山ほどあるんです!」
「私に聞きたいこと!?君とは初対面だと思うが...」
「良いから良いから、近くの安全なところで待っててください...ね?」
「わ、分かったから早くモンスターを討伐してきてくれ」
「よし!それじゃあ覚醒初日、いきまーす!」
声高らかに叫び、琳は逃げゆく人の反対方向に走り出し、人に襲いかかっていたモンスターを発見した。
見た目は犬だが、普通の大型犬よりもう一回り大きいその犬は、目を赤く光らせ、鋭い歯の生え揃った口を大きく開け、逃げ遅れて倒れた女性に向けて今まさに鋭い牙で噛みつこうとしたところーー
「キーック!!」
ドスンッ!!
横からトップスピードのまま、脇腹辺りに深く減り込ませた足をそのまま押し込むと、質量の衝突にモンスターの体が浮き、そのまま数メートル吹き飛んでいった。
「怪我はありませんか!?もし立てるなら、ゆっくり落ち着いて逃げてください!あの犬は近づかせませんので!」
「うぅ..死ぬかと思いました...ありがとうございます!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔でお礼を言うと、女性は直ぐに出口の方へと走り出した。
「さぁさぁ、かかってこいよ経験値...ん?」
草っ原の上で倒れ込んで痙攣しているモンスターに向かって、そう言い放つも痙攣していた足が突如力を失った様にパタンと閉じられ、四散していった。
「ワンパン...じゃなくてワンキック...これが覚醒者の肉体かー、なんかなんでもできそうな気がしてきたぞ!早くゲートに入ってレベルアップしないと...」
レベルアップという言葉と共に、琳はずっと何処か引っかかっていたシコりの様な物の正体に気が付き、ふとその言葉を口にした。
「俺ってプレイヤー資格無くなってたような...」
崩落していくダンジョンと共に、虚無の中へと放り出される途中、ウインドウ画面に出現した文字化けテキストの中に、読みにくくはあったが、プレイヤーの資格を剥奪したとの文字がしっかりと書かれてあった事を思い出した。
『ステータス』
試しにシステムウインドウを出す合言葉を口にするも、なんの反応も無い事に少しばかり不安になり始める。
「も、もしかしたらダンジョンに入ればプレイヤー資格は返ってくるかもしれないし、一旦落ち着いてダンジョンを探そう」
自分を落ち着かせる様に言い聞かせ、深呼吸しながら要らない事を考えるのはやめて急ぎ足でダンジョンを探しに向かう。
初めてくる場所、見た事無い景色の筈だが、何故か遠くに見える川辺の辺りにダンジョンがありそうな気がしたため向かうと、川を跨いだ対岸にそれは見えた。
「なんか今日冴えてるな...」
そんな自分の冴えている感を褒めながら、琳は川の近くまでくると目視で幅を確認した。
「これなら行けそうな気がするな」
そう言って2歩、3歩と川から離れ、やがて丁度川の幅と同じくらいの距離を取った後、トップスピードで走り出し、水が流れる川の少し手前あたりで大きく跳躍した。
グシャァァァァッ
見事15メートル程の横幅がある川を飛び越え、その先にあった砂利に尻餅を着きながら、スライディングする形で着地した。
「普通だったら間違いなく世界記録だろ今の...」
そんな覚醒したての自分の跳躍力に驚きながら、目の前に佇む赤く光るダンジョンの入り口の前で立ち上がった。
「よしっ!頼むからプレイヤー資格だけはお願いしますほんと!お願いお願いお願い」
ズズズズッ
ピロンッ
【ダンジョン:ブラッドケレヴの巣窟への侵入を確認しました】
聞こえたウィンドウのポップアップ音と共に出現したシステムウインドウにひとまず安心した琳。
ピロンッ
【プレイヤー資格を確認しました。ステータスと叫び、自身のステータスを確認してください。】
「マジで怖かった〜、ステータス」
=====================
『加ヶ野 琳』
◼︎非覚醒者
◼︎Lv:1
◼︎Exp:21
◼︎HP:150/153
◼︎MP:0/0
⚫︎STR:10(+15)25
⚫︎VIT:10 (+15)25
⚫︎RES:10 (+15)25
⚫︎DEX:10 (+15)25
⚫︎AGI:10 (+15)25
⚫︎INT:10 (+15)25
⚫︎MEN:10 (+15)25
⚫︎LUK:10 (+15)25
⚫︎KRM:0
▼スキル
《六識》
▼称号
《業にみそめられし者》
=====================
「ほうほうほう...まず覚醒者の筈だけど、未覚醒者...おいっ!」
早速出てきたツッコミどころに、思わず声を上げてツッコミを入れるも、その下の欄で見えた最初の非覚醒者状態の時には無かったLvとExpの文字が見えたため、少しこんがらがってしまう。
「化身君が言ってたのは改良だから、本来の覚醒とはまた別の感じなのか?一応走るのも速くなってるし、筋力もその他も全部上がってる感じはするから、一応バグとして見ておいて良さそうだな...」
そしてなぜかステータス達の後ろには追加されたステータスポイントがあり、そのまた下を見ると、六識と書いてあるスキルがあり、試しにそのスキルを指で押してみるとーー
ピロンッ
【ユニークスキル《六識》:眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の6つのスキルが1つとなったスキル。
・眼識:目に見える物の嘘と本物を色で見抜く事が可能(熟練度:0/5)
・耳識:使用すると遠くの声が聞こえる事が可能(熟練度:0/5)
・鼻識:嗅いだ匂いの危険度を知る事が可能(熟練度:0/5)
・舌識:口に含んだ物の毒素を検知可能(熟練度:0/5)
・身識:身の危険を察知する事が可能(熟練度:0/5)
・意識:上記五識の記憶を自動で記録する自動効果(熟練度:0/5)
*このスキルに未知なる能力が隠されています。スキル熟練度を上げると隠され能力が解放され、使用する事ができます。】
「説明が多い...取り敢えず何かを識別したい時に使えば良いって事だね、それとー、この称号だけどー」
スキル説明のポップアップを消し、試しに今度は称号の欄に書いてある《業にみそめられし者》の箇所を指でタッチするーー
ピロンッ
【称号《業にみそめられし者》:今はまだ小さきタネ...その身に宿る&%を養分に開花するとされている(ALL+15)】
「肝心なとこが文字化けしてるけど、まぁ化身君が言ってた業と関係があるって事でしょ、まぁ取り敢えず自分に何があるか確認できたし、早速攻略するか!」
暗い空間を抜けるとそこは赤い月明かりに照らされた森だった。
「また森か〜...でも月が赤いのは新鮮で面白いなぁ〜」
そう呑気に月を見て感嘆していると、システムウインドウがポップアップした。
【警告:ダンジョン内モンスターがプレイヤーの侵入に気がつきました】
ポップアップに気が付き、視線を前方に向けると、木陰から照らされた赤い月明かりに呼応するかの如く赤い目を光らせたブラッドケレヴと表示されたモンスターが3匹現れた。
「ん?あの数字は...」
【ブラッドケレヴ Lv14】
よくよく近づいてくるブラッドケレヴの名前を見ると、モンスターの名前の後ろにレベルが表示されていた。
「14レベ...今の俺が1レベだから...まぁでもキャンプ場では1発で仕留めたし、いけるだろ!」
腰を落とし、向こうから縮めてくる距離をこちら側も負けじと近寄っていく。
そして10メートル程距離を近づけたその時だったーー
「バゥッ!!!」
琳から見て右端の一匹が合図を送る様に吠え出すと、左にいた2匹が距離をとりながら回り込み、そのまま一匹は琳に飛びつき、もう一匹はトップスピードで駆け寄ってきたそのままの速度で口を開け突進してきた。
咄嗟に2匹の方を向いたまま、目線を吠えた1匹の方に見やると、絶妙な距離感を保ったまま静観していた。
(2匹を捌こうとすれば様子を見てるアイツが仕掛けてきて、1匹になったあいつを追いかけようとすれば逃げられる立ち位置...統率が取れて凄いけど、穴発見!)
そう言って琳は2匹の方に走り出し、それを見た残りの1匹が背中を完全に向けた琳へと走り出した。
「飛びかかったのがミスだなぁ!」
そう言って飛びかかって来ている1匹を通り越して、走って来ている方ぶつかる直前でスライディングをし、両足の隙間に入って噛みつきを躱すと、そのまま2本の後ろ足を持ち上げ、力一杯蹴り上げて胴体をを持ち上げると、勢いよく振り回し始めた。
「よいしょ!!!」
遠心力を利用したブラッドケレヴの投擲は見事、背後から向かって来ていた1匹に命中し、そのままぶつかった2匹に走り込んで、1匹ずつ丁寧に頭を蹴り上げていった。
「バウッバウッ!!」
仲間がやられていくのを見て尚、最初に飛びかかってきていた最後の1匹が此方に向かって吠えながら、もう一度飛びかかってきた。
「死体殴りぃ!!」
そんな一本槍の攻めに対し、非道に琳は足元のモンスターの死体脚を掴んで、持ち上げた死体を力いっぱいぶつけた。
「余裕余裕...にしてもちょっとやり過ぎだったかな...」
倒し方には少し自分でも引っかかる事があったが、難なく最初の関門は無事突破した。
そして自分に武器がないとやりにくい事に気が付き、生えてる木の1番太い枝を折って、簡易的な棍棒を作り上げた。
また、難易度は大体把握できた為、隠れながらではなく堂々とモンスターは見つけ次第、棍棒で叩き潰していった。
「ざっと20匹くらい叩き上げていったけど、体も疲れてないし、わざと受けた攻撃もそこまで痛くは無かった...それよりまだレベル上がんないのか?めちゃくちゃ倒してる筈だけど...」
そう言ってステータスを開き、EXPが422に溜まっている事を確認したが、それでも尚上がらないレベルに違和感を覚える。
「敵のレベルは15〜20くらいで、俺が1なのになんでだー?」
そんなこんなでステータスを見ながら歩いていると、前方からヒシヒシと体を打ちつける空気を感じ足を止める。
等身大にまで生えた草むらを掻き分けて出ていくと、穴の空いた大きな岩壁があり、その岩壁の前には10匹ーーいや、頭と数えた方がしっくりとくる程の大きさをした普通の個体とは違い立髪が生えたブラッドケレヴらが寝ていた。
【ブラッドケレヴ Lv24】
そして空気を伝って感じた気配は、岩壁に空いた穴の中から伝わってきていた事がなんとなく分かる。
「もうボスか、流石にあの数の取り巻きを相手には厳しそうだな」
(忍び足でまずは手前から、起き上がる前に確実に倒して、起きあがった頃には2、3頭はやっときたいから...)
「ふんっ!!」
グシャッ!
ピクッ
琳の力いっぱい振り下ろした棍棒の音に数頭のブラッドケレヴの耳が動いた。
「せいっ!!」
グシャッ
振り下ろした二撃目で、近くにいた一匹が起き上がったので、叫ばれる前に棍棒を振り下ろし仕留めるもーー
「アゥーー!!!」
奥で起き上がっていた1匹が、声高く遠吠えし、全てのブラッドケレヴが目覚めた所為で、起き上がる前に仕留めようとした4匹目に素早い動きで攻撃を躱された。
「残り7匹かーー」
「グルァッ!」
ズバァンッ
右側から迫り来るブラッドケレヴに対して、全力で棍棒を振り払って迎えると、その隙に背後、上からと2頭ずつが迫ってきていた。
そんな寝起きの連携に対して琳は、振り払った動作の後、体制を立て直す暇もなかった為に、背後の2頭は無視して、そのまま空中の2頭に向かって跳躍した。
ギリギリまで何もせず、2頭の血生臭い鋭く尖った牙が目と鼻の先に来ると、持っていた棍棒を器用に2頭の口に咥えさせた。
「俺よりでかいし、いけそうだな!」
そう言って目の前の2頭の頭上に生えた立派な立髪を掴み、こちらに引き寄せるように腕に力を入れると、2頭のブラッドケレヴではなく、琳の身体の方が相手側に向かっていったが、それが狙いだった琳は、そのまま頭上にいた2頭の更に上へと腕の力で飛び越した。
そして飛び越した際に、片方のブラッドケレヴの立髪をもう一度掴み直し、空中で体勢を立て直し、ブラッドケレヴの背中に足を添え、着地の寸前に地面で待っていたうちの1頭に、足元のブラッドケレヴを踏み台にして飛びかかった。
そんな自ら飛びかかってきた琳を見て、ブラッドケレヴは口を開けて迎えようとしたが、口を開くより早く到達した琳に腕で口が開かない様を押さえ付けられる。
「躾けてほしいか?ふんっ!」
地面を蹴り暴れ狂うブラッドケレヴに、琳は口を腕で塞いだまま、その巨体を持ち上げ地面に力いっぱい叩きつけた。
「武器確保ぉ!」
地面に叩きつけたブラッドケレヴの脚を持ち、襲いかかって来た別の2頭に、思い切りぶつける。
「残り3頭...さぁ仲間をぶつけられたいのはどいつだぁ?」
ぶつけられた方も、ぶつけた方も同時に倒せる効率最重視の戦い方を見た残りの3頭は、見るからに怯えて近づいてこなくなってしまい、しまいには岩壁の穴の中へと背中を見せて逃げていった。
ドスンッ
グシャッ
しかし先頭を走るブラッドケレヴが岩壁の穴に入る前に、中から現れた巨大な前足の様な物に踏み潰された。
「横殴りはマナー違反だぞ...」
凄まじいプレッシャーに全身が警笛を鳴らす中、画面の中央にポップアップが表示された。
ピロンッ
【ボスモンスター:メラブランケレヴが姿を現しました】
赤く光る鋭い隻眼を放ちながら、踏み潰した自分の仲間を蹴りどかし、メラブランケレヴは暗闇からその姿を見せた。
黒く立派に生え揃った獅子のような立髪に、狼というよりハイエナの様な鋭い顔つき、そして極め付けはその大きさだった。
身長173cmの自分より大きめのざっと見た感じ2m程の目の前のブラッドケレヴらより、更に3倍もの大きさに、思わず口の中の唾を飲み込んだ。
前方からは迫り来るは、自身らが最も恐れ慄く群れのボス。対して背後には自分達より小さいが未知の力で次々と自分達の仲間を武器に戦う謎多き人物。
確定した選択肢に迷うそぶりを一瞬見せたが、やはり未知の恐怖より既存の恐怖に耐えられなかった2頭は、琳の方向へと走り出した。
「良い子だ...こっちまで来い!可愛がってやるよ!」
ボスを見て硬直していた体が危機反応で自由になると、死体を握りしめていた手に力を入れて、迎える様に全力で振りはらうーー
ブシャアッ!!
「っ!」
瞬きほどの速さだった。たったの一歩で20メートル程の距離にいたメラブランケレヴが一瞬で目の前の視界の8割を占める程にまで近づき、飛びかかってきていた仲間など、気にも留めずにその豪腕に生えた歴戦で鍛え抜かれたのか、捩れに捩れた顔程の大きさをした鉤爪で仲間を巻き込みながら振り下ろした。
咄嗟に死体を盾にして庇ったものの、衝撃は殺せなかった為大きくのけぞってしまう。
勿論そんなチャンスを相手が逃すはずもなく、今度は更に確実に、琳の体長より大きな口を開けて噛みつきにくる。
ドンッ!!
体勢を変える隙間も無いため、後ろにのけぞっている力をそのまま利用し、両足に力を入れて後方に大きく飛躍した。
しかしこっちの大きな飛躍は、あちらのまだ最初に見せた一歩にも及ばなかったので、そのままバック走で更に距離を取るつもりで走り、一定の距離が取れたら振り返って全力で走った。
「あっぶねー!」
タッタッタッ!
少し距離は取れたものの、その体の大きさに見合わない小さい足音で瞬く間に、距離を詰めてきたので、琳は真っ直ぐ森の中に入っていき、聳え立つ木々を利用してジグザグに逃げる戦法で距離を取る方法にした。
着々と距離を詰められながらも、森に入る事は成功し、後は木々を障害物に使いトップスピードで走り始めた。
しかしここで琳の1つの誤算が発覚ーー
それは軽い身のこなしで木々をジグザグに走り抜けている最中、一瞬振り返ってメラブランケレヴの動きを確認した時だった。
「やばっ...最短ルートでこっちに!」
琳の背後を付いてくるように走るのではなく、狩猟本能による追いついて狩る為に走って来ていることに気が付いた事で、知能という部分を省いてしまった誤算。
動物に対する知識も浅ければ、あくまでゲームの様な設定の所為で、感覚的に良くてAIどまりの賢い動きをする物だと勝手に判断していた為だった。
(このままだともう追いつかれる...)
作戦を考える隙も与えられないまま、既に捕食できる間合いまで詰めて来たメラブランケレヴが琳に飛びかかった。
「これでも食っとけ!」
琳の右側に並走していたメラブランケレヴの口を大きく開きたままの飛び掛かりに対し、走って逃げる際に確保していた太い枝で、下顎を叩き上げた。
「グゥッアァッ!」
枝による叩き上げで衝撃で一瞬勢いは止まったが、再び同じ様に口を大きく開き攻撃を仕掛けてくる。
「何度やっても!」
スッ
「なっ!」
「グアッ!!」
ドォンッ!
再び叩き上げで対処しようとしたものの、枝が顎に当たる寸前でメラブランケレヴは大きな口を閉じ、まるで早送りしたかの様な動きで姿勢を低くした後、前足で琳に足払いを掛け、足払いの動作で前後が逆になった体勢のまま後ろ足で的確に空中の琳を蹴り飛ばした。
バキッガッ
「うぐっ...」
吹き飛んだ琳の体は木を1本貫通し、2本目で受け止められた。
ドドドドッ「グラァ!!」
そして咄嗟に瞑っていた目を開けて最初に視界に映っていたのは、威嚇音を出しながら豪速で近づくメラブランケレブの姿だった。
普通なら何処かの骨が折れてもおかしく無い程の蹴りと衝撃だったにも関わらず、血と汗を一滴も流さずにひとっ飛びで木の上によじ登り、メラブランケレヴが来るの待つ。
そしてそのまま『突進』もしくは『飛びかかる』の2択を予想していた所、来て欲しかった方の動作を相手がした。
「ナイス飛びかかりぃ!」
トップスピードのまま飛びかかってきたのに対し、琳は頭上の枝を足場にし、真下の地面へと急速落下して着地した後、すれ違ったメラブランケレヴの方を見上げる。
「あの状態から体勢を立て直して、着地しようとか計算外だけど...そこはもう俺が踏んだ足場だぞ!」
地面に素早く着地する為に力強く踏んでいた枝の耐久値は、常人の10倍程の力がある現在の琳踏み込みによって限界に来ていたのにも関わらず、琳のおよそ何倍もの体格の大きさに加えて、トップスピードの勢いで飛躍してその枝に着地するとなると、勿論方程式にするまでも無く、その結果は考えられた。
バキッ
「チャンス!」
折れた木に勢いが殺せずそのまま体が逆さになった状態で宙に投げ出されてしまい、それを見た琳は空中でもがいて体勢をなんとか変えようとしている隙を逃す訳もなく、メラブランケレヴの落下地点を予測して、地面を力強く蹴り、構えた右手を力一杯横顔を振り抜いた。
「立ち上がる前にもう1発!」
地面に体を打ち付けて着地し、直ぐに立ち上がろうと上体を起こすメラブランケレヴの斜め後ろから駆け寄り、渾身の力で脇腹辺りに足をめり込ませる。
「ヴァウッ!!!」
分厚い毛皮、筋肉を貫通して、硬い何かが折れる感覚が足から伝わってきたと共に、今まで以上に鋭い鳴き声を上げながら、上半身を捻って前足を振り下ろす。
そんな足から伝わってきた感触に内心「やった」思っていた矢先の攻撃に、反応が遅れてしまい、避けつつも僅かに反応で顔をガードした腕に爪が掠ってしまう。
「いっつつ...骨折れたから攻撃はないって思ってたのに...」
即座に目線をHPの方へと持っていき、残り体力を確認すると、元々153あったHPは残り96になっていた。
それに加え、1つの悲報が琳の視界内に出現した。
ピロンッ
【状態異常確認:出血(中)】
【出血(中)の効果により、プレイヤーは最大体力の3%分が出血により毎分失われていきます。】
「マジか...」
すぐさまHPの方へと目線を向けると、96あったHPが95となっていた。
そして立て続けに悲報は続いていったーー
ピロンッ
【メラブランケレヴが激昂状態に入りました。全ステータスが10%上がります】
「...え、ちょっ、聞いてないっす」
「アウゥゥゥゥゥゥ!!!」
ピロンッ
立て続けに起きる悲報を告げるシステム音に、イライラしながら目線を向けるとーー
【メラブランケレヴが仲間を呼びました】
そのテキストに琳はまだ何もしていないのにも関わらず、絶望の淵から這い上がった感覚になった。
遠吠えが終わると、茂みの中からブラッドケレヴが現れるもーー
ダッ!!
突然最初の1頭が見え次第、地面を蹴って目の前まで向かうと、1撃でノックダウンさせた。
「ハハッ...武器ゲット」
口角と目がくっつくほどに不敵な笑みを浮かべて、ブラッドケレヴの細い両足を持ち、向かってきた他の取り巻きを死体で一掃する。
死体を手に取った瞬間に人が変わった様な豪快な動きに、メラブランケレヴも隙を伺えず、再びサシでの対決となったが、状況は大きく変わっていた。
琳の周りには他のエリアから招集したブラッドケレヴ十数体の屍の山が、通常ならそれだけの所、目の前の虫程に小さき存在はそれらを手に取り、武器にしてしまう血も涙もない、冒涜者だった。
一瞬メラブランケレヴの頭の中に、場所を変えるという選択肢が過ったが、自身を築き上げた不敗と高いプライドがそれは逃げだと判断し、即座に考えを切り捨て、強者らしく考えは捨て、真っ直ぐ正面から対峙する事を選択した。
が、そんな高い強者としてのプライドを持ち合わせていない目の前の相手の考えは違った。
ブンッ!
走り出す自分に対して、罪悪感を感じるそぶりも見せない顔で、死した同胞を投げつけて牽制してくる。
ブンッ
同胞と思いつつも、寧ろ弱者、捨て駒に近しい様な感覚なので、メラブランケレヴ自身も非情に飛んできた1体を爪で3枚に卸し、もう1体は気にも止めず姿勢を低くして掻い潜った。
そして距離もだんだんと近づいた所で、迎え打つ準備に出る。
残り20メートルまで迫ってきた所で、琳は足元の死体をメラブランケレヴに向かって蹴り飛ばせるだけ蹴り飛ばし、飛ばした死体の後ろに身を隠しながら走り出す。
「グラァ!!!」
そんな飛ばした死体をメラブランケレヴは1つも気にすること無く真っ直ぐに琳のいる位置に向かって爪を振り下ろした。
「死体ガード!」
琳の目の前に飛ばされた死体ごと引き裂くつもりで放った爪撃は、最初の死体を易々と引き裂き、そのまま琳に到達すると思われたが、左手に持っていた3体の屍体を盾に防ぐと、爪の勢いは2体目で殺された。
グンッ!!
そんな勢いの止まったメラブランケレヴの右前足の足首部分を掴み、こちらに引き寄せるように力一杯引くと、片手と両足での抵抗は虚しく地面に顔をつけながら琳の目の前で近づかせられ、同時に視界の端から死体が迫ってきた。
バチャッ!
「まだまだぁ!!」
顔面にクリーンヒットさせた死体を離し、後ろ足に向かって走り出し、走りながら後ろ足を掴んでそのまま走った勢いを使って身体引きずり始める。
「ふんっっ!!!!」
そして1番近くにあった近くの木の近く迄引きずると、そのまま木に向かってメラブランケレヴの胴体をぶつけた。
「んらぁあああ!!」
1本、2本と聳え立つ木に向かって、立て続けに引き摺ってはぶつけてを体力の限界まで続けているとーー
ピロンッ
【ボスモンスター:メラブランケレヴの討伐に成功】
「はぁ...やっと倒したかぁ」
掴んでいたボスの死体を離し、両手を膝の上に乗せて上がった息を整える。
「ふぅ...息がすぐに戻るのすげぇな」
時間にして10数秒で切れていた息が元通りになると、目の前のウィンドウを見た。
ピロンッ
【1時間後にダンジョンが崩壊します、プレイヤーは速やかにダンジョン内から離脱してください】
「は!?1時間後だと!?ふざけんなよぉ、俺の時10分だったろ?もしかして俺の事を加味して引き伸ばしたのか?」
ピロンッ
【ボスモンスターの体内には特殊な魔力核があります、採取すると良い事があります】
「ん?これーラアルガラの時はなかったぞ?魔力核があるやつとない奴がいるのか?」
そんな事を口にしつつ、取り敢えず刃物がないので、引き裂かれたブラッドケレヴの手を取り、爪を器用に使って核がありそうな胸を引き裂いた。
「んー、これはー、違うな...これか?ん?...あ、これっぽい!」
そう言って身体の中にあるには不自然な丸い手のひらサイズの球体の様な物を、身体の中から掴み取る。
「肉が邪魔だけど...ずりゃあっとな!」
球体にへばりついた肉を力づくで球体と肉の間に手を入れて強引に剥がして取り出す。
【下級魔力核:下級モンスターの体内で肥大化した魔力が溜まった核。*換金アイテム】
「換金アイテムね、てっきり何かの素材に使うものかと...まぁいいや!ボスも討伐できた事だし!帰るか!」
こうして見事記念すべき、覚醒1回目のダンジョンを攻略し、道中何事もなく出口まで到着した。
ーーブォンッ
「ふぅー、新鮮な...」
ダンジョンから背伸びをしながら気持ちよく出ると、出口付近に10数人の武装した人達が苦り切った表情でこちらを見ていた。
「ん?どうしました?」
「どうしましたじゃありません、こちらのダンジョンは私達『火銀の十傑』が予約していたダンジョンです」
「え?予約?」
琳の言葉を聞いてため息をつきながら話して来たのは、真ん中に立っていた、腰に2本の剣を携えた女性だった。
「わかってます?これは立派な違反行為ですよ?」
「いや、違反行為って、そもそもあんた達が予約した事なんて知らないし、モンスターが既にダンジョン内から出てきて人の事襲ってたから、早く攻略しないとって...」
訳も状況もわからないままに押し付けられた違反行為という言葉に、ただただ自分が攻略した経緯を話す琳。
しかしそれを聞いた前の女性は、眉を更に皺寄せた。
「でしたらダンジョン外のモンスターだけを討伐するのがマナーですよね?」
「そうだ!そうだ!幾ら弁明したってマナー違反はマナー違反だぞ!」
琳の状況を聞いて、突然女性の後ろから飛ばしてきた違反行為がただのマナー違反だというヤジを聞いて、心の中で胸を撫で下ろしながら、強気の態度にで始めた琳。
「いやいや、ダンジョン外のモンスターだけを討伐したって根本的な解決にはならないですし、いつ来るかわかんないあんた達を待つより、僕が早めに解決したほうがいいに決まってますよね!?僕の考えは間違ってますか?」
琳の言葉を聞いて、少し押されるも、女性も強気な態度で切り返してきた。
「考えは間違ってないけど、マナー違反はマナー違反よ!ダンジョンを買ったお金は戻ってくるけど、私達がここにくるまでにかけた準備や手間暇はどう精算するつもり?」
「ん?それって僕が悪いんですか?」
「何言ってんだ!お前が悪いに決まってんだろ!?」
「マナー違反をしたのは認めますけど、悪い事をしたつもりはないですよ?」
「じゃあマナー違反を認めるんだったら、精算しなさいよ」
「そうだ!精算しろ!」
「マナー違反を認めたとは言いましたけど、精算の件は認めませんよ?何言ってるんですか?マナーってあなた達が勝手に作った暗黙の了解ですよね?それに対して僕があなた達の損害を賠償しないといけない決まりや法律はありませんよね?今回はただあなた達の運が悪かっただけです。そんな憤りを僕にぶつけた所で時間の無駄ですので、次からは人に取られない様にもっと早くに来て、場所取りでもしたらどうです?以上で失礼します」
そう淡々と無表情で自分の意見を述べた後、琳はその場を後にしようとしたがーー
「待ちなさい。ではダンジョンを攻略した事については、被害者が出た事もあるからこちらが100歩譲る形で見過ごします。しかしダンジョンが私達の所有物だという事は貴方にお伝えして、それについては認めてもらいます。ですので」
「ですので、クリア報酬は寄越せと...」
「えぇ、それでこちら側の今回の損失はチャラとさせて頂きますので」
「そうですね...じゃあこの場合僕の損失はどうなりますか?人を助けた上に、必死でダンジョンを攻略して手に入れたクリア報酬を貴方達に渡したら、頑張り損じゃないですか?貴方達はダンジョンを僕に攻略されたから当然の権利としてダンジョンを買い取った金を返してもらえる上に、なんの損害もなくクリア報酬まで手に入れれるなんて...ちょっと虫が良すぎませんか?」
「貴方の損失なんて知った事じゃないわ」
「おっ、自分勝手ですね〜、じゃあ僕もお宅らの損害なんて知ったこっちゃありません!」
琳の拒否とも取れる発言に、空気が一瞬にして張り詰め、中には武器を敢えて見せつける様にインベントリから取り出した者もいた。
「そう...」
「真奈さん、やっぱりそいつに話なんて通じやせんよ」
「貴方の言い方が回りくどすぎるんですよ、最初から話なんてしないでやる事やれば良かったのに」
互いの自己中心的且つ、独りよがりな考えが暴力という形でぶつかり合おうとしたその時だったーー
「お待ち下さい」
背後から聞こえた突然の第3者の声に、目の前の真奈と呼ばれる女性は、腰に携えた2本の剣に伸ばしていた両手を止めた。
「火銀の十傑、県内で2番目の勢力を誇るギルドの副会長ともあろうお方がレベル1の初心者をお相手にそんな事をしてよろしいのですか?」
「その服装...協会の方ですか」
上下ストライプの入った紺色のスーツを着た切れ目で肩まで伸ばした髪の男性を見るや否や、真奈だけでなく、その他全員がバツの悪そうな表情で臨戦体勢を解いた。
「ダンジョンの出現情報を聞いてすぐに駆けつけたのですが、まさか攻略されていましたとは、攻略したのはこの方ですか?」
自分にではなく、揉めている相手に自身の事を聞くあたり、少し苦手意識を感じる琳は相手の方に目線をやる。
「私達のダンジョンを横取りした人の事でしたら、この方で間違いありません」
「まーだいってるよ、高校生相手に大人げねぇ〜」
「っ!?...あなた高校生だったの!?」
未成年という立場を利用して、相手の大人げの無さを突こうとした所、思った以上に効いたのか、目の前の相手が大きく目を見開き、同時に後ろにいたメンバー全員がざわつき始めた。
そんな中、1人だけ平静のまま琳の元へと近づき、耳元で囁いた。
「それは不味かったね〜、おかげで君を連れて行かないといけなくなっちゃたよ」
「えっ?なんでですか!?」
「なんでだと思う?」
にこにことした笑みを浮かべながら、耳元から離れ、ぶりっこの様に首を傾げながら目の前の男性は琳の質問に質問を重ねた。
そして冷静になって、先程の高校生というワードが頭の中を駆け巡った後、琳もまた微笑みに、苦笑いで返しーー
「へへっ、もしかして...ダンジョンって未成年は近づいちゃ不味かったですか...?」
「いいえ?覚醒者協会の方で発行した未成年ライセンスをお持ちであれば、最低3名の大人の覚醒者を連れ添えば問題はないですが...見た所お一人の様ですね!」
「結局ダメなのかよ...」
そう元気良く無駄な会話を続けた男性に対して、ため息混じりに肩を落とす琳。
それから琳の身柄は一旦覚醒者協会と呼ばれる組織の男性に引き取られる事となった。
そして協会に向かうまでの車の間、琳は一言も発さずに2時間後、市内にある覚醒者協会へと到着した。
聳え立つビル群の中でも一際大きいビルの中へと入っていき、琳はそこで漸く一言言葉を口にした。
「でっかー」
「あ、急に喋った」
「...」
「あ、また黙った」
ビルの中へ入ると、改札の様な荷物検査をする様なゲートを通過して入り、受付の女性スタッフに耳打ちをした後、別の男性スタッフの案内でエレベーターへと一緒に向かった。
そして役20個ほどのボタンの内の-5を押して、5階下へと下がった後、薄暗い一室の中へと1人入れられ、鍵を閉められた。
部屋は大きな一室だが、部屋の真ん中に設置されたガラス張りの仕切りには、何処かドラマで見た監獄の面会室の様な印象だった。
ザザッ
『あー、あー、聞こえてますか?』
突如天井から聞こえたアナウンスに、顔を見上げる。
『あ、聞こえてるみたいですね、まぁ一旦落ち着いて椅子に座ってください。ちょっと怪しい雰囲気が漂う部屋ですけど、担当者が質問をするだけなんで、担当が来るまでもうちょっとお待ちくださーい』
聞き慣れた軽い男の声に、取り敢えず椅子に座ると、同時にガラス越しから見える扉から、声のする男性と同じ色とタイプのスーツを着た女性が入ってきた。
「君が例のね...まさか本当に高校生だなんて。まぁ取り敢えず先に挨拶の方から、私は覚醒者協会茨城支部所属の美坂よ」
「加ヶ野琳です」
『へぇ〜加ヶ野君って言うんだね』
「加ヶ野くん...早速だけど貴方には2つの違反事項が挙げられているのだけれど、なんの事かは聞いたかしら?」
「聞いてはないですけど、大体予想はつきます。未成年でダンジョンに入ったのと、クリアしたダンジョンが予約されていた事ですよね?」
「そう、君にはその2つの違反行為を行ったから此処に連れてこられたの。でも勘違いされない為に先に言っておくけど、違反事項はそんなに重い物ではないし、君は未成年だから何か罰せられる事はないのだけど、こちらとしては事情を聞いておく必要があるのと、損害賠償を求めてきている相手に説明をしないといけないのは理解してもらえるかしら?」
「はい。僕も寧ろそのつもりで来ました」
「話が早くて助かるわ、じゃあまずはダンジョンに入る前の出来事から教えて貰っても?」
それから琳はダンジョンに入る前の事を事細かく1から説明し、美坂と名乗った女性はそれを全てパソコンに記録していった。
....
.......
「なるほどね、それでやむおえずダンジョンを攻略したところを火銀の十傑に絡まれたと」
「はい」
『1つ僕からも良いかな!』
「...」
「市川君、さっきから相槌はうるさいし、取り調べには横槍を入れてくるし、良い加減にしてちょうだい」
『まぁまぁ美坂さんそう言わずに...えぇっと、あのダンジョンはE級ダンジョンって言って、統計データで話すと、大体レベル20くらいの覚醒者が10人がかりで攻略するのが基本なんだけど〜、加ヶ野君は非覚醒者なのでどうやってクリアしたのか?』
喋り方から室内アナウンス越しであのニヤついた顔をしている気がしつつも、質問の内容に関しては、本質を捉えた鋭利な内容だった。
「まず最初にその質問には答えたくないのが僕の希望なんですけど、僕からの質問にも何も聞かず答えてくれたら、その質問に答えたいと思います」
『うっはは〜、ね?美坂さん!この子すごく賢いでしょ?』
先ほどの質問の際に感じた鋭い雰囲気から一変、突如なじみの能天気な雰囲気に戻り、ガラス越しの女性に笑いかけ、受け手は呆れた顔で何も言わず、琳に視線を戻した。
「質問というのは?」
「はい、ダンジョンが初めて出現してから確か何年経ったんでしたっけ?」
「ダンジョンが出現したのは西暦2027年で...今は29年の9月だから、2年くらいじゃない?それが質問?」
「いえ、その2年で起きた事をざっくりでいいので説明していただけませんか?できれば年表にして何があったかを知りたいです」
「それを知ってどうするの?」
「僕の記憶と齟齬がないかを確かめる為です。それ以上の質問は控えていただければと」
「...わかったわ」
記憶があやふやなという設定で、相手にそうなのかもしれないと思わせるブラフをかけて、眠っていた2年間の間に何が起こったのかを、見た感じ覚醒者協会と名乗る程に詳しそうなので事細かく教えてもらう事にした琳。
そしてダークグレーの毛先にパーマのかかったロングヘアーの前髪をかき上げて、美坂は少し待つ様に言った後、部屋から出ていき、少し時間が経つと授業で使う様なホワイトボードを引きながら入ってきた。
「紫原くん、このガラス邪魔だから上げてちょうだい」
『合点です』
互いを遮っていたガラスが低く唸る機械音と共に美坂の合図で上がっていく。
「それじゃあ書いていくわよ」
そう言って手に持っていたタブレットを確認しながら、つらつらと月毎の年表を描き始める美坂。
(一応嘘がないか念の為アレでも使っとくか)
『スキル《六識》の眼識を使用します』
(おぉ〜使いたいって頭で念じたら使えた!)
視界的な変化としては少し暗くなったくらいで後は何も変わらなかった。
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『2027』
▼6月
・ファーストインパクト
・覚醒者の出現
▼9月
・世界各地にチュートリアルゲートが出現
▼10月
・対異次元超常現象世界会議
▼11月
・日本で最初の政府直轄ギルドが誕生、同時に世界共通の覚醒者に対する法律が作られる。
▼12月
・セカンドインパクトにより、第二世代の覚醒者が世界で次々と出現。
・世界で最初のレイドゲートを確認
『2028』
▼1月
・日本のレイドゲートが攻略され、チュートリアルゲートが消失すると同時に、メインゲートと呼ばれる本来の難易度が設定されたゲートが次々と出現。
▼2月
・世界で初めてのEXゲートの確認
・鳳財団が『マーケット』を設立
▼3月
・覚醒者の潜在能力の限界を確認
・ユニークスキルの確認
▼4月
・非営利団体覚醒者協会東京支部が設立。ダンジョンの所有権が全て協会、または国の所有物となる
・覚醒者等級制度の設定
▼5月
・ユニークボス、ユニークアイテムの確認
・日本初のS級覚醒者が誕生
▼7月
・アメリカの研究チームが覚醒者の潜在能力を識別可能な装置『メティス』の開発に成功。
▼9月
・日本海の中心地に次元のひび割れを確認。同時に世界各地でも次元のひび割れを確認。
・世界で初めて、ゲートブレイクによって一国が滅びる。
▼12月
・世界各地にに出現していたひび割れがレイドゲートへと変化、その後出現していたエリアを
侵食していき、エリア一帯がモンスターの巣窟と化する。
・S級覚醒者8名で島への合同攻略作戦が開始され、S級1名、A級7名の死亡者を出しつつも攻略される。
▼1月
・メインゲートの難易度が1段階上がる。
・メティスを改良したゲート測定器『フレグナ』が開発される。
▼3月
・中国のゲートにて塹華峡と呼ばれるダンジョン内で初めて人間の居住地を確認、ゲート内の人間と接触し、ゲート攻略まで、交流を始める。
▼4月
・ゲートブレイクによる生態系への影響が現れる。
▼6月
・衛星とフレグナの技術を応用したダンジョン特定装置『オブサーバ』を開発し、衛星からダンジョンの発生を瞬時に特定可能になった。
▼8月
・東京都上空に次元のひび割れを確認、オブサーバ上のデータではゲートとの事。
▼9月
・EXゲートにて、言語を操るモンスターを確認。
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「ってとこかしら、何か聞きたいことは?」
(一応嘘はなさそうだな!それより俺のいない間にすげぇ面白そうな事起き過ぎだろ...なんだよEXダンジョンとか、レイドゲートって...S級の覚醒者に、ユニークスキル...頭がパンクしそうだな...他にも色々固有名詞だけど、大体何が起こってるのかは想像はできる...)
「どうしたの?」
「あ、いえ、ちょっと考え事です」
「じゃあ今度は私たちの質問に答える番ね」
「非覚醒者の自分がどうやってダンジョン...じゃなくてゲートですよね?」
『ゲートは上が勝手に決めた名称で、世間一般的にはダンジョンっていう人もいれば、ゲートって言う人もいるんだ、だからどっちで呼んでも大丈夫だよ〜』
「いちいち横槍を入れないで」
『はいはーい』
「まぁ結論から言うとアイテムです!内緒にして欲しいって言われてるんで名前は伏せますけど、S級覚醒者の親戚が居るんですけど、その人が貸してくれたアイテムを使って倒しました」
「アイテム...非覚醒者でも装備できるアイテムでE級ゲートを攻略するなんて、それもあの速度で」
『そのアイテムっていうのはどういう物なんだい?』
「それは伏せさせて貰います。口外を硬く禁じられてるので...ただ」
『おっ、ただ?』
「ヒントを出すとしたらステータス増強に関係しているアイテムです」
『なるほど〜、わかんないや〜』
「何がとは言えないけど、そのアイテムで攻略したと...情報を伏せられている以上詮索はできないわね、質問は終わりよ」
「え?こんなにあっさりで良いんですか?」
「えぇ、貴方のバックにS級が関係している以上私達は取り調べという口実以外で貴方の事は詮索できないようになっているのよ」
「はぇ〜、さすがS級ですね〜、でも未成年でダンジョンにクリアした件については...?」
「それについては警告で済ませておくわ、3回警告されるとブラックリスト行きになるから気をつけなさいね?」
『まだポカンとしてますよ美坂さん〜、ゴホンッ、僕が掻い摘んですると』
『まず火銀の十傑が予約してたダンジョンの攻略については、聞いた話だとゲート外で被害者が出てるから、この場合は法律的にゲートの攻略をしても良いって事になるのと、未成年だからなんの罪には問われない!でも未成年でダンジョンに入ったのはダメだから、それについては協会側から注意っていう形を取るよって事〜』
「なるほど〜、まぁ罪に問われないだけマシなんで、甘んじて注意は受け入れます」
「理解が早くて助かるわ、それじゃあこちらにサインして何も問題なければ、帰って良いわよ」
『理解が早いというより、僕の説明が』プツッ
話の途中で声が途切れるも、表情1つ変えない目の前の女性を見て、彼女の仕業だと理解し、同時に琳も音が切れた事には一切触れず、サインをした後、その場を後にしようとしたが、何かを思い出したかのように、部屋に戻る。
「何か忘れ物でも?」
「いや...あの、初めて会った人にこんな事頼むのもなんですけど〜...東京までの交通費がないんで貸してくれませんか?」
そんな琳の申し訳なさそうな表情に、美坂と呼ばれる女性は、何拍子か置いた後、ニンマリとした表情でこう答えた。
「貸して欲しいなら...それなりの対価は必要でしょうね...かといって高校生相手に何か要求するってのも違うし...貸したところで帰ってくる保証もないですし...」
明らかに口では遠慮しているが、態度と表情に何を要求しているのかがわかった琳は何も言わずに閉じていたポップアップを開き、ウィンドウに書いてあったクリ報酬の受け取りボタンを押した。
ピロンッ
【以下のクリア報酬を受け取りました】
・狼牙種の血牙(換金アイテム)
・狼牙種の血爪(換金アイテム)
・狼牙種の毛皮(換金アイテム)
・下級増魔石
・灰色の種
・止血ポーション×3
・魔鉱石(水色)×2
・魔鉱石(黒)×1
・刻印書×3
「んー狼牙種の血牙と刻印書でどうですか?」
「へぇ〜狼牙種のモンスターを倒したのね...それと魔鉱石も出てるはずだけど、何色のが出たのかしら?」
「えーっと赤と黒ですけど...」
「じゃあ先程言った素材と刻印書に加えて黒で手を打ってあげるわ」
「わかりました、ちょっと待ってくださいね」
そういうと琳はインベントリから赤い腕サイズもある牙と、魔法陣が描かれた紙切れを取り出し、魔鉱石を取り出す前に一度どういうアイテムなのかを確認した。
【魔鉱石:武器や防具を鋳造する際に使う素材アイテム。色によって作製される装備の等級が変わり、白、青、赤、緑、黒の順で等級度が上がる】
「へぇー、まさか価値を知らない高校生から表情一つ変える事なく、1番高価な物を要求してくるなんてー」
「ふふっ、お堅い協会の公務員だけど、私も歴とした1人のプレイヤーよ、どうするの?お金がないと帰れないみたいだけど...?」
「そうですね、では此処で貴女に頼むより他の人と定価で取引したお金で帰ろうかと思います」
「うっふふ、そうしなさい。それと此処は協会よ、ダンジョンで入手した換金アイテムは全部此処でお金に換金できるし、マーケットを利用すればプレイヤー同士でレアアイテムと素材を換金できるわよ」
「なるほど...それは良い事聞きました!では情報料としてこちらを」
そう言って琳は手に持ったアイテムと、魔鉱石(黒)を美坂に手渡した。
「今いただいた情報量の分だとお釣りが出ると思うので、そのお釣り分の交通費を頂く形で今回は手を打ちましょう」
「ふふっ...本当に喰えない子ね」
そんなこんなで培ったMMOでの取引スキルを発揮しつつも、無事帰りの交通費として1万円と情報をアイテムと引き換え、協会を後にした。
...
.......
屋上のベンチで見るいつもと変わらない景色と街並み。片手に持った缶コーヒーを熱くもないのに啜りながら飲む。
僅か2年の在籍期間で見つけた唯一の誰にも邪魔されない静かな心地よい空間に、後ろから近づいてきた人影にため息をこぼす。
「どうでしたか美坂さん?」
「...はぁ、正直私にも分からないわ、スキルと称号は文字化けで見えない、おまけにステータスは全て0になってた、S級覚醒者がバックに付いてることも勿論嘘だったわ」
「はは〜、やっぱり訳あり物件でしたか〜」
「貴方は昔から感の鋭い子だったから、もしかしてと思って来てみればだわ」
「丁度頼んでいた資料を先程確認したんですけど見てみて下さい」
そう言って右手に持っていた再生紙のクラフトパッカーを受け取り、中に入っていた紙を見る。
「...2年前に失踪した青年ですって?」
「人類で多分最初に起きたダンジョン崩壊に巻き込まれた事件、テレビでも取り上げられて当時では有名になったあの事件の当事者です」
「もしかして崩落したダンジョン内から脱出したって事?」
「もしくはその姿を借りた何者かと僕は踏んでいるのですが...まぁでもこれは考え過ぎですかね?」
細長い切れ目を片方だけ見開きながら、協会から出ていたく例の青年を見下ろす。
「そんなあやふやな状態で帰らせたけど、良かったのかしら?」
「大丈夫だと思いますよ、話していた感じまだまだ垢抜けてない思春期な感じだったんで」
「そういう適当さのおかげで前回被害者が出たのもう忘れたの?」
「あっはは、痛いとこついてきましたね〜、それより僕は仕事が終わったのでこの後一杯どうです?」
「貴方の一杯は一杯じゃないからね...丁度私も相談したい事があったし」
「奴らがまた動き出したんですか?」
「えぇ、東京での動きが活発化しているみたい」
「なぜか突如として現れたレッドプレイヤーで構成された裏ギルド...目的はなんなのでしょうね〜」
最後の一口を啜り終えると、美坂は手元の資料を紫原に返す。
「国内9人目のS級なのか、それとも...」
返されたクラフトパッカーの背面に書かれている『観察対象』を見ながら、小さくつぶやいた。