五話 最後の修練
学年末。卒業生は講堂にて、卒業式を行っていた。
そして落第生は、学校にある一つの教室で退学を告げられていた。と言っても、この時期まで残ってこれた生徒で実力不足として退学となるのは俺だけだ。
「ノット君。君は退学だ」
「はい」
「君の努力は我々も知っている。その恵まれた体質も。けれど、規定基準に到達できていないので卒業させることはできない。せめて卒業生として送り出したかったが、こんな形で済まない。君は誇り高いインフェア騎士学校を最後まで生き抜いてきたのだから、あの場に立つ資格があったのに……」
「いいんですよ。半年以上前から覚悟していたことです。それより今まで退学にならないように援助してくださり、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、心からの感謝を述べる。
「そんなことは気にするな。この学校は能力による減点評価を行わない。最後まで落第しなかったのは君の実力だ。誇りに思いなさい」
「はい」
思わぬ言葉に涙が出そうになる。
俺の目の前にいるのは、四年生の学年主任のクートゥア先生だ。厳しいことで有名で、滅多に生徒を褒めない。
その先生が俺を褒めてくれた。これまでの努力が報われた気がした。
本当なら、先生は今頃卒業式に出席しているはずだが、俺のために外れている。退学になってしまったが、最後まで残った俺を祝福するためだろう。
先生には感謝しかない。先生は俺が退学にならないように助けてくれていた。いや、先生の言う通り、能力による減点評価をしないという校訓を守っただけかもしれないが、確実に迷惑は被っていたはずだ。
俺の味方をする先生や教官は少ない。むしろ、俺を退学させた方がいいと思っている先生は結構な数いた。そんな中でクートゥア先生は中立の立場で規律に沿って行動し、結果的に俺を助けてくれていた。
「これからはどうするんだ? 兵士になるなら書状を書こう」
「ありがたいですが、兵士にはなりません。冒険者になろうと思います」
「……」
顔をじっと見つめられる。
「何か考えがあるようだな。無鉄砲でないのなら良い」
「はい。これまで本当にありがとうございました」
再度深々と頭を下げる。
「では、これで」
「ノット君。無茶はするなよ。死ななければ希望はいくらでもあるのだから」
教室から出る間際に忠告される。
まるでこれから俺がどうやっていくのか理解しているかのように。
――
見慣れた小さな訓練場で形見の大剣を持って待つ。少しすると、ヴァレンス教官が現れた。
「すまんな。だいぶ待っただろう」
「いえ、お世話になった先生に挨拶に行っていたのでそうでもありません」
クートゥア先生の他にも、ステン先生を筆頭に助けてくれていた先生は数人いたので、その先生方の所を回っていた。
「そうか。……今日で最後になるな」
ほんの僅かに哀愁が漂う。
「では、餞別に戦士の頂の片鱗を見せてやろう」
瞬間に構えるが、攻撃が来ない。ヴァレンス教官は見せつけるように悠然と曲刀を鞘から抜く。視力を強化できず魔力が見えない筈の俺にも、刀身を纏う大量の高密度な魔力が空間を歪めているのが分かる。
まさか、あれを使うつもりなのか?
「ヴァレンス教官、殺す気ですか? 可愛い教え子の門出ですよ?」
全身から汗が滝のように流れ、脚は痙攣しているかのように震えている。
「安心しろ。殺しはせん」
それって殺しはしないだけで大怪我はさせるってことじゃんか。
どうするんだよ。
武器で受ければ確実に真っ二つにされる。
じゃあ身体で受けるか?
そんなの怖すぎて無理だ。
でも形見の大剣を切断させるよりマシか。
もう祈るしかない。
お願いします!
「目を瞑ってどうする。刮目しろ」
「はいぃ!」
目を閉じて祈る俺にお叱りの声がかかる。命令に逆らえばさらに状況が悪化するのは必然。
勇気を振り絞って目を開ける。怯える俺が滑稽なのか、口角を上げている。少し怒りを覚えるが、それどころの話ではない。
ヴァレンス教官はラグリース流の剣士である。ラグリース流は剣聖ウェンダールが開いた流派で、湾曲した片刃の剣を用いて戦う。
最大の特徴は、切断魔法を付与した曲刀で斬ることに特化した剣技を扱うこと。開祖の剣聖ウェンダールは歴史上最強の剣士であり、切断魔法と剣術を融合させ最強の剣術を創り出した。
名前の由来は、古代語で切り裂くという意味を持つラグリースから来ているらしい。その名に恥じず、物を斬ることに関してラグリース流の右に出るものはいない。
だが、ラグリース流の高弟と切断魔法の使い手の剣士は、刃が無い分厚い曲刀を使う。これは、名匠の打った業物よりも自身の魔力と武器の魔力触媒によって生み出される刃の方が切れ味が良いからである。
普段、ヴァレンス教官は魔力刃を生成しない。ラグリース流の高弟である教官がそんなことをすれば、俺は技を磨く前に死んでしまうからだ。
教官が曲刀の間合いに入った。今すぐにでも逃げ出したいのに、体が言うことを聞かない。教官が中段から、滑るように上段に構える。
「え?」
上段からの振り下ろしってまずくね?
頭斬られない?
そんな考えが巡った瞬間。目の前に刀身があった。
一呼吸置いて頭の防具が落ちる。
続けてへたりと腰が落ちる。
立とうとするが、全身に力が入らない。
恐怖は去った筈なのに、心臓がうるさいほど鼓動している。
「どうだ?」
先ほどまでの重圧感は消え失せ、ぶっきらぼうに問われる。
「い、いや、どうだ、と言われましても。死ぬかと思いました」
息も乱れているので、返答に詰まる。
「そうではない」
溜め息を一つついて呆れられる。
「私の剣技に何を感じた」
「……怖かったです。ただひたすらに。これ以上の恐怖を感じることはないんじゃないかと思いました」
刀身を纏う濃密な魔力の威圧感で、磨き上げられた至高の剣技の美しさなど感じる暇はなかった。
「それでいい」
正解を当てたようで、機嫌が良さそうに見える。よく分からないが、怪我をしなくて済んで良かった。本当に腕を両断されるくらいは覚悟してた。全身が汗で濡れていて気持ち悪い。いつもの修練の後よりも汗をかいている。
汗を拭こうと立ち上がろうとするも、力が入らない。情けなくへたり込んだままは嫌なので、引っ張り起こしてもらう。機嫌が良いおかげか、仕様がないとばかりに引き上げられる。
痛い!
引き上げる力が強すぎて肩が脱臼した。さっきの事といい、流石に黙っていられないので、抵抗の意思を見せると黙って肩を殴られた。
痛い!
脱臼した肩は気持ちよくハマったが、勢い余って肩の骨を砕かれた。再度睨みつけると、拳を振り上げられた。
すみません!
次は意識を刈り取られると思ったので、即座に平謝りする。今日で最後だというのになんて人だ。
「今日はこれで終わりですか?」
このまま終わるのはなんか嫌だ。
「私はやってもいいが、お前はできる状態なのか?」
「いえ、無理です」
ただ突っ立っていただけなのにもう体力の限界である。
「けど、最後だから格好良くこれまでの集大成的な感じで模擬戦をしたかったなあ、と」
ついでに褒めてくれると思っていた。
「そんなことに何の意味がある。それ以上に価値のあることをやっただろう」
「ただ怖がらせられただけだと思うんですけど」
教官は額に手を当てて溜め息を吐く。
「まあ、いい。今日のことはお前が行く道を歩むときに必ず役に立つ。今は分からずとも、役に立ったときに理解すればいい」
俺はダメな子らしい。
今日でヴァレンス教官との修練は終わりだ。アロルドとレナートの決闘を見たあの日からさらに厳しくするようにお願いして、俺の技量は大幅に上昇した。壮絶な日々だったが、それに相応しい成果が得られた。防御だけでなく攻撃面も鍛えてもらって、他の生徒との模擬戦では勝てはしないが、防戦一方ということは無くなった。
今日は格好良く終わりにしたかったが、まさかの展開になってしまった。けれど別れの挨拶くらいはしっかりしたい。防具を脱いで、汗を拭き、服装を整える。
「ヴァレンス教官。今まで本当にありがとうございました。俺がこの学校で最後まで残れたのは、先生に面倒を見ていただいたおかげです」
「そうだな」
断言し、少しも謙遜しない。
「一線を退いたとはいえ、名誉あるウィシュトル王国特級騎士に指導していただいたこと、一生忘れません。この御恩はいつか必ず返します」
「返す前に死にそうだがな」
「そう思っても言わないでくださいよ。最後くらい格好つけさせてください」
本当にそう思ってるところがタチが悪いんだよな。
「では、これで。本当にありがとうございました」
頭を深々と下げて別れを告げる。
「ノット。最後に一つ。筋肉を付けすぎるなよ。今の筋肉量が最適だ」
歩き出そうとして躓きかける。
「分かってますよ」
僅かに怒気を込めて言う。
「今は大丈夫だろう。だが、冒険者というのはこの学校の者とは違う。体格も戦闘スタイルも。それらに惑わされるな」
「……そうなんですか。それは教えていただきありがとうございます」
今言うことかと思ったが、有益な忠告だったので不貞腐れながらもに聞き入れる。
「それでは今度こそ行きますね」
「ああ、ではな」
何というか思っていた別れとは違ったが、胸に来るものがある。ほぼ毎日厳しい修練を受けてきた。褒められたことなど一度もない。
だが、この学校にいたどの教官、どの先生よりもお世話になった。ぶっきらぼうで無愛想、その上傍若無人だったけれど、親身に付き合ってくれた。必ずこの大恩は返さなければならない。
俺はこれから冒険者として一人でやっていく。当初は兵士になるつもりだった。だが、数日前にレナートに話を聞いて状況が変わっていた。
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