二話 ノット
目が覚める。昨日の模擬戦で滅多打ちにされた体が痛い。治癒魔術を受け、骨折などの重傷箇所は治ったが普通に痛いのだ。起き上がるのを嫌がる身体とは裏腹に、一部分だけ元気良く起き上がっている。
こんな状況で性欲が減退したのに、朝だけは元気だ。そんなに自己主張されても、昔とは違い、もうお前の出番は来ないかもしれないんだがな。
過去の栄光だが、昔はモテた。身長も高く、体格と顔も悪くない。そしてなにより強かった。二年の半ばまでは学年首位のアロルドと並んでいた。魔力を扱えない状態で魔力で強化してくる相手をなぎ倒していたのだ。単純な強さだけでなく、将来有望であるのは明らかだった。
それで顔が悪くないとなれば、女の子がほっとくはずがない。何人かお相手したが、今では一様にゴミを見るかのような目を向けてくる。世知辛い。
気怠い体を起こし、着替える。洗面所で洗顔と歯磨きをして、リビングに向かい、朝食をとる。
「おはよう、父さん」
朝食の準備をしてくれている父さんに声をかける。
「あぁ、おはよう、ノット」
朗らかな笑顔で返してくれる。
父さんは温和で優しい人だ。滅多に怒らない、というより生まれてこの方怒られたことが無い。いつも俺を優しい笑顔で包み込んでくれる。母さんは母親というより父親という感じで、父さんは料理が上手で博識、一般的に母親がすることは父さんがしていたから、俺にとって母親のような存在で昔から大好きだ。
席に着いて、父さんと朝食をとる。父さんの手料理は最高に美味い。父さん特製の旨味調味料を料理に合わせて使い分けているので当然だが。さすがこれで生計を立てているだけある。我が家の長は、大黒柱な上に良妻賢母なのだ。
「美味しいかい?」
「うん、父さんの料理は世界一だ」
盛ってはいない。父さんの料理より美味いものは食べたことがない。これからのことは分からないが……。
「じゃあ、今日の料理はいつもと違うのには気付いてくれたかな?」
期待を込めた表情を向けられる。
「うーん……少しまろやかになった?」
自信無さげに答える。
「ちょっと違うかな」
父さんが少し残念そうに乾いた笑みを浮かべる。
バカ舌でごめんなさい。不甲斐ない息子は、父さんのような繊細な舌は持っていません。有耶無耶にするために、残りを一気に掻き込んだ。
「美味しかった。じゃあ行ってきます」
壁に掛けてある鞄を取って、玄関に向かう。
「はい、いってらっしゃい」
強引にこの場を乗り切ろうとしたのが可笑しかったのか、くすりと笑って見送ってくれる。
父さんには、感謝してもしきれない。お金を稼ぎ、嫌な顔一つせずに家事を全てこなしてくれる。
うちには母親がいない。母さんは俺が幼少のときに亡くなった。母さんは身長が高く、筋肉質でガチガチの武闘派で、高位の冒険者だった。性格は快活で豪胆、女っ気は皆無。母さんが旅から戻ると旅の話を強請り、空いた時間には稽古をつけてもらっていた。
けれど、あるときモンスターの毒を受けて、不治の病になってしまった。魔術・魔法でさえ治すことができない強力な毒で、普通なら死んでいるが母さんは体質のおかげで瀕死で済んだ。伝説的な霊薬なら解毒することができたが、そんなもの手に入るはずもなく、できることは高価な薬で延命させることだけだった。
都会に住んでいたが、母さんの容体を考えて長閑な村に引っ越した。母さんはいつも楽しそうにしていたが、俺は悲しかった。泣いたことなんてなかったのに、ベッドに腰掛ける母さんの姿を見ると涙が止まらなかったのを覚えている。そんな時や俺がくよくよしたときに必ず母さんはこう言った。
『ノット、楽しそうにしな。どんなに辛くても、笑顔で幸せそうにね』
初めに言われた時は、なぜそうしなきゃいけないのか分からなくて聞いた。
『なんで?』
『心と体というのは繋がっていてな、心の状態は体に影響する』
『分からないよ』
『まあ、つまり心が強い奴は体も強いんだよ。あとな、人は楽しそうにしてる奴と一緒にいたいんだよ。だから母さんのために楽しそうにしろ』
やはりよく分からなかったが、強くなれるということと母さんのためにそうした。今となってみればかなり助かっている。この教えがなければとっくに心が折れていただろう。ヴァレンス教官にも好かれてなかったかもしれない。
後に分かったことだが、母さんは体質や肉体レベルを考慮してもかなり延命していた。その時に『心の状態が体に影響する』という意味を理解した。それに辛気臭さを取り払ったら、友達がたくさんできた。
武術以外で母さんに教わることは少なかったけど、とても大切なことを俺に教えてくれた。これは母さんが残してくれたもので一番大切なものだ。
思い出に耽っていると、学校に着く。侮蔑などを隠そうともしない不躾な視線を受けるが、堂々と廊下を歩き教室へ向かう。せっかく可愛い容姿をしてるんだから、笑顔でいればいいのに。ついでに優しくしてくれたら最高だ。俺にそんな対応をしてくれる子はこの学校にはいないか。
でも分からないぞ。魔力が無くても必死に頑張る姿が素敵、と思っている子がいるかもしれん。
「おはよう」
教室に入り朝の挨拶をするが、誰も返答しない。相変わらず無視ですか。当たり前、というのは悲しいが、俺にはこの学校に友達は一人もいない。中から上位の生徒は大抵この学校に誇りを持ってるし、下位の生徒は低学年のときに俺にボコボコにされていたから嫌っているんだろう。残りは無関心と、俺と仲良くして上の連中に目をつけられるのを怯えて関わらないようにしてる奴か。
だとしても挨拶くらいしてもいいんじゃないかねぇ。挨拶してはならないという御布令でも出てるのかと疑っちゃうよ。……いや、まさかな。
一人で一時間目の予習をしていると、教室が騒がしくなってきた。特に女子の黄色い声が響く。あの百分の一でもいいから女子人気が欲しい。人が割れて、顔が眩しいほどに光り輝く男子が近づいてくる。
「おはよう、ノット君。少しいいかなってどうしたんだい、そんな眩しそうな顔して」
「おはようございます。いや、朝から見ると眩しいなと思いまして」
目の前に立つ、この学校人気ナンバーワンの男の名はレナート・カカール・ランダレン。カカール伯爵の子息で、端正な顔立ち、優れた武術と魔術に怜悧な頭脳を持つ天才だ。いや、天才というのは彼に失礼か。
レナートは一年生の頃は大した生徒ではなかった。けれど、その恵まれた家系と才能も霞むほどの努力の跡が所々に見える。そして今では、インフェア騎士学校の三騎士の一人だ。
三騎士というのは、この学年で突出した実力を持つ三人をそう呼んでいる。王国中の天才が集まるこの学び舎で、圧倒的な存在というのは大変珍しい。
ちなみに残りの二人は、学年首位のアロルド・ノルドス・モーレンテルと稀代の天才フィオレット・ワトレ・アーバイン。
「うん? まあ、いいか。今日は君の能力について話があるんだ、ここじゃあ話しにくいから場所を移さないか?」
少し距離を置いてこちらを見ている生徒を一見してから提案される。
「その話ならいいです」
「でも、この話は――」
「能力のことについてはもう自分の中で折り合いがついてます。貴方が罪悪感を感じる必要はない」
レナートの言葉を遮って、その話題を拒絶する。
「……分かった。でも気が変わったら話しかけてくれよ。君にとって有益なはずだ」
「ええ。気が向いたら」
去り際、レナートの拳は強く握り締められていた。レナートは俺が魔力を持たないことを明かした張本人だ。けれど、あれは依頼であったであろうし、彼の家や今後を考えるとあの選択は正解だった。
しかし、レナートは貴族にしては珍しく民に対する情を持っていた。魔力を扱えていないのではなく、魔力が無いということは死刑宣告のようなものである。それを明かしたことに対して罪悪感を感じているのであろう。たまに、ああして気にかけてくれる。
けれど、俺もレナートに能力に関して話かけられるといい気分じゃないから、顔に出てしまっているのだろう。それがまた彼を苦しめるんだろうが。
「何よあれ。レナート様がせっかく哀れな無能に話しかけてくださっているのに」
「本当よ。無能のくせに」
「レナート様の温情を無下にするなんてありえないわ」
女子が口々に不平を並べる。
全く、人には触れてほしくないものってのは、誰しもあるでだろうが。特にとどめを刺された者に対しては人一倍強くなるだろう。
せっかくの清々しい朝が台無しだ。まあ、俺が大人になればいいのだろうが、これは難しい問題だからな。学年末までにもう少し大人になって、心に余裕が生まれたらレナートに話を聞きに行こう。
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