勇者マサヒコと導きしふたり
五月病という言葉がある。
これは日本特有の精神性適応障害で、新年度から一ヶ月経った五月頃によく見られるため俗にこのような名称で呼ばれる。
思い描いていた新生活と、現実の生活とのギャップからくるストレス等が要因と云われ、倦怠感や疲労感、自信喪失やそこからくる自虐思考等といった症状を発する。
まあ、GW明け前後の、仕事や学業を再開することに対する現実逃避だったりするのだけどな。
対処としては『一切の思念を棄すて、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がける』に尽きるだろう。因みにこれは、中島敦の『悟浄出世』の一節だ。
要するに「ぐたぐた言ってないで行動しろ!」ってことだな。
で、なんでこんなことを言ってるかというと…。
▼
GWから数日後。
問題児だったフェアリーテイルのふたりも大人しくなり、その育成は着々と進みつつあった。
そのお陰で、暫く休んでいたリトルキッスの活動も、漸く再開できそうな状況となっていた。
まあ、休んでいたと言っても、一応この春からのTVアニメ主題歌やCMなんかで曲が使用されてたこともあって、世間で休業だなんだなんて云われることは無かったけどな。
とはいえ漸々次の活動をしていかないと拙いわけで、そんな理由でオレはリトルキッスの新曲の制作を再開した。
そして再び数日後。
その日は中間試験の準備期間で半日授業だったため、事務所に寄って曲を提出して帰ることにした。
で、その帰り、駅から少し歩いた所で懐かしい…という程じゃないけど、久し振りな顔を見掛けた。
「よう、真彦」
こいつとは3月の卒業式以来だから二ヶ月振りか。
「なんだ、純じゃねえか。
由希達は一緒じゃねえの?」
「見てのとおりだよ。
いつも嘗もあいつらと一緒ってわけじゃないからな」
「ま、そりゃそうだ。
高校生ともなりゃ、それぞれにいろいろとやることも出てくるだろうしな」
「まあな。
とは言っても、中学の時とそんなに変わったりはしないけどな。
それより真彦は最近どんな感じなんだ?」
真彦とはお互いに違う学校に通うようになったわけだが、だからといって疎遠になったりすることもなく、相変わらずの気安い関係だ。
だからこうして、お互いの近況を訊ね合ったりもするわけだ。
「こっちもそんなに変わんねえよ。
それなりに友達作って適当にやってるよ」
で、こうして元気そうにやってると聞くと安心したりするわけだ。
……って、あれ?
なんで由希?
…って、そっか。そう言や真彦は、美咲ちゃんに告白ってフラれてたんだったよな。
やっぱり今でも、そのこと気にしてるんだな。
「るせぇよ、余計なお世話だぜ」
つい口にしてしまったせいか、こんな返事が返ってきた。
……って、なんだよ、急に元気が無くなって…。
……ヤバい。思ったより地雷だったみたいだ。
こりゃ、存外に重症かも…。
「まあ、元気出せよ。
別に嫌われたってわけじゃないだろ。
今までどおり、友達付き合いしてくれるって言ってたんだし。
そんな風にいつまでも、悔々曳き摺ってるって知ったら、美咲ちゃんだって気にするぞ」
正直、フラれた奴の慰め方なんて知らないけど、こいつの場合、フラれたからって相手のことを嫌いになったりするような奴じゃないからな。
だったらその相手のことを出せば、案外立ち直ってくれるんじゃないだろうか。
「解ってるよ、そんなこと。
それについては、あの時にもう結りは着いてんだ。そんなに気にしちゃいねえ……って言ったら嘘になるけど、でも心の整理はできてんだ。そんな心配はいらねえよ。
まあ、もう少し時間は掛かるかも知んねえがな」
まあ、そうだろうな。
こういうのは、時間が一番の薬って云うし…。
そしてまた数日後、学校帰りのオレはまたもや真彦を見掛けた。
恐らく、この前のことが気になっていたからかもしれないな。
美咲ちゃん?
まあ、アレだ。いつものやつ。
無事進学できたことで気が弛んだんだろうな。
あと、由希と天堂も別行動だ。
前にも述べたけど、いつもあいつらと一緒というわけじゃないからな。
偶にはこういうこともある。
という理由で、今日もオレはひとりで帰宅というわけだ。
ん?
よく見れば連れと一緒のようだ。
しかも女の子が二人。
ひとりは真彦より少し背の高い…金髪?
でも見た感じ、素行不良ってわけじゃなさそうだ。
なんだ? 真彦の学校って髪染めOKなわけ?
でもそれ以外は極普通、どこにでも在そうな子って感じだな。
もうひとりは真彦より少しだけ背の低い、人懐っこい感じの陽気な子だ。
どことなく美咲ちゃんに感じが似ている。
まあ、美咲ちゃんとは違って、アレって感じではないけどな。
あと、こっちは普通に黒髪…否、少し茶色系ってるけど、一応普通の髪色だ。
よく見ればふたりとも結構な美人。
なんだよ真彦の奴。「それなりに友達作って適当にやってるよ」ってそういうことかよ。
心配して損した気分だ。
まあ、元気になったんなら、それはそれでなによりなんだけどな。
とはいえ、やはりなんだか癪だ。
なのでただ声を掛けるだけでなく、前回と違って一言付け加えてやることにした。
「よう、真彦、久し振りだな。
ちょっと見ない間に両手に花か?
どうやら全然り元気になったみたいだな」
「ば、馬鹿。そんなんじゃねえよ。
このふたりはただの学校の友人だって」
そんなのは最初から判ってるって。
でも、なんでこんなに動揺してるんだ?
「へぇ〜、私達じゃ花の内には入らないって言うんだ〜。
ひっどい男よねぇ〜」
茶髪っぽい方の子が言う。
美咲ちゃんっぽいって言ったけど取り消しだ。
少なくとも美咲ちゃんは、こういう他人を調戯って喜ぶような性格の悪さは無いからな。
…まぁ、有るように見えてもそこは天然だし…。
なるほど、この子は小悪魔症候群ってところか。
「まあ、真彦にそんなの期待するのが無理なんじゃない?」
一方、金髪の方は、淡々とした口調ながらも、やっぱり酷いことを言う。
「それよりも、『元気になった』って、真彦、なんか起ったの?」
ただ、先程のオレの台詞が気になったのか、真彦に心配そう……かどうかよく判り難いけど、訊ねていた。
いや、本当にこの子、坦々ってくらい淡々としていて、とにかく解り難いんだって。
「な、なんにもねえよ。ただの五月病だよ、五月病」
真彦が必死に誤魔化そうとするけど、流石にそれはないだろう。
「五月病? それってどんな病気だっけ?」
金髪が不思議そうに首を傾げる。
ははは…、こっちがボケ担当かよ…。
最初思ってたのとは全くの逆なんだな。
「ああ、五月病ってのは、日本特有の精神性適応障害で……」
「いや、そういう蘊蓄は否いから」
オレが金髪の疑問に答えようとしたところ、真彦に中断させられた。
「えぇ〜、なんでよ?」
金髪の子が真彦に不満そうに訴える。
まあ、当然だな。
当然なんだけど…、やっぱり金髪の感情は……、
うん、ちょっとだけ解ったかな。
「ふ〜ん、五月病ねえ…。
本当のところは、単に女の子にフラれただけだったりして〜」
この茶髪、余計なところで鋭いな。
話を戻されたこともだが、その勘の良さに絶句させられる。
「うるせーなぁ。余計なお世話だってーの」
「あっ、図星だぁ〜。
で、どんな子だったの?
ねえ、あなたは知ってる?」
うわぁ…、さらに突っ込んできやがった。
幾らなんでもこれは非道い。
「さあな。
それよりいったいどうしたんだ、こんなところまで?」
武士の情けってわけじゃないけど、ここは話を逸らしてやらないとな。
「う〜ん、真彦くんがどんな子にフラれたのか見てみようかと思ってね〜」
おいおい、まだ引っ張るってか。
これ、絶対に度を越してるだろ。
「エリ、巫山戯過ぎ。
本当は私達、音楽のライブハウスを探しにね。
真彦が詳しいみたいだから」
「別にそこまで詳しくないって。
前に知り合いのライブを見に行っただけだって言っただろ」
なるほどそういうことか。
つまり、この子達は音楽ライブを……?
「って、なに?
真彦、この子達とバンドかなんか始めたわけ⁈」
いや、マジか?
仮にそうだとしてもいきなりってか?
「いや、まあ、なんか気づいたら、この子達と一緒にバンドを始めることになっててな」
なんだよそれ。
なんとも放縦加減な理由だな。
まあ、趣味みたいなものなんだろうから、好い加減で宜いんだろうけど。
「経験者の知り合いが在るって言うから、だったらメンバーに入ってもらおうかと思って」
金髪がその理由を説明してくれたけど、やっぱり理由も安直だ。
その理由で適当なのは、マネージャーとかその辺の役割だろうに。
「その経験者ってのが、巧くプロデビューなんかしてくれたら、私達もそのコネで芸能界入りよ。
というわけで、サインだったら今がチャンスよ」
「よく言うぜ、まだなーんもできやしないくせに。
オレも含めてだけど、素人レベルですらないってのに、何を根拠にそんなこと言ってんだか」
茶髪に真彦がツッコミを入れる。
それよりも今の感じだと、兄貴達のことは言ってないようだな。
そうだとすると、当然美咲ちゃん達のことも言ってないってことか。
まあ、その方が面倒が無くて助かる。
「まあ、そこは私達の可愛いさで補めるとして。
ほら、アイドルやなんかそういうのが結構在るって言うじゃない?」
「一応、私達もがんばってるし、そういうこと詳しい真彦も在るし、なんとか成るんじゃないかな?」
…………こいつら芸能界をナメきってやがる。
エリとかいう茶髪だけでなく金髪もだ。
兄貴は疎か、フェアリーテイルのふたりだって、ここまで酷くなかったってのに…。
これが世間一般の評価ってやつなのか。
ああ、なんだかやるせなくなってきた…。
「真彦、お前、こんなの荒唐無稽な奴らと一緒にやっていくってのかよ。
俔えアマチュアでやるにしても、相当無理が有るっての」
文字どおり先の俔通しが弛い。
だからアマチュアってわけじゃないだろうけど。
漱石とかなら『甘茶』なんて当て字をしてそうだ。
こんなんだから『女』と書いて『アマ』と読むんだ……なんて言ったら、世の女性達に一緒にするなと怒られそうだな。
因みに『女』の由来は全くの別で『尼』である。
「なに言ってんのよ。
『苔の一念岩をも通す』ってやつよ。
それに『訥言敏行』って曰うでしょ。
『下手の考え休むに似たり』、『思い立ったが吉日』よ」
あ、この茶髪、小悪魔扮ってるけど意外と天然だ。
なんともツッコミどころが満載だ。
訥言敏行とか下手の考えとか、要するに自分の身の程を卑下してるわけだけど、そこのところ解ってるんだかな。
どの台詞も一見立派だけど、裏を返せばいきあたりばったりでな〜んにも考えてないってことだからな。
この分だと先程のコケも、恐らく虚仮を苔と間違えてんだろうな。
ははっ、皮肉が効いてんな。
こいつ、自分で自分を馬鹿だって言ってることに、気づいてるんだかどうだか。
「まあ、そういうわけで程々にやってるってわけだ。
今はただの興味レベル、所詮はその程度だからな。
とはいえ、切っ掛けなんてそんなものだろ。
あとは、意志と努力と運次第ってわけだからな。
そりゃあ、才能も含るけど、最初はやはり、始めようという意志だからな」
なるほど真彦の言うとおりだ。
こいつらと違って、真彦はその辺りは承知ってわけか。
誰が謂ったか知らないけれど、確かに勇者ってのは、謂い過ぎにしても間違えではないわけだ。
「まあ、そういうことなら好きにすれば縦いさ。晴々がんばることだな」
こうしてオレは真彦と別れたのだった。
▼
その翌日の昼休憩。
オレは早速、真彦の近況を美咲ちゃん達に伝えることにした。
やっぱり皆、違う学校に進学した真彦のことは気になるだろうしな。
「へぇ〜、真彦くん、今そんな感じなんだ。
元気そうにしてて良かった」
真彦をフった張本人ということもあってか、美咲ちゃんは随分と安堵した様子だ。
そりゃあまあ、気にはするなってのは無理な話だもんな。気持ちは十分理解できる。
「ふ〜ん、真彦って意外と切り替えが早いんだ。
もう次の女の子に乗り換えてるなんて。
結構奥手だと思ってたのに、そういう方面には手が早かっただなんて、本当意外よね。
しかも二股掛けなんて、いつからそんな宗旨替えしたのかしら。ちょっと見損なったわ」
「このままハーレムでも目指すの気だったり?
随分と格好付けたこと言ってた割に、いきなり軟派に鞍替えなんて、本当どういう心境の変化かしらね」
「さあ? 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってことじゃない?
本当、変われば変わるものよね」
それに対して由希と朝日奈、日向の台詞はこんな感じ。
でもそんな好いものじゃないと思うんだけど。
恐らく女難って感じだったような気がするんだけどな…。
「まあ、立ち直ってくれたんなら、それはそれで友達としては喜ばしいことだよね」
天堂は素直に喜んでいる。
でも、真彦が軟派になったってのは否定しないんだな。
「まあ、美咲ちゃんのストーカーにならなかったんだし、好かったってことかしらね」
「流石にそれは起り得ないよ。
真彦くんはそんなことする変質者じゃないもん」
由希が相変わらずの悪口を垂れ、美咲ちゃんがそれを窘める。
「へぇ〜、じゃあ純くん、私達も負けずに今度デートしない?
ううん、早速今日の放課後にでもどう?」
うわ…、女難と言えばこっちもだ。
飛び火で香織ちゃんがこう言ってくるのは、もうお約束の展開だもんな。
というわけで、取り敢えず真彦が立ち直ったことに安堵したオレ達だった。
※作中の『悟浄出世』(中島敦著)は、『李陵・山月記・弟子・名人伝』[角川文庫 角川書店]を参考にさせていただきました。
悟浄というのは『西遊記』の河童、ご存知『沙悟浄』のこと。
令和世代は知らないなんて話を聞いて驚きましたが大丈夫、作者も牛魔王と金角、銀角、羅刹女を名前程度しか覚えてません。
白骨夫人や紅孩児なんて言われても何者だっけ?とヤラれ役なんて覚えてません。
せいぜいが序盤に哪吒が噛ませ犬的に登場するのと、それを二郎神君が助けにくること程度。
あとは魏徴と李世民(唐の太宗)で、魏徴がなんたらという龍を処刑するエピソードが微妙に記憶に残る程度です。
悟空や三蔵(日本のTVドラマでは役者が女性だったりする)にしても、そのエピソードはよく覚えてませんし、下手すると哪吒(封神演義)や李世民(隋唐演義など)の方がまだ解ると言うレベル。
まあ、ゲーム等でも有名ですし(何故か女性化されている)、作者なんかよりはもっとよく知ってるなんて人も多いかもしれないですけどね。
※『全然』の当て字は『金色夜叉』(尾崎紅葉著)より採用しました。他にも『病院の窓』(石川啄木著)等でも使われているようです。[Google 参考]
※作中に『淡々』と『坦々』という言葉が出てきます。紛らわしいので解説をすると次のようになります。[Google 参考]
【淡々】
あっさりしている。感情の起伏が少ない。
【坦々】
道、土地等が平坦。波乱が無く平凡、無事。
※作中に『度を越す』という言葉が出てきたので、ここでよく似た『超す』との使い分けを調べてみたところ、
【越す】範囲等、横の拡がり
【超す】限界、上限等、上への積み重ね
と、こういった使い分けでした。[Google 参考]
『度を越す』の場合許容“範囲”ってことなのでしょうね。
でも、我慢等の場合『範囲』も『限界』もあるのでどちらを使うか悩みそうです。
※作中に『俔え〜』という言葉が出てきますが、通常の当て字は『仮令』か『縦令』のようです。
なお『たとえ』と読む漢字は、他に次のようなものがあります。
【例え】
『例』は『類』『倣う』の意味。
【喩え】
旁の『兪』は『安らぐ、やわらぐ』の意味。
無理の無いものに言い換えて諭(喩)すこと?
【譬え】
旁の『辟』は『辟(偏)る』『辟(避)ける』『辟(君)、天子』『辟(邪)』『辟(拓)く』『刑罰』等の意味。
つまり、強引な言い換えで無理遣り諭(譬)すこと?
【俔え】
『俔』は『俔(覗、諜)う』『偵察』『スパイ』の意味。
つまり、見たことを自己解釈で伝えること?
[Google 参考]
という理由で、作中にあるように『先を見通して』という意味で『俔え』を使用しています。
※作中で『女性』を『あま』と呼ぶのは『尼』が由来と言ってますが、これは男が『坊主』なのと対だからと云われてます。
因みに作者は『天』だと思ってました。だって巫女とかそういう人が由来かと思ってたので…。
どうも作者は女性に対する憧憬が過ぎるようです。
※作中に『訥言敏行』という言葉が出てきますが、これは『論語』の『里仁』が出典です。
意味は『君子はたとえ口は重く不器用でも、実行は敏速で正しくありたいと望むものだ』ということです。[Google 参考]
ただ、だからといって、口より先に手が出るってのも考えもの。
慎重熟慮か迅速果断か、どちらが良いか悩ましいところです。
あと、純が相手を「自分で自分を馬鹿だって言ってる」なんて言っていますが、実際のところ、その卑下はただの譬喩であり、言葉にそんな意味はありません。無理遣り相手を嘲笑っているだけに過ぎません。まあ、こういう性格のキャラなんで…。
※作中に『晴々(せいぜい)』言葉が出てきますが、本来は『精々』と書きます。
但し、ここでは『気が晴れるまで』という意味合いの造語として当てております。
でも『晴々(せいせい)する』なんていう言葉もあるので、造語にはならないのかも…。
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。




