表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/420

早乙女純、敗北する

「で、実際のところどうなの?」


 そんな風に訊いてきたのは、オレの後ろの席の河合聡一だった。


「どうもなにも、なんにもねえっての」


「そんなこと言って、あんだけ人前で粘々(べたべた)淫戯(いちゃ)着いといて説得力無いっての。

 昼時なんて、毎日のように手作りの愛妻弁当を食わしてもらっといて。

 なんだよあのハートマークは。

 あ〜、くそ。本当、死ねばいいのに。このリア充め」


 冗談じゃない。他人の苦労も知らないで。


「他人事だと思って好き勝手言いやがって。

 考えてみろよ。

 (ろく)に知りもしない女が行き成り()って来て粘々と纏わり着いてくるんだ。

 気持ち悪いってぇか、怖いだけだろ」


 こう言っちゃ悪いけど、あれはひとつ間違えばストーカーの類だ。

 間違えても、深みに()まるわけにはいかない。


「散々弁当食っといてなに言ってんだよ。

 説得力()えぞ、ちくしょうがっ。

 当て付けかよっ!」


 そんなことは無い。

 無いんだけど、然し…。


「いや、そこはなんというか、断わり辛かったっていうか…」


 あの子、結構、押しが強いんだよな…。


「あ〜っ、全く。

 あれだけ尽してくれる子を、選りに選ってそんな風に言うか?

 お前、香織ちゃんのファンだけじゃなく、女の子達まで敵に(まわ)すぞ、本当」


「否、そうかもしれないけど、そんなことされる覚えが無いからこそ気持ち悪いんだよ」


 そんなこと判ってるからこそ、困ってるってのに、本当どうしろってんだよ…。


          ▼


「純ちゃんっ、大変だよっ!」


 星プロ事務所で顔を合わせた美咲ちゃんの第一声がこれだった。

 まあ、何を言ってくるかが予想がついていたので、驚くことはなかったのだが。


「ちょっと、落ち着いてる場合じゃないよ純ちゃんっ。

 このままじゃ、純くん()られちゃうよっ」


「そっちこそ、落ち着けよ美咲ちゃん。

 (そもそも)、なんでそういう話になるんだよ。

 そんなの本人にその気が無ければ関係ないだろ」


「へぇ〜、大した自信じゃない」


 突如、話に割り込んできたのは千鶴さんだった。


「私の時にはあれだけ突き掛かってきてたくせに。

 まあ、私とあの子じゃそれだけ違うってことなんでしょうけど。

 でも、咲の話じゃ随分と本気みたいじゃないの。

 あんまり暢気に構えてて足下を掬われても知らないわよ」


 全く、まだ勘違いしてんのかよ。


 なんの勘違いかと言えば、こういうことだ。

 以前、千鶴さんも男鹿純(オレ)直買(ちょっか)いを掛けてきてたことが有った。

 とはいっても、交際を申し込むとかそういうわけじゃなく、曲の制作を迫ってきてただけだったんだが。

 で、その時、迷惑だと早乙女純として意見して以来、オレと早乙女純がそういう仲だと思われているのだった。

 而も、どういう理由かオレ達の仲を見守るみたいな立場を気取っているようで、今回みたいな口出しをしてくることが啄々(ちょくちょく)と有るのだ。

 一応、何度も否定はしているんだけど、まるっきり効果は無い。


 美咲ちゃんだけでも手に余ってるってのに…。

 恐らくだけど、ここから密かに噂が拡散しているような気がする。

 まあ、相手は選んでるみたいなので、それが責めての救いなのだが…。


 ともかくだ、そういうわけでふたりとも早乙女純のことを心配しているってわけだ。


 だが、正直言って鬱陶しい。

 だからといってオレの正体を明かすわけにはいかないし…。

 あ〜、もう勘弁してくれよ。

 なんだか段々と苛ついてくる。


「そんなの余計なお世話だよ。

 それと千鶴さん。そこは足下を掬うじゃなくって足を掬うだ、言葉遣いを間違ってるぞ」


 (つい)、八つ当たりぎみに応えてしまったけど、他人のプライベートに踏み込むような真似をされては仕方がないんじゃないだろうか。


「せっかく(ひと)が心配してるってのに。

 相変わらず言葉使いがなってないわね」


 まあ、悪気が無いだろうことは判ってるんだけど、それでもそういうのは煩わしいんだよ。

 全く、これ以上引っ掻き回すような真似は止めてくれってんだ。


 だが、この件を気にしている人間は、美咲ちゃんや千鶴さんだけではないのであった。


          ▼


「ところで純、最近気になる噂を耳にしたんだが、大東プロの加藤香織とはどうなっているんだ?」


 な⁈ ……まさか、こんなところでまで噂になってるのか?


 その日の仕事を終えたところで、織部さんがオレに尋ねてきた。


「ちょ、まだ私は何も言ってないよっ」


 オレが視線を向けたせいか、慌てて美咲ちゃんが否定する。


 けど、おい、“まだ”ってことは、これから何か言うってことだろう。


「ふむ、まあ若いんだからいろいろとあるだろう。

 せっかくだし話くらい訊いてやろう。

 咲は先に帰っても可いぞ」


 つまりこの後、弁明しろってことなんだろう。

 でも、これで釈明となるかどうか……。

 まあ、やってみるしかないか…。


「…ええっと、それじゃ、お先に失礼します」


 本当は、この後の話に興味が有るんだろうけど、空気を読んで、恐る恐る退室していく美咲ちゃん。


 うん、あれは口では「帰って可い」なんて言ってるけど、実質は「颯々(さっさ)と帰れ」だよな。

 明らかに無言の圧力を感じる。

 人はこうやって、忖度ってものを覚えていくんだろう。なんとも嫌な形で勉強になった。

 でも、こういうのは是非止めてもらいたい。

 絶対に教育に悪い。性格が捻くれるぞ。



「じゃあ、どういうことか改めて説明してもらおうか」


 織部さんは、美咲ちゃんが居なくなったことを確認すると、再びオレに問い質してきた。

 否、質問というよりも詰問だな。


「その前に、その噂ってどんな風に伝わってるんですか?」


 噂ってのは、結構捻じ曲がって伝わるものだから、そこのところを訊いておかないと、何をどう釈明すれば良いのか判らない。


「ああ、最近ネットで、加藤香織に交際相手が出来たらしいという噂が話題になっていてな。

 で、その人物というのが…」


「つまり、オレらしい、と?」


「らしいというよりも、ズバリだな。

 画像付きなので、学校だって見る者が見れば判る。

 あと、名前も、純というところまで判明しているという状況だ。

 幸い、他の素性までとはいかないようだがな」


「な…、なんだよそれっ。そこまでかよっ」


 如何にネット社会とはいえ、そこまでか?

 個人情報保護の概念とかどうなってんだよ。

 いや、そんなことより……。


「それで事務所側の反応はどうなってるんですか?」


 そう、問題は向こう側の事務所の出方だ。

 それと香織ちゃんがどうするかもだ。


「それに就いてはまだ不明だ。

 だが、そのうちなんらかの対応はしてくるだろう」


 まあ、流石に変なことにはならないとは思うけど、それも香織ちゃん次第だろうな…。


「それで、そっちの方はどうなんだ?」


「所詮は噂。出鱈目ですよ。

 ただ、香織ちゃんがその気だってのは本当です。

 以前にどこかで逢ったことが有ったみたいで、それ以来ってことらしいんだけど、こっちには全く覚えがなくってさ。

 そんなわけで、こっちとしては初対面だから、行き成りそんなこと言われても困るって断わったんだけど…」


 はぁ…、こういうのってやっぱり言い辛いなぁ…。


「つまり、周りが勝手に勘違いしてるだけってことか」


 うわぁ…、やっぱり言い辛い…。

 …けど、説明しないわけにはいかないし……。


「否、それが…、その…、先程(さっき)も言ったとおりでさ、それならこれからお互いのことをよく知り合っていけば()いとか言って、執拗(しつこ)いくらいに纏わり付いきて……」


「で、どうするつもりなんだ?

 このまま彼女と付き合うのか?」


「言ったはずですよ。断わったって」


 ちっ、やっぱりそういう話か。


「オレとしては全くそんな気は無いんで、余計な心配は要りませんよ。

 まさか、こことの契約を切って、あちらの方へ移籍するなんて思ってたんですか?

 万が一、彼女と付き合うことになったとしても、何も言わずにそんなことをするなんて、不義理なことしたりはしませんよ。

 まあ、そちらの出方にも由りますけどね」


 つまり、香織ちゃんに篭絡されて、向こう側に寝返る心配をしてたってわけだ。

 全く、まるっきり信頼も信用もされてなかったってことかよ。

 そんなんじゃ、こっちだって付き合い方を考え直す必要が有るかもな…。


「気を悪くしたのならすまない。

 だが、一応の確認はしたかったのでな。

 だが、そうすると今後どうするつもりなんだ?」


 ……確かに、どうしたもんだろうな…。

 なるほど、こういうところが織部さんを不安にさせたってことか。

 これじゃあ、織部さんを一概に責めるわけにもいかないな。


「…まあ、取り敢えず、香織ちゃんにはその気は無いって断わってみますよ」


 でも、それで巧くいくとは思えないんだよなぁ…。

 こんなんで可いんなら、()っくになんとかなってるはずだから。


          ▼


 月曜日の授業が終わったところで即、オレは教室を飛び出した。

 美咲ちゃん達には、用事が有るからと前以って伝えてあったため、呼び止められることはなかった。

 そして、幸いにも香織ちゃんに見つかってもいない。

 ここで見つかっていれば全ては台無しなのだが、まあ、一応手を打っていたのでそれが功を奏したということだ。



 現在、人の気配の無い校内の一角。

 ここまでは計画どおり。

 否、計画という程大逸れたのものではないのだが、一応それなりに考えていることは有った。


 改めて周囲を窺うが、特に誰かの居る様子は無い。

 良し、これなら大丈夫そうだ。


 するべきことを済ませると再び移動を始める。

 これより向かうは校舎の裏手。

 ここで香織ちゃんと待ち合わせをしていたのだ。

 香織ちゃんに見つかることなく教室を出ることが出来たのは、要するにこのお陰だったというわけだ。



 既に香織ちゃんは待ち合わせ場所に来ていた。

 逢引と思っていたのだろう、随分と期待に想惑想惑(そわそわ)として落ち着かない様子だ。

 こんな素振(そぶ)りを見せられると、なんだか心苦しさを感じるのだけど、それでも彼女にははっきりと言っておかねばならない。


「幾ら待っても待ち人は来ないぞ」


 オレは香織ちゃんに、そう声を掛けた。


「どういうことよっ⁈

 それになんであなたがここに居るのよ、早乙女純!」


 香織ちゃんの疑問は当然だろう。

 何故ならば、今のオレは、香織ちゃんの言うとおり、早乙女純として彼女の前に現れたのだから。


 逢引の場所に、本来の待ち合わせ相手の男でなく別の相手、増してや女がやって来て「待ち人は来ない」なんて言われれば、この反応も、まあ当然だろう。

 明らかに喧嘩を売っていると捉えられる場面だな。

 この間の日向(ひゆうが)じゃないけど、修羅場と謂うに相応しいことになりそうだ。


「いやなに、他人のものに手を出そうっていう痴れ者の顔を拝んでみようかと思ってな。

 そしたらまあ、どこかで見たような奴じゃないか。

 本当、飛んだ泥棒猫だ。

 もう少し、相手を考えりゃ()いのに。

 何を思って、あれに手を出そうなんて気になったんだかな」


 うん、本当になんでオレなんだろうな?

 以前に何か有ったらしいけど、まるっきり思い出せないんだし、つまり大したことしてないはずなんだけどなぁ…。


「他人のものって、どういうことよ?

 あなたがいったい、彼の何だと言うのよっ⁈」


「そんなの一々答えてやる必要無いだろ。

 まあ、少なくとも(ぽっ)と出の奴なんかよりも親密な関係なのは間違い無いな」


 てか、答えられるわけないっての。

 なんてったって本人なんだから。


「まあ、そういう理由だ。

 これ以上馬鹿な真似してないで、大人しく今までどおりの活動に専念した方が身のためだぞ。

 確か最近、漸くそれなりに人気が出てきたんだろう。

 だというのに、いったい何を到痴(とち)狂ったことしてんだか」


 本当、馬鹿なこと考えてないで、仕事に専念して欲しいものだ。

 そうすれば、香織ちゃんもファンに見放されずに済むし、オレだって香織ちゃんのファンからこれ以上敵視されずに済むわけで、お互い良い事尽くめのはずなんだけどなぁ。


「巫山戯ないでっ!

 何が馬鹿な真似よっ!

 私は本気よっ!

 それよりも、そんなこと言うあなたこそ、その程度なら彼から手を引きなさいよっ!

 私はあなたなんかと違って、彼のためなら、今の仕事を辞めたって構わないんだからっ!」


 香織ちゃんの興奮したその声に、周りの奴らがこっちに気づき始めていた。

 だというのに、その辺を全く気にせずにこんな台詞を吐くなんて、本当、信じられないな。

 つまり、それだけ本気ってことかよ…。

 まあ、興奮してて周りが見えなくなってるだけかもしれないけど。

 ……って、恐らくそれは無いか…。


 結構人が集まって来たし、これ以上はヤバいな。


「全く、本当、呆れた奴だ。

 これ以上もう、何を幾ら言っても無駄みたいだな。

 だが一応言っておくぞ。

 そっちはそれで良いかもしれないけど、もう少し周りのことも気にするべきだ。

 結構、迷惑している者も()るんだからな。

 そこのところ、もう少し理解しろ」


 と、ヤバい。これまでか。

 オレは慌ててこの場を離れて行くのだった。


 ……って、なんだよこれ。

 これじゃ、まるで捨て台詞を残して逃げ去る悪役じゃないか。

 はぁ……、どうにもこの子は相性が悪い。

 全く、どうしてこんなことに……。

※作中の『淫戯着く』は当て字です。

『いちゃつく』の語源は幾つかあるようですが、『淫戯いちゃつく』の当て字は少なくとも18世紀の後半にはあったようです。[Google 参考]

 まあ、当時の観念では人前で男女が『戯れる』のが『淫ら』に思えたということなのでしょう。

 もしくは余程鬱陶しかったのか。露骨に『淫着』なんて当てると『戯れ』ではなく、本気で風紀の乱れっぽくなりそうですしね。

 もう、そういうのは、とっとと水茶屋(ラブホ)にでもしけ込めって感じです。

 なお、作者としては『睦戯つく』と当てた方が女性受けしそうな気もしてたのですが、鬱陶しさを出したかったので、敢えて『淫戯』に『着く』で『淫戯着く』としてみました。


※作中の『直買(ちょっか)い』は作者による当て字です。

 本来は『直買(じきがい)』で、江戸時代、流通機構の順路を経ずに直接生産者と取引したことをいうそうです。[Google 参考]

 まあ、直に交流を持つという意味では『直交い』と当てた方が宜かったのかもしれないですが、この時の千鶴はJUN相手に曲制作の依頼に来ていたので『直買い』だったわけです。

 否、『直通い』でも宜かったのかも…。


※作中に『釈明』『弁明』といった言葉が出てきますが、微妙に意味合いが違うので、Googleを参考に説明をしておこうかと思います。あと、序に『弁解』も。


 釈明:誤解や非難を招く行為をしたことに対して事情を客観的に説明し、理解を求めたり、謝罪の意思を表すことをいう。

 弁明:正当な理由を説明する意味で用いるが、自分の立場や事情を明らかにするため説明することで、誤解を解いて理解を求めたり、相手に納得してもらうところに重点がある。

 弁解:『言い訳』の漢語的表現。

 但し、言い訳に比べて、弁解は正当な理由があることを説明する意味が強い。


 と、こういった意味合いなので、作中の内容では、謝罪よりも納得してもらうこと、つまり赦免してもらうことが重点となっているわけです。

 …なんか今更ですが、主人公のくせに性格が悪いですよね。


※作中に『執拗(しつこ)い』という言葉が出てきますが、Googleで次のような当て字を見つけました。

『執濃い』、多分オリジナルなのでしょうけど、これもアリな気がします。


※作中の『そわそわ』の当て字ですが『想い』に『惑う』という意味で『想惑想惑』と当ててみました。

 他にも『騒ぐ』と『惑う』で『騒惑騒惑』なんて案も有ったのですが、どちらが良かったでしょうか、今でも迷っています。

 案外、もっと相応しい当て字が他に存在するのかも…。


※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が他にも混ざっております。ご注意下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ