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ダイヤモンド

 香織ちゃんの退院が決まった。

 そして翌日、オレは香織ちゃんに呼び出されていた。

 それはデートの誘いだった。

 体力面での心配のある香織ちゃんだが、今はそれ以上に精神面の方が気に掛かる。

 あんなことのあった後だもんな…。


 オレの嗜好に合わせたのだろう、今日のデートはカフェ巡り。いきなりだったため前以て予約なんてしているわけもなく、場所によっては列んで待ったりなどもして。

 それでも普段ならばそれで会話も(はず)んだりするのだが、明らかにいつもの香織ちゃんとは違った違和感。無理に明るく振る舞おうとしている……というのとはちょっと違う。じゃあそれならどうと問われると答えに詰まる。なんといえばよいのだろう。



 それがいったい何なのか、それに気づいたのは夕刻、そろそろ自宅へと送っていこうかと思ったときの香織ちゃんのこの台詞を受けて。


「……ねえ、お願い。最後に付き合ってほしいところがあるの」


 そう言った香織ちゃんが(いざな)った先は──。



「ちょ、ちょっと待てよ香織ちゃんっ!」


 その建物の並び建つ場所はホテル街。つまり香織ちゃんの求めるものは──。


「ねえ、いいでしょ。お願い、純くんに抱いてほしいの」


 笑顔で誘う香織ちゃん。

 でも、その表情は……。


 ああ、なんで気づかなかった。今日一日、香織ちゃんの見せていた泣きそうな笑顔の正体が悲壮感だと。

 当然だ。あんなことがあったんだ。それが後を引かないわけがない。


「……やめてくれよ、香織ちゃん。オレの答えは解ってるはずだろ」


 本当なら、ここは慰めの言葉を掛けるべきところだろうけど、オレの口から出たのはこんな否定の言葉だった。


「……ごめんなさい。やっぱりキズモノの女の子なんかじゃ嫌よね。

 本当なら私も初めてを捧げたかったんだけど……」


 非情な言葉で返したオレに、香織ちゃんは自身を卑下するように謝り始めた。


「馬鹿なこと言うなよっ! そんなわけないだろっ!」


 確かに女の子のそれは貞淑さの証であり、生涯唯一ともいえる大切なものだろう。

 だけど、それを失なったからといってその女性の価値が全く無くなるというわけじゃない。そんなものはその人物の魅力の極一部に過ぎず、それに拘りその他多くの美点を否定することは愚かなことといってよい。

 いや、そんなことよりも、オレが本当に言いたいのはそんなことではなく──。


「嘘っ! だったらなんでっ!」


 くっ、やはり相当に気にしているか。

 本当は香織ちゃんも解っているはず。

 でも、だからこそそれを証明してほしいと望んでいるのだろう。


「……ううん、本当は解ってる。純くんがそういう人だってことは…。

 でも、嘘でもいい。せめて今だけは嘘でもいいから優しく抱いて慰めてほしい。仮令(たとえ)それが一度きりの過ちであってもいいから……」


 遂に隠すこともさえもなく涙ながらに縋りついてくる香織ちゃん。

 でもその訴えには絶対に応じるわけにはいかない。

 一時の情に絆されてなんていえば聞こえが良いかも知れないけど、そんなのはただの気の迷いだ。そんなことは香織ちゃんだって解ってるはずなのに。

 つまりこんなことに依存したくなるほど香織ちゃんの心はボロボロだっていうことか。


 だがしかし──。


「悪いけどそれには応えられない。嘘でもというなら余計にそうだ。

 オレにとって香織ちゃんは常に前向きでいかなるものを以ても瑕付けることのできない、強く気高い輝きを放つダイヤモンドのような存在で、オレはそんな香織ちゃんのことが好きだったんだ。

 だからこそ香織ちゃんには一生のパートナーにという気持ちにならない限り手を出さない。

 それがオレの矜持であり、オレが認めた香織ちゃんに対する友人としての誠意なんだ。

 だから、お願いだ。解ってくれ。

 冗談でもこんな卑屈な弱音で男に媚びるような真似なんてしないでくれ」


 酷いことを言っているという自覚はある。

 傷ついてボロボロの香織ちゃんにそれでも強さを求めようっていうんだから。


「ごめん、勝手なこと言って。

 でも、今言ったことは紛れもないオレの本音で、オレにとって香織ちゃんは本気でそんな風に思える尊敬できる大切な存在なんだ。

 だからこそ、本気で香織ちゃんの想いに向き合おうと思った。

 だからこそ、本気でオレがそういう気持ちになれたなら、香織ちゃんのことを受け容れようと思っていた。

 だから……だからこそ、香織ちゃんのその願いは受け容れられない。香織ちゃんのその言葉は受け容れられない。受け容れたくはないんだっ!」


 言ってしまった。

 最低だ。

 でも我慢できないんだから仕方がない。

 溢れる感情が怺えきれない。

 涙が零れて止まらない。 

 嘆き叫ばずにはいられない。

 今、誰よりも泣きたいのはオレなんかじゃなくて香織ちゃんの方だというのに。


「……もうっ。本当に純くんって酷いんだから」


「ごめん」


「ううん、私の方こそごめんなさい。

 でも良かった。私のわがままで純くんが変わることなくって。

 だって私が好きになった純くんはいつだって潔癖で真っ直ぐな、こうと決めたら絶対に信念を曲げない誰よりも強い男の子なんだもの。

 でも、代わりにひとつお願い。このまま私も純くんの胸で泣かせてほしいの」


「ああ、これくらいならお安い御用さ。

 てか、ごめん、このくらいのことしか応えられなくって。

 はは…、なんか我ながら情けなくってまた涙が出てきた。

 悪いけどオレも一緒に泣かせてくれないか?」



 いったいどれだけの時間だろう。

 オレと香織ちゃんは、ふたり肩を寄せ合い泣き合った。

 人目も気にせずに泣き合った。

 ただ泣き合うだけしかできなかった。

 男としてなんとも情けない。




 翌日、Jプロダクションから加藤香織の無期限活動休止が発表された。

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