彼女になにがあったのか?
「本当になにも心当たりが無いのか? 香織のことは君が一番よく知っているはずだろ?」
一旦伊織が落ち着いたところで香織ちゃんの親父さんが改めて問い掛けてきた。
都内病院へと緊急搬送され現在面会謝絶中の香織ちゃん。自殺を図ったっていう話だけどいったいなぜ?
大学へは無事進学──うちはエスカレーター式なのでほぼ当たり前だけど──学業についていけてないなんて感じは見られない。
この春からはオレが所長を勤めるJプロダクションへと移籍も叶った。しかも同じ事務所だった瑠花さん達も一緒ということで孤立するなんて心配も無い。また、この移籍に伴う影響があったなんて話も聞いてない。
「そう言われてもオレも寝耳に水な話で、事務所を預かる所長としても、香織ちゃんの友人のひとりとしても申し訳ありませんが全く心当たりがありません。
というか、オレの方からもお尋ねしますけど、そちら側、ご家族の方でなにか気づくことがなかったでしょうか?」
正直オレの周りで香織ちゃんになにかがあったなんて話は聞いてない。ならばオレの関わることのない家族間の方で問題が起きたという可能性はないだろうか。
「ねえよっ!
いかにも家庭の方に問題があるかのようなこと言ってんじゃねえっ!
本当はお前が無理矢理姉ちゃんに変なこと強要したとかじゃねえのかよっ⁈」
「しねえよっ!」
場所がホテルということで下世話なことが思い浮かべたんだろうけど、オレが友人にそんなことをするわけがないだろ。
伊織のやつ、いかにもオレがヤリ捨てしたかのようなことを言いやがって。失礼にも程があるってんだ。
だいたいそれなら香織ちゃんが自殺なんてことを考えるわけがない。どちらかといえば、そのときだけとはいえ一度はオレに受け容れられたと逆に前向きに考えるだろう。いきなり責任を取れとかは言わないだろうけど、その事実を基に完全にオレに彼女、いや婚約者の如く振る舞うだろうことが目に見えている。
いや、なにも相手がオレとは限らないか。この業界、裏じゃ枕営業なんてものも無いわけじゃないようだし。まあ、オレはJプロダクション所属の人間にそんなことをさせるつもりは毛頭ないが。
もしかしてそっちの方を疑っているのか?
でもそんなの絶対に香織ちゃんはOKするわけがない。
あり得ない。断言できる。
仮にそれがオレの言葉であったとしても、オレにぞっこんで一途な彼女が、それを他の男にだなんて受け容れようわけがない。
だから?
いや、ないって。あり得ない。執拗いようだけどオレは友人──じゃないにしても女の子──にそんなことを求めたりはしない。
誰かに強要された? 嵌められた?
そういう理由でならあり得るかも。
意に沿わぬ相手からそういう辱しめを受けたというのなら、なるほどそういうことも考えられるかも。その場合、恋愛にプライドが高く、誰よりも自分自身にそういう裏切りを許せない香織ちゃんだけに理由としては十分納得できる。
……って、まさか?
だいたい誰がそんなことをするってんだよ?
できたてとはいえ、うちの事務所は星プロと大東プロの合弁会社だ。バックにそんな有力事務所が控えており、現在業界からは注目を集めている。しかも香織ちゃんはその大東プロから移籍してきたうちの看板ともいえるアイドルのひとり。そんな存在に不埒な真似をしでかすだなんて、まさかそんなやつがいるなんてことは……。
「もしかするとストーカーとかの線か?
ああいうのは自分の願望で視野狭窄に陥って自分の欲望に趨りやすく、物事に歯止めが利かないしな」
もしそうなら周りのことなんて障害くらいにしか思わないだろうし、却って執着心を煽るだけだ。
でも、それなら事が終わったからといって、その後の香織ちゃんを放置するだろうか?
「つまりストーカーに襲われたってことか?
確かにそれなら姉ちゃんのああいう行動に出たのも納得だけど、でもホテルで襲われるなんてことあり得るのか?」
いまいち納得のいかないストーカー説。
そして伊織の今挙げた点も気になる。
「そこは香織ちゃんを発見した従業員とか、ホテルの人間に話を訊かなければ解らないだろうな」
結局のところまずは現場の人間に話を訊く。当たり前だけどそこからか。
▼
暫くして漸く香織ちゃんとの面会が叶った。どうやら命に別状はなくすんだようだ。また、幸い後遺症らしきものも見られず、このまま順調に回復すれば無事退院も叶うらしい。
けど香織ちゃんはすっかりと窶れきっており以前の元気さは見る影もない。視線はどこを見ているのか判らないような虚ろさ。なんというか魂が抜けきって心ここに在らずといった感じで、まるで生ける屍か、もしくはよくできたそっくりな人形でも見ているかのようだ。
「……」
掛けるべき言葉が出てこない。
本当なら言いたいこと、訊きたいことがたくさんあったのだけど、今のこの姿を目にした途端、それらは全て霧散してしまった。
「香織!」
「姉ちゃん!」
そんな香織ちゃんに対して両親と伊織が叫ぶように呼び掛けたのは家族ならではの衝動だろうか。
その絆のお陰だろう、微かにだが反応を示した香織ちゃん。かなりゆっくりとだけどこちらの方へとその顔を向けてくる。
「お父…さん、お母さん…、伊織……」
能面以上の無表情が褪めたそれへと変化し、か細い幽かな声が発せられた。
「……純くん!」
そしてオレの姿を認めた香織ちゃん。
その声は変わらず幽かながらも、そこには微妙な力強さが感じられた。
「……そう、私、死に損ねたのね」
そして再び脱力。声だけでなくその台詞もまた生きる気力が失なわれたもの。褪めたその表情は今度は悲しそうなものへと変わった。
「馬鹿なこと言うんじゃねえよ! どれだけオレや家族が心配したと思ってんだよっ!」
くそっ! なんなんだよ。
なにが香織ちゃんをそこまで追い詰めたっていうんだよ。




