水の滴る困った事態
「うはっ、凄え雨」
タクシーを降りたオレ達を出迎えたのは相変わらずの激しい雨。目的地であるライブハウス『WYVERN』までは少し歩くだけの距離がある。
「もうっ、純くんったら、もっとくっ付かないと濡れちゃうわよ」
香織ちゃんにぐっと引き寄せられ、そのまま背中に回した腕でがっちりと。
ちょっと、香織ちゃん、胸が当たってるって。
いや、言わないけど。言えば余計に寄せてくるのは目に見えてるし。
現在オレは香織ちゃんと相合傘の状態。但し傘を持っているのはオレではなくて香織ちゃん。情けないけど身長差故に仕方がない。
因みにオレ達の相合傘は一般的なそれとは違っていて隣り合わせというものではない。右斜め前方を歩くオレの背中に左後ろから香織ちゃんが右腕を回し、その手はオレの腰に添えられている。当然傘は左手なわけだが…。
うん、もうこれって相合傘じゃないな。
「なんかあんた達って相合傘っていうよりも母子よね」
「ほっとけっ」
言われなくても自覚はある。イメージじゃ小学低学年か中学年くらいの子と母親だな。と言ってもそんな母子を実際に見ることはないので、その母親は過保護に違い無い。
要するに背中から抱き着かれているのと変わらないわけだ。
うわっ、頬と頬が当たってるっ。胸が背中を圧迫してるっ。
ヤ、ヤバい、心拍数が上がってきた。
だが動揺は表に出せない。ここは平常心、平常心だ。
こんなオレに対して香織ちゃんは凄くご機嫌そうで、こんな嵐もどこ吹く風だ。
いや、違うな。なんてったってこのシチュエーションを齎しているんだから大歓迎に違い無い。
こんな心持ちの悪さから解放されたのはあれから数分の後のこと……だと思う。天気の好い日だと一、二分って感じの距離だがこの悪天候ではな。あと時間感覚があやふやなのは先程までの心境のせいもあるだろう。とにかく本当に面映ゆいやら、恥ずかしいやら、情けないやらで、もう自分でも自身の気持ちが解らなくなってきそうな心地の悪さだったのだから。
「はい、純くん、びしょ濡れでしょ」
傘を畳んみ終えた香織ちゃんがオレにタオルを差し出してきた。
「はあ~、さすがは香織ちゃんね。この状況でさりげなくタオルが出てくるなんて本当女子力が高いわぁ」
そういうみさ姉もちゃんとタオルを用意しているようで自分の身を拭いている。てか、持ってるんならオレのことも気にしてくれよ。まあ、オレもハンカチくらいなら一応常備はしているけど。
「オレはいいから自分のことを優先しろよ。香織ちゃんになにかあったらと思うとオレも気が気じゃないんだからな」
そう言いながらオレも取り出したハンカチで自分の体を拭き始める。
「ひゅ~ぅ、ごちそうさま」
まともに口笛も吹けないせいか、露骨な擬音でオレ達を冷やかすみさ姉。
「変な勘違いしてんじゃねえよ。こんなことで香織ちゃんに風邪でも引かれたら寝覚めが悪いってだけだよ」
「それって私のことを気に掛けてくれてるってことよね。嬉しいっ」
感激の余りオレに抱き着いてくる香織ちゃん。
「ちょ、ちょっと待って、香織ちゃん。お願いだから離れてくれっ」
オレは慌てて香織ちゃんを引っ剥がした。
いや、だって香織ちゃんは…。
「か、香織ちゃん、頼むからまずは自分の体を拭いてくれよ。さすがにオレも男なんだから今の香織ちゃんは精神的にヤバいんだって」
詳しいことは敢えて言わない。ただ、夏場に雨でびしょ濡れといえば解ってもらえると思う。
「え? あ? もうっ、純くんったらっ。
でも、私のこと意識してくれてたのね。
嬉しいっ」
再度抱き着いてこようとする香織ちゃん。だが、今度はなんとか抵抗に成功しそれを回避することができた。
あ、念のため言っておくがお約束的アクシデントは起きてないからな。オレが押さえたのは香織ちゃんの両肩だ。本当だからな。
……代わりに透けたソレを直視する形になってしまったけど…。
▼
ライブハウス内に入った後、一旦香織ちゃん達と別れる。着替えのためだ。
あの嵐だし、それくらいは用意してないとな。
香織ちゃん? もちろん用意していたみたいだ。前以て天気予報くらい調べているだろうし、そうでなくても怪しい空模様だったからな。まあ、天気に関わらずライブには着替えを持っていくって話も聞くしそっちの理由かも知れないけど。オレの場合は……まあ、いいだろ、そんなこと。
ともかくそんな理由で今のところは別行動ってわけである。
「あっ、男鹿先輩っ」
どこからかオレを呼ぶ声が。
誰だ、誰だ、芥を蹴散らす嵐のようなこの声は?
嵐と共にやって来たそいつは…。
「なんだ、高階と奈緒子か」
「なんだってなんですか。しかも今の態とらしい無理やりな描写、絶対気付いていたでしょ。
だいたいなんで仮面○イダーなんですか? 古過ぎでしょ」
奈緒子もか。しかし、お前こそなんで知ってんだよ。一応は昭和の特撮だぞ。しかもカラー放送が一般的になり始めた頃の。
「そんなことよりも、なんでお前らがここにいるんだ?」
まさかオレが来るのを知っていたとは思わないけど。
「そんなの決ま…」
「私達、今日は友人達のライブを観に来てるんです」
オレの質問に答えたのは奈緒子……じゃなくて高階か。なにを言おうとしたのかは知らないけど、どうせろくなことじゃないんだろうな。高階に被せられてるし。
「高階達の友人って……まさかあの三人組か?」
ええっと、なんていったっけ……まあ、ともかくあの三人組だろう。でも、あいつらって…。
「ええ、以前オーディションの時に私達が付き添いで来ていたChocolate Sundayというバンドの三人組です」
マジか…?
「確かそいつらって、今年バンドを組んで始めたばかりの素人だろ、ちゃんとした演奏なんてできんのか?」
あの時のことを思い出してみる。
………………。
いや、あれじゃダメだろ。可愛らしいってこと以外全く評価できるようなものじゃない。
う~ん、なんで出る気になったんだろ?
「はあ…、全くこの先輩は…。
あれから3ヶ月近くが経つんですよ、それなりに上達しているに決まっているじゃないですか」
奈緒子が呆れたように返してきた。
でも、そんなに簡単にいくもんか?
「まあ、そう言われればそう……なの…か…な…。
う~ん。少し不安は有るけれど、一応は期待をしてみるか」
どうにも納得がいきづらいけど、そういうこともあるのかも。でなきゃこんなところに出ようなんて思わないだろうし。
奈緒子じゃないけどそれなりになっているのだろう。
こんなやり取りをしている間に、漸くみさ姉達が戻って来た。




