めでたい話……なんだよな?
人生つらく悲しいことがあれば、嬉しく楽しいこともある。藤屋さんの死に塞ぎ込んでいたオレの元にその報せが齎されたのは、告別式の日から数日経った日の夕刻のことだった。
「なあ兄貴、それってマジな話なのか?」
「ああ、オレ達デスペラードの人気もそれなりに出てきたし、食うに困らないだけの稼ぎにもなってきたことだしな」
いったい何のことかといえば、恭さんと葉さんが婚約したという、そんなめでたい報せである。
「ああ、なるほどな。確かに自立ってのはいいきっかけか」
兄貴達のバンド、デスペラードも今年でプロ活動四年目。これだけの期間で、音楽活動だけで生活を支えるだけの稼ぎが出せるようになるってのは、果たして早いのかそうでもないのか、そこのところはよく解らない。だが、兄貴達が成功を収めことに違いは無い。実績としては十分だろうし、そういう考えが現実味を帯びてくるのも当然だろう。
「それにヨウのやつもデキちまったっぽいしな。そんな理由でキョウやつも、この間実家に挨拶しに行ってきたってわけで、愈々年貢の納め時ってわけだ」
「はは…、なるほどな。そりゃあそういう話にもなるか。まあ、これも確かにきっかけだな。
しかしあのふたり、付き合ってることは知っていたけど、やることもしっかりとやっていたということか…」
でも、婚前でそれってのはどうなんだ?
「当然だろ。そういうことで頭の中がいっぱいのあのふたりだぜ。付き合ってるのにヤラないなんてことあるわけがないだろ。多分だけどあいつらデキてからすぐにそういうことし捲ってるはずだぜ」
ち、ちょっとそういう生々しい話はよしてくれ。そういうことは解っていても口にしないのが礼儀ってものだろ。
「それよりも、式とかの話はどうなってるんだ? 下手にもたついていると、あっという間に新郎妊婦だぜ」
いつの時点で妊娠したのが解ったのかは知らないけど、のんびりとしていればそういうみっともないことになり得る。周囲から避妊に失敗したデキちゃった婚なんて陰で揶揄されること間違い無しだ。
「ああ、なんでも6月のつもりで式場を探しているらしいぜ。ヨウのやつの希望でな。まあ、あんなのでもそこはやっぱり女ってことなんだろうな」
「はは、六月の花嫁ってやつか。
あれって大したいわれがあるわけでもないのに、なんで女性ってのはそんなのに憧れるんだろうな? 元は昔のヨーロッパでの結婚解禁が6月だったっていうだけの話なのに」
まあ、新婚女性ってのは幸せそうに見えるし、それに対する憧れってことなんだろうな。幸せは一日でも早くってことに違い無い。多分それの名残りだな。
女性ってのは、特に若い女性ってのはやたら恋愛に対する憧憬が強く夢見がちだったりするしな。葉さんも多分に漏れなかったってわけだ。
「ああ、それにしても恭さんと葉さんの新婚生活か…。なんか想像がつかないな」
「そうか? やることが見え見えだろ?
どう考えてもあいつらじゃ、狂ったように毎日毎晩ヤリ捲ってるに決まってる。夜毎のバンバン、朝までバンバン、毎日さぞやベッドが軋むことだろうよ」
いや、だから、そういうことを口にするんじゃねえっての。デリカシーって言葉を知らねえのかってんだ。…知らねえんだろうな、兄貴だし。
まあともかく、暗い話にずっと沈んでいたオレにとって、この話は明るく喜ばしい慶事だ。いや、オレじゃなくてもめでたい話なことに変わり無い。
ただ、やはりオレにとっては、気持ちの切り替えのきっかけということで好ましい出来事なわけで。
これはきっと、いつまでもくよくよと引き摺るなという亡き藤屋さんからのメッセージに違い無い。
いや、実際にはなんの関係も無いけれど、それでもそうだと思いたい。死してなお、オレのことを気に掛けてくれているのだと信じたいのだ。
彼はオレの心の中に生きている。そしてオレのことを見ているのだ。ならば恥ずかしくないように生きていかなくてはな。
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4月に入り新学期となった。今日からは三年生になるわけだが、エスカレーター式で大学に入れるこの学校は大学受験とは無縁だ。まあ、それは附属である森越大学限定の話で、他の大学への進学を考えるなら当然ながら受験が必要なのはあえて言うまでも無いだろう。と言ってもそんなやつは極一部に過ぎないのだが。
そんなわけで、大抵の生徒は三年生といえど進学について煩うなんてことはなく、それまで通りにバイトや部活に勤しんでいたりする。
「あれ? 今日は図書室じゃないの?」
言うまでもなく香織ちゃんだ。今日もいつもの如くオレの左腕を縋り着くかのようにして抱き締めている。
いや、そんなことよりもこの質問に対する答えか。香織ちゃんも不思議そうにしているし。
基本オレの放課後って、そのまま下校するんでなければ大抵が図書室だからなあ、こんな風に疑問に思われるのも当然か。
「ああ、今日はちょっと他に用があってな」
オレが向かっているのは軽音楽部の部室。
目的はそいつらの演奏を観ることだ。否、聴くというのが正しいのか。
否、やはり表現的には観るだな、聴くだけが目的じゃないんだし。
「軽音楽部?
ねえ、もしかして、今度はバンドのプロデュースでもするの?」
香織ちゃんがそう思うのも仕方がないか。実際に去年はオレが直にスカウトしたアイドルを2ユニットもデビューさせているわけだし。
「ははっ、さすがにそこまでは考えてないって。今の状態で既に手いっぱいだしな。そんなわけで今回はあくまでも見学に過ぎないんだよ。
まあ、逸材が見付かるようならばそれなりのことを考えないでもないけど、それでもオレ自身でどうこうって気は無いな。…って、所詮は趣味のアマチュアだろうし期待はできないだろうけどな」
そんな説明をしているうちに、オレ達はその部室の前に辿り着いたのだった。




