ホワイトデーと鈴木姉妹
「あ、奈緒子、これあげる」
そう言ってお姉ちゃんが手渡してきたのは駄菓子だった。
「へえ、どうしたのこれ」
「ああ、バレンタインのお返しで貰ったのよ」
あ、そっか、そう言えば今日はホワイトデーだったもんね。
「てことは、お姉ちゃん、誰かにチョコを渡したんだ。
へぇ~、そっか~。お姉ちゃんってば、そういう相手がいたんだ~。
で、どんな人? もしかして私も知ってる人だったりして~」
まあ、お姉ちゃんも高校二年生だもんね、そういう相手がいたって可怪しくはないか。
「そういうんじゃあないわよ。
だいたいそんなこと、そのお返しを見れば解るでしょ」
まあ確かにね。こんな駄菓子で返すんだから、気安い友達ってところか。当然お姉ちゃんが渡したのも安い義理チョコに違い無い。でなきゃ私にくれるなんて、そんなことするわけもないもんね。
「……ねえ、お姉ちゃん、その相手って、もしかして性格が悪い?」
「え、なんで?
そりゃあくれたのは駄菓子だけれど、そこまでの関係じゃないんだし、別に可怪しくはないでしょ?」
あれ? この返事って……。
「ああ、お姉ちゃんってこういうこと気にしないんだ。てことはお姉ちゃんも相手に対して全くその気が無いってことか」
はあ…。なんだか拍子抜け。
まあでも少しほっとしたかな。
お姉ちゃんが男の子とそういう付き合いをするってなると、なんだか負けたようで面白くないんだよね。
「ちょっとどういうこと? もしかしてこれって、なにか意味が有ったりするの?」
ああ、こんなお姉ちゃんでも、さすがにホワイトデーのお返しに意味が有るってことは知ってたか。
「え~っと、グミの意味合いは、確か『あなたのことが嫌い』だったはずだよ。だからそれで私にくれたんだと思ったんだよね。
……って、ちょっと、お姉ちゃん⁈」
な、なんかお姉ちゃん……表情が……。
「あんのくそチビ~っ!」
うわぁっ、嘘っ、ヤバいっ、凄く怒ってる…。
「ちょ、ちょっと、お姉ちゃんっ、落ち着いて。
なにも相手が故意にやったって決まったわけじゃないんだし。
ほらっ、男の子ってそういう細かいこと気にしない子が殆どでしょっ」
と、とにかく鎮めないとっ。とばっちりは絶対にご免だわっ。
「……解ってるわよ。あんた相手に怒ってみても仕方がないしね。
でも、多分あれは解っててやってるはずよ。あいつの性格の悪さは有名だし、間違い無いわ」
なによそれ。お姉ちゃんってば、なんでそんな相手にチョコなんて。
もしかしてなにか弱みでも握られているのかな。
「でもまあそれも仕方がないか。こっちも取り入り方が露骨だったしね」
え?
……それって……つまりお姉ちゃんの方が悪かったわけ?
なんか取り入るとか言ってたけど、そんな人物で性格が悪いなんて……。
う~ん、そんな人って、誰かいたっけ?
「まあいいわ。
それよりも、ねえ奈緒子、それ、早く食べてくれない?
なんだかそれを見てると、また腹が立ってきそうだから」
うげっ……。冗談じゃない。
変に思い出して八つ当たりされるくらいなら、さっさと食べてしまおう。
開封すると中から何かの実を模した赤いグミが出できた。
何だろう、その真っ赤な中に、より赤い粒が透けて見える。
まあ、今はそんなことよりも早いところ食べてしまおう。
私はそれを勢いよく口の中に放り込んだ。
「うがああああああっ!
が、がはっ、がはっ!
はあっ、はあっ………ああああああっ!」
な、何よこれっ!
の、咽が焼けるっ! 口の中がヒリヒリするっ!
死ぬっ、死ぬっ!
それを吐き出した私は、その場を駆け出し台所へと向かった。
そして水を一気に呷り……。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ!」
し、しまったっ! 今の水のせいで余計に咽がっ!
剰りの咽の痛みに再び水を呷り、そしてまた咽の激痛に喘ぐ。
お、お姉ちゃんってば、なんて物を…。
漸く咽の痛みが楽になってき始めたところにお姉ちゃんがやってきた。
「ああ、昼間のあれってこういうことだったのね。道理で周囲で絶叫が響いていたわけだわ。
全く、あいつってばなんて物寄越してくれるのよ。本当危ないところだったわ。
まあでもそこは日頃の行ないの良いお陰ね、私がこうして災難を回避できたのは」
「代わりに私がこうして酷い目にあってるけどね。
てか、お姉ちゃん、実は解ってて私に食べさせたんでしょ」
お姉ちゃんってば、なにが日頃の行ないの良いお陰よ、他人事だと思って勝手なことを言うんだから。可愛い妹が身代わりになったってのに罪悪感の一欠片くらい無いの?
ああ、まだ咽が焼けるように痛い。
「え、え? まさか。そんなわけないじゃない」
絶対に嘘だ。だって心当たりが有るみたいなこと言ってたじゃない。
「まあいいわ。過失事故ってことにしておいてあげる」
但し結果が予見でき、容易に回避できたんだから重過失なのに違い無いけど。
「そ、そうよ、過失よ過失。
だいたい悪いのはこんな物を寄越した男鹿くんなんだから。全く、あのチビってば噂以上に性格が悪いんだからっ」
えっ? 今、なんて…。
「ねえ、お姉ちゃん。今言った男鹿くんって、もしかしてあの男鹿先輩のこと?」
まさかとは思うけど、あの先輩ならば納得できる。
「多分あんたの思ってる通り、加藤香織と噂になっている二年生のあのチビよ。
まあ男鹿なんて珍しい名前、そんなにいるとは思えないし、多分間違い無いんじゃない?」
やっぱり。
あれ? でもなんか可怪しい。
だってあの先輩、女誑しのはずなのに、なんでこんな悪質な悪戯をするんだろう?
グミの『あなたが嫌い』の暗喩だけでも女の子の不興を買うのに、加えてこの味の強烈な辛さ。
だいたいなによ、この『リトルキック』とかいう唐辛子味のグミ。危うく死ぬかと思ったじゃない。
全く、こんな嫌がらせをするなんて、どう考えても相手に嫌われること間違い無しよね。ううん、それどころか怨みさえ買いかねない。
本当どういうつもりなんだろう。もしするとあの先輩って嗜虐嗜好 でも有るんじゃないの。
「ねえ、なんでお姉ちゃんはそんな相手にチョコなんて贈ったの?」
そう、どうしてもそこが解らない。
あんな男鹿先輩が好きだという貴子に加藤香織。他にもお姉ちゃんを始めとした女の子達。
まあ、お姉ちゃんの場合は本命チョコってわけじゃなかったみたいだけど、お返しであんな仕打ちを受けるのを承知で、あえて言い寄る理由が解らない。
「えっ? 奈緒子、あんた知らないの? あの子があのリトルキッスやフェアリーテイルのプロデューサーだって噂」
ああ、そう言えば…。
「そりゃあ聞いたことはあるけれど…。
てことは、つまりお姉ちゃんや他の女の子達って、それで男鹿先輩に取り入ろうとしたってこと?
ああ…、そりゃああの先輩じゃこういう結果にもなるわけか。ちょっとやり過ぎだとは思うけど、それでも自業自得だわ」
なんか納得だわ。そんなんで集まってくる女の子になんて見向きするわけがないもんね。
「でも、ねえ、お姉ちゃん、その噂って本当の話なの?
そりゃあ確かにあの先輩の周りって、そういう人は多いみたいだし、結構懐かれてるみたいだけど、でもだからって必ずしもそうとは限りないんじゃない?」
認めたくはないけどあの先輩、なぜか人望は有るみたいなのよね。でも、それとこれとは別の話のはず。
だけど人望には根拠となるものが有るわけだし…、でもまさか…。
「それに関しては噂の域を出ないんだけど、でも信憑性は高いんじゃない?
そんなわけで、あの子のこと秘かに狙ってる子って実は少なくはないのよね。
まあとは言っても相手はあの加藤香織だし、どう考えても目が有るとは思えないんだけどね」
はは…、なによそれ。
でも納得。そりゃあ貴子が知らない振りに拘るわけだわ。これだけ下心のある人間が集まってくる中で先輩の正体に興味が無いってのは、確かに強みに違い無いものね。
「ねえ、お姉ちゃん、男鹿先輩の正体を知らないで好意を寄せている、そんな子っていたりするのかな?」
そんな物好きなんていないとは思うけど、それでもこれは貴子のため。
「ははっ、まさか。
だってあんなチビのちんちくりんよ。それに性格も最悪。あの噂が無きゃなんの取り柄も無い子になんて誰が靡くっていうのよ」
そりゃあそうだ。そんな物好きな子だなんて、きっと貴子くらいのものよね。
「……ああ、それでも加藤香織と早乙女純がいるのか…」
まあ、早乙女純の方はまだはっきりそうと決まったわけじゃないけれど、それでもでも相手は国民的人気アイドル。どう考えても貴子の方が圧倒的に分が悪い。
「え? 早乙女純? ああ、そう言えばそんな話も有ったような気がするわね。
でも、どうしたの? あんたがそんなこと気にするなんて。
もしかして奈緒子、あんたあの子を狙うつもり⁈
全く、なんて物好きな。
もしかしてあんた、被虐趣味でもあるの?」
「はあっ⁈ なんでそうなるのよっ! 私にそんな趣味は無いわっ」
そんなのあるわけ無いじゃないっ。全く、酷い言い掛かりだわっ。
「じゃあなんでそんなことが気になるのよ。普通靡くなら、どう考えても御堂玲の方でしょ」
「そうでしょ。普通は御堂先輩の方よね。
なのに貴子ったら、男鹿先輩の方が好いって言うのよ。貴子の身長からいったら御堂先輩くらいじゃないと釣り合わないっていうのに」
お姉ちゃんも私と同意見か。まあ、そりゃあそうよね。悔しいけれど御堂先輩くらいの身長だと、貴子くらいの身長じゃないと釣り合いが取れないもんね。
「へえっ⁈ 貴子ちゃんが⁈
確かあの子って、多分に漏れず背の高い男性が理想だったはずでしょ? さすがに貴子ちゃんよりも高い子は無理にしても、同じくらいの身長の子を選ぶとばかり思ってたのに。正直言って、あれじゃ姉と弟にしか見えないわよ」
ぶふっ。全くその通りだわ。貴子の高身長もそうだけど、男鹿先輩のあの低身長もないもんね。あれって多分150cmくらいしかないはず。
身長差30cmの男女逆転カップル……。
だめ……、想像したら……お、お腹が捩れる。
「ぷっ…、ははははははっ」
お姉ちゃんも同じことを想像したらしい。
って、だめ。私も我慢できなくなってきた。
「は…、はははははははっ。…げほっ、げほっ」
結局私も一緒になって笑ってしまった。しかも咳き込む程に。
ああ、お陰で咽が痛い。漸く腫れが治まり始めてたってのに、酷使することになってしまったじゃない。全くあの先輩は、この場に居なくても害をなしてくれるんだから。
「で、でもなんでまたあんなのに靡いたわけ? 真面目な貴子ちゃんだから変な考えで近付いたってわけじゃないんでしょ?」
お姉ちゃんの方も漸く笑いが治まったようで、本題とばかりに訊ねてきた。
「う~ん、なんか身長のことに触れないってところが好かったみたい。
で、それ以降かな。なんか好みのタイプが変わったみたいで、やたらと男鹿先輩のことを可愛いとか言ってるのよねぇ」
「ぶふっ。そりゃあそうよね、あの子だって身長がコンプレックスなんでしょうし。下手に貴子のことを指摘すれば、それが自分の身にも反ってくるわけだし」
「ちょ、ちょっと、もうっ、お姉ちゃんったら、笑わせないでよっ。まだ咽の腫れは治まりきっていなくて痛いんだからっ」
もうっ、せっかく頭から消えかけてたってのに、また頭に浮かんできたじゃない。
「ああ、ごめん、ごめん。
でも、真面目な話、それって本当の話なの?
だとしたら、貴子ちゃんも厄介な相手を好きになってしまったものね」
全くお姉ちゃんの言う通りだ。男鹿先輩の性格はもちろんのこと、恋敵ってのがまた厄介過ぎる。そうじゃなくっても花房咲を筆頭に、周りを美少女で囲まれてるってのに。
「いや、そこは順番が逆でしょ。
そりゃあ周囲の環境もだけど、一番の問題はあいつ自身の性格の悪さなんだから。
今は好意で目が曇ってるから解らないみたいだけど、本性を知ったら絶対にがっくりとくるわよ」
お姉ちゃんの言を肯定した私だったけど、お姉ちゃんとしては私のそれとはちょっと違った意見だったみたい。
でも、確かにお姉ちゃんの言う通りかも。いくら事が成就してみたところで、相手に不満が有るようじゃ全てが台無しだもんね。環境の剰りの厳しさに一番大事なことを忘れていた。
「まあでもそれもありかもね。但しその場合、早い方が良いけれど。
でもそれは余計な心配かな。あれだけ障害が大きいんだもの、多分貴子ちゃんが男鹿くんに愛想を尽かす方が早いに決まってるわ」
恐らくはお姉ちゃんの言う通りになるだろう。
だけどやはり私としては貴子には早く目を覚ましてほしい。
でもねぇ…。痘痕も靨じゃないけれど、恋する乙女には欠点も美点に見えるもの。残念なことに欠点と美点は表裏一体だから、指摘するのも難しい。そうじゃなくても美化の補整が掛かってるし、気付くのは難しいんだろうな…。
男鹿先輩、貴子を選んでくれとは言わないけれど、でも泣かせるようなことをするならば、その時は絶対に許さないんだから。
※1 ここで使っている『嗜虐嗜好』ですが、実は『嗜虐心』と『加虐心』とは微妙に違いがあるらしいです。どちらも『他者を虐げることを望む心理』ということで同じようなものだと思っていたのですが…。
【嗜虐心】対象は人や動物。嗜好であり間接的表現。
【加虐心】対象は人限定。欲求であり直接的表現。
と、こんな感じらしいです。
イライラをぶつけたいなんて思うのがどちらかで考えると解りやすいかと思います。
※この後書き等にある蘊蓄は、あくまでも作者の俄な知識と私見によるものであり、必ずしも正しいものであるとは限りません。ご注意ください。




