シェイクスピア曰く
美咲ちゃんに絶交を言い渡された翌日、クラスにはブリザードが吹き荒れていた。
否、当然これは譬喩であり、オレの心中限定の寒波に過ぎないのだが、そのはずなのだが、否、やっぱりクラスでいいのか? とにかくオレが教室に入った途端、その空気が凍り付いたのだった。
凍り付いたと言えばオレの身体もそう。否、実際は喩えだってことは先ほども述べたし、物理的にはあり得ないのだから説明の必要は無いだろうけど、でも、そんな風に感じてしまうほどに周囲の女子達からの視線は冷たく、オレの心胆を凍り付かせたのだった。
「なんだよ、まだ意外と余裕があるじゃないか。心配して損したぜ」
いや、そんなことは無いっての。
いったいどこに目を付けてんだよ、このくそ河合が。
「いや、だってなんかの言葉であっただろ?
『最悪だなんて言ってる間はまだ大丈夫』 って感じのが」
く、『リア王』の引用かよっ。
こいつ、変なところで学が有りやがる。
「他人事だと思って好きなこと言いやがって」
「いや、他人事だし。
でも、俺はまだいいほうだぜ。他の奴らなんて俺みたいに憐れんだりなんてしないからな。
酷いのになると「ざまぁ」なんて喜んでるくらいだ」
オレの非難にこう返してくる河合。
「なんでだよっ」
「いや、当然だろ。
普段から美咲ちゃんとはあれだけ親しく付き合っていて、周りにも武藤や朝日奈を始めとして女子率が高いし、中学の後輩はあのフェアリーテイル。早乙女純との噂が有るってだけでも十分なのに、その上香織ちゃんからの熱烈な求愛を受け、剰えそれを無下に断り続け、果ては転入生の佐竹まで手を伸ばすってんだから、そりゃあ敵視もされるってもんだろ。
そんなお前に早乙女純との破局の噂と美咲ちゃんからの絶縁宣言ってんだから、モテない奴らからすれば「ざまぁ」となるのは当然だ。
もうこれ以上の慶事なんて香織ちゃんとの破局くらいのもんじゃねえの?」
ぽんっと背後からオレの肩を叩く存在がひとり。
今となってはこのクラスで唯一のオレの味方の女性である佐竹だ。…って、こいつがこの事態の発端の一端なんだからそれも当然か。
「そんな風に責任転嫁しないでもらえないかしら。
確かに私も関わってないとは言えないけど、でも殆どは河合くんの言う通り、つまり男鹿くんの自業自得でしょ」
ぐはっ! 佐竹、お前もか…。
「だから、そんなブルータスみたいに言わないでよ」
く、最早オレは四面楚歌。辛うじて河合が味方……じゃないな、こいつはただの傍観者か。天堂も中立を決め込んでるし。
「あら、私はいつだって純くんの味方よ」
はあ……、孤立無援はやっぱりキツい。
「お前、香織ちゃんは無視かよ。今じゃ唯一のお前の味方だってのに。
そんなんだから周りからの風当たりがキツくなるんだよ」
否、河合、それは違う。香織ちゃんはいわば埋伏の毒だ。オレに阿ることは有っても周囲への緩衝材や緩和剤のような働きかけは期待できない。ってより、どちらかと言えばあえて逆なことを行いかねないのだ。香織ちゃんにとっては、オレを繞って争う恋敵は少ないほうがいいからな。
「ちっ、やっぱりお前は、同情に値しねえわ」
余計なお世話だ。
オレは河合の捨て台詞を聞き流した。
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「ところであの噂って本当なの?」
昼休憩、鳥羽がオレに訊ねてきた。
最近は小鳥遊とふたりで過ごしていたのだろう訪ねて来ることは少なくなったいたのだが、…やっぱり気になったんだろうな。
なお、小鳥遊のほうは美咲ちゃん達のほうに行ってるらしい。
「噂って……なんの噂…だ?」
まさか、こいつまでオレを責めにきたってんじゃないだろうな。
「あ、いや…、その…」
オレに気を遣っているのだろう、どうにも話の切り出しが悪い。まあ、確かにそういう噂だからなぁ…。
「……気を悪くしないでほしいんだけど、早乙女純の休養の理由が、その……」
「オレが原因だって、そういうことなんだな」
言い淀む鳥羽の台詞を先取り逆にこちらから訊き返す。
「…う、…うん」
言葉を詰まらせながらも頷く鳥羽。
ち、やっぱりそうか。
「で、鳥羽もオレのことを疑っている…と、そういうわけか」
「い、否、そういうわけじゃ……」
狼狽ながらも否定する鳥羽。
…なんか、これじゃオレが威圧してるみたいじゃないかよ。なんて不快な。
「はあ…。一応説明しておくけれど、それは誤解だ。
まあ、そうなるに至った過程については、半ば…とまではいかないけれど、多少の事実が若干だが……」
「往生際が悪いわよ、男鹿くん」
オレと鳥羽の会話に割り込んできたのは、傍でそれを聞いていた佐竹だった。
「はっきり言うと、噂は噂に過ぎないんだけど、そう疑われるような言動を男鹿くんがしたことについては間違い無いわ。
例の話は知ってるでしょ、男鹿くんが私にしたあのセクハラ紛いの一件。要はあれが起因となってるの。
で、早乙女純との友情に篤い花村さんとしては、私に感けて 彼女を蔑ろにする男鹿くんと絶交状態。クラスの女の子達もそれに賛同しているってのが現状ね」
佐竹の奴、説明を横から引き継いだはいいけど、セクハラ扱いは無いだろ。もう少しマシな表現は無かったのかよ。
「え、でも、それって、かなりヤバいんじゃ……」
鳥羽がオレの方を窺う。
確かにその通りで好ましいとは言えない。
だが、考えようによってはいろいろと都合が良いかも知れない。
でも、それはあくまでも、全て早乙女純についてであって、美咲ちゃんとの関係修復についてのほうは、鳥羽じゃないけど非常に不味い。
「とりあえず、美咲ちゃんには謝っておくよ」
はあ…。でも、どうやって説得しよう。
『望みなしと思われることもあえて行えば、成ることしばしばあり』 か。信用するぞシェイクスピア。
※1 作中にあるようにウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)の『リア王』第4幕第1場の名言『The worst is not, So long as we can say, ‘This is the worst.’』の引用です。
『「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない』ってのが訳となります。
※2『感ける』とは『特定のものに気をうばわれる』と言う意味合いの言葉です。特に『○○にばかり』と頭につく場合がよくみられます。まあ、『ばかり』の部分が省略されることも多いのですが。
なんらかの誘惑にかまけてってことも多いせいか、『怠ける』と意味を間違われることも多いらしいので注意が必要なようです。
ともあれ、こんな意味合いの『感ける』なせいか、『構う』や『かまを掛ける』なんて言葉との関連性も有るのではと興味も出てきます。
まあ、『構』は身構えるって感じで警戒感を感じるせいか、関心を寄せるってことで好奇心を感じさせる『感』とは逆の意味合いのイメージなのですが。
なお、『感ける』は常用漢字表外の読み方なため『かまける』とひらがな表記が一般的なようです。
※3 この『望みなしと思われることもあえて行えば、成ることしばしばあり』、英語では『Without hope, when also mixing and doing to seem, there is often a thing it'll be.』も、またシェークスピアの名言です。
出典については……ごめんなさい、よく知りません。興味のある方はすみませんが自分で調べてみてください。
※この後書き等にある蘊蓄は、あくまでも作者の俄な知識と私見によるものであり、必ずしも正しいものであるとは限りません。ご注意ください。




