これってやっぱり修羅場なの?
2月の第一日曜日、何故かオレは鳥羽の住む下宿に居た。…早乙女純として。
いや、本当は何故かってことも無く、その成り行きは判然りとしているのだが、しかし…。
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事の発端は1月末のとある日。小鳥遊が鳥羽にバレンタインに向けて、手作りのチョコレート制作の特訓中って話を聞き付けたことだった。
で、そこでリトルキッスが1st.アルバムの時に手作りチョコを配っていたって話が出たことで、小鳥遊が美咲ちゃんにその手法を訊ねるべく相談を持ち掛け、そこに女の子連中が集うことになったってわけだ。
つまり正確には、鳥羽の家ではなく、小鳥遊の家での共同チョコレート制作会ってわけである。
なお、オレが参加している理由は、「純ちゃんもバレンタインにはチョコレートを贈るんでしょ」と美咲ちゃんに誘われたためだ。
もちろん断わるつもりだった。
だってオレは男だぞ。なんでそんな女の子同士のイベントに参加する必要が有るんだよ。
まあ、遉にそうとは説えないので、「そんな柄じゃないから」と誤魔化すように応じたのだけど…。
でも美咲ちゃんは、「そんなことじゃ、香織ちゃんに純くんを奪られちゃうよ」と、オレの意見に耳も貸さず。結果、オレも強制参加となったわけだ。
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話は戻って、舞台は鳥羽の家……じゃなくって小鳥遊家の台所。
メンバーはオレの他に、この会の主催者の小鳥遊、そして教導役の美咲ちゃん、そして由希と、朝日奈、向日の計6人。
ここは元が下宿ってことがあってか結構台所は広いのだけど、遉にこの人数だと果然り手狭く感じるな。
材料については個人がそれぞれが予め用意した物を持ち寄っている。
まずは主体となる大量のチョコレート。
それに混ぜ合わせる牛乳とクリーム。
当然砂糖も必要だ。幾らなんでもこれ無しの物じゃ、とてもじゃないけど食べられない。否、必ずしもそうってわけじゃないけれど、少なくともオレには絶対に無理だ。
あとは飾り付けに使うアーモンド等ってところか。
まあ、この辺が基本だろう。
道具類はまあ問題無い。
ボールに包丁、スプーンくらいはどの家にだって有るからな。そして電子レンジもOKだ。
「あっ、これ可愛いっ♡」
成形用の型を覧て喜色的声を上げたのは由希だった。
普段は硬派を装う由希だが、実はこんな一面も有ったりする。基本、男の前では隙を斥せないが、女性同士だと安心するのか、結構こう謂う姿を晒すことが有るのだ。
解っちゃいるんだが、馴れないせいか気色悪い。
! ヤバいっ!
……? あれ?
可怪しいな…。いつもなら、ここで由希から殺気を向けられるところなんだけどな…。
「? どうしたの、純ちゃん」
オレが現状を不思議に思っていたところ、それを美咲ちゃんに不審に思われたようだ。
いや、だってな、普段ならあんなことを考えた時点で、まるで心の声が聞こえたかのように殺気を向けられるところなんだけど、どう謂う理由か今回はそれが無いんだよな。あんなに勘の鋭い奴なのに、なんで今回は何事も感じられないのか、それが解らないから戸惑っているんだよな。
かと謂って、それを本人に訊ねるなんてのは自白と同じだからできない理由で…。
まあ縦いか、とにかく何事も無かったんだから。
「いや、そんなにこんなのが珍しいのかな、なんて思ってな」
取り敢えずは美咲ちゃんの問い掛けに、適当な感じで応えておく。これなら無難な答えのはずだ。
「うん、そうだよね。でも、こんなに可愛い型がいっぱい有るんだし、燥ぎたくなる気持ちも解るよね」
予想通り、美咲ちゃんはオレの意見に賛同を意を示してくれたようだ。
「う~ん…、これでこれなら、お店で他の形の物なんて覧でもしたら凄いことになりそうよね」
ただ、小鳥遊の余計な一言のお陰で、他の型を覘きに買い物へと出掛けることとなってしまったのは計算外だったけど。
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やって来たのは、とある有名百貨店。
オレ達はバレンタインコーナーを覘いていた。否、熟然りと巡っていたってのが正しいか。少なくとも由希に関しては…。
実際、由希は人目も憚らず、さまざまな小道具を手にしては嬉々としているありさまだ。
っておいっ、知り合いの目が無けりゃ可いのかよっ。そいつらが瞥たら驚くぞ。恐らくは二度覩するんじゃないか。ほら、あんな具合……に?
……って、えええぇ~っ⁈
「か、香織…ちゃん…。なんで……?」
それは選りにも選って香織ちゃんだった。
「そりゃあそうだよ。バレンタインシーズンなんだから。
だから純ちゃんも迂闊迂闊していると、純くんのこと奪られかねないんだから、油断しちゃダメなんだからね」
否、そんなことは解ってるって。
でも、なにもこうして出会さなくてたって…。
そりゃ、ここは有名百貨店なんだから、香織ちゃんが来てること事態 、可怪しいことじゃないけれど、幾らなんでもこれは無いだろう。
面倒なことになりそうだし、このまま気づかずにいてくれないだろうか。
「あら? そこに居るのって、花房咲と早乙女純じゃない?」
残念ながら、事態は思った以上に厄介だったようで、オレ達に声を掛けてきたのは、香織ちゃんでなかった。
「なあっ⁈ る、瑠花さん⁈ なんで?」
そう、現れたのは伊藤瑠花。我が校の先代生徒会長にして、香織ちゃんの事務所の先輩アイドル。序でにオレ達の自称姉貴分である長谷川千鶴の宿敵である。
そして彼女も、香織ちゃんのことを妹のように可愛がっていたりするので、多分今回は香織ちゃんの付き添いってことだろう。
「なあっ⁈ 早乙女純に花房咲⁈
なんであなた達がここに居るのよ⁈」
ほら、果然り。謂った端から現れた。
「そんなの決まってるじゃない。アンタと同じ目的よ。
まあ、アタシの場合は特定の人物相手ってわけじゃないけどね」
そしてその後方から現れた由希。
でも、そんな風に格好付けてても、先程までなにをやってたかを考えたら滑稽なだけだぞ。
否、一応は女の子なんだし、本当は可怪しくはないんだけど、果然りイメージかな。
「それにしてもこのふたり、こうも同じような反応を示すなんて面白いよね」
そして由希の後方からこのツッコミを入れてくれたのは、一緒に行動していた向日。
「本当よね。実は性格が違うように俔えても、案外根本の部分は同じなのかもね」
それに、これまた由希と一緒だった朝日奈が続く。
「そう摘えばそうかも。
どっちも負けず嫌いで、気が強いってのは同じだもんね」
おいっ、由希っ、それは無いだろっ。
確かにオレは負けず嫌いで気が強いかもしれないけど、あそこまで傍若無人な振る舞いはしないっての。
「それに純くんが好きってのも同じだものね」
なあっ? ちょっと瑠花さんっ、あんたまでこいつらに乗っかるのかよ⁈
「ちょっと瑠花さんっ、この子と一緒にしないでくださいよっ!
この子と違って、私はちゃんと言葉と態度と行動で、判然りと好意を示してるんだからっ!」
まあ、確かにそうなんだけど、でもあれはやり過ぎだと思う。最近でこそ馴れてしまったけど、最初の頃は怯き捲ってたからな。
「そうだよ純ちゃん。純ちゃんも宜い加減に態度を判然りさせないと、香織ちゃんに負けちゃうよっ」
例によって、美咲ちゃんがオレの心配をする。
けど、それは余計なお世話である。
「それ、今まで何度も説明してるけど誤解だからっ。
あいつとは飽くまでも友人で、それ以上の感情なんて無いんだって、何度説えば解ってくれるんだか」
う~ん、この台詞、今まで何度口にしてきたことか。そのくせ未だに効果が無い。ってよりも寧ろ逆効果で、オレが照れて誤魔化しているくらいに思われてる始末だ。なので今のように、素直になれみたいなことを何度も督されてきている。
「え? なに? あなたって純くんとはその程度の関係だったの?」
そんな中で、オレの説うことを正しく受け容れてくれたのは、意外なことに瑠花さんだった。
否、意外ってことも無いか。多分余計な先入観が無かったのだろう、なので冷静に客観的な視点で捉えることができたってことか。
「まあ、そんなところです。
ただ、こいつら以上に親しく付き合ってるせいか
、そんな風に勘違いされ易いみたいなんですよね。
全く、まだオレ達って10代なんだから、そんなに焦って齾着く 必要なんて無いと思うんですけど、なんで世間は皆してあんな風なんでしょうかね」
これもいつものオレの持論。
人生の先は長いんだから、熟然り構えて、本当に自分に相応しいと思える相手を慎重に選ぶべきなんだよな。
そこのところを理解できてないからこそ、破局だなんだって結果を迎えることになるんじゃないだろうか。
オレはそんなつまらない後悔なんてしたくはないし、それは自分だけでなく、相手にとっても不幸なことだ。
そう、恋愛ってのは自分一人のことではなく、相手の人生にも関わる一大事なんだから、そんなに安易に考えて良いことじゃないはずなのだ。
なのに、なんで世間はあんなに安直なんだろう?
「あなた、純くんと同じようなことを論うのね」
う、これってちょっと調子に乗って語り過ぎたか。
でも、論ったことは間違いじゃないはずだし、本当は誰もが思ってることじゃないのか?
「いや、別に可怪しい話じゃないでしょ。
あいつとはいろいろと話す機会も有るし、そう謂う話をすれば意見が似通ってくることも起るんじゃないですか」
うん、これなら自然なかたちで誤魔化せたんじゃないだろうか。話の筋は通っているはずだし。
「なるほどね。周りの反応も当然だわ。これだけものの考え方が似ているなんて。
そこまで情意投合してるとまるで性別の違う同一人物みたいだわ」
んなぁっ⁈ ちょっと、なんだよ、その台詞って。
まさかバレたりはしてないよな?
否、それは無いはずだ。
幾ら早乙女純の正体が謎だからって、それを男だと結び付けるような、そんな滑稽な考えに至るなんてことは起り得ないはず。
「? もしかして動揺してる?
つまり本当は、あなたも彼のことが好きってわけね
もうっ、素直じゃないんだから。
あなたのことは気にいったけど、でも、それでも私は香織の味方よ、悪く思わないでね」
「ちょっと、瑠花さんっ。
幾ら瑠花さんでも、彼とこの女を同一扱いするなんてあんまりですっ!
仮にこの女の口にした台詞が、彼と同じようなことだったとしても、それは彼の言葉の受け売りですっ。
その証拠が今の動揺じゃないですかっ!」
否、そう謂う理由じゃないんだけど。なんてったって、瑠花さんの指摘通りの同一人物だし。
でも、それは秘密なんだし、そう思われるのも仕方が無いのか?
まあ、なんにしても正体を明かすわけにはいかない以上、説明なんてできるわけが無いのだが。
「ふ~ん、美咲ちゃんの言ってたことって本当だったんだ。でも、そうなると、男鹿くんって二股掛けしてるってになるわけよね。いったいどっちが本命なんだろう?」
ここに爆弾が投下された。
まあ、この発言の主たる小鳥遊としては、ただ、感じたことを呟いただけかもしれないけれど、耳聡い連中からすれば、これはもう十分過ぎる程に聞き捨てならない台詞である。
自覚はなくとも立派な戦犯と謂えるだろう。
「ふ、覚てなさい、早乙女純。
そうやって余裕装っていられるのも今の内よ。
今回のこのチョコレートで、必ず純くんを振り向かせて覿せるんだから」
小鳥遊の言に煽られた香織ちゃんが、早速宣戦布告を仕掛けてきた。
「こっちだって負けていないんだからっ。
勝つのは純ちゃんの方なんだからねっ!」
そして何故かそれを、オレに代わって受けて立つ美咲ちゃん。
いや、別にそんなことしなくて可いって。否、寧ろ止めてくれっ。
そんなわけで、オレの思いとは裏腹に、竜虎相搏つ ってことになってしまったわけだ。
さて、この雌雄を争う決着は如何に。
……って、これ、本当に勘弁願いたいんだけど。
こう謂うのも修羅場って謂うのかな。
※1 正しくは『自体』と書きます。『自体』とは『それそのもの』という意味で、この文章の場合『香織ちゃんが来てること』に係ります。
で、ここで使われている『事態』ですが、これは『物事の様子』という意味で、特に『好ましくない状態』に使われるようです。
【自体】そのもの自身の性質やあり方。
【事態】周囲も含めた対象の悪い状況・状態。
と、つまりこういった感じみたいです。
では、なぜこのように使っているかですが、まずは『事態』と表現したくなるような、厭な状況ってことと、もう一つは、語り手の純自体……じゃなくって自身が混乱気味ってことで。
なお、上記の説明に使った『係る』ですが間違った用法ではありません。文章の構造において係り受けという関係性を説明するときに用いる表現だそうです。
※2 この『齾着く』ですが、この表記が正しいかどうかは不明です。作者の当て字に過ぎない可能性は大です。
『がっつく』『がつがつ』とは『動物が食物を貪り喰らうさま』を表す言葉で、そこから転じて『貪欲なさま』を表現する言葉となったようです。
『齾』とは『歯が欠ける』『動物の食べ残し』『物の欠けた不揃いなさま』という意味の漢字なので、『獣が残飯を貪るが如く』ってことで、恐らくはこれを使った『齾つく』『齾々(がつがつ)』が正しく漢字表記で良いのかもしれません。
まあ『渇く』で『渇々』なんてのも悪くはなさそうですが。
※3 この『竜虎相搏つ』ですが、普段見掛ける『竜虎相打つ』と同じです。四字熟語だと『竜虎相搏』ですね。
この『搏』という字の意味ですが、他にも『搏る』『搏く』という読み方が有り、意味はそれぞれ『捕る』『羽ばたく』。
熟語には『獅子搏兎』なんてものが有りますが、こちらも『獅子博兎』の方が身近な表記かもしれませんね。
他にも『搏動』『脈搏』等が有りますが、こちらも『拍動』『脈拍』の方が一般的なようです。
で、話を戻してこの『竜虎相搏つ』ですが、類義の四字熟語に『竜攘虎搏』『竜戦虎争』『竜騰虎闘』『両雄相闘』等が有ります。…って大抵、竜と虎なんですね。
あと、『相搏つ』とは別に『相搏』という言葉が有りましたので、序でで説明しておきます。
【相搏】
① 土地・家屋・その他の財物を交換すること。交易。
② 職務などを交替すること。代理して勤務すること。
と、なっておりました。
『竜虎相搏』にこれらの意味を当てると意味不明になりますよね。
中国人? ファンタジー世界? いや、そんなツッコミは無しで。
[Google 参考]
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。




