純、野球部を相手にやらかす
9月半ばの放課後、オレはグランドでなんとは無しに野球部の練習を覘いていた。
甲子園の余韻を未だに曵き摺っているようだ。もう、あれから一ヶ月近くと経つと謂うのに。
三年生から後輩達へとレギュラーも代替わりしているだろうから、今練習している奴らは一・二年生と謂ったところだろう。三年生と思われる部員が指導しているのが覘える。
しかしなぁ…、甲子園での試合を観てきたせいだろうな、どうにも我が校の野球部はレベルが低いように感じていけない。
今オレの目の前で投球練習をしているバッテリーに対してもそう。どうしても不満に思えてしまうんだよなあ…。
「全く、何がナイスボールだよ。全然なってないじゃねえかよ。
ちゃんとしたフォームで投げりゃ、もう少しくらいは増しになるだろうにな。
この程度の球ならまだオレの投げた方が増しなんじゃねえの?」
思わず口に出してしまった言葉に、野球部の連中から視線を向けられたことで漸く気づいた。
どうやらオレはやらかしてしまったらしい。
「あ、悪い。決して悪気が有ったわけじゃないんだ。
だから気にしないで……」
「ざけんじゃねえっ!
あれだけ散々悪態吐いといて今さら何言ってやがる!」
遉にオレも悪いと思ったのでここは素直に謝ることにしたのだが、残念ながら謝罪の言葉は途中で遮られてしまった。
まあ、そりゃあそうだよな。今までの努力に難癖を付けられたんだ、頭にくるのも無理も無えか。
でも努力っていうのは正しく行なわないと、間違ったものが身に付くことになるんだよな。今のこいつらみたいに。
「しかもド素人のチビのくせに、おれよりも増しなんて巫山戯たこと吐かしやがって!」
悪いのはこちらだからと下手に出てはいたけれど、幾ら温厚なオレでもこの暴言だけは聞き捨てならない。
「あぁ⁈ コラてめぇ、今なんてった⁈
誰がチビだ、このウドの大木が!
抑てめぇがあの程度のヘタレな球しか投げられないのが悪いんだろうが。
オレは単に事実を言っただってのに、いったいどこが巫山戯てるってんだ、この間抜け。
だいたい予選一回戦を自責点12でボロ負けしておいてどの面下げて主戦投手様だなんてデカい顔してんだっての」
これはたった今思い出した情報だ。こんなことさえ無けりゃ思い出すことも無く、ずっと忘れたままだったってのにな。本当馬鹿な奴だわ、こいつ。
両者が売り言葉に買い言葉を交わしたことで、急遽オレ達は投球対決をすることに。
しかも何故だか野次馬達までが集まって来て、どこで聞き付けてきたのだろうか美咲ちゃん達までが在る始末。そして当然、香織ちゃんも。
「全く、大人気の無い話よね。
なにも態々こんな大事になんてしなくたって宜いでしょうに、本当何考えてるんだか」
「そうだね。幾ら純くんと謂えども、今回ばかりは無茶としか謂えないだろうね。
でも、こうなってしまったからにはもうどうしようも無いし、ここはもう天任せになるだろうね」
「あいつらなんて卑怯なのよっ。
仮にも主戦投手ともあろう者が野球で勝負しようなんてっ」
「もうっ、本当純くんってば、無茶なことばかりするんだから」
「何考えてるか知らないけど、まあ自業自得だろ。
全く、余計な心配掛けやがって。
一層のこと程々に痛い目遭えば、宜い薬になって良いだろうぜ」
「でもあいつって向こう見ずの馬鹿に見えるけど、なに気に計算高かったりするし、案外勝算が有るのかもね」
「う〜ん、実は勝負とは別に何か思惑があったりして?」
由希の謂う通り大人気無いってのは解ってる。
でもこればっかりは勘弁ならないってことが誰にだってひとつやふたつくらいは有るものだろう?
まあ責めてもが相手の土俵での勝負だ、だから大人気無いてのは無しってことにならないかな?
って、こんなこと言ったら「野球なのになんで土俵ってなの」なんて変なツッコミを美咲ちゃん辺りから貰いそうだけど。
オレがこんな余裕なことを考えているのは、当然ながら勝つ気満々だからである。
だって海堂から手解きを受けたオレだぞ。あんな名前だけのヘボ投手に負けるなんて理由ないだろ?
だから天堂や香織ちゃんがしてくれるような心配なんて必要性なんて有りはしないし、美咲ちゃんの言うような無茶なんてことも有りはしない。
河合の謂う自業自得の痛い目で宜い薬ってのは相手側の方である。
朝日奈の謂うように確りとした勝算に基づいた勝負なのだから。
あと、日向の謂うような別の思惑なんてものは一切無い。全く、日頃からオレのことをどう謂う目で看てるんだか。なんとも人聞きの悪い失礼な奴だ。
取り敢えずそれは縦しとして、愈勝負となったわけだが、その際の守備は野球部の新部員達がそのまま入ることとなった。もちろん捕手もそうだし、当然ながら投手は件のあいつだ。
名前は谷古宇というらしい。
……ここでもか。なんか高校球児って変な名字の奴ばっかりだ。まさか地元でさえもだなんて…。
さて、ここでルールだが、谷古宇とオレとが投手と打者をそれぞれが務め、その成績で優劣を決めると謂うものだ。
もしそうでなしに部の連中から打者を選ぼうものならどんな結果になるか解ったものじゃあ無いからな。
いや、別に打者なんて本当は必要無いのだけれど、オレとしては打者も経験して試たかったからだったりする。
オレのこの希望は直然りと通った。
なにやら余計にオレの勝ち目が無くなったなんてことを奴らが言ってたけど、そんなことはお構い無し、反ってオレの投球が実際にどれだけ通用するかの試金石にはもってこいだったりする理由で、逆に都合が好いくらいである。
そんなわけで早速勝負といくとしようか。
まずは谷古宇が投手だ。
試せてもらおうか、我が校の投手の実力とやらを。
投げてきたのはど真ん中の直球。
否、高さは少しだけ低めな感じだったか。
「ふ、どうだ、これでも少し手加減して投げてんだぜ」
ドヤ顔な割りには113km/hと極平凡な球速だ。
しかも大した伸びは無いようで、オレの手前でお辞儀してたような気さえもする。
オレがそんな指摘をしたせいか、次の投球はど真ん中より幾分高めで、そして内角寄りの直球。
要するに顔面近くの投球である。
「あ、悪い手許が狂ったわ」
こんな巫山戯たことを言っているけど恐らく態とに違い無い。
なるほど、口とは逆に狙いは正確ってわけか。
因みにオレは全く怖じることも無く、何事も無かったように平然と見送ってやった。
だってなぁ…、由希の道場の稽古じゃ、今くらいのスピードの突きや蹴りが普通に飛んでくるわけだし。
否、正しくはそんなに速いなんてことはないけど、その分距離が短いから、なので体感スピードはきっとこちらの方が上だ。
取り敢えずこれでワンボールワンストライク。
2球察た限りでは依然り大したことは無さそうだ。
「もう十分だし、漸々打つぞ」
そう宣言するとオレはバットを強振した。
全く、こいつはセコい奴で素人相手に変化球を使ってきやがった。それも速度の近いシュートという悪辣さ。
でもなあ、こんな小細工が通用すると思われたのはなんとも小癪なので、バットに捉えたあとは全身の瞬発力を思い切り利かせて、その勢いのまま渾身の力でバットを振り抜いた。
自分でも意外なのだが、その打球はグランドのネットを越えてどこかへと。
まさかな…、オレの初安打が本塁打だなんて。
取り敢えず谷古宇の三流風りが顕になったわけだが、それでも勝負はまだ続く。
オレは自分の実力がどんなものか是非とも試して験たいし、野球部側も責めてオレを打ち崩すことでなんとか汚名を返上し、引き分けに持ち込みたいところだろうしな。
オレがマウンドに立ったところで谷古宇がバッターボックスへと入る。
さあ、それじゃあ早速投げて試ようか。
否、その前に一旦脳内でお浚いだ。
まずは悠然りと腕を頭上まで振り被る。確か無駄に力まないことが大事だったよな。
次は軸足の内側を重心に、逆側の足を膝から引き上げるようにして持ち上げる。
ここでは確りと軸足に体重を預け、身体を安定させることが重要だ。
そしたら右手を後ろに下げて投球動作に入った後、尻からホームに倒れるように重心移動して投げるんだったよな。
左足のつま先はホーム方向に真っ直ぐ置くようにして着地し、力が逃げないよう着地するまでは肩が開かないようにすることがポイントと。
リリースの時には、スナップも効かせて球にスピンを与えるようなイメージで離す。腕の角度が45度から30度の位置が目安だとか説ってたっけ。これ以上高い位置で離すとすっぽ抜けやすくなるって注意されたしな。
手からボールから離れれば実質的な力は加わらないけれど、フォーロースルーも意識して確り振り抜き反動で腕が顔の近くまで上がるようにする。
良し、問題無い。じゃあいくぞ。
オレの放った球は唸りを上げて、捕手の構えるミットへと突き射さった。
球速は118km/h。
おおっ⁈ 海堂の鑑定通りの球速だ。
う〜ん、果然りスピード測定してもらっておいて好かったな。
こうして実際の球速が解かるってのは嬉しいし、谷古宇の投球と比べられるのもまた都合が好い。
ざまーみろ。オレの方が5km/hばかり勝ってるぜ。
どうやら下半身始動を意識した上で、投げる時には肩を下げるってのを教えてもらったのが大きいみたいだな。じゃなきゃ「投手が投げる時には肩を下げてはいけない」なんて定説を鵜呑みにしてたオレだけに、全身を使った自然な投げ方なんてできてなかっただろうからな。
「ちくしょうがっ!
お前、経験者だったのかよっ⁈
騙すだなんて卑怯だぞっ!」
オレに球速で負けたことが悔しかったのか、あんなこと言ってるし。
でもなあ……、この程度の奴って結構碌々してるんだよな。本気で主戦投手で活躍したいんなら責めて130km/h近くはほしいものだ。
120km/h程度なら、あの堂官ですら投げてるってんだ。
……ああ、だからあの小細工か。変化球主体ならこの球速でも十分問題無いもんな。
否、それでもあの直球の伸びの悪さじゃなぁ…。
うん、フォームの矯正は絶対に必要だな。
う〜ん、しかしここからが本番だな。
今ので谷古宇も本気になっただろうしな。
それに対してオレはと謂えば、変化球なんて習っていないただの素人よりマシなレベルの俄投手だし。
だがしかし、だからと謂って負けるつもりはさらさらに無い。
さて、取り敢えず強がってみたものの、実際どうしたものだろう。
一応、可能な限り最後まで体を開かない、肩を開かないってのは守っているつもりだが、それでもオーバースローってのは球の出どころがバレ易いって云うからな。そうなりゃ俄のオレなんて簡単に打たれかねない。
だからと謂って俄知識の変化球を即席で即興的にってのは余りに無謀と謂うものだろう。
同じ即興的に行るのなら責めて身に付けた最も自信の有るもので行るべきだろう。
と謂う理由で、一旦タイムを取って身体を解しながら頭の中でイメージを組み立てる。
そしてそれが纏まったところで……。
克し、これなら勝算有り。あとは実行有るのみだ。
まずは悠然りと腕を振り被る。
次は軸足の内側を重心に、逆側の足を膝から引き上げるようにして持ち上げて……とここまでは従来と同じだ。
だが、ここから敢えて自己改善とばかりに、身体に右への捻りを加える。
そして捻りに依る瞬発力を投球に伴い開放するそして踏み込みは八極拳の震脚の如く力強く、そしてそこから腕を撓らせ全ての力を球へと注ぎ込む。
「んがあぁっ!」
捕手が捕球と伴に呻き声を上げた。
どうやらオレが思っていたよりも威力が有ったみたいだな。
球速も124km/hと6km/hも上がっている。
つまり大成功だったようだ。
とは謂え今のは行き当たり場当たりだったため、次はもっと良い感じになりそうな予感が有る。
「さあ、あと一球だ。早々と構えやがれ!」
ああ、早く試したい。
さあ、早く構えてくれ。
オレの今回放った球は更に威力が上がったようで、球速も遂に130km/h。
そう、遂にオレも主戦投手級に至ったわけだ。
谷古宇もなんとか喰らい付こうとしてたみたいだけど結果は空振りだった。
正直なところを言うと、幾らオレががんばったところで所詮は小柄な素人だけに、この程度が限界なわけで、打たれていたとしても不思議は無かったんだけどなあ。
まあ、要するにこいつも所詮はこのレベルだったってわけだ。だって予選一回戦敗退だもんなあ…。
香織ちゃんがオレの胸へと飛び込んで来た。
いつもなら鬱陶しいなんて思うところなんだけど、今回は正直なところ嬉しく思う。
だってオレと喜びを共にしてくれてるわけだからな。嬉しくない理由が無い。
……でも、オレってこうやって深みに嵌まっていってんのかも。
※作中の投球フォームについてはGoogleでの記事を参考にさせていただきました。但しそのアレンジ版については作者の妄想に過ぎません。なのでそうやすやすとこんな風にはいきません。
そもそもこういう知識というのは先人の経験が蓄積された賜物なので、今さら素人がどうこうする余地なんてまず有りません。
ある程度フォームのできた投手がそれを崩して改になんていうのは、失敗した場合元のフォームよりもより悪化するということでデメリットの方が大きいそうです。要するに、ごちゃ混ぜになってわけが解らなくなるということのようで、つまり元にも戻せなくなるわけです。そんな風になにかの漫画に書いてあったような記憶が有ります。
まあそんなわけで、これは娯楽的読み物だからということで、ご都合主義なわけです。
ですので、無いとは思いますが真に受けないようご注意ください。それでもだって冒険する方は自己責任でお願いします。
※作中に出てくる『覘く』『覘う』という言葉ですが、この手の言葉は使い方によく迷うため、この際に調べてみました。
[のぞく](『除く』の系統は除きます)
【窺く】様子を窺う。
【覗く】何かを通して一部を見る。
【覘く】立ち寄りざっと見る。
[うかがう]
【伺う】目上の者に意見を問う。訪ねる。
【窺う】様子をみる。時機を待つ。
【覗う】隙間等から密かに見る。『のぞき』です。
【覘う】覘く。
【候う】兆しをみる。考察する。
【偵う】耳目で様子を探る。偵察する。
【遉う】偵う。
【俔う】説明のため盗み見る。
【斥う】敵を退けるため物見をする。『斥』には『斥ける』という読み方が有る。
【諜う】敵の様子を探る。諜報活動のことです。
【間う】隙間から見る。転じて、隠れて様子を探る?
『間』には『間か』『間かに』という読み方が有る。旧字で『閒』と書く。
【闖う】不意を狙う。
[Google 参考]
『俔』『諜』『間』はどれもスパイという意味でした。また『偵』も似たような感じですし、『斥』は争い前提な感じ、『覗』は犯罪イメージと、実は『うかがう』ってろくな意味がないって感じですね。
※作中に出てくる『遉に』ですが、当て字でよく見られる『流石に』と意味は同じです。恐らく『遉った様子から』、つまり『察するに』という語源かと思われます。
ただ、調べた語源では、『そうするばかりに』であるとか。他にも『刺す刀』とか『刺鉄』なんて説も。
よく当て字で使われる『流石』の由来ですが、晋書に記載されている孫楚という人の故事『漱石枕流』であることは有名です。
これは厭世家の彼が「石を枕として、川の流れで口を漱ぐような自然の生活をしたい(漱流枕石)」と隠者の如きスローライフへの憧れを語ろうとしたところ、「石で口を漱ぎ、川の流れを枕としたい(漱石枕流)」と誤ってしまい、引っ込みがつかなくなったあげく、敢えて「石で口を漱ぐとは、石で歯を磨くことだ。川の流れを枕にするとは、俗世間に汚れた耳を水で洗い清めることだ」と言い張ったそうで。
そんな理由で、『意地っ張り』なことを『漱石枕流』と呼ぶようになったといわれています。また『自分の間違いを認めずに言いくるめてしまうこと』や『驚くような出来事』を『流石』ということも多いとか。
因みにですが、夏目漱石というペンネームもこの故事へのリスペクト……って、これはいうまでもなく有名でしたね。[Google 参考]
※作中に出てくる『遭う』という言葉ですが、似た言葉に『遇う』という言葉が有ります。また、これらとは少し意味合いが違いますが『会う』『逢う』『合う』という言葉も有って紛らわしいところです。
そんなわけで例によってGoogleで使い分けに付いて調べてみました。
【会う】人と顔を合わせる。一般的な使い方。
【逢う】人と顔を合わせる。親しい人や貴重な出会い等、特別であることを強調する場合に使う。
【遇う】偶然に物事を経験する。好ましい場合。
【遭う】偶然に物事を経験する。忌まわしい場合。【合う】一致する。調和する。つりあう。
※作中で『突き射さる』という表現が有りますが、これは単に作者が突起物でもないのに?と違和感を感じたからで、本来は『突き刺さる』です。作中の場合は球の鋭さを比喩するのなら『刺さる』のままの方が良かったかも? 実際『刺す』には『刺激する』という意味合いも有るわけなので…。
以下はGoogleにより調べた同じ読み方の言葉です。
【差す】干渉する。現れる。表れる。『指す』『刺す』『挿す』以外に幅広く代用されるが、意味合い的にはこれらも同様。なお『差す』は日本限定の国訓。
【指す】対象を示す。
【刺す】突き通す。尖った物を突き入れる。刺激する。場合によっては襲うという意味合いも有る。
【挿す】挿む。間に入れる。
【射す】当てる。一般的には光や影。『射』には『射てる』という読み方が有る。
【注す】注ぐ。
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。




