夏の甲子園準決勝 第二試合 (中編)
四回表の危機を海堂が自慢の剛速球で捻じ伏せて、四回裏、愈今度は横浜港学園の攻撃だ。
危機の後に好機有りってことで、この回の先頭打者である山田に期待が掛かる。なんてったって四番だしな。
…って、おい山田、何やってんだよ三振なんて。そんなんで本当に四番なのか?
余りの無様さに思わず疑いたくなってしまう。
でも、こんなのでも終盤は強かったはずだから、その時になれば、きっと力を発揮してくれるはず。
……でも、逆に謂えば序盤は期待できないってことか?
まあ、序盤は様子見ってことだろうし、本番は後半から……で宜いんだよな、きっと…。
四番の山田は凡退したが、その分五番の海堂が活躍中だ。二回裏に続いて今回も安打で一塁へ出塁。投手ってのは、投げの調子が良いと打つ方でも調子が良い奴が多いみたいだからな。
でも、その分体力も消耗するわけで注意が必要ではあるのだが。
続く六番の軍多利の打席、ここでも海堂は活躍をする。相手投手の筒井と捕手松倉の隙を盗んで盗塁を決めたのだ。
いや、海堂ってば、投手のくせにがんばり過ぎだろう。
それにしても、こっちの方を凝と視て微笑ってるいるみたいだけど、もしかしてオレを矚てるとか?
否、気のせいだよな。幾らなんでもそれはちょっと意識過剰。ただ単になんとなく応援席を瞻てるだけだよな、きっと。
だからファンであるオレの願望に過ぎないわけだ。……って、まさかオレそこまでの願望が有ったとは…。
そんなことよりも軍多利だ。
で、この軍多利。見事にやってくれました。
空高く打ち上げだ打球が左中間へ、そこで左翼手と中堅手が衝突。とまあここまでならよくあることで、そこから球を追い掛けて行けば良いのだけれど、その球がバウンドし観客席へと入ったのだ。所謂エンタイトルツーベースヒットと謂うやつである。
そんなわけで打者と走者にルールに依り安全進塁権と謂う権利が発生し塁2つ分進塁。二塁走者の海堂が本塁へと帰ってきたことで1点入ったわけである。
因みに本塁打もこの安全進塁権と謂うものに該当するらしい。なのでエンタイトルツーベースヒットも塁の踏み忘れなんかが有れば本塁打同様にアウトになる。如何に安全進塁権といえどもそこまでは保障されてはいないのだ。まあそんなのに該当する間抜けはそうそう在ないだろうけどな。
ともあれ1点先取で一死二塁。余勢を駆って追撃だ……って言いたいところだったのだけど、続くのは七番からの下位打線。そんな理由で残念ながら横浜港学園の攻勢はここまでだった。
五回表。優曇華学院の攻撃は六番打者の曽路利から。
下位打線でもそれなりの打撃力を持つ優曇華学院だけど、海堂の前では通じない。確りと三者凡退に仕留めている。
続く六回も同様に三者凡退だ。
流石は今大会の最優秀投手だ。
まあ横浜港学園側も、あれから追加点は入れられてないのだが。
七回表。優曇華学院の攻撃。
先頭打者は三番の王隠堂。
優曇華学院の誇る二枚目スター。
格好良いのは名字と容姿だけでなく、好機に対する強さもまた魅力だ。
三回戦の流川高校戦では劇的な逆転本塁打を放っている。そんなスター性の有る選手である。
今回で三打席目となるこいつは、前の打席でも安打で出塁をしているし要注意だ。
まあ、そうそう海堂が不覚を取るなんてことは無いだろうけど。
……余計なこと考えるんじゃなかった。
まさか今のがフラグになるなんて…。
王隠堂の打球は快音を伴い左翼側観客席へ突き刺さった。優曇華学院待望の同点本塁打である。
だが問題はそんなことではない。如何に海堂といえど偶にはこういうことも起る。
問題なのは自慢の剛速球を真当事に打たれたということだ。
王隠堂が悠遊とグランドを周る中、海堂は起り得ないとばかりに呆然自失状態のようだ。
余程ショックだったのだろうな。当事者でないオレでさえ結構ショックだったのだから。
ヤバいな……。
このパターンは以前見たことが有る。
甲州学院の渡辺とかが宜い例だ。…と言ってもこいつの場合は得意球ではなく、気を抜いたボール球だったんだけど。
ただ、これは余計な心配だったようだ。
確かに自慢の剛速球を打たれたショックは有っただろうけど、その程度で滅げるような硝子の天才なんかじゃなかったのだ。
どちらかと謂えば、打たれることで鍛えられる鋼のような才能だと謂わんばかりに海堂の速球はキレを増す。
続く万歳、五鬼助、曽路利の三人を剛速球だけで三球三振。特に最後の一球は156km/hと今大会の最速を更新。汚名返上や名誉挽回と謂うよりも、ただ怒りの鋒先を撃撞けるような荒々しさ。
果たしてその怒りは、打った王隠堂への悔しさか、それとも己が未熟とばかりの憤りか。どちらにしても男ならではの意地からくる怒りだろう。
なんにしても、これで窮地を凌いだわけだ。
否、単に王隠堂ひとりにたった一度の不覚を取っただけに過ぎない。
だから決して窮地に陥ったなんてわけじゃない。ただ振り出しに戻っただけだ。
寧ろ誇りを傷付けられ、海堂が本気になった分横浜港学園が有利になったのかもしれない。
さあ、ここからが本番だ。
※作中に出てくる『矚る』とは『注目する』という意味で、『期待の目で見る』といった意味合いが有ります。
また『瞻る』は『仰ぎ見る』という意味、つまり『見上げる』という意味です。
因みに『高所から下方を眺める』つまり『見下ろす』という場合は『瞰る』となります。[Google 参考]
※作中に『保障』という言葉が出てきますが、紛らわしい言葉として次のようなものが有ります。
【保障】立場や権利などを保護し、守ること。
【保証】間違いがないと請け合い、人やモノに対して責任を持つこと。
【補償】損失を補って償うこと、補填すること。
[Google 参考]
作中にいう安全進塁権という言葉が出てきますが、それは進塁の権利を保証するものであって、進塁における過失の有無を保障するものではなく、仮に過失が有っても補償はされないということです。
つまりやらかせば当然ルールに基づきアウトになったりもするわけです。
※作中に『呆然自失』という言葉が出てきますが、この『呆然』とは『頭の働きが鈍くなる』という意味なのはご存知の通りです。
似た言葉に『茫然』というものが有り、こちらも意味合いはだいたい同じ。
但しこちらの『茫』の字の意味は『ぼんやりとしているさま』だけでなく『広々としているさま』という意味も。『茫々』という言葉からの意味に『草・髪などが伸びて乱れているさま』というのが有ることから察するに『好き放題を許す無抵抗状態』ということではないかと思われます。
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。




