夏の甲子園五日目 第三試合(後編)
夏の甲子園大会五日目、最後の第三試合、長崎県代表・聖法高校対長野県代表・北信農業高校は、0対1と北信農業が1点リードの状態で六回表を迎え、現在聖法の攻撃中。
つい先程、主戦投手・有馬の代打で出てきた毎熊を三振に抑え一死走者無し。
北信農業の主戦投手・真田は絶好調だ。
行け行け真田、どんと行け!
打順は再び最初へと戻り、聖法の応援曲・ヴェルディの『Dies Irae(怒りの日)』が流れる中、一番打者の松浦が登場。
いや、こんな勿体付けた言い方をしてはみたけど、こいつは一塁ゴロで浅然りアウト。
続く二番打者・出口も二塁ゴロ。
マジで真田は絶好調だ。厳つい容姿の毎熊を抑えたことで、なんか勢いに乗ったって感じだ。
ありがとう『肥前のくま』さん(オレ命名)。
オレの脳内に『森のくまさん』が流れる中、六回裏、北信農業の攻撃となった。
で、その『くまさん』だけど、投手・有馬の代打で出てきたためこれで交代。
いや、『くまさん』が投げるってんならその必要も無いんだけど、当然そんなわけがないもんなぁ。
でも、彼が投手だったとしたら、あの二メートル近い巨体から球が繰り出されるってことだから、かなり凄い球になっていたことだろう。それこそ、漫画みたいな160km/hとか。
プロの藤浪晋太郎選手(MLBのオークランド・アスレチックス 197cm)とか、国吉佑樹選手(千葉ロッテマリーンズ 196cm)、大谷翔平選手(MLBのロサンゼルス・エンゼルス 193cm)みたいな160km/h超の投手は大抵高身長だし。
否、中には平良海馬選手(埼玉西武ライオンズ 173cm)みたいな選手も在たりはするけど。
それを考えると熟々惜しい『くまさん』だ。
で、二番手の投手・阿比留だけどこいつがなかなか厄介だった。
身長は恐らく180cm近く。
そこから繰り出される直球は142km/hと結構速い。
いや、今大会では150km/h超が何人か在るせいで大したことないように思えるけど、140km/h出ればプロ注目と聞いている。まあ、それでも慣れると打てるらしいけど。
ともかくそんな投手だけに北信農業の選手達も打ち倦ね、一、二、三番と揃って凡退することとなった。
…って、なんでこんなのが二番手なんだよ。
多分実力は主戦投手の有馬と互角、下手すりゃそれよりも上かもしれない。
恐らくは、二年の阿比留が三年の有馬に気を遣ったってところだろうな。
そんなわけで七回表。再び聖法の攻撃。
またもやヴェルディの『怒りの日』が流れる。
打順はクリーンナップからとなり、打席に立つのは三番の舎利倉。
こいつは真田の投球をよく視て選び、四球で一塁に出塁。クリーンナップのくせにセコい奴だ。
否、今この場合はなんとしてでも塁に出たいところだから、そんなこと言ってられないか。
目的のためにプライドを捨てるってのも、ある意味立派なプライドだ。
ともかくこれで無死一塁。
迎える打者は四番・五輪。
さて、こいつはどう出てくるか。
舎利倉みたいに打順のプライドに拘らず、堅実にバンドで送ってくるか、それとも四番打者らしく強打でくるか。
五輪は全然り動かない。
直立不動で動かない。
そのさまはまるで泰然自若。
動かざること山の如しとでも謂うかのようだ。
でもそれでツーストライクに追い込まれていりゃ世話がない。
ただボケっと立っているだけの立ちん坊だ。
まあ、北信農業としてはそんな間抜けであった方がありがたい。
そんなわけで最後の一球、流石に五輪も遂に動いた。
そして彼の振るったバットは、真田の放った球を真芯で捉え右翼へと運び、そのまま外野席までとどかせた。
つまり、逆転の二走者一掃本塁打である。
歓喜に沸き立つ一塁側ベンチ。
歓声に沸く一塁側応援席。
そして応援曲が変わった。
今度は『Angels We Have Heard on High』。
プロテスタント教会では『荒野の果てに』、カトリック教会では『天の御使いの』という題の賛美歌。つまりクリスマスでお馴染みの『Gloria』だ。
まさかこの真夏にこの曲を聞くとは思わなかった。
それにしても、得点されると『怒りの日』、逆転したら『栄光』って…。
煩い。判然り言ってくそ煩い。
私情を挟むのは好くないけど、こいつらここで敗退してくれないかなって思うくらいに煩い。
聖法の奴らは今の得点で調子付いたみたいで、この回さらに1点を追加。そして九回表にももう1点。
逆に北信農業は、その流れを押し返すことができず、そのまま九回裏を迎えた。
で、現在二死走者無しで四番・宮沢。
地味な四番だけどそれでも四番。実は結構打率は高めだったりする。
そして今回も期待に応え、打球は左翼の奥深くへ。
……って、駄目だ。左翼手が既にグローブを構えて待っている。どうやらこれで試合終了か…。
「キャ〜!」
俯き掛けたオレの耳に、傍に居た女の子の声が響いた。
グランドを窺れば二塁に宮沢が立っている。
その子によると左翼手が捕球を為挫ったらしく、スコアボードに目を向れば確かに失策が1となっている。
どうやらまだ試合は終わってないようだ。
それどころか、もしかすると流れが変わって、ここから逆転なんてことも起り得るかもしれない。
打席には五番の柳沢。
そう、前の得点の時もこいつで点が入ったんだった。
これは本当に成けるかもしれない。
阿比留が第一球目を放った。
柳沢がバットを勢い良く振り下ろす。
打球は舞い上がり、そして一塁ファールラインを大きく逸れてその外側へ。
捕手の五輪が追い駆けるが、打球の行く先は聖法の選手達の居るベンチだった。
五輪が打球に跳び跟くものの、結局捕球は間に合わず、五輪は勢い余ってベンチに突入した。
うわぁ……。あれって恐らくもろにベンチに撃撞かってんじゃねえか?
如何に防具が有るっていってもなあ……。
否、途中でマスクを外してたよな。
なんていう無茶振りをするんだか…。
五輪はむっくりと起き上がり、マスクを拾うと何事も無かったかのように守備位置へと戻り始めた。
おい、マジかよ。
なんでそんなに平然としてんだよ。
否、もしかするとそんなことは無いかもしれないけど。だから果然り、振りなんだろうな。だってその方が格好良いし。
五輪が戻ったところで再び試合再開。
阿比留の放った第二球目は、今度は右翼へと打ち返された。
駆ける右翼手が打球に向かって跳び跟いた。
打球は確りグローブの中に。
半ば四回裏の再現だけど、あの時と状況は違って今回は二死。
なので今ので三死。
しかも九回裏なので、これで試合は終了だ。
こうして長崎県代表・聖法高校と長野県代表・北信農業高校の試合は、4対1で聖法高校の勝利で幕を閉じた。
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その日の『白熱!夏の甲子園』で美咲ちゃんのインタビューに聖法の天草監督が応えていた。
「全ては選手達のがんばりと、応援の方々、そしてそれに応えてくれた神様のお陰です」
なるほど、聖法高校って宗教絡みの学校だったんだ。
通りで応援がアレなわけだ。
……って煩えっ。こいつらくそ煩えっ!
せっかく選手の一人ひとりは格好良かったのに、あの一言で台無しだ。
他の学校ならそんなことは思わないんだろうけど……って、否、違う。監督の台詞じゃなくって、応援の奴らが煩いんだ。
どうにもアレは気に入らない。
選手達のがんばりに水を注すって謂うか、茶々を入れるって謂うか、そんな風に思えてならない。
でも、選手達はそれが好いって受け容れてんだよなぁ……。
まあ、感性の問題なんだし、それはそれで良いのだろう。信仰は自由だ。
……って、本当のところ、信仰が有るかどうかは知らないけど。
……仮令何を考えようと、そこは個人の自由だし、オレがとやかく気にすることじゃない。だからそんなのどうでも縦いか。
余計なこと考えて、朦々してないで早々と寝よ。
※作中に出てきた『為挫る』という当て字(?)ですが、中国語では『失挫』となるようです。
『失挫』には『間違い』『失敗』『過失』という意味の以外にも『イライラ』といった意味合いも有るそうです。なので『やらかす』ってのが訳すのが相応しいかも?[Google 参考]
※作中に出てくる『朦々(もやもや)』ですが、『鳥影(石川啄木著)』からの引用です。
『もやもや』とは『実体や原因などがはっきりしないさま』『わだかまりがあって心がさっぱりしないさま』という意味です。
だったら素直に『靄』を二つで『靄々(もやもや)』とすれば良いのではと思っていました。
確かに『靄』の説明は『空気中に浮遊する細かい水滴や吸湿性の微粒子により見通しが悪くなっている状態』となっています。
ですが『靄靄』は『あいあい』と読み、『和気靄靄』というように『なごやかな気が満ちているさま』という意味で使われています。
そんな理由でのこの度の当て字です。[Google 参考]
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。




