夏の甲子園五日目 第三試合(前編)
『さっくりと』という言葉が有る。
これは『簡単に』という意味合いを表現する言葉で、『切り裂くように』というのが語源と思われる。
で、今日の甲子園五日目の第一試合、第二試合は、当に『さっくり』と絹を裂くように、『快刀乱麻を断つ』って感じで終わった。
どちらも雪国の代表校が西日本の代表校を相手にするといった試合だったためかもしれない。
少なくとも雪国の学校は気候が練習の障害になるというハンデが有るし…。
否、一概にそうとも断言できないか。駒大苫小牧(南・北海道)や仙台育英(宮城県)なんて例も有る。「優勝旗が白河の関を越えることはない」なんてのは過去の話。実際には「津軽海峡をも渡った」ってのが現実だ。
うん、ここは勝った側がそれだけ強かったって謂うべきだな。
まあ、ともかくそんなわけで第三試合。今日最後の試合だ。
偶にはこんな日だって有る。毎日四試合ってわけじゃないんだ。
で、第三試合は長崎県代表・聖法高校対長野県代表・北信農業高校。
ここも依然り雪国対西日本。
先程も説ったけど、学校の強い弱いは地域になんて関係ない。
大事なのは努力と知恵と根性の三つ。否、それに加えて人の和だ。
まあ、天の時ってのも有るけど、それを司るのは勝利の女神。だったらそこは魅力で捻じ伏せろってわけで。
がんばる男は格好良いし、誇り高ければさらに好し。君の涙より汗は美しいって云うしな。
仮令山の男でも、男なら泣くな唏くなよってわけだ。
勝利の女神は女なんだから、そんな女々しい奴に微笑むわけがない。嘲笑われるのが関の山だ。最近の女性は意外と雄々し……じゃない、凛々しいからな。
聖法と北信農業の試合が始まった。
そして現在は四回裏、得点は……、
0対0の同点。
うん、意外と互角の可い勝負、否、好い勝負だ。
誰だよ、北信農業不利なんて云った奴は。
そんなわけで、北信農業の攻撃。
二番打者・瑞穂が一塁を抜けるフェアで出塁し、無死一塁。
女の名前みたいな名字だけど、その顔付きは……ちょっと可愛らしい感じの二枚目だった。
応援席の女の子達から黄色い声が飛び捲ってる。
でも、男に「かわい〜い」なんて掛け声はなぁ…。
こういうのって、男は結構気にしてるって、この子達は知ってんのかな。
……否、知っててもやりそうだな。オレもよくやられてるし。香織ちゃんとか。
ただ、決して悪気は無いんだよなぁ。女の子達にとって「可愛い」ってのは褒め言葉って認識みたいだし。
実際、「可愛い」なんて言ってやったら逆に喜びそうだ。……って、当たり前か、女の子なんだし。
で、打順は三番打者・昼神。
なんかの漫画で夜神なんてのが有ったけど、こいつの名字は昼神。
如何にもって名字だけれども、やることは平凡。
否、これも作戦だし、とやかく摘うことじゃないんだけど。
そんなわけで、送りバンドで一死二塁。
そりゃそうだ、行灯じゃないんだから、昼日中は無用の役立たずってわけないか。
……って、神を行灯扱いって、罰が下ったりしないだろうな。
いや、だってあの漫画、夜の神のインパクトが強かったし……。
続く打者は四番の宮沢。
一・二塁間を抜く安打で出塁し走者一塁、三塁。
地味な名字でも一応は四番打者ってわけだ。
ナイスヒット。
でも、果然り地味。
チャンスで迎えた五番打者・柳沢。
スクイズ狙いかと思っていたら、意外にもバットを強振。
そのバットは相手主戦投手・有馬の球を捉え、そして高く舞い上げて右翼方向へと運ぶ。
右翼手が打球に跳び跟いた。
球はグローブの中に。
瑞穂と宮沢が一斉に走り出した。
球は右翼手から中継を挟んで本塁へ。
その間に瑞穂は本塁を踏んだ。
流石に宮沢は三塁止まり。
これで1点先取の0対1だ。
そしてまだ二死三塁。
六番・滝沢がバッターボックスへと入る。
さあ、余勢を駆ってもう1点だ。
……って、まあ、そんなに弛くはないよな。
滝沢の打球は二塁手正面へと転がり、そのまま捕球され一塁へ。
当然、都合好く失策するなんてこともなくアウトで、攻守交代だ。
五回表。今度は聖法高校の攻撃。
打順は六番打者の大村。
って、あれ? なんか前の時と流れてくる曲変わってない?
前の曲がなんて曲かは知らないけど、今流れているこの曲くらいは知っている。
この曲はヴェルディの『Dies Irae(怒りの日)』だ。
って、普通こんなの応援曲に使うか?
なんなんだこいつ? 否、こいつら?
ははは…、モニターの向こうの美咲ちゃんも呆けてら。
って、こんなこと気にしてる間に大村は凡打に打ち取られてた。
で、次は七番・七種。
え? 『さえぐさ』って『三枝』じゃないの?
『七種』? なんで?
……なんてことを初打席の時には思ってた奴だ。
否、今でも気にはなってるけど。本当、どういう由来なんだろうな?
因みに、こいつのこの打順ってのは名字の『七』に掛けた駄洒落なんだろうな。……多分。
だって所詮は下位打線だし。
そんなわけで、こいつも楽に打ち取り二死。
そして打順は八番打者の保家。
読み方は『ほけ』であって『ボケ』ではない。
まあ、実力的にはボケでも宜さそうな奴だ。
実際、こんなこと言ってる間にもう三振だ。
しかも、三球で全部空振り。
よくこんなんでレギュラーになれたもんだ。
そんなわけで直然り攻守交代。
それはそうと、こいつら三人とも応援曲が同じヴェルディの『怒りの日』だったな。
つまり「得点されて怒ってます」ってことなのか?
だとするとなんともアホくさい奴らだ。
五回裏。再び北信農業の攻撃。
……だったんだけど、浅然りと三者凡退。
まあ、七、八、九番と下位打線だったんだし仕方がない。
というわけで、六回表。また聖法の攻撃。
打者は九番・投手の、というか主戦投手の有馬。
ここで打者の交代。
代打は毎熊。
名字の通りの、まるで熊のような大男。さしずめ肥前の熊ってところだろうか。
野球じゃなくてレスリングとかでもやってれば適かったんじゃないかと思う体格の良さ。
ムキムキの筋肉はともかく、身長を幾らか分けてほしい。多分二メートル近くは有りそうだ。
北信農業の主戦投手・真田もそれなりに高身長なはずなんだけど、それでも恐らく十数センチの差は有りそうに思う。
なんかヤバそうな相手だ。
真田と捕手の昼神の選んだ第一球は外角高めの直球。
確かこのコースって、当たっても結構凡打になり易いって聞いた気がする。
毎熊のパワフルなスイングが唸った。
但し、球とバットの位置が随分離れている。
当然、空振りのストライクだ。
……なるほど。だから代打なわけか。
どんなに体格に恵まれて、パワーが優れていたところで、当たらなければどうにもならない。
つまりこれは、まぐれ当たりに期待しての起用だな。
というわけで、第二球目。
ガキーン!
轟くような金属音を響かせ、打球は遥か場外へ消えていった。
但し、大きく一塁側に外れてだけど。
もしかして最初の空振りって、単に狙い球が違ってたってだけなのか?
そして今のは、狙い球に近い球だったってことなのか?
うわ〜……。
毎度思うけど、この緊張感って心臓に悪い。
遊びでやってんならともかく、真剣勝負なんだから当然なんだけど、マジでこの緊張感って凄え。
このバッテリー、次はどこにどんな球を投げるんだろう。
オレのそんな思いの中、第三球が放たれた。
この球速は直球……って、ど真ん中かよ⁉
否、打者手前で外角へと逸れている。
これは高速スライダーだ!
毎熊のバットが空を切った。
しかも、球の随分と下の辺りを。
タイミングは多分少し遅めだった。
……もしかして、普通に選球眼が悪いのか?
だとしたらこの緊張感って……。
まあ、なんにしても奪三振で一死だ。
そしてこいつは投手の代打だ。
つまりこいつは、これでもう出番無し。
だからこれ以上、こいつのことで悩む必要なんて無いわけだ。
早々と忘れて次だ、次。
さあ、気を締め直して、行け行け真田。どんと行け!
※作中で長野県を雪国と言ってますが、実際、その寒さは厳しいらしいです。
なんでも富士山を除き、全国で最も寒いのは北海道ではなく長野県なんだとか。
最も寒いとされる上田市の菅平高原では全アメダスの約6割で最低気温が氷点下。-20℃を下回る気温を毎年観測しているらしいです。
例年12月下旬~3月(又は4月上旬)の期間で雪が降り、雪解けは4月中旬~5月中旬と、霜や雪の残る処もあるそうで、海から遠く自然の多い山に囲まれているため、積雪量が多いのが原因らしいです。
とは言っても、木曽など南部地域は雪は降らないらしいですが…。つまり全域ってわけじゃないんですね。[Google 参考]
※作中に『関の山』という言葉が出てきますが、これは正しくは『積の山』……というわけではありません。
『山のように積もった努力』って意味合いじゃないんですね。…って当たり前ですね、どちらかといえば『無駄な努力』みたいな否定的な意味合いの言葉なわけですし。
で、その『関』とは、つい最近まで実在した三重県の『関町』のことで、その関町の八坂神社祭礼祇園会に出る山車が非常に豪華で「それ以上の贅沢はできない」と言われたことから、『そこが頂点である』という意味になったらしいです。[Google 参考]
そういうわけで『積の山』ではないみたいです。
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。




