夏の甲子園四日目 第二試合 (後編) -Learn and Run-
今まで純に散々なことを言われてきた直江ですが、ここで汚名の返上です。
と言っても、トンデモな能力を持っていたりというわけでなく、そのスペックも変わりません。なので、男性の中での不利も変わりません。だって男性の競技なんで。つまり、これが女性の競技なら当然ながら男性が不利。まあ、今回はそんな話じゃないですけど。
もし直江に思い入れの有る読者様が在たとしても、こんな感じで許してもらえないでしょうか?
作者には、男尊女卑とかその逆みたいな思想はありませんので。
鳥取県代表・羽衣石高校と新潟県代表・春日山高校の試合は、なんかわけの解らないルールに依り羽衣石高校がで1点を獲得、1対1の振り出しとなった。
『第4アウトとアピールによるアウトの入れ替え』とかいう『ルールブックの盲点』を突いた1点なんて説われても、俄のオレには全く理解できず、まるで狐に化かされた気分だ。恐らく多くの人間がオレと同じこと感じているんじゃないだろうか。
しかもこのことを美咲ちゃんに教えられたってのがなんともショック。まあ、偉そうにしてた美咲ちゃんも、こんな事例が有るって知ってただけで詳しいルールについては解ってないみたいだったけど、それでも依然りなぁ……。
なお、知識の出処は依然りながら漫画である。
って、くそっ、誰がそんなこと起こるって思うもんか。想定外の非常識だからこその漫画なんだろうに。
否、後で知ったんだけど、米国の野球では、このルールの認知度が高いらしく、しっかりとアピールで得点を無効にするシーンも見られているらしい。
そして日本の高校野球でも、このルールについて知ってる学校が結構有るんだとか。一部では練習に採り入れてるなんて話も。
って、知るかよそんなこと。オレは野球は俄の素人だぞ。そんなマニアックな希少例まで熟知してるものか。飽くまでオレは一般人、詰め込む知識も汎用的ってか、一般常識的なものばかりなんだよ。
そういう意味合いじゃ、美咲ちゃんがアレなのは納得か。この子の知識って一部で突出して尖ってるからなぁ……。
武器に喩えるならオレが目指すのは鋭い刀、一方美咲ちゃんは尖い鎗ってところだろう。
つまり『するどさ』ってのが『鋭い』と『尖い』って具合に違うわけだ。
…………。
言ってて虚しくなってきた。
そんなこと考えているうちに気づけば五回裏、春日山高校の攻撃。
二死走者無しで迎えるは八番打者・九。
なんか冗談みたいな名字だな。
七番打者も五十山田なんて名字だったし、なんでこんなに変な名字が多いんだか。
対戦相手の鳥取県代表・羽衣石も結構多いか。伊福部に十九百、天鬼とか。
なにより学校名からして変わってるしな。
って、そう言や他の県の選手達にも結構変わった名字の奴って在たわ。
てかこの試合ってやけに数字絡みの名字が多くないか? 否、別にどうでも縦いんだけど。
あ、そんなこと言ってる間に九が四球で進塁してる。
で次の九番打者は……って、直江かよっ。
まあ、打線の最下位は大抵投手なのが基本か。
増してやこいつは女だし、打撃の方も期待できないだろうしな。
次の回の前田に期待だ。
こいつは一打席目に本塁打を打ってるしな。二打席目も安打にこそならなかったけど結構良い当たりだった。
……って、ああっ!
伊福部の奴、撃撞けやがった!
こいつ、速球だと142km/hも出るってのに。
否、今のがそれだけ出てるかとは限らないし、幸い当たったのは頭じゃなくって左腕ってなので、大怪我ってことはないだろうけど…。
あ、でも骨折なんかしてたら大事だ。
試合にも影響有るだろうし、なにより女の子の怪我だ。……否、一応男ってことになってるし、直江もその辺は覚悟の上だろうけど…。
怪我の程度の確認後、応急処置を済ませた直江が一塁へと向かう。
なんとも見ていて痛々しい。
で、やってきたのは先程言った一番打者の前田。
って、おい、なんだよそのパフォーマンスは。
バットを持った右手を天に向けたかと思えば、そこから徐々に下げていき、その指した先は伊福部の頭上。
否、違う。
あれは甲子園球場の場外。
つまり、予告本塁打ってか?
相手に対する挑発行為。
もしかして先程の死球のこと、相当怒ってる?
なんか怒気が可視化してるように思えるのは気のせいか。
もしヘルメットが無かったら、怒髪天を衝くその様は某漫画の戦闘民族の変身状態の如くだろう。
憤怒の化身ってこういうのを謂うのかな。
なんか恐ぇ。
で、こういう挑発行為って、高校野球で認められているんだろうか?
まあ、投手相手の厳しい内角攻めってのも、ルール違反じゃなくとも禁忌ってのが不文律だ。
でそれを冒した揚句が死球なんだから、前田の怒りも当然か。
良し、征け、前田。
伊福部を義憤で打ち踣せ!
カキーン!
おおっ!
快音が甲子園球場に響いた。
そして打球は舞い上がり、右中間の奥深くへ。
その間に走者の九がホームイン。
そして直江も……。
否、残念ながら本塁に球が返ってきたので進塁は三塁でストップ。
そして前田も二塁止まり。
予告通りの本塁打とはならなかったけど、それでも二塁打で1打点だ。今試合なら2打点の大健闘。もしも直江が死球で不調でなければ、もう1点入っていたかもしれない。
続くは二番打者は久住。
前の打席では良いところ無しの三振だったけど、ここは追加点のチャンス。汚名返上の機会だ。
ってわけで、久住も奮戦、よくがんばった。
……がんばったんだけど、それが結果に繋がるとは限らないのが現実。
打球は高く上がったが、それは残念、一塁手の真上。
当然ながら楽々捕球してアウト。
そんなわけで攻守交代となった。
羽衣石の選手達がベンチに戻り、春日山の選手達が守備位置に就いた。
さあ、これから六回表、羽衣石の攻撃をどう凌ぐか。
なんと言っても直江は先程死球を食らっている。
それが投球に響いてくるのは間違い無いだろう。
点差は先程の1点で、1対2。再び1点のリードだけど、これを守るのは難しい。
どうする直江。
否、指示を出しているのは捕手の長尾か。
どっちにしても四回凌ぐのは厳しい。
緊張が走る応援席。
……ん?
否、なんか可怪しい。
この雰囲気は緊張感とはちょっと違う。
でもこの感じには覚えが有る。
そう、つい少し前に感じた覚えが。
…………。
あ、ああっ!
スコアボードがっ!
スコアボードが1対3になってるっ!
ぷふっ。
なんだよ。なんて間抜けなんだよ。
まさか自分達のやったことを直後にやり返されてるなんて、本当間抜けだ。
否、無意識で転がり込んできた得点だけに、どうして入ったのか解ってなかったってことか。
一方で春日山は、何が起きたか理解した。
そして、それを故意にやり返したと。
転んでもただで起きないってやつだな。
これって試合の流れが春日山に有るってことだよな。
せっかくの勝利の追い風、巧く乗ってほしいものだ。
羽衣石の攻撃は二番打者の大宮司。
これで三打席目だ。
正直ここらで投手交代とか起っても可さそうに思うところだけど、それができるなら先程の直江の打席で代打を出してるだろうし、それ以上に直江の先発なんてするわけがない。
そんな理由で直江は続投。
どうするんだ、これ。
カコン。
ほら、果然り。
否、一塁ゴロか。
巧い具合に打たせて殺るっていくものだ。
凄いな捕手の長尾。
それに投手の直江もだ。
幾ら変化球主体とはいえ、よくあの球速でやっていける。
それに先程の死球。
投球に影響は無いのか?
否、それよりも怪我は大丈夫なのか?
きっと無理して投げているはず。
それでも投げないなんてできない。
二番手は三番打者の山中。
初球は内角高めから内側へ落ちる変化球。
カーブってやつだろうか。
だとすると相当球速が遅いはず。
直球でさえ遅いってのに、それがさらに遅くなる。
オレだと恐ろしくて投げられないな。
しかし結果は見逃しのストライク。
お〜、怖ぇ。
続く二球目は外角少し高めの直球。
これも見逃し。
良し。残りあと一球。
そんなわけで第三球目。
今度のコースはど真ん中。
って流石にこれは振ってくる。
くそっ、残念ながらこれは三塁側へのファールか。
今のは変化球だったのか?
多分そうなんだろうな。
でなきゃきっと、長打だろう。
続いて第四球目。
良し。空振り三振だ。
今の決め球は変化球か。
なんか落ちる球っぽかった。
ただ、カーブとは違うみたいだ。
それなりに球速は有ったみたいだし。
う〜ん、直江って意外と器用で多才だな。
多彩な変化球を使い熟してるみたいだし。
三番手は四番の尼子。
これも右翼手への飛球。
当然ながらアウトである。
そんなわけで三死交代。
なにこれ、もしかして結構いけるのか?
そんなこんなで九回表。1対3で二死走者無し。
打席に立つのは四番の尼子。
これが四度目の対決だ。
これを抑えれば勝利が確定。
彼が最後の打者だ。
第一球は外角から内側へ入る変化球。
球速は直球と然程変わらない。
確かシュートとかいう、投手の利き腕方向に曲がる球だ。
これに対して尼子は空振り。
まずはこれで1ストライクだ。
続いて第二球目は、今のところより少し高め。
そして今の球も空振り。
この球も球種はシュートなんだけど、今度のは少し沈んでたみたいだ。
なんでもシュートって変化球には、横に切れる球と、沈む球の二種類が有るらしい。
で、この変化球、握りやフォームが直球に近く、また同じような軌道、球速であるため相手の打者を翻弄し易く、結果、打撃を詰まらせ打ち取り易くなるらしい。
つまり、三振を狙うより、打たせて捕るのに向く球ってことみたいだ。
まあ、それはともかくあと一球。
そして今、その一球が放たれた。
その球はアンダースロー独特の、山なりの軌道を描き、そして先程のシュートよりも大きく沈んだ。
その球はシンカーと呼ばれる変化球らしい。
尼子のバットが空を切った。
恐らくは先程のシュート狙いだったのだろう。
「ストライーク! バッターアウト!」
球審のコールが響いた。
これで試合終了、春日山高校の勝ちが決まった。
駆け着けた前田が、崩れ落ちるマウンドの直江を抱き支える。
最早限界といったところか。
それにしても、まさか勝ち抜いてしまうとはな。
正直無理だと思ってた。
特に死球を食らった時なんか、これで終わりかと思ったし。
だけど直江は投げ切った。
しかも取られた点は、あのわけの解らない1点だけ。
何気に凄いな直江って。
判然り言って見直した。
まさか女の身でありながら、ここまでやって遂けるとは。
それだけに、直江がここまでする理由ってのが気になるな。
いったいどんな事情が有るのやら。
女の子だけに恋愛絡みだったりな。
否、それだと漫画やなんかの使い古しネタか。
でも案外、そうだったりして。
そう言や直江が死球を食らった時の、前田の激怒っ振りは凄かったし。
言葉にこそ出してなかったけど、行動は十分過ぎる程だった。
まあ、それはともかくとして、こいつらがどこまでやれるか。
……って、流石に次で終わりだな。
なんてったって、相手は神奈川県代表の横浜港学園だ。どう考えたって相手が悪い。
責めて好い試合をしてくれるよう祈るとしよう。
※作中に『冲撞ける』という当て字が有りますが、これは中国語に依るものです。
『冲撞』[chōngzhuàng]とは中国語で『衝突』の意味。また『逆らって相手を怒らせる』という意味も有ります。
つまり、場面的にも喧嘩を売られたってことで一致しますよね。
※作中において前田が『予告ホームラン』なんてことやってますが、実際はこんなことできません。学生野球憲章にて「相手選手を挑発する行為はしてはいけない」とされています。
ただ『相手の投手が打席に立ったときは厳しい内角攻めをしてはならない』なんて不文律も有るので、そういう意味では両校ともにお互い様だったりします。
あと、ホームランや奪三振の時の過剰な喜びかたも注意を受けるそうです。つまりガッツポーズとかも駄目ってことで、なんとも紳士のスポーツってのも、度が過ぎると息苦しくも感じます。[Google 参考]
※作中に出てくる『打ち踣す』ですが、以前は『伸めす』ってしていたのと同じです。ただ、より相応しそうな漢字を見つけたので今回これを使用しました。
『踣』は『ホク』と読み、漢字検定対象外の漢字となっています。この漢字には『躓く』『倒れる』『滅びる』の意味が有ります。[Google 参考]
※作中に『汚名を返上する』なんて出てきましたので、ちょっとばかりお節介を。
『名誉』は『回復』『挽回』と、取り戻すもの。
『汚名』は『返上』『撤回』と、取り除くもの。
『汚辱』は『雪ぐ』と、やっぱり綺麗にするもの。
『雪辱』は『果たす』で、『屈辱』は『晴らす』。
意外と間違え易いそうです。
※作中でカーブの球速について触れてますが、「プロ野球の投手が投げるボールの初速が、直球で130km/hから165 km/h程度。変化球はスライダー、シュートが120 km/hから140 km/h程度、カーブ、チェンジアップは90km/hから120 km/h程度と遅い」とのこと。[Google 参考]
恐らくこれはオーバースロー、つまり上投げのデータ。
作中の直江は女子高生で右のアンダースロー(下手投げ)。ストレートが90km/h程度なので、カーブはさらに遅いと思われます。
もしかするとチェンジアップなんて、某漫画の如くハエがとまったりするのかも。(笑)
※作中の『やって遂ける』は、正しくは『遣って退ける』と書きます。
※作中のルビには、一般的でない、作者流の当て字が混ざっております。ご注意下さい。