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マーゴットは利用する

作者: さおん




もうダメかな。

体に力が入らない。

何日食べれていないだろう。

せめて清潔な姿で死にたかったな、なんて変なことを思う。

水で洗っても取れない汚れが私の憐れさを表しているよう。

以前の生活では食べるものなんて幾らでもあったのに。今ではいつ食べ物にありつけるかを心配しながら生きるだけの日々だった。

侍女に食べ過ぎだと注意され、コルセットを締めるときの苦しみが年々増していた腰回りはもうコルセットをする必要すらないだろう。

骨が分かるくらい痩せ細った体は動いているのが不思議なくらい。

この体は明日にはもう動いていないかもしれない。

そんなことを毎日思いながら生きている。

もう「どうしてこんなことに」すら思わない。

私が行ったことが許されず平民に落とされただけだ。

王城の裏口から放逐された。それだけ。

私なりに正しいことをしたつもりだったのに、それが罪とされたのだ。

確かに、少し乱暴なことをしてしまったことは認める。妊婦に酷いことをした自覚はある。

放り出された直後は怒りで何も見えていなかったけれど、自分が命に対して非道だった自覚は後から芽生えた。

けれども、他人の罪まで被ることになったのは納得出来ない。

それでも、間違った行いであったとしても、その時は私にとって正義だったのだ。

まあ正義なんて言葉の審議なんて、あやふやなものでしかないと分かってはいるけど。

婚約者だったローランドだって自分の正義を信じて私を罰したのだ。


生きるだけで必死だったから、誰かを恨んだり憎んだりする余裕すらなかった。

次に生まれ変わるならせめて意味のある生でありたい。

己の務めの為とか立場の為とかではなく、こんな風に放り捨てられるだけの人生でなく、1人でもいいから誰かから必要とされるような、そんな人生がいい。

どれだけ頑張っても全てが奪われたら終わりだった今までの人生のような生き方はもうこりごりだ。

こうして誰にも気付かれずに朽ち果てるだけの命なんて、無いのと同じじゃないか。

ああ、せめて体をキレイに出来たらな。

そんなどうでもいいことを思ってしまう。

本当は体がキレイになっても何も良くはならない。

そんなことは分かっているのに、もう一度キレイな自分の肌を見たかった。

そう思ってしまうのは水で洗っても取れない汚れが増え、だんだんみすぼらしくなっていく体を見ているのが思ったよりもショックだったからかな。

だって、肌の色だけが私にとって唯一の自慢だったのだ。

誰にも褒めてもらったことなんてなかったけれども、自分の肌の色を見ながら風呂に入るのが好きだった。

自分の肌の色を見ながらうっとりしているなんて気持ち悪かったかもしれないけれども、肌色くらいしか自慢に出来るところがなかったから。





「本当にこの者がマーゴットなのか?」


その声が聞こえた時、神様はなんて意地悪なんだろうと思った。世界で一番聞きたくない声が死に際に聞こえるなんて、あんまりだ。


「痩せ細っておりますが、幾つかの体の特徴が合っております。間違いないかと」


あれ、他にも聞いたことがあるような声が聞こえる。でも誰か思い出せない。

目が開いてここがあの世ではないことを知る。だって、元婚約者のローランドがあの世にいるわけないし。

ローランドが心配そうな顔で私を覗き込んでいた。


「起きたのか!マーゴット!私だ!分かるだろう」


いいえ、あなたなんて知りません。

そう返事をしたかったけれど、声が出なかった。

ローランドから視線を外してみると、エセ眼鏡医師がいた。王宮医師ながら実力が微妙なことで有名な人だ。

エセ眼鏡医師なら何度か診てもらったことがある。通りで聞いたことはあるけど思い出せない声だと思った。

そんなことを考えていると、ローランドが騒ぎ出した。


「マーゴット、まさか私が分からないのか!?」


声が大きくてうるさい。

それに私はとても弱っているのだ。声どころか体も一切動きそうにない。


「殿下、マーゴット嬢は弱っているのです。騒ぐなら出て行ってください」


もっと言ってやれエセ眼鏡。

私は重たい瞼に逆らえずに眠ってしまった。




どうやら私は死にかけたところを助けられたらしい。

汚れの取れなかった体はお湯と石鹸で丁寧に洗われて、久しぶりにきれいになった。

もう一生取れないのではないかと心配していたのに。

消化のよい食べ物を与えられ、弱った体も動かせられるようになってきた。

死にかけていたと思っていたけど、人間の体というものはしつこいらしい。




「ほら、食べろ」


ローランドは3日に1回はやってくる。

暇なのかな?

まだお肉は食べられない私に肉の塊が刺さったフォークを向けてくる。

ローランドは勝手だ。

自分で私のことを捨てたくせに、自分で拾った。

自分のおかげで助かったのだから「感謝しているに違いない」と思っているのだろうか。

このお肉も、「介護をする自分優しい」とか思っているのだろうと思うと怒りで反応することが出来ない。

腐り落ちればいいのに。

私が無反応でいるとローランドがまた騒ぎ始める。


「マーゴット、食べろ!食べないと元気にならないぞ」


いっそあのまま死んでいたらこの憎たらしい顔も見ないですんだのに。せっかく助かった命だから大切にするけど。

誰も恨んでいないと思っていたけど、ローランドを見ていると怒りが沸いてくる。

こいつのせいで私は半年も家のない浮浪者として過ごすことになったのだ。

ローランドのことをいつものように無視していると、エセ眼鏡がきた。


「殿下、どうかそのくらいで。マーゴット嬢は心に傷を負っているのです」


止めろ。私を憐れみの目で見るな。


「やはりマーゴットは心を・・・!?わ、私はなんてことをしてしまったんだ」


ローランドが大袈裟な身振り付きで反省している振りをしている。

本当に反省しているのかもしれないけど、どうせ数分だけのことだろう。大袈裟に言うことで誰かから「そんなことない」と声をかけてもらえるのを待っているようにしか見えない。

そしていつの間にか2人の中で私は精神を病んだ者という認識になっていた。

私が2人に反応しないのは、私が「マーゴット」という名前を捨てたつもりだったからだ。

親に捨てられたのだから親に付けられた名前も捨てる。何も不思議は無いだろう。

私は放り出されてからソラという名前を名乗っていた。わざわざこの人達に教えたりしないけど。

それに、しばらく誰とも喋って無かったから声が出にくい。

顔の筋肉も強張ってしまって動きづらいのだ。

医者ならそういうことに気付けよ。


「私は、マーゴットをこんな風にしてしまった責任を取る・・・!」


一大決心のように言っているけど、放っておいてくれないかな。

ローランド、一度失った信頼は簡単には戻らないんだよ。



ローランドが私を探し出したのは、私の罪が許されたからだった。

私が行ったことは無罪とはならなかったけれど、許されたらしい。

それは、私が傷付けようとした相手、第1王子妃だったビビアナの罪が明らかになったかららしい。

ビビアナは第1王子のドナルド殿下を誑かした女だ。

ドナルド殿下の婚約者だったアレシア様から婚約者の座を奪ったビビアナは第1王子妃となった。

あの女は次期王妃には相応しくないと、私は早く気付いた。あれだ。女の勘というやつだ。誰も私の話を聞いてくれなかったけれど。

私は妊娠中のあの女に厳しく当たり、その行いが次期王族を殺しかけたと罪にされたのだ。ついでに他の者が行った罪も私がやったこととして上乗せされていた。

私に罪を擦り付けたその者達が憎くないといえば嘘になるけど、私がもしあちら側だったら同じように罪を押し付けるのに丁度いい者がいたら押し付けていただろう。どうせそういう世の中なのだ。


何故私の罪が許されたのかというと、ビビアナが生んだ子供がドナルド殿下の子供ではないことが判明したからだった。

生まれてきた子供の髪色は王家にはない黒髪だった。そして、その瞳は珍しい赤色。

ドナルド殿下の側近に黒髪赤目の者がおり、その者がビビアナと関係をもったことを認めた。ただし、ビビアナに薬を盛られて本意ではなかったと主張しているらしい。

ビビアナは自分は王子妃になんてなりたくなかったのにドナルド殿下が無理やり迫ってきたのだと言っているらしい。けれど、あれだけ積極的に殿下に迫っておいて無理がある主張だろう。

ビビアナは王子妃の身分剥奪の上、牢に入れられた。

子供は父親の方が引き取った。もちろん側近の立場は剥奪だけれど、普段の仕事態度などが良かった為に主張を信じてもらえた結果、罪には問われなかった。

まあビビアナのせいで女性恐怖症になったらしいから本当に可哀想な被害者はこの者かもしれない。

ドナルド殿下の側近なので私も昔から知っている者だけど、確かにバカがつくぐらい真面目だったあの人がドナルド殿下を裏切ったとは考え難い。

ビビアナのせいで全てを失って、可哀想に。知っている者相手だけに同情した。

というか、私もビビアナのせいで全てを失った側だった。



ドナルド殿下はビビアナの真っ直ぐな言葉に惹かれたという。

素直に好意のある言葉を口に出し、甘えてくれるところが可愛かったのだと。


ふざけんな、と思った。

何故なら、私達は好意を口に出すことは「はしたない」という教育をされていたからだ。殿方に甘えることはよくないことだと教育されてきた。

淑女の鑑と言われるアレシア様がその教育通りの教えを守る人だったことは間違いない。

それでもアレシア様を見ていたらドナルド殿下に好意を持っていることなど分かったはずだ。

相手をちゃんと見ようともしないで口先だけの軽い女に騙されて。


ドナルド殿下を責めることは簡単だ。

見る目のないバカ。

子供の頃からドナルド殿下を知っている者としてはこの結果が残念でしかなかった。

もっと立派な人だと思っていたのに。


けれど、今回のことで見直すことは、そもそもの淑女教育の方ではないかと思う。

男は単純なのだから口に出して伝えないと伝わらないということがよく分かる事件だったじゃないか。

けれど、古臭い教育方針が変わるまで後何十年かかってしまうことやら。

私がまだ身分ある立場だったら古臭い考えも荒らしてやったものを。



ドナルド殿下は元から婚約者だったアレシア様と再婚することになった。

アレシア様がドナルド殿下を慕っていたからこそ成り立つ話だった。

けれど、アレシア様が結婚式の日にドナルド殿下に「側室は何人迎える気ですか」と嫌味を言ったと聞いたときは笑った。

この国は一応側室制度はないのだけど、正式に認められていないだけで無いわけではない。

アレシア様は大人しいだけのつまらない人だと思っていたけど、嫌味を言ったと聞いてから友達になれるかもと思った。

いや、もう私はそんな立場じゃないんだけれど。








人の体というものは素晴らしい。

1年もすると私の体はほとんど回復していた。

まさかあの死にかけの体がたった1年でここまで回復するなんて。


最近はローランドは忙しくてあまり来ない。

私が死にかけにまでなったことの責任を感じ、町の改革に力をいれているのだ。

ローランドはバカだけど仕事は出来る。バカだけど。

ドナルド殿下がビビアナのことで失態を犯しても降格にならず、ローランドが押し上げられなかったことでそのバカさは分かるだろう。

利用しにくいバカは扱いにくいから。


ローランドとは以前はそれなりに信頼関係が築けていると思っていた。

なんて過去を美化しても仕方ない。

ローランドとはそんなに仲良くはなかった。

バカだと悪口を言われている評価の低い王子の婚約者だった私は、ローランドとどう接するべきなのか分からなかったから。

だからローランドが私の話よりも大好きな兄の話を聞いたのは仕方ないといえば仕方なかったのかもしれない。

ローランドはビビアナに誑かされた内の1人となって、私を罪人にしたのだけど。

ビビアナのことを「あの人はそんな人じゃない」と庇ったあの世界一バカだった顔は忘れない。

何がそんな人じゃないだ。そんな人どころか王族を騙した大罪人だったじゃないか。

そのままバカみたいに私を苦しめた罪として忙殺されるがいいわ。



体が回復してくると、先のことを考える余裕も出てくる。

こっそり町に出れば、ローランドがいい人に祭り上げられていた。

私への贖罪の行為が町の人には素晴らしい王子として認められていたのだ。

そして、聞こえてきた話の中でローランドが傷付けた元婚約者の私への責任を取るために、一生を捧げると公言していることが分かった。

いや、重いわ。

ローランドがいい人だと思われているのも気に食わないし、私の為に一生を捧げるというのも暑苦しい。


行動とは早い方がいいと思うんだ。

私は今までの慰謝料として何枚かの服と金目の物を持つと、お世話になっていた所から出ていった。



乗り合い馬車に適当に乗ったら思ったよりも遠くに行くものに乗っていた。

景色にも飽きて考え事をしていると、自分のしたことの愚かさに呆れた。

これって泥棒と同じことしてる?

世話になりながら勝手に金目の物を持って逃げるって、恩知らずな盗人か。


もうちょっとやりようはなかったかな、自分。

そう落ち込んでも馬車は止まらない。

だって、大人しくしてまた以前のように利用されるなんて嫌だったんだ。

利用する価値があれば大切にされるけど、その価値が無くなったら全てを奪われるなんてもう堪えられない。




どうしてこうなったのだろう。

乗り合い馬車に乗りながら眠ってしまったら気が付いたら私はここにいた。

両手両足を縛られて自由に動くことが出来ない。

まさか誘拐されるなんて。

びっくりなんだけど。

何がびっくりって、私はもうお嬢様ではない。

ということは一般の娘として誘拐されたのだ。

え、一般の人達って1人で馬車に乗るだけで誘拐されるの?

そんな身の危険が常にあるの?

怖いんだけど。世の中ってそんなに危険なの?


ちくしょう。

こんなことなら、もっと美味しいもの食べてきたらよかった!

こんな時に心に浮かぶ後悔が食欲ってどういうことだ。

自分でも呆れてしまうけれど、私はこの食欲のおかげでこんなにも早く回復したのだ。

王都の屋台も美味しいものはいっぱいあったし、療養していた場所で出てきた料理もとても美味しかった。

あのエセ眼鏡は医者としての腕は微妙だが、食にはこだわりを持っていたのでエセ眼鏡がいるところの料理は美味しかったのだ。

ちなみに何故あのエセ眼鏡がローランドに協力して私の世話をしてくれていたのかというと、医者としての腕が微妙だから暇だったのだろうと推測している。




誘拐犯に連れてこられたのは要塞にも見える工場だった。

人を拐ってきて奴隷のごとく無給で働かせることで利益を貪っているセコい工場だ。

働かさせられている者の中に恩人のソラナを見付けた時、私はいきなり居なくなったソラナが誘拐されていたことを知った。



ソラナは城の裏門から放り出された私を助けてくれた。

ソラナだって家もなく苦しい状態だったのに。

罪人として髪は短く切られた私に、ソラナは男物の服を着ることをすすめてくれた。

男のふりをしていた方が女としての危険から逃れられる可能性が高いからと。おかげで私は女性としての危機には遭わずにすんでいた。

比較的安全に身を隠せる場所を教えてくれ、時々仕事をくれる所をいくつか教えてくれた。

私が半年も生き延びることが出来たのはソラナのおかげだろう。

何よりソラナは明るく、最底辺の生活をしているはずなのに常に笑顔だった。

そんなソラナはいきなり居なくなってしまった。

とても、とても心配していたのに、ソラナがこんなところに拐われていたなんて。

マーゴットという名前を捨てた私は、ソラナに対する憧れからソラと名前を変えていた。

それくらい私の心を閉めていたソラナが、もう笑っていないのだ。

作業員同士で会話をすることは禁止されている。私はソラナに近付くことすら出来ない。

知っていたのに。

私には何もすることが出来ない。

何の力も無いのだ。




それは真夜中だった。

1日中働かされて疲れて眠っていた私達は、争うような大きな音で目を覚ました。

所狭しと並べられたベッドの上で、私達は何が起こったのかと怯えながら身を寄せ合った。

工場主が狂って作業員に乱暴を働いているのではないことを祈りながら、私達は震えているしかなかった。

どんどん騒がしい音が近付いてくる。

せめて痛い思いはしたくないと目を瞑って早く騒ぎが収まることを待っていると、ありえないはずの声が聞こえてきた。


「マーゴット、いるか!?」


聞こえてきたその声に、私は信じられない思いで返事を返した。


「ローランド!?」


まさか、そんな。

私の幻聴ではない?

私の体は考えるまでもなく声の主を探して動いていた。

押し込められていた部屋の扉を力一杯叩く。

この部屋はいつも鍵がかけられていて私達は自由に部屋から出ることも出来なかった。


「ローランド!!」


人生で一番じゃないかというくらい大声で名前を呼ぶ。

お願い、お願い、ローランド。私を見付けて。


「ここか!」


そう近くでローランドの声が聞こえたかと思うと、扉ではなく横の壁が壊れてローランドが現れた。

何故横から!?

と心の中で突っ込んでいたけれども、実際の私はローランドに向かっていっていた。


「ローランド!どうして?」


ローランドは私を抱き締めてきた。


「マーゴット、無事か!?」


返事をしたいけど、ちょうど口が圧迫されていて返事が出来ない。

ローランド、そういうところだぞ。力加減を調節しろ!

後からこの時のことを思い出すと私は身悶えて羞恥に囚われる。

どう考えても感動の再会だった。

まるで運命の恋人がやっと会えたかのように。

所詮ローランドなのに。ちくしょう。ローランドのくせに。


ローランドのくせに格好よく見えるなんて。


「マーゴット、怪我はしていないか?」


ローランドが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


「私は、大丈夫。ローランド、お願い、ソラナも助けて」


ローランドは「任せておけ」と言うと工場の制圧に戻った。

なんて安請け合いの言葉なんだろう。ローランドはソラナのことを知らないくせに。それでもローランドならやってくれるだろう。


朝日を待たずに工場にいた無給者達は助けられた。






私が居なくなったことを知ったローランドは、あらゆる犯罪者を捕まえながら私を探すという荒業に出ていたらしい。

私が危険な目に遭っているかは確定ではなかったが、犯罪者を捕まえきれば安全は保証されると思ったというのだ。

仕事が大まかで大きすぎる気がするが、それをやってしまうのがローランドだ。

バカだけど仕事は出来るローランドのおかげで私は助かったのだ。

王都の治安問題に取り組んでいるローランドは不信な行方不明者が多いことに疑念を持ち、調査をすすめていたところだったらしい。

跡が残らないように浮浪者ばかりを拐っていたとはいえ、何かしらの痕跡は残ってしまうのだろう。


まあ、あれだ。

王都の治安が向上したのも、誘拐事件が発覚したのも、無給工場が摘発されたのも、全てローランドのおかげ、ではなくローランドをそういうことに意識を向かわせることになった私のおかげということだ。



自分の価値についての疑念を私は振り払うことにした。

私は何も出来ないし、能力もないが、ローランドというバカだけど仕事は出来る男を動かすことが出来るのだ。

城から追い出され最下層の生活をしながら、私はそれまで自分がとても恵まれていたことを知り、このように苦しみながら生きている者がいることを知った。

自分自身が生きるのが必死だった時は自分のことしか考えられなかったけれど、命が助かったと分かった後、彼らの為に何か出来ることはないかと考えていたのだ。

私自身が己の体の回復だけで何も出来ずにいる間に、ローランドが色々と改革をすすめてくれていたけれど。


私にはローランドを動かす力がある。

利用してやればいいのだ。ローランドを。

ローランドをこき使うことで私の復讐は果たされ、ローランドの罪悪感は軽減され、国は安定化する。

いいこと尽くしじゃないか。


命の危機を経験した中で、恋愛なんて微笑ましい感情はきっと私にはやってこない。

利用出来るものがあるなら利用してやればいい。

私の今後の人生がそれで約束されるのなら、恋愛感情の有無なんて些細な問題だ。




「ローランド!」


久しぶりにやってきたローランドに、逃がすものかと私はしがみついた。

私は助けられた後寝込んでしまって、あの後工場がどうなったのか教えてもらっていないのだ。

ローランドはバカだから察するということが出来ない。聞きたいことがあるならこちらから訊かないといけない。


「熱烈な歓迎だな、マーゴット。そんなに私に会いたかったのか?」


寝言は寝てから言え。


「あの後どうなったの?ソラナは?皆は?」


あの無給工場にいたのはほとんどが家のない者だったはずだ。助けられた後に家に帰ってもいいと言われても、帰る家なんてそもそもないのだ。


「それなら大丈夫だ。療養が必要な者は休める場所を用意した。あの場は丁度いいから本物の工場として働き場にすることにした」


どうやらあの無給工場は本物の有給工場として動かすことにしたらしい。

ローランドは、家のない者の対応をどうにか出来ないかと考えていたらしい。そこであの工場が使えることに気付いた。

今後は国営の職業訓練所のような場にしていく予定だという。

一応働かされていた者達にも意思を確認してどうするかは本人が決めるらしいけれど、ほとんどの者が居残ることを希望しているとのこと。

元々が浮浪者とかなので屋根があって食事が出るだけでもそれまでの生活よりもましだったのだろう。

ソラナはどうしたのだろうか。


「マーゴット、私や、男は怖くないのだな?」


ローランドに訊かれたことの意味が分からなくて私は首を傾げた。

なんでローランドごときが怖いというのか。所詮ローランドじゃないか。


「それに、君は私を忘れた訳でも心を病んだ訳でもないな?」


当たり前だ。残念ながら私の精神は意外と図太かったのだ。

私が心を病んでいると勘違いしていたのはローランド達が悪いだけだ。

後、エセ眼鏡がエセ眼鏡だから医師としての診断が適当すぎるのだ。


「マーゴット、あいつらは、君を女性として虐げはしなかったんだな?」


ローランドが心配そうに訊いてくるけれど、私は何言ってんだこいつ、という目で見るだけだった。

私は浮浪者の時は男のふりをしていたし、工場ではただの労働力としてしか見られていなかったので、この身は奇跡的にキレイなままなのだ。

私が女性的魅力に欠けすぎている訳ではない、はずだ。

自分からそんなことを主張する機会なんてないから言ったことはないけれど、そもそもそういうことは普通は医者が気付いたりするんじゃないのか。

まあ所詮エセ眼鏡だったということか。


「君の身が汚された訳ではないのなら、君の家が君が帰ってくるのを認めてもいいと言っている。君が家に帰るなら、私以外の者との未来もありえる」


ローランドが何を言っているのか理解出来ない。

今さら、私のことを助けてくれなかった家に帰るなんて、絶対に嫌だ。

家を守ることこそが務めだと教育されてきた親が王族に罰せられた私を助けなかったことは理解している。

それに私をまた家に迎え入れるという決断がどんなに破格な対応なのかも分かっている。

それでも、私個人としてすんなりと受け入れられない。

それに、ローランド以外の相手?


「ローランドは、また私を捨てるの?」


私の口から自然と言葉が出て、目には涙まで出てきた。

ローランドはまた捨てるつもりなのか、私を。私がローランドを利用してやろうと決めた途端に。

相手を利用してやろう、なんて考えがそもそも悪いのか。

また捨てられるのかと思うと心がいきなり痛み出す。

思った以上にショックだったらしい。

自分は誰にも利用されたくないくせに、ローランドを利用してやろうなんて私の心が醜いからダメなのか。



私の行動力はだんだん上がっているようだ。

ローランドの庇護を受けれないというなら、私は私の生活を自分でどうにかしなければならない。

私の放った言葉にローランドが動揺している隙に、私は必要な物を急いで部屋まで取りに行き、そして外に出て乗り合い馬車に乗り込んだ。

行き先は、いざ有給工場へ。




摘発された工場は今は修繕と改築とで操業はしていなかった。

そりゃそうだ。

ローランドはドアじゃなくて壁から出入りしていたからな。直すところが多かったはずだ。

出来れば寝ていたあの部屋は残して欲しくない。あんな押し込められるように眠る場所は嫌だ。


なんでここに来たのかというと、ソラナを探す為だ。


「ソラナ!」


幸いにして、ソラナは工場で働く予定だったのか残っていた。


「ソラ!良かった!どこ行ってたの?心配したんだよ」


私が一番信頼している人。

そして、私をソラと読んでくれる数少ない人。


ソラナは工場の食堂で働くことを希望しているらしい。料理はあまりしたことはないから今は勉強を兼ねて建築関係者などに振る舞う料理を作っているらしい。

思えばソラナは以前も食べ物には興味が強かった。

時々仕事をくれる人からの賃金が入ると、すぐに屋台に直行していた。

今思えばあそこで食費をもう少し抑えるべきではなかったのかと思うのだが、当時は私も屋台の食べ物が生き甲斐だった。


今はそれよりも、ソラナが笑っていることが大切だ。

ソラナのあの太陽のような笑顔が戻っている。それだけで私の心が癒される気がした。


「私もここで働こうかな」


そうすればまたソラナと一緒にいられる。


「それは無理だ」


ソラナとの再会で癒された私の心に影を指す言葉がかかった。


「ローランド!?」


なんでローランドがここに?と不思議そうにする私に、ローランドの呆れたような顔が印象に残る。

ローランドのくせに、私のことをバカにしているのか!

一気に心に宿る闘志に身を任そうとしていると、ローランドから変な言葉が飛び出した。


「妻がいきなりすまない。マーゴット、皆の仕事の邪魔をしていないで帰るぞ」


ローランドのくせに私を邪魔者扱いするとは何事か!確かにソラナの仕事の手は止めさせてるし、他の作業員にも気を遣われている気はしてたけど!

ていうかそれより聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。


「あの、ソラの旦那さん?」


ソラナがローランドに遠慮がちに声をかけている。でもその声のかけ方がおかしい。


「あなたがマーゴットの恩人か。妻が世話になった。ありがとう」


おい、何言ってるんだローランド。私はローランドの妻じゃない。

そう否定しようと口を開きかけた私の目の前に、私とローランドの婚姻証明書が出された。


「これ、なに?」


ダメ元で確認してみると、ローランドから否定のない肯定が入った。


「マーゴットと私の婚姻証明書だ。今日から君は私の妻だ」


ローランドは私があの家を出た後に婚姻届を出してすぐに私を追いかけてきたのだ。

あまりのことに人生で初めて気を失うかと思った。図太いから失わなかったけど。


ローランドはバカだけど、仕事は出来る。ん?仕事?

私との結婚はローランドにとって仕事なの?


まあいいやとその場では私は考えることを放棄した。

深く考えるとダメな気がして一旦問題から逃げた。


でもせっかくここまで来たのだからついでに建て替え予定の図案に口出ししていくことにした。

休憩場所が少なすぎる。工場の端からここまで移動していたら休憩時間が終わるじゃないか。ここにも手洗い場所は必要だし、個人の部屋もどうにかならないのかこれは。

急拵えとはいえこういうのは始めが肝心なのだ。

要塞のような工場の間取りを利用して?私達はただでさえここにいい思いがないのだから大改造して前とは違う場所にするべきだ。

こういうことは遠慮していたらダメだ。後から文句を言うくらいなら始めからちゃんとするべきだ。

ちなみに私のこういうところが人から嫌われやすい要因だと理解はしている。

自分では何も出来ないくせに口うるさい傲慢女。

そう悪口を言われていたときから私は何も変わっていないし、成長もしていない。

図々しい私の意見を皆が迷惑そうに聞いていたけど、数人は納得してくれた。

そして私の強い味方のローランドが

「妻の要望は出来るだけ叶えるように」

という後押しもあって私の余計な口出しは容認され、大幅に立て替えは遅れた。



結婚証明書を見せられた時は混乱して大人しくしていたけれど、時間が立つとやっぱり納得出来ない気がしてきた。

惨めな底辺なんてとっくに見てきたと思っていたのに「同情で結婚された形だけの惨めな妻」という立場を、どうやら私は受け入れられないらしい。



なので、ローランドを自分から襲うことにした。

前々から自分でも気付いていたけど、私は頭が良くない。

何の知識も技術もないけど何とかなるだろう。所詮相手はローランドだ。


「マーゴット!?私の部屋で何をしているんだ?」


自分の部屋にいる私を見てローランドが動揺している。


「ローランド!覚悟!」


私よ、なんでそんな掛け声になった。



ローランドに勢いよく飛び付いた私は、ローランドの唇を奪った。

これは何というか、正に接触事故だ。

力の限りローランドの唇に自分の唇を押し付けた私に、これ以上の実力も知識もない。

一瞬で戦意喪失した私は今日は出直すことにした。

多分しばらく落ち込みそうだが、人に襲いかかることを甘く見ていた私が悪い。

ローランドよ、この追突事故のことは忘れてくれ!では!


「マーゴット、いいのか?」


部屋を出ようとした私の体をローランドが抱き締めてきた。

おい、ローランド、まさかこの接触事故としか言い様のないさっきの事故でその気になったとか言わないよな?

見上げたローランドの顔は見たことないほどに赤くなっている。


「本当はマーゴットが以前の体型に戻るまで待つつもりだったんだ。今の君は以前の半分しかない」


半分とはどういうことだ、ローランド。以前の私が太っていたと言いたいのか。

待つつもりだったと言いながらローランドは私の体を抱えあげた。

ちょっと待て、ローランド。

私はさっきの事故で戦意喪失して落ち込んでいるのだ。

待つつもりだったというなら私が今の2倍のデブになるまで待っていればいいだろ。

そんな日こないかもしれないけどな。

抵抗空しく私はいつの間にかベッドに寝かされていた。

ローランド、本当にちょっと待って。


「ローランド、待って」


「無理だ。もう待てない」


ローランドーーーーー!!

待つつもり一切ないじゃないか。それなら何故2倍の話をしたんだ。

割りと本気で抵抗したのだが、ローランドは一切待ってなどくれなかった。

人に襲いかかることを甘く見ていた私が悪いのか。









「ローランド、次はここに行きたい」


あれから1年。私も少しは成長して勝手に出かけるようなことはせず、ちゃんと伝えるようになっていた。


「マーゴット、頼むから大人しくしてくれ!君は妊娠してるんだぞ!?」


ローランドは心配症だなあ。まあそれだけ私がローランドに面倒を押し付けているからだけど。


今回私が行きたいのは、ソラナが教えてくれた美味しい郷土料理があるところだ。

ソラナの恋人の出身地だというその町に行ったソラナが、美味しかったからと教えてくれたのだ。

その町の料理は美味しいけれど、行くまでの道が整備されておらず危ないところもあるらしい。

ローランドが見てくれたらきっと道の整備に尽力してくれるはずだ。




ローランドは仕事は出来るけど、バカだから自分で仕事を見付けることが出来ない。

ローランドは今や私のおかげで優秀な王子だと思われているけれど、以前は無能な王子だと悪口を言われていたのだ。


ローランドを有能に使える私という存在を、私は使うべきだと思った。

ローランドは1人では役に立たないが、私が絡むと途端に大きな仕事をやってしまうのだ。


ローランドに対する怒りが消えた訳ではないけれども、ローランドに対して特別な感情が芽生えていることは否定しない。

それに、ローランドが私に翻弄されるのを見る度に、私の心は満たされるのだ。




私は、私の為に、私という存在を利用することにした。

誰にも利用されたくないのなら、自分で自分を利用してやる。

そこに幸せがついてくるならいくらでも自分を利用してやろう。





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