後編 「人形達の集団抗議」
お母さんに叱られながら雛壇を復旧させた、その日の夜。
『うっ…ああっ、あっ!』
何とも言えない寝苦しさに目覚めた私は、自分の身体がピクリとも動かせない事に気付いたんだ。
『嘘…これが話に聞いた金縛り…?』
どうにか身体を動かそうと悪戦苦闘をしている私の身に、更なる怪異が降りかかったの。
『何なの、この音…?』
太鼓を打つ単調な音色に、陰に籠もった和風の歌声。
聞こえるはずのない雅楽の調べは、頭の中へ直接響いてくるみたいだったの。
『まさか、五人囃子が祟ってきたの?』
その、まさかだったよ。
天井の辺りに白い靄みたいなのが漂ったかと思えば、巨大な三つの顔に変化したんだから。
端正な面持ちの美青年は、五人囃子の太鼓と謡の人達に違いない。
すると、赤い帽子にフリッフリの赤ドレスを着込んだ女の子は、居間のフランス人形だね。
私ったら五人囃子だけでなく、フランス人形の恨みも買っちゃったんだね。
天井から私を見下ろしてくる、人形達の巨大な顔。
やっとの思いで目を閉じても、瞼の裏にありありと浮かび上がって来るんだ。
「どうしてだい?どうして君は、あんな真似を…」
オマケに陰に籠もった声で私に訴えて来るんだから、もう堪んないよ。
「ウウッ…グスッ…」
フランス人形なんか、可愛らしい声で涙ぐんで来ちゃうし。
『うわああっ、ごめんなさい!もう二度と、お雛様でイタズラなんかしませんから!』
私は必死になって祈ったんだ。
何しろ、金縛りで口が利けないからね。
ところが、人形達の反応は意外極まる物だったの。
「イタズラ?何を言うんだい、京花ちゃん?」
「僕達が文句を言いたいのは、雛壇を元通りにした事だよ。」
五人囃子の眼差しから恨めしさが抜けていき、その瞳は寂しそうな色に変わっていた。
それと合わせて、私の金縛りも少しずつ緩まってきたんだ。
「どういう事?イタズラを怒りに来たんじゃなかったの?」
喉がスッと楽になり、自力で喋る事が出来るようになったよ。
相変わらず、身体は動かないけど。
「君の言うように、僕達以外の五人囃子は、三人官女と相思相愛でね。」
謡を担当しているだけに、この五人囃子の声は実に美しいね。
「だから、僕達にお見合い相手を選んでくれた事が嬉しかったんだ。」
残りの五人囃子も、鳴らしていた鼓の手を止めて静かに語りかけてくるよ。
「私も嬉しかったの。こんな美男子と引き合わせて貰えるなんて。なのに、また離れ離れにされるなんて…」
太鼓の人に寄り添いながら、フランス人形が泣きそうな声で訴えてくると、私まで悲しくなっちゃう。
だけど貰い泣きする前に、どうしても聞きたい事があるんだ。
「じゃあさ、どうして大和ヒミ子のドールは何も言わないの?謡の人にあてがったはずだよね、私。」
太鼓の人とフランス人形がカップルで物申しに来ているのに、謡の人だけ単独なのは筋が通らないんじゃないかな?
「あの子はまだ、魂が成熟していないのよ。私達みたいに手作り人形なら、もっと早くお喋り出来るんだけどね。」
私の質問には、フランス人形が答えてくれたの。
大量生産品とハンドメイドでは、人形の魂の育ち具合にも差が出るんだね。
「だけどさ…ほら、見て御覧よ。」
「とっても悲しそうな顔をしているだろう?」
五人囃子の二人が話し終えると、今度は首の金縛りが解けたんだ。
オモチャを飾る棚に目をやると、パッケージに片づけた大和ヒミ子のドールが、今にも泣き出しそうに顔をしかめていたんだ。
「そうだったんだね…せっかく両思いになれたのに、引き合わせた私の手で引き離されたら、そりゃ悲しいよね…」
私を見下ろす人形達の顔が、一斉に頷いたの。
「だけどさ…昼間のように飾り直したら、また私がお母さんに叱られちゃうの。だから妥協案として…」
首から下を金縛りにされたまま、私は人形達を説得する為に一生懸命に弁舌を振るったんだ。
そうして迎えた、雛祭りの当日。
若草色の晴れ着を纏った私は、お母さんに一つの頼み事をしたんだ。
「写真を撮るのは構わないけど…その人形達とも一緒なの?」
デジカメを構えた母が怪訝な眼差しで見つめているのは、私が運んで来た人形達だったの。
「良いじゃない、お母さん!美男美女のカップル達に、可愛い一人娘の私。雛祭りの記念写真にはピッタリでしょ?」
雛壇を振り返りながら、私は満面の笑みでお母さんに応じるの。
大鼓の人にはフランス人形、謡の人には大和ヒミ子のドール。
独り者だった仲間に恋人が出来て、他の御雛様達も何だか嬉しそうだよ。
「はいはい…京花が満足なら、それで良いわ。」
半ば呆れた表情をした母がシャッターを押し、雛祭りの一コマが写真として切り取られた。
-ありがとう、京花ちゃん…
そう囁く声が、最後になったの。
それ以来、御雛様から呼び掛けられる事はなくなったんだ。