王子の初仕事②
初日の晩餐はコウサ王子が巧みに会話をリードして始終和やかに進んでいた。表情豊かに語り、豪快に笑う王子が先日の狩りで仕留めた獲物の話を微に入り細に入り話始めたところでロッテローザ王女は口元を白い布巾で拭うふりをして青い顔を伏せる。
緩くうねる蜂蜜色の髪がその表情を隠してしまったが明らかに好もしい会話ではなかったことは伝わってきた。
さもありなん。
現ローム王は剣も弓も魔法も習得はしているが、荒事には不向きの性格をしており貴族の嗜みともいわれている狩猟行事すら挨拶のみの参加しかしたこともないそうだ。王家主催の狩猟は主にローム王の弟であるプリムローズ公爵が執り行っていたのでそれでも問題はなかったようだけれど。
「コウサ殿はとても勇敢で羨ましいですね。私はそれほど体躯に恵まれてもおらず剣技も弓もまだ修練中ですし、恐らく震えて上手くできない自信があります」
「はは。確かにアシュラム殿は少し細いかもしれぬが弓の名手は得てしてそういう体格の者が多い。存外才能あるかもしれん。試しに滞在中に一緒に狩りにいかぬか?」
葡萄酒を飲み干し唇をぺろりと舐めて目を光らせたコウサ王子に眉を下げて首を振る。
「申し訳ありません。慣れぬことをして怪我をするわけにはいかないので」
「そうか。それでは仕方ないな」
少々不満げな顔をしつつも引き下がってくれたので内心ホッとする。
「しかしコウサ殿の話術と表現力があまりにも素晴らしくて今夜恨めし気な獣たちに狩られる夢を見そうです。よければここトクシンについて教えていただけますか?」
「おお、これはすまない。つい熱が入ってしまった。トクシンは――」
話題を変えるともともと話好きなこともあってか、つらつらとこの街に関することを喋り始める。とても楽しそうに話すのでこちらも笑顔で相槌を打てば更に自慢げに彼の国のことを教えてくれた。
余計なことを聞かれるよりは相手の話を聞いている方が楽だ。やがて酒が進みすぎたコウサ王子が顔を赤らめながら少し眠そうに目を瞬かせ始めた。隣に座っていたロッテローザ王女が「コウサ様そろそろ」とお開きにしようと囁いてくれる。
「そうだな。調子に乗って少し飲みすぎたようだ。アシュラム殿遅くまで引き留めてすまなかった。ゆっくり休まれよ」
「ありがとうございます。それではお先に失礼を」
腰を上げるタイミングで椅子が引かれスッと立ち上がる。二人に軽く会釈をしてから食堂を出るまでにどれほどの視線が向けられていたのか。背筋を伸ばし優雅に見えるようゆっくりと歩いて廊下へ出ても気を抜いてはいけない。
護衛として常に傍に控えているライカもピリピリとした空気を纏っている。マルランだけはのほほんとした顔で歩んでいた。長い道のりをただ黙って進みフィライト国のデシ砦から貸し出してもらった騎士たちが入り口を守る自室へと辿り着いたところでようやく力を抜く。
それでも全部ではない。
居間には従者がひとり残っていて壁際で置物のように視線を下げて控えていた。アシュラムが中ほどまで入ってきたところで動き恭しく頭を垂れる。
「お帰りなさいませ。なにかお飲み物でもご用意いたしますか」
「いいや。必要ない。それよりも汗を流したい」
「かしこましました。すぐにご準備を」
左奥にある扉の向こうに従者が消えたのを待ってアシュラムはセシルはどうしているのか聞いた。ライカは奥歯を鳴らしてから小さく首を振る。
「船で一回りしてくると言った後から姿が見えない。あいつはなにをしてるんだ」
「セシルらしいけどあれから戻ってきてないってことは余程気になることがあるのか、それとも楽しいおもちゃでも見つけたのか」
「どこかでまた誰かを誑し込んでるんじゃないのか」
苛々と刀の柄をトントンと指で叩きながら舌打ちするライカを「明日には戻ってくるよ」と宥めながらソファに腰かけて、マルランに一応戻っていないかセシルの部屋を確認してくるように頼んだ。
小さな後ろ姿が静々と扉の向こうに消えたのを待ってからアシュラムは口を開いた。
「セシルはノアールとの約束を破れない」
「……安売りはしないだろうが、その価値があると思えばあいつはやる」
「そうかな。私はそうは思わないけど」
セシルに惹かれているのにセシルのことを信じられないなんて。
「ライカは不憫だね」
掴みどころのないセシルを初めはひどく警戒していたくせに、彼女の才能と自由さに嫉妬して毛嫌いして――結局落ちた。それがレインの血による魅了の力なのか、ライカ自身の恋慕なのかアシュラムには分からないけれど。
「私はライカには幸せになってもらいたいと思ってる。心から望む相手と添い遂げてほしい」
それはアシュラムにはできないことだから。せめて幼馴染にはと願っている。
「なら、」
「嫌がる相手を無理やりは許可できない。相手もライカを受け入れて共に歩むと誓ってくれる状況じゃないと祝福できないよ」
鋭い舌打ちを響かせたライカに扉から出てきた従者がぎょっとする。まさか自分が仕える王子に対して舌打ちをするなんて思わないだろうから、それは自分に向けられたと思ってしまったに違いない。
「行儀が悪いよ、ライカ」
「失礼しました」
「自分の不甲斐なさに腹が立っているだけだから気にしないように」
「さ、左様ですか」
狼狽えている従者にライカは頷いてそのまま小さく頭を下げてみせる。気を取り直した従者が「準備が整いました」と扉の奥へと促すので立ち上がりそちらへと向かった。
翌朝控えめに叩かれたノックの音でアシュラムは目を覚ました。寝室は薄暗く引かれたカーテンの下からも太陽の光は感じられない。体を起こし天蓋から下りている紗の布を両腕で押しのけて揃えらえた室内履きへと足先を滑らせる。
「お休みのところ申し訳ありません。コウサ王子がいらっしゃり朝の散歩でもいかがかとおっしゃっております」
いかがなさいますかと閉じられた扉の向こうから従者が遠慮がちに指示を仰ぐ。まだ日も登り始めたばかりの時間だというのに随分と早起きな王子である。昨夜あんなに飲んでいたというのにタフというかなんというか。
呆れているアシュラムの視界の端に続き部屋のドアが開くのが見えた。そこから準備の整っているライカが現れ目線でどうするんだと問われる。
「ご一緒させていただくと伝えてくれ。すぐに用意をする」
「かしこまりました。そのように」
扉の前から気配が遠ざかりぐずぐずしてはいられないと急いで夜着を脱ぐ。長い髪が鬱陶しくて乱暴に背中へと流すと近づいてきたライカから「止めろ」と叱られた。
「お前の美しさを損なえば民の支持を失うぞ」
「その言い方では私には見た目しか取り柄がないといわれているみたいだ」
「違うのか?」
喉の奥で笑いながらライカが髪をまとめて手早く結んでくれる。櫛もないのに器用なものだと感心しながらトランクから着替えを出して身に着けていく。朝の散歩なのだからそんなにかっちりとした格好ではなく失礼にならない程度を心がける。
着替えが終わる頃合いでライカがタオルと洗面器を持ってきてテーブルの上に置き、服が濡れないように気を付けつつ口を漱ぎ顔を洗う。丁寧に水気を拭き取り壁にかかっている鏡に己の姿を映し何者であるのかを心の中で言い聞かせて部屋を出た。
ソファに座り優雅にお茶を飲んでいたコウサ王子は顔いっぱいで笑って片手をあげて挨拶をする。
「おはようアシュラム殿。よく眠れたか?」
「ええ、お陰様で」
あなたが来なければもう少し寝ることができましたよという言葉はもちろん黙っておく。居間にはフィライト国から連れてきた従者の姿はなくコウサ王子の侍女がワゴンを挟んで二人いてアシュラムのためにお茶の準備をしてくれている。
「コウサ殿は毎朝この時間に起きておられるのですか?」
「体力が有り余っているのだろう。早く目が覚めてしまうのだ。隣で眠るロッテローザの顔を眺めているのもいいが、体が疼くので抜け出して散歩や剣を振って鍛錬することが多い」
「私は御覧の通り男らしさからは程遠い容姿をしておりますので心底コウサ殿が羨ましいです。この髪をコウサ殿のように短く切ってしまえば少しは雄々しく見えるようになりますでしょうか」
後頭部でまとめられた髪の一房を掴んで濃茶の髪を短く刈り込んだコウサ王子へ視線を向けると目を丸くして驚かれた。
「アシュラム殿は私のようになりたいのか?」
「おかしいですか?」
「おかしいもなにも」
ははっと声高く笑いコウサ王子は「とても似合わぬ」と断言した。
「アシュラム殿と私とでは周りから求められているものが違うのだ。見た目だけ男らしく装おうとも紛い物はすぐに見抜かれる。虚勢を張らねばならぬ時ももちろんあるが、一番大事なのはここ」
トントンッと叩いたのは左胸の上。
「そこを磨かねば意味がなかろう?」
「そう、ですね」
「そもそもそんなに美しい髪を切るなどもったいないではないか。ロッテローザの金の髪も美しいが、やはりナモレスクの真珠と謳われるだけはある。素晴らしい銀色の髪だ」
元々そう呼ばれていたのはアシュラムの母なのだが、同じ髪色を受け継いだからかアシュラム自身もそう呼称されることもあった。
「ありがとうございます」
さきほど邪魔だと思っていただけに素直に喜べず浮かべた笑みも中途半端だったのか。
「さあ茶を飲め。私は朝はこれだと決めている。すっきりして気分が良くなるぞ」
侍女がスッとアシュラムの前にカップを置く。薬湯のような香りが微かにしているので二日酔いに効能のあるなにかが混ぜられているのだろう。取っ手のない小さなカップを両手で支えて口へと運びこくりと飲む。
温い液体はとろみがあるのか舌の上に少しまとわりつくように感じた。味は香ばしく匂いほど薬っぽくはなかった、が。
「?」
「どうだ?美味いか?」
テーブルの向こうから身を乗り出してくるコウサ王子は屈託のない笑顔でこちらを見ている。早く感想が聞きたいとキラキラした瞳で。
どうしようかと悩んでいるうちに喉の奥が痛くなる。飲み込んだ先を焼くように進んでいく液体がただのお茶ではないことへの恐怖より戸惑いの方が多くて。
「ぐっ、ふ」
「殿下!」
せり上がってくるなにかを感じて反射的に口元を押さえた。握っていたカップをライカが叩き落とし、アシュラムの押さえている手を除けさせ指をぐいっと奥の方へと突っ込んでくる。
「吐き出せ!飲み込むな!」
「アシュラム殿!なにが」
慌てて腰を上げたコウサ王子をライカが鋭い目つきで睨み上げたようだったが、かすみ始めた視力では確認しようもない。
「寄るな!貴様が勧めた茶を飲んでこうなったんだ!もしこいつの、アシュラムに、なにかあってみろ!俺は貴様を道連れに死んでやる!」
悲痛な幼馴染の叫びもだんだんと遠くなっていく。
バタバタと侍女が走り去り「医者を!早く!」と騒ぎが大きくなりそうな予感がした。
ああ誰が簡単な仕事だと言ったのか。
生きて帰ることが叶わないかもしれないとチラリと頭に浮かんだ時、食道から塊が上がってきて口の中いっぱいに血の味が広がった。ゲボッと重い水音をさせて噴き出した赤い液体が顎を流れていく。「ヘレーネ!死ぬな!しっかりしろっ」と硬い腕に抱え上げられアシュラムはライカの姿を探したけれど見つけられず。
そのまま意識を手放した。
火の玉を飲み込んでいるかのような激しい痛みは何度も深い眠りからアシュラムを引き上げる。身を捩り喉を押さえてもジクジクと脈打つ熱と痛みはおさまらず、渇きも重なってうめき声をあげると更なる激痛に襲われて布団の上を跳ねまわるしかない。
そうこうしているうちに痛みに耐えかねて意識は落ちるのだが、喉奥に居ついたあぶり続ける炎が燃え盛っては無理やり起こされること数回。
しなやかな腕が肩の下から差し込まれ背中を抱え上げていく感覚にうっすらと瞼を開けるとおぼろげな視界の中で誰かが微笑んだ気がした。
唇に当てられた冷たい陶器の感触にようやく水を飲めるのだと期待して口を開けるとそこへ入ってきたのはドロリとした土臭いなにか。不快で思わず顔をそむけたアシュラムをもう一度抱えなおし下顎をぐいっと掴んで容赦なく中身を注ぎ込んでくる。
じわじわと下りてくる液体がまた自分を害するものかもしれないというのに拒めないことがひどく情けなくてアシュラムは小さく震えた。
デシ砦はヤング火山の国境にあり守りの要として重要な場所です。