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王子の初仕事①

地図があった方が分かりやすいのは承知の上ですが、地図を用意しているといつ更新できるか分からないので思い切ってアップすることにしました。

このお話は「魔法学園フリザード」と「厄介事万請負所」をお読みいただいてから読むことを強く推奨いたします。

 


「育ちで侮られ足元を危うくしないようにせいぜい気をつけて行動しなさい」


 初めて王妃であるフェアビアンカと顔を合わせ言葉を交わしたのは新たな王子の顔を国民へ見せるためのパレード後のこと。儀礼的な挨拶の口上を述べたアシュラムに王妃は感情の読めない瞳でそう告げた。そのまま足早に去っていく硬い後ろ姿は何度思い返しても心の奥をずんっと重くする。



「殿下」


 呼びかけられアシュラムは眺めていた川面から視線を外して振り返る。きっちり三歩離れた場所で控えていた幼馴染の横で、胸に右手を当てて一礼したのはお目付け役のロサ・マルランだった。


「どうした」

「グン殿がトクシンで船を降りてほしいとおっしゃっております」


 マルランは皺と白い眉毛に埋もれた穏やかな瞳をひたりとこちらに据えてそう告げた。


「トクシンで?」


 グンは隣国ショーケイナの上級文官でロッテローザ王女の結婚を祝うために王都オクまで向かうアシュラムたちを国境で出迎えてくれた男だった。


「半日ほど川を下ってから街道を王都へ向かう予定だったはず」


 トクシンは国境を越えて一番最初に荷が卸される場所でそれなりに賑わっている街ではある。だが王が住む都まではかなり距離があり陸地を行くとしても広大な草原を横切らねばならず、王女とショーケイナの王子への大量の贈り物や荷物に供の者や護衛をそれなりの数連れていては日数がかかりすぎるだろう。


「それがロッテローザ様とショーケイナの王子コウサ様がそちらで待っておられると」


「お二人がそんなところまで来ていると?」


 まさかという気持ちと、素性も顔も知らぬぽっと出のアシュラムを国深くの王城へと招き入れるよりは手前の街であしらっておいた方が得策だと判断された可能性もなくはない。


 軽んじられていると怒ればいいのか、それとも好意的に受け取ればいいのか。


「よかったんじゃない?トクシンで用事を済ませられれば早く帰れるよ」


 迷っているのを見透かしたように会話に入ってきたセシルはいつの間にやって来たのか船べりに背をもたれさせてにやりと笑う。紺色の詰襟に外務官であることを示す襟章がついている。本来なら新人でしかないセシルが王子の供として随伴することは異例ともいえる出来事なのだが、王子として立つために尽力してくれた功績と信頼からアシュラム自身が迷わず選出した。


「そう思う?」

「疑り深いね」


 船の縁に肘を乗せて空を見上げたセシルは楽しそうに目を細めた。


「あんたの王子としての初仕事は無事に帰ること」


 それ以外は些末なことだよと続ける。ライカはムッとした顔でセシルを睨んだがアシュラムはほんの少しだけ肩の力が抜けて楽になった。


「私のことはライカとセシルが守ってくれるのだから随分と簡単な初仕事になりそうだね」


 信用しているというつもりで口にしたのにセシルだけでなくライカまでイヤそうな顔をして「こっちは全然簡単な仕事じゃない」と文句を言われてしまう。


「雑談はそれくらいにしておかれた方が。グン殿がいらっしゃいましたよ」


 いち早く気づいたのはマルランで失礼のないようにと目にほんの少し力をいれて注意を促してくる。足音高く近づいてくる姿を見て気を引き締めグンを待ち受けた。


 愛想笑いを張り付けてアシュラムの前へと出て恭しく頭を下げた後、王子よりも余程偉そうにふんぞり返っているセシルを一瞥してグンは眉尻を跳ね上げる。その場の視線を一身に受けても動じないセシルはやはり胆が座っているのか気にしていないだけなのか。


「ああ、どうか許してください。セシルはちょっと特殊なんです。大きな猫とでも思って見逃してくれると助かるのですが」

「大きな猫、ですか」

「殿下だけでなくフィライト国の名に傷がつくと何度も言っているのですが御覧の通りの有様で」


 長く王家の傍近くに仕えているマルランさえセシルの行動を改めさせることはできないと諦めているのだから相当重症だ。


 セシルはプイッと首を逸らし、そのまま体の向きを変えて川岸の方を眺める。つまらなさそうな横顔を柔らかい薄緑の髪が撫でていくのを苦笑して見つめてからアシュラムはグンに向き直った。


「ところでトクシンで船を降りるとか」


「はい。トクシンには王妃様の生家の別邸がありそちらの屋敷でコウサ殿下と奥様がお待ちになっておられます。フィライト王家に迎えられたばかりのアシュラム王子におかれましては遠く我が王都オクまでご足労願うのは申し訳ないとおっしゃって」


 言外に王子としての立場が磐石ではないことを揶揄されているように聞こえて胃の裏がソワリとする。厚意なのだと思いたくとも簡単には受け取れないのは自分に自信がないからだろう。


 正直どう振舞えば正解なのか分からないくらいなのだし。


「今回のご用件は妹姫であるロッテローザ様とコウサ殿下にご挨拶と祝辞を送ることだと伺っております。陛下はアシュラム王子が今の生活に慣れ、落ち着いた頃にゆっくり王都に来てくださればいつでも歓迎するからと」


「そうですか。お会いできるのを楽しみにしていたのですが今回はお言葉に甘えさせていただきましょう。病床にあるカールレッドのことも気にかかる。少しでも早く帰還できるのはこちらとしてもありがたいこと」


 こちらとしてはショーケイナの王との謁見よりも弟の容態の方が重要である。一国の王子としては隣国の王と親睦を深めることも大切な仕事の一つではあるのだが、生憎これから顔を合わせるよりも親書と使者とのやり取りでしか繋がらないであろう人物に無理して会う必要もないとアシュラムは思っていた。


「カールレッド王子は、」


 死にかけているという噂があるからか健康状態を尋ねようとしたグンが慌てて口を閉ざして薄っぺらい笑みを浮かべる。


「母君であるフェアビアンカ様がお傍にいらっしゃるからか最近は体調も良いようで寝台を離れてバルコニーで日光浴をする日もあると伺っております」


 顔色を悪くしている彼にマルランが笑顔で卒なく間に入り会話を引き取ってくれた。


 キトラスの巫女に秘術を授けてもらった命の期限は一年で、あとひと月を切ってはいるが不思議と調子が良いと聞く。生まれてから今まで病気に苦しめられてきたカールレッド王子にはできるだけ安らかに過ごして欲しいと願っている。


 それでも時は残酷に過ぎていく。

 運命は変えられない。


 カールレッド王子が逝ってしまう前にとローム王はアシュラムに隣国ショーケイナに赴き妹姫であるロッテローザ王女への祝いの品を届ける名目で顔合わせと挨拶をしてこいと命じた。


 喪に服してしまえばそうそう隣国を訪れることはできない。


 アシュラムが王家に迎え入れられる少し前にロッテローザ王女はショーケイナに嫁いだ。互いに面識もなく王女としては突然現れた兄王子の存在に戸惑いだけではなく嫌悪感もあるだろうに。


 この道を進むと覚悟はしていても会うのは怖い。

 恨まれ嫌われるのは誰だって辛いものだ。


「ねえ。船着き場が見えてきたけどあれがトクシンなんじゃないの?」


 船が進む先の方を指さしてセシルがこちらを振り返る。はっと我に返ったグンが居住まいを正して「そろそろ到着いたしますので下船のご用意をお願いします」と告げ一礼と共に去っていった。その姿が遠ざかるのをたっぷりと見送りセシルは船縁から身を起こす。


「ちょっと一回りしてくる」

「よろしく」

「わたしは今後の調整と予定を確認してまいります」


 接岸に向けて慌ただしくなり始めた甲板をゆっくりとした歩調で歩いていくセシルの背中を追うようにしてマルランも辞していく。ライカが険しい顔でセシルを睨んでいたので背中をパシッと軽い音を立てて叩いてやる。


「殿下」

「そんなに怖い顔をしなくてもセシルは消えていなくなったりしない」

「……今は、な」

「未来は誰にも分らないけれど今はここにいてくれている。下手に動いて機嫌を損ねるような真似はしないでくれると助かるよ」


 こちらが強要したわけでもないのにちゃんとした職に就いてくれたということは最低でも数年はフィライト国にいてもいいと思ってくれているのだ。それをライカの私情でぶち壊されてはたまらない。


「お前は俺の味方をしてくれるはずじゃなかったのか」

「ん?してあげたいけれど”躾けておいて”とセシルから直々に頼まれているし。そもそもライカが女性の扱いの分からない猛犬だからいけないんだよ」

「俺が手荒に扱うのは襲撃者とあいつだけだ」

「それが問題なんだけどね。幼馴染の愛情表現がそんなに危険なものだったなんて知りたくなかったな」


 面白くなさそうなライカの顔はいくらでも眺めていられるけれど、こういった気安い会話を長々と続けてもいられない。それこそ誰が聞いているか分からないのだから。

 眉間に寄った皺を揉み解しライカは深く息を吸って気持ちを切り替える。


「いったん部屋に戻られた方がよろしいかと。みな忙しくここにいては邪魔なります。風も随分と冷たいですし」

「そうしよう」


 促されてアシュラムは部屋へと下りる階段へと向かう。波のある海の船旅に比べて揺れは少ないけれど決して歩きやすくはない。ノアールの故郷へと四人で旅した日のことをふと思い出して王都にいるリディアを思う。彼女は「行こうと思えば何処にだって行けるよ」と言っていた。アシュラムの立場が変わったとしても色んなことを諦めなくてもいいのだと。


「本当に未来さきのことなんて分からないね」

「なにか?」


 小さな囁きはライカの耳には言葉として届かなかったらしい。それになんでもないと首を振ると消えていたはずの眉間に皺を刻みつつも先に階段を降りて安全を確かめ戻ってきたライカの横を通り抜けて進んだ。




 フィライト国よりも古くから王国として成り立つショーケイナは王族の血と歴史を尊ぶ傾向が強く、堅実で保守的で古風なお国柄だ。それらが分かる華美ではないが品のいい内装にアシュラムは割と好感を抱いた。


「問題ありません」


 荷物を運び入れる従者たちと一緒に部屋の配置と危険なものがないかを確認しに行っていたライカが戻ってきてようやくマルランと共に中へと入る。少し変わった香りがしてそれを追うように顔を巡らせると赤々と燃える暖炉の上に香炉が置いてあった。丸っこい形に三つの足がついた銅のもので飾り彫りにされた蓋の隙間から細い煙が出ている。

 マルランがその視線に気づいて首を傾げた。


「気になりますか?」

「いいや。不思議な香りだけれど嫌いじゃない」

「ではそのままで」


 頷いて窓辺へと向かうと滔々と流れるリョウドウ川が遠く下方に見えた。ヤング火山から流れるリョウドウ川は途中で支流と交わり大河となる。大型の川船がすれ違えるくらいの川幅があり水量も豊富なその川は緩やかに南東へと下り神聖国キトラスを通り抜けてやがて海へと注がれる。

 国境はあれども大地はひと続きで世界は広く全てを見ることは叶わないのはなにもアシュラムだけではない。


「晩餐まで時間があります。少し休まれては」

「大丈夫だ」

「殿下」


 ライカがすっと身を寄せて「顔色が悪い」と小声で忠告してきたのでふっと息を吐いてから唇の端を上げた。


「体調が悪いわけじゃない。精神的なものだ」


 心配はいらないと首を振ったのに忠実な護衛は傍から離れず、じっとこちらから視線を動かさない。ちらりとお目付け役を盗み見るとマルランも気づかわし気な表情をしていた。


「分かった。少し休もう。その代わり誰も近づけないでくれ」


 独りにして欲しいと頼むと赤茶の瞳を揺らして暫し悩んだ後ライカはやっと「了承しました」と答えた。

 お茶や軽食を取って寛いだり来訪者を迎え入れる場所でもある居間部分の右奥に寝室へと続く扉がある。それを潜って入ると閉めた戸に背中を当てて目を伏せた。生まれを隠し女装して生きていた頃よりも身分を与えられてからの方がよっぽど生きにくいとアシュラムには感じていた。


 だけれどもそのことを口にも態度にも出せない。

 いつだって誰かが見ている。

 失敗しないか。ちゃんとやれているか。どれほどの素質があるのか。


 息が詰まる。


「……苦しい」


 襟元を緩めて乱暴にジャケットを脱ぐと勢いよく近くあった椅子に投げ捨てた。部屋の奥にある天蓋付きのベッドへと足早に向かいながら隅に積まれたトランクに何気に目をやりそこに人影があるのに気づいて驚く。


「まだいたのか」

「――!申し訳ありません」


 色を失った従者が慌てて膝をつき上ずった声で謝罪を口にした。少年ともいえる年ごろの従者は震えながら「どうぞお許しを」と繰り返す。まるでアシュラムに折檻でもされるとでも思っているかのような怯え方に思わず渋面になってしまう。


「構わない。仕事をしていたのだろう?終わったのなら次の仕事に戻りなさい」

「はい、はい!本当に申し訳ありませんでした。すぐに出て行きますので」


 頭を下げたまま中腰で器用に後ずさりながらドアまで移動すると「失礼いたしました」と深く一礼して出て行った。


「ライカが休めというから誰もいないんだろうと思っていたのに」


 油断したなと呟き天井から垂れる薄い布をめくってベッドの上に転がる。柔らかく沈み込んでいく体がどこか頼りなくて手足を縮めてぎゅっと瞼を閉じた。目の裏に先ほど挨拶をしたロッテローザ王女とその夫であるコウサ王子の顔が浮かぶ。

 困惑気な王女と親し気にアシュラムを歓迎してくれた王子。両極端な反応に苦笑してしまったのは仕方がない。


「貴殿の国の青く輝くブリュエ城に比べれば古めかしく面白みのない小さな屋敷だが住み心地は悪くない。自分の屋敷とまではいかないだろうがゆっくり寛いでもらえるよう心を砕こう。不便があればなんなりと言って欲しい」


 にこにこと笑うコウサ王子は男らしい顔つきをしており腰に帯びている剣も様になっているので恐らくかなりの腕前だと伺えた。頭の上に隙あらば攻め込もうと狙っている厄介な隣国が存在していれば納得もできる。

 友好的な態度も危機的状態になれば助力を頼まねばならない側なのだから当然といえば当然だ。

 王女だけでなくショーケイナの王子も納得させられるだけの贈り物を頭を悩ませながら準備した甲斐もあって喜んでもらえたことに安堵し、疲れているだろうからと早めに切り上げられた面会にもほっとして退室した後でちゃんと王子として振舞えていただろうかと不安になって。


「情けない……」


 枕に顔を埋めて吐いた弱音は誰も聞いていないという安心からか大きく聞こえて堪らずに額をこすりつけてぐりぐりと左右にこすりつけた。


 育ちで侮られ足元を危うくしないようにせいぜい気をつけて行動しなさい――王妃の声が蘇る。


 あれは。


 アシュラムの母親が育った環境とは全く違う王宮で孤立し、蔑まれて離縁されたことに対する嫌味だったのか。それとも純粋な警告だったのか。

 どちらにせよ受け止められそうにもなくて震える喉から必死で力を抜いて呼気を吐き出した。



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