気をつけろ
”厄介事万請負所”第二十一話 役者が揃い に出てきた木賊家四男坊を送り出すライカからの警告
文机に乗せられた巻物を解いて読んでいたライカは室内に灯りが入ったことに気付いて目を上げる。
振り返ると白い少女の手が細く開けられた障子の隙間から引っ込んで丁度閉められようとしている所だった。
萌黄色の袖がちらりと見えたが、こちら側が明るくなったせいで廊下に居る少女の姿は見えにくくなっている。
向こう側が明るければ影が浮き上がってどのような容姿をしているのか解るのに。
馴染のある気配と見知った手だけが彼女が父フウハの手下であるフルという少女だと知らしめる。
ライカよりも年下のはずだが気配を殺す技術も、身のこなしの軽い素早さもあり、忠節さと仕事の確かさも折り紙つきの間者だ。
木賊家の一切の家事を引き受けているフルは家中を歩き回っているはずなのにライカは一度も彼女の顔を見たことが無い。
顔どころか背中も脚も肩も、だ。
「……親父の秘蔵っ子」
どこで拾ってきたのか何時の間にかフルは木賊家に迎え入れられ、フウハ直々に指導を受けて大切に育てられてきた。
彼女がフィライト国の人間なのか、それとも東の果てにある小さな島国から祖父を頼って逃げてきた同郷の者なのかも解らない。
知るべき事でもない。
知る必要も無いこと。
「ライカ兄さん」
障子の向こうから柔らかな声が名を呼ぶ。
四人兄弟の三人目であるライカを兄と呼ぶのは末弟のキリトしかいない。
三歳下の弟にはまだ重要な任務を任せるには頼りない所があるが、兄弟の中で一番の素質と身体の強さがあった。
巻物を文机に置いて胡坐をかいたまま拳を畳に突いて体の向きを変えると、すっと音も無く障子が開く。
「どう?おかしくはない?」
ジャケットの袖をつまんでからどこか着心地悪そうに肩越しに背中を眺めたり、襟を引っ張ったりしながら中へと入って来たキリトはそれでも生来の明るさで兄の顔を見てニッと笑う。
「……おかしい」
「え~?やっぱり?」
言うほどおかしくは無いが、似合っているかと聞かれれば窮屈そうに見え、キリトの良さを全て消してしまっているのでさっさと脱いでしまえと言いたくなる。
社交界で貴族たちが身に纏う礼服は無駄な装飾と、伸縮の少ない上等な生地を使っていて正直ライカたちのような者達には向かない服装だ。
だが身に着けている物のせいにして職務を疎かにする事は赦されず、また武器を所持してはいけない場所で保護対象を守らねばならない時にでもその場にある物を利用して戦わねばならない。
「思った以上に動きづらい」
素直な感想にライカも頷く。
「改良の価値がある」
「同意見」
彼らは見た目の豪奢さと美しさだけを追い求め、動きやすさなど二の次にしている。
快適さを要求してもきっと怪訝そうな顔をされるので、改良するには自分達で考え、糸から生地にし、型紙を作る所から縫製と仕立てまで全てやらなければならないだろう。
面倒だが王子として立つ友人の傍で護って行くためには必要な作業である。
この動きづらい衣装を着て、それでも難なくしなやかに動き回れる人物がいるのをふと思いだしライカは眉間に皺を刻む。
持ち前の柔軟さと軽やかさに加えて何事も器用にそつなくこなすことができる目障りで癪に障るレイン一族のセシル。
挑発的な態度や反抗的な瞳もライカの神経を逆撫でしてくるので顔を合わせるとついきつい言葉や行動に出てしまう。
ヘレーネから注意されているのだが、どうにも抑えられない。
「……鍛え方の違いか、身体の構造が違うのか」
礼服はどちらかというと身体の線が美しく見えるように細身でぴったりとしている。
だからこそ伸びにくい生地が張り付いて筋肉の動きを損なう。
ダンスを踊ったり、女性をエスコートするくらいの普段の動きならば問題なく行えるが、襲撃された際に迎え撃ったり、撃退するべく打って出たりする際に足を引っ張る要因になる。
きっと同じ服を着て同じ動きをしてもライカよりセシルは自由に動けるはずだ。
悔しい。
腹が立つ。
セシルが身体を鍛えているという話は聞いたことも無く、実際にその素振りは無い。
それなのに日々鍛錬を怠らない自分よりも恵まれた才能と肉体を持っているということは、許しがたいほどの屈辱と怒りを覚える。
女の癖に。
「兄さん。それは先進的なディアモンドでは忌まれる女性蔑視の言葉だ。気をつけないと王都中の女性を敵に回すことになる」
キリトの苦りきった声に驚いて顔を上げる。
どうやら無意識のうちに口から出ていたらしい。
「失言した」
舌打ちしたライカを弟は「珍しい」と評する。
「俺達は余計な事を口走らないように口酸っぱく言われてきた。無意識の言葉は特に厳しく咎められてきたのにね」
「だから、失言したっていったんだ!」
不貞腐れて畳の目を睨む。
立って見下ろしていたキリトが身を屈めてにやにやと笑いながら覗き込んでくる。
「俺達の一族は女も男並みに働くし、能力も高いよ。それを知ってるライカ兄さんが“女の癖に”って言っちゃうぐらいの女性ってどんな人物なのか気になるなぁ」
「煩い」
木賊家に仕えるフルのように修業している女に負けることはまだ悔しいが納得はできるのだ。
でもセシルはふらふらと水の上に浮いた草のように手応えが無く、遊んで自堕落に生きている。
なににも執着せずに。
なににも囚われず。
掴もうと手を伸ばせば水に流され遠くへと行ってしまう。
「ま、そのうち会えるだろうし。気長に待とうかな。それじゃ行ってくる」
「……ああ。頼む」
今夜は貴族会に力を持つグロッサム伯爵の開くパーティへとヘレーネが招かれている。
便利屋がなにやら画策しているようで、その協力を受けたヘレーネはいつも世話になっているからと二つ返事で引き受けた。
だが今夜はどうしてもライカは別件で動かなければならない用事があり、その代わりとしてキリトがヘレーネの警護に当たる。
不安要素が沢山ある現状でヘレーネの傍を離れるのは得策ではないが、残された時間は少なくなり焦りと苛立ちばかりが積み重なって行く。今は不安要素から護ることよりも、排除して行く事の方が重要なのだ。
だからキリトに託すしかない。
木賊家は全力でヘレーネを支え、尽くすことを決めている。
キリトもそのことはよく解っている。
その為にできることはなんでもするだろう。
兄弟の中で一番将来有望な弟だ。
これからキリトにも重要な仕事を任されることが多くなるだろう。
その時に。
弟がいうようにセシルと顔を合わせることもあるだろうが、その時にどんな反応をしてどんな感情を抱くのか。
興味はあるができれば会わせたくないというのが本音だ。
自由とは無縁の家に生まれたことを後悔するのが解っているから。
セシルという存在はあまりにも危うい。
近づいても良いこと等なにもない。
それなのに目が離せない。
頭から離れない。
それがレインという一族の持っている特殊な能力なのだ。
「気をつけろ」
「当然」
笑顔で出て行くキリトの背中を見送って、ライカはもう一度「気をつけろ」と己に言い聞かせるように繰り返したのだった。