贈り物を君に
キトラス留学から戻ってきたフィルがリディアに会いに行くお話
行儀見習いやダンス、諸外国について学びながら互いに親しくなる場所である王立ウルガリス学園は、貴族の子息や子女が通う学び舎だ。
元々は王の持ち物だった屋敷を解放して創立されたウルガリス学園は、穏やかに流れるグラム川を挟んで騎士団詰所と隣り合って建っている。
煌びやかなウルガリス学園と、武骨で威圧感のある騎士の詰所が並んでいる姿はかなり異様だった。
違和感はあるが学園に通わせる親たちは安心だろう。
騎士の中でも優れた者だけが所属を許されている近衛騎士団と、フィライト国が誇る高い魔法力を保持する第一大隊と戦場で騎馬を駆り颯爽と剣を操る第二大隊、そして鉄壁の防御を謳っている第三大隊のサルビア騎士団が揃ってこの詰所を使用しているのだから。
当然通りを歩く騎士の姿が多い。
学園の門の前で立ち竦むフィルを不審げに眺めてはくるが、危険な物を所持していないのが解るほど軽装なのでそれ以上は干渉しては来なかった。
「そりゃ……不審者に見えるよな」
冷たい風が吹いて背中の三つ編みが揺れる。
キトラスへ留学してから一年が経ち、漸く戻った王都ではライカとセシルが貴族になっておりヘレーネが王位を継ぐまでの手助けをするために身体を張って働いていた。
リディアは自宅から祖父のオルキス=フォルビア侯爵の屋敷へと移り住んでいて簡単には会えない状況になっていたし、紅蓮もまだ故郷から帰って来ておらずその安否も定かではい。
好き嫌いが多く食の細かったノアールがこの一年の間に文句も言わずに沢山食べるようになっていて、常に悪かった顔色も肌は白いが健康的に見えるまでになっていた。
変わってないのも、成長していないも自分だけか――。
微かに浮かんだ自嘲の笑みは直ぐに消える。
未練たらしく、確たる決心もつかないまま下宿から足を運んだこの場所で、それでもこの門を潜る勇気の持てない愚かな自分が情けなく虚しい。
『神が裁くのは罪であって、生身の人間では無い』
キトラス神学校で知り合った友人は裁かれず宙に浮いたままの己の罪に苛まれているフィルをそう諭してくれた。
国民全てがカステロ教を信仰し慎ましやかに己を律して暮らす彼らの生活は、まるで犯してもいない罪を償おうとしているかのように見えた。
実際に昔起こした罪を抱えたまま入国したフィルにはまるで柔らかな牢獄に感じられ、彼らのように少ない物で満たされ厳しい戒律に縛られる生活をしていく中で救われた気になっていたのは確かだ。
『人は元来欲深い。天は足りなければ補い、満ちれば減らす。人は逆だ。足るを知る、謙虚な心根こそが必要なのだ』
だからこそ彼らは常に自分に厳しく、天である神がそうするように他者に対して思いやり深く接するのだ。
『償いの機会が与えられないのは辛いだろう。だがどうも貴方の罪は世間的には消え失せ赦されているのに、過分な物まで背負い込んで自ら苦しもうと足掻いているように見える』
キトラスへと交換留学生として赴く事で一年前に王都を騒がせた細やかな罪は王から赦され、八年前に母と起こした誘拐と障害の罪はリディアとその父エディルだけでなく祖父のオルキス=フォルビア侯爵にも既に終わったこととして処理されていた。
――わたしはフィルを少しも恨んでない。責めてない。だからフィルを赦せるのはわたしじゃなくて、フィル自身なんだから。
そうリディアがいってくれたように、フィル自身が自分の罪を赦せないでいるのだ。
自分勝手な理由で傷つけて、苦しめてきた彼女に対して抱く身勝手な感情もまたフィルを酷く苛むのだ――甘く。
「おい」
呼びかけられた不遜な声にフィルは思索の中に漂っていた意識を戻して俯いていた顔を上げた。
紺色の詰襟の騎士服を着た男が冷たい双眸で睨むように見下ろしている。
襟章に馬と剣の家紋を認め、男がフォルビア侯爵の持つ騎士のひとりだと解った。
そしてここにいるということはリディアを迎えに来た護衛騎士。
名前は確かクライブ=シオン。
「ここは貴様のような男が来るような場所ではない」
凍てつくような声と共に眉根を寄せて、見るからに不快そうな表情を浮かべる。
腰に差した二本の大小の剣は、フィルが少しでもおかしな行動を取れば忽ち抜き放たれるだろう。
「……随分高圧的で愛想の無い護衛騎士ですね」
苦笑いし両手を掲げて一歩下がり、校舎をちらりと窺った。
ぼんやりとしていた間に学生たちの帰宅時間になっていたようだ。
玄関前には迎えの馬車や護衛騎士、侍従たちが集まり仕え護るべき子供たちを待っている。
「貴様や偽りのレインのような犯罪者をこれ以上リディア様に近づけられん。大人しく身を引き、不相応な想いなどさっさと捨て去ったほうが身のためだ」
「犯罪者か……」
騎士はフィルの罪を知っているようだ。
面と向かって嫌悪とその言葉を向けられることが少なかったのでどこか新鮮な気持ちで呟く。
誰もが犯した過ちを知っているのに、それは仕方が無かったことなのだからと慰めてくれるが、やはりこうして責められるとほっとする自分がいて薄く笑う。
歪んでいるのだろう。
価値は自分で見つけろと紅蓮は言ったが、今現在長所として見出せるのは魔法に関してだけだ。
それしかないのなら、それだけを支えに進むしかない。
「どんなに望んでも手に入らないものだって解ってるつもりです。せめて彼女がぼくを友人として必要としなくなるまでは……近くにいたい」
「既に友人としては乞われていない。だから、さっさと帰れ!」
「ちょっと、待って……」
どうして護衛騎士がリディアの代わりに判断して追い帰すのか。
フィルを友人という分類から振い落して、会いたくないから見かけたら追い払えと騎士に命じていたのだろうか。
「失せろ!これ以上しつこく付き纏うようなら考えがあるぞ!」
激しく声を荒げてフィルの肩を乱暴に突き飛ばし、騎士団詰所のある方へと押し出す。
よろめきつつも踏み止まり騎士の言葉の真意を聞きたいと右足を動かそうとすると、腰の剣へと手を動かして鋭い視線を向けてきた。
「そんな、乱暴な――!」
抗議した所で騎士は聞く耳持たない。
鞘口を少し下げゆっくりと引き抜かれていく金属がたてる音は肌を粟立たせ、一気に体温を失わせる。
全てが終わるのはきっと一瞬。
「クライブ!なにしてるの!?」
剣が抜け終わる前に騎士を咎める声がかけられた。
ギリギリまで肩と腕に溜められた力を徐々に開放しながら騎士は聞こえないくらいの音で舌打ちすると、苛立ちを込めて剣を一息で鞘の中へとおさめる。
「なにをしているのかって、聞いてるんだけど?」
深い緑色のポンチョを着たリディアが険しい顔で自分の護衛騎士の行動についての説明を求めた。
だが騎士は素知らぬ顔で一歩下がり、胸に手を当てて頭を垂れる。
答えるつもりの無い護衛を一瞥してから嘆息すると、リディアはフィルに歩み寄り謝罪した。
「ごめんね。クライブから嫌なこといわれたと思うけど、気にしなくていいから。勝手に気を回して、心配した挙句に暴走しちゃう迷惑な護衛騎士なんだ。セシルがいうように首にして新しい護衛に変えて貰おうかと最近は本気で思ってるぐらい」
最後の方は騎士に嫌味を込めて牽制をかけているのだろうが、男はそういうことにはならないと高を括っているのか涼しい顔をしている。
「本当に腹立つ~。もう、解った。今日は家に帰るから!お祖父さまにそう伝えて、行こう。フィル」
「ちょ、リディア?」
腕を掴んで歩き始めた少女に戸惑いながら騎士を振り返ると、険を籠めた瞳を光らせながら護衛騎士は距離を置いて後をついてくる。
護衛対象として仕えているのはリディアだが、クライブの雇い主はオルキス=フォルビア侯爵だ。
時と場合によってはリディアの意見や命令を無視する権利を騎士は持っている。
「もう、もう、もう!ついて来ないで!」
「それはできかねます。リディア様を十代の若者と二人きりにするなど危なくて承認できません」
グラム川に架かる橋を渡った所で立ち止まり、ついて来る護衛騎士に喚き散らすが、しれっとした顔で「できない」と返されてリディアは更にムキになる。
「危なくなんかない!なにかといえば直ぐに剣を抜くクライブの方が危ないもん!」
「リディア様は御存じないかもしれませんが、その年代の少年は特に異性に対して不埒で穢れた妄想ばかりを抱いております。隙あらばその柔肌に喰らいつき、舐めまわし、あらゆるところを触り揉み上げて、隠された場所を暴きだし快楽の――」
「止めて!クライブ、往来でそんな恥ずかしいことよくもっ!」
蒼白な顔でリディアが絶叫して護衛騎士の言葉を遮るように被せる。
公共の道で堂々恥ずかしげもせずに口にした内容は、侯爵令嬢への注意を強く喚起するためには効果的だったろう。
特にリディアには言葉を選んで話しても察してもらえないだろうから。
「つまり、二人きりとはそういう行為をされても拒めないということです」
「や、だってフィルはそんなこと――」
しないといいたかっただろうがリディアはキトラスへと旅立つフィルが彼女にした行為を思い出したのか、たちまち赤くなって口籠ってしまった。
「御理解いただけましたか?」
「――いただけません!いい?これ以上ついて来たらわたし屋敷には帰らないから!ずっと家にいて、クライブが首になるまで戻らない!」
「リディア様……それではなにかあった時にどうするおつもりですか?」
子供の癇癪にやれやれと首を振る騎士の仕草がリディアの感情を更に逆撫でしているようだ。
「どうもしない」
「リディア様、それでは困ります。私の仕事はリディア様を御守りすることです」
「クライブ。わたしからフィルに勿忘草を渡したの。この意味、解るよね?」
「…………リディア様は純粋に無事に帰ってくるようにとされたこと。その行為の裏に下心も恋心も無かったでしょう?」
リディアと護衛騎士の言い合っている原因であるフィルが傍に居るのに、内容はどんどん核心へと近づいて行く。
黙って聞いていてもいいのかとそわそわしつつも、リディアがなんと答えるのかと気になりほんの僅かな期待を胸に抱いている。
本当は知っている癖に。
リディアにはフィルに対する下心も、ましてや恋心など微塵も無かったということを。
「あの時は無かったけど、今は無いかどうかをクライブに教える必要ないと思う。いっておくけどわたし、本気だからね。ついて来たら二度とクライブとは会わないから」
毅然とした態度で言い放ち、リディアは明言を避ける。
それから掴んでいたフィルの腕に力を入れて再び前を向いて歩き出す。
「リディア……いいの?」
引っ張られながら首を回して確かめると、今度は言い渡された通り橋の傍で立ち止まったまますごい形相でフィルを睨んでいる。
眉間に力を入れて右手を腰の剣の柄に置いて「解っているだろうな」と念を押す様に軽く引き抜く動作を見せた。
大事な令嬢であるリディアになにかあればただでは済まさんぞという脅しに苦笑いして軽く頷いて見せる。
護衛騎士は離れて行く二人にも聞こえるほどの大きな舌打ちをして、諦めたように背を向けて屋敷へと戻る道を進んで行く。
もしかしたら帰ったと見せかけて気付かれない程遠く離れた場所から尾行してくるかもしれないが、その可能性があることなどリディアも解っているだろう。
傍で目を光らせ会話に耳をそばたてている護衛騎士がいるのといないのでは緊張感が違ってくるのでフィルとしても離れていてくれればありがたい。
「……本当に、もう。疲れる」
うんざりと呟いてリディアは握っていたフィルの腕から手を離した。
離れて行った温もりを残念に思いながらその場所をそっと右手で擦る。
「びっくりするぐらい過保護な護衛騎士だね」
「過保護なのもあるけど、お節介とか余計なお世話って感じもする。わたしクライブみたいな威圧的で自分は正しいってタイプ苦手」
確かに真っ直ぐな彼女とはぶつかるだろう。
苦笑いしながら「リディアにはノアールみたいな人じゃないとだめかもね」と同意した。
「そうかなぁ?ノアールはちょっと頼りなくて……」
「優しすぎる?」
「うん。物足りない感じ。それに一緒にいても本ばっかり読んで頭の中は魔法や勉強のことで一杯だし。同じ優しいのなら、わたし」
リディアは言葉を切った後で俯いて、頬を緊張させた後で「フィルの方がいい」と続けた。
その言葉が耳を通り抜けて脳へ伝わった途端くらりと眩暈がした。
確実に何らかの意図があって告げられた物だ。
一年前までは友情以上の物など欠片も無かったはずなのに、あの時落とした口づけと仄めかしたフィルの気持ちは少女の心に変化を与えた。
喜んでいいのか、苦しんでいいのか。
「でも、わたしはフォルビア家を継ぐ。本当に好きな人とは結婚できないって解ってる」
緑の瞳を大きく揺らしながらもしっかりと前を向いて、己の立場は理解しているのだと苦しげに眉を寄せる。
『好きだと自覚した時には既に時遅し。恋は密やかに心に忍び入り、世界を変える。気持ちは止められず、押え込もうともがけばもがくほど泥沼にはまる』
敬虔なるカステロ教の信者だった彼は視線を伏せたままで熱く語った。
人は欲深いといいながら、相手を欲して乞い求める恋愛に対しては抵抗せずに身を委ねよとフィルに教えた。
『押し殺し隠すよりも、自分の気持ちに素直になった方が道は開ける』
微笑んだ彼がその後続けた『悩むよりあっさりとフラれてしまった方が楽になるよ』という言葉がフィルの心を軽くしてくれたのはいうまでもない。
婉曲的なリディアからの告白と同時に、互いに想っても実らぬ恋は破れて散る。
それでいい。
「あの時にフィルがいったこと今なら解る。ごめんね」
「…………それはなにに対しての謝罪?」
「色々。わたし軽率だったから」
騎士団詰所を通り過ぎ裏門から旧市街を出ると閑静な住宅街が広がっている。
その中にリディアの実家であるテミラーナの家はあるので、あっという間に二人きりの時間は終わりを迎えるだろう。
緑の屋根が見えてきた所でリディアの歩みが遅くなり、やがて止まると自然とフィルの足も止まった。
「今でも十分軽率だよ。ぼくが君に好意を抱いているのを知っていて護衛騎士を遠ざけるんだから」
そうやって名残惜しそうな顔をされては別れ難くなる。
「寒くなって来たから早く中に入らないと風邪引く――」
「もう選んじゃったから、変えられないけど。わたし、フィルのことちゃんと」
「いいよ。いわなくて。解ったから」
「よくないっ」
「ありがとう、リディア」
リディアの声で、言葉で、好きだといわれたら諦められなくなる。
だから。
「それで十分。今日はこれを渡しに来たんだ。たいしたものじゃないけど」
ポケットから取り出したのはキトラスから持ってきたリディアへの贈り物。
四つの葉を持つシロツメクサを乾燥して押し花にした栞。幸運をもたらすシンボルとしてキトラスでは喜ばれ、ハンカチや子供の産着に刺繍したり、アクセサリーのモチーフとして頻繁に使われている。
「キトラスでできた友達と一緒に探して作ったんだ」
「フィルが作ってくれたの?」
「下手だけどね」
「嬉しい!ありがとう」
小さな両手で栞を包み込んで「大切にするね」とリディアは微笑んだ。
一年前よりも長くなった髪と少しだけ背が伸びた少女はそれでもあの頃と同じままの笑顔でフィルの目の前にいる。
もう立場も変わり、背負う物も違うのに。
心の中でさようならと呟きながら「じゃあ、また」と一歩下がる。
これからは友達としてつかず離れず接して、そのうち忙しくなり自然と付き合いが希薄になっていくだろう。
それでいい。
それが望ましいから。
少女が幸せになれるまで。
見ていられればそれだけでいいのだ。