巫女の別れ
キビル視点です
王城前広場では多くの人々が寛ぎ、行き交い、見世物を披露する者達で賑わっている。
歩きながら片手で食べられる類いの食べ物を売っている出店もあり、まるで祭りの最中のようだがこれが日常なのだと受け入れるのに随分と時間がかかった。
神聖国と呼ばれるキトラスから留学生としてフィライト国の王都にきたキビルにはあまりにも自国とかけ離れている習慣に驚き戸惑うばかりの日々だったが、半年近くも住めばその騒々しさや開放的な雰囲気も気にならなくなっていた。
不思議だ。
茶系の髪や瞳が多いキトラスと違い、フィライト国の住民には決まった色合いの人種はいない。
顔立ちも、性質も全てばらばらで協調性も統一性も無い彼らだがひとつの王政によって纏められているという所が実に興味深かった。
キトラスではカステロ教への篤い信仰心で国民は繋がり、厳しい戒律や法に基づいて慎ましやかな生活を送る。物質的に満たされることより、心の充実や豊かさを重んじるようにと躾けられてきた。
ここフィライト国では便利さを追い求め、魔法と科学の発展により快適な生活を送っているが心が虚ろであるかと問われればキビルは否と答える。
危なっかしさはあるが彼らは奔放に楽しんで生きているのだ。
光の審判による断罪を畏れるキトラスの人々には到底真似できない生き方。
視線を下げて誰とも目が合わないように注意しながら広場の端の方で待ち人を待つ。少し俯くようにすると長いベールが横顔を隠してくれる。
半年ほど生活し来た時よりも多くなった荷物の入った鞄を抱えて潮の香りのする風を吸い込んだ。
「キビル」
名を呼ばれそちらに向かって顔を向けるが瞳は伏せたままにして微笑む。この国で一番不思議で、どうしようもなく気になる人物がそこにいた。
「来てくれたんですね」
「一応ヘレーネから頼まれてたから。気が向かなかったら来ないつもりだったけど、どうやらあたしとあんたの不思議な縁はまだ切れてないみたいだからさ」
キビルが待っていた相手は学園長であるコーネリア=グラウィンド公爵の部下であるサルビア騎士団の騎士だったが、こうして声をかけられて心が弾んでいるのを自覚すれば本当に待ち望んでいた人物は彼女だったのだろう。
「わざわざ、ありがと」
「どういたしまして。半年も慣れない異国の暮らしお疲れ様。これで漸く規律正しいキトラス国へと戻れるね」
赤茶の前髪の下からベール越しに見上げたその琥珀色の瞳は、キビルを見送りに来てしまった自分に戸惑いつつも面白がっている節が見えた。
「最後会えてよかった」
キトラスの国民でさえ今は使わなくなった言葉を器用に操る不思議な魅力を持つ少女はなんでもないことのように手を伸べてベールを払いキビルの顎に指を添えぐいっと上に向せる。
茶色の瞳に青い空と太陽の光が射し込んで思わず目を細めると「キビル」と再び名を呼ばれた。
「本当に怖いのはなんの疑いも抱かずに、正しいと教え込まれた物に固執し妄執することだよ。偽善と慈善は違うけど、施しを受ける者には判断は出来ない」
「忠告ですか?それとも戒め?」
目を開ければ視線が合うことが解っているのでキビルには震える睫毛に力を入れて閉じていることしかできない。
だから少女がどんな顔をしてそんなことを言っているのか知る術は無かった。
ただ酷くその声が諭すように優しかったのだけは解る。
「つまり、簡単に寿命を譲り渡すなってこと」
「セシルはまだあの時のことを――」
治癒の力を使って王城でカールレッド王子の寿命を一年伸ばした夜のできごとを彼女はまだ引きずっているのだ。
「そのためにここへと来たのだから」
キトラス神聖国の王により直々に任命されてフィライト国まで留学という名目でやって来た。
初めからそのつもりだったし、後悔は無い。
「あたし貴女を利用した。ごめんなさい」
キトラスの古語にも精通している彼女が巫女の治癒の源についても知っていると見越して王城へと上がる際に着いて来て貰えるようにと公爵にお願いしたのはキビルだ。
その時に一緒に来ることになっていた次の後継者となるヘレーネにそれとなく伝えて貰えるように。
希望通りに彼女は最後まで黙っていることが出来ずにキビルの寿命十年を削り、カールレッド王子の寿命を一年伸ばすことを暴露した。
元々真実を知っていた公爵は苛立っていたが、それを知ったヘレーネは青ざめ新しく背負うことになった罪に竦みながらも決意を固めたようだった。
それでいいのだ。
ただその知識を利用することになった少女には申し訳がない。
「ほんとにね。聖なる乙女がレインを利用するとは驚きだよ。でもそういうとこ嫌いじゃない」
くすりと笑う少女の吐息が頬に触れてキビルは弱々しく笑う。
「あんまり道を踏み外したら『カステロの正義の息吹と浄化の光による審判を受ける』ことになるよ」
またすらすらと淀み無くキトラスの古語を使うと、そっとキビルの顎に添えられていた指が離れていく。
温もりが去ったことに安堵と寂しさを覚えて目蓋を開けるとその先に、強く見つめてくる琥珀の瞳があった。
魂が奪われる――。
解っていても目を反らすことができなかった。
視線が合っていたのは数秒だったはずだが、まるで永遠にも思えるような時間だった。
気高く孤独な魂はあまりにも美しく、手を伸ばさずにはいられない。
それは厳格なカステロ教の信者であっても例外なく。
「どうもあんたとは縁が深いみたいだからね。これがきっと最後じゃない。また会える」
「また、会える」
「そう。あたしみたいな邪悪なる者に魅入られちゃった可哀相なキビル。帰って必死にカステロに許しを乞いなよ。それから真剣に願うんだ。『邪悪なる者は永遠にカステロの熱により消え失せよ』ってね」
浮かべられた己を嘲る笑みは何度も繰り返し、彼女の虚しさと寂しさを募らせているのだろう。
レインは人を堕落させ、心を奪う盗人。
そう教えられてきたが目の前の少女はそのレインであるのに咎人とは遠い。
確かにキビルの心を乱し、その反応を面白がっているようだがただそれだけだ。
「貴女は邪悪なる者、違う。貴女はずっと帰る場所を探している迷子。永遠に孤独を抱えた人」
「人の善意を喰らって生きるような人間だよ?」
そうだとしても。
「正しい居場所を得ることが出来たなら、もう旅をする必要は無くなる」
彼女はもうその場所の在処を見つけられたと思う。
父親の迎えを断り、学園を辞めてクインス男爵の屋敷と爵位を手にすることを選んだ少女は変化への道を進んでいる。
帰る場所を見つけたレインはきっと新たなレインを生む。
そう信じて。
そう願って。
「貴女の未来が輝きに満ち、幸多きものでありますように」
「あんたもね。キビル」
そう返した少女は近づいてきた公爵の部下である騎士にその場所を譲り「じゃあね」と軽い挨拶でキビルを送り出す。
騎士が会釈をしてキビルの荷物を預かると広場の先に待たせている馬車へと先導して歩き始める。
遅れずに着いて行こうとして止め振り返ると「また逢う日を楽しみにしてます!」思わず叫んだキビルに少女が破顔して頷いた。
「またね、キビル」
手を振ってくれる彼女に深く頭を下げてから騎士の後を追う。
いつかまたどこかで。
そんなあやふやで不確かな約束が必ず叶う日が来ると疑いもせずに信じている自分がいてキビルは驚きながらも嬉しくて、馬車に乗り込むと温かな気持ちでキトラスへと帰れることに感謝しながらそっと目を閉じた。