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王子の初仕事⑧



 冷たい雨が降る音を聞きながら葬儀は王城内で執り行われた。漆黒のマントを羽織った王と黒いベールとドレスを纏った王妃が棺に眠る王子にキスをして、二人が見守る中アシュラムも同じように別れを済ませる。その後は序列順に棺へと進み出てカールレッド王子の紋章であるカンパニュラの花を捧げていく。青や白や紫――釣鐘型の愛らしい花が王子を彩り、美しく飾り立てていった。


 重い音を響かせて鐘が鳴る。雨音を圧し悲しみで王都が濡れていく。


 行く道々で民は雨で凍えるのも厭わず王子の棺へ安らかな眠りを願ってカールレッドの名を呼んでいた。すすり泣き、悲しみを隠さず親愛を示す姿にアシュラムの心はざわめく。

 自分が死ぬ時に彼らが一体どんな反応をするのか。死んだ後のことなど知ることもできないのにひどく怖くて。下げそうになる顔を必死で上げていることくらいしか今はできなかった。


 長い葬列が王城へと戻ってきた頃には辺りは暗くなり城内には魔法の明かりがポツリポツリと灯されていた。いつもより数が少なくなっているのは重い体と役目から解放された王子が自由に王城内を歩けるようにという配慮からだという。確かに今の気分にはぴたりと合っている気がする。


 アシュラムは自室に戻り準備されていた風呂で体をじっくりと温め着替えを済ませた。それだけで人心地着いたとほっとする。この後は夕食はそれぞれ部屋で取ることになっているので自由に過ごしていいのだが、やらなければならないことも、したいことも思いつかずにぼんやりと絨毯の模様を眺めていた。


「殿下」

「……なんだ。夕食の時間か」


 魔法で温度が一定に保たれている部屋は快適すぎて少し眠ってしまっていたのかもしれない。呼びかけられるまでマルランが傍に来たことにも気づいていなかった。

 顔を手のひらで軽く拭ってから座りなおす。


「王妃殿下がアシュラム殿下にお会いしたいとおっしゃっております」

「私に?フェアビアンカ王妃が?」

「はい」


 驚いて一瞬思考が止まる。何故やどうしてなど浮かんだが頭を振って気持ちを切り替えた。


「今すぐか?」

「いつでもよろしいかと。殿下に合わせてくださるそうなので」

「そうか」


 後回しにしても気になって落ち着かないのならばさっさと済ませてしまった方がいい。マルランにすぐに伺う旨を王妃へと伝えてもらっている間に身支度を整えることにした。


 ほどなくして王妃付きの侍女と共に戻ってきたマルランとライカを従えて足を踏み入れたことのない深部へと向かう。作りはアシュラムやカールレッド王子の部屋がある場所とそう変わらないのに、長い廊下の先の空気は明らかに違っていた。


 近衛騎士が護る廊下で待たされ、ここまで先導してくれていた侍女だけが取次のために奥へ進む。白い扉の向こうへ消えた侍女はすぐに戻ってきてアシュラムを中へと導く。入った先は客間というよりは狭い。個人的な部屋なのか長椅子には使い込まれたひざ掛けが畳まれ、小さな丸いテーブルにはしおりが挟まれた本が置かれている。そして一輪の薄紫色のカンパニュラが活けられていた。


「急に呼びつけて悪かった」

「いいえ」


 背後から突然声をかけられてアシュラムの心臓は激しく跳ねたがみっともなく取り乱さずに済んだのは、気配がないライカと常に行動を共にしているからだ。こっそりと感謝しつつ王妃に最敬礼を捧げる。


「王妃殿下のお呼びであればいつでも喜んで参上いたします」

「王妃か……」


 フェアビアンカ王妃は小ぢんまりとした部屋を見渡してぽつりと呟いた。最後に活けられた花に目を留めて眉間にぐっと力を入れる。


「私は元々王妃には向いていない女なのだ」


 息子を偲んで飾っているカンパニュラに誘われるように長椅子へと腰かけた王妃は表情を消したままアシュラムを見上げた。


「そなたは陛下を避けておるようだが自分の母を捨てた父が憎いか」

「それほどの強い感情は私にはありません。ただどう接してよいのか分からないだけなのです」


 逆に彼女にとってのアシュラムは我が子の継承権を奪っていくかもしれない存在としてずっと疎ましい存在だったはずだ。そんな王妃が息子の葬儀の後でアシュラムを呼び出し、二人きりでなにを話そうというのか。

 分からぬままの会話はひどく不安だ。


「そもそも陛下がアルベルティーヌ様をお捨てになったのではないのですから憎むなどとんでもないことです」

「そうだな。第二王妃を追い出したのは四大侯爵と元老院と私だ。陛下を恨むのは筋違いというもの」


 ならば


「私が憎いか」

「……いいえ。私が憎むべきはおそらく運命なのでしょう」

「なるほど」


 口元を綻ばせて王妃は薄く笑ったようだった。光量が絞られた魔法の明かりだけでは確かめようはないがフェアビアンカ王妃に表情らしいものが浮かぶのはとても珍しい。


「陛下はとてもお優しい方なのだ。だから嫁の貰い手がない私を王妃へと迎えてくださった」


 聞いてくれるか――?と問われアシュラムは「はい」と答える。王妃は一呼吸おいてからゆっくりと語り始めた。


「私は幼いころから環境の変化に敏感でちょっとしたことですぐに泣き叫んで暴れてはみなを困らせていてな。気難しい姫だと両親すら呆れさせていたのだ」


 それでもみな


「成長すれば治まるだろうと思っておった。勿論私もだ。だがいくら歳を重ねようと私にもどうすることもできぬ感情の波に振り回され、悩み、苦しんで」


 そんな時縁談の話が舞い込んだ。


「嫁ぐとなれば今まで以上に環境が変わる。無論嫁に行かぬことは許されぬと分かってはいた。分かってはいても感情を抑えることは私にはできないのだ」


 今までにないほど激しく抵抗し、泣き喚いて


「正気を失っていた私に手を差し伸べてくださったのは陛下だった」


 フェアビアンカ王妃の父は先王の妹でローム王とは従兄妹になる。新年の挨拶や王族の誕生会や折々に開かれるパーティに顔を出した際には親しく話して時には遊んだりしていた仲だったから。


「馴染みのあるブリュエ城でならフェアビアンカも気兼ねなく過ごせるだろうと」


 求婚されて


「昔から陛下の傍は不思議と心が安らぐことを知っていた私に迷いはなかった。これが幸せというものかと愚かにも浮かれていられたのは一時。感情的に振る舞うことは今まで以上に厳しく禁じられた。感情は抑えられぬが陛下のためならばと表に出さず無表情でやりすぎることを覚えた」


 自室に戻ってからの反動がひどかったがと遠い目をしてため息をひとつ。


「なんとか王妃としての自分を演じられるようになった頃にはすでに長い時が経ち、子を生せぬ私を見かねて遠い南国から若く美しい姫を娶ることになった。輝く銀の髪と南国の海を思わせる青い瞳の第二王妃は瞬く間に人々を魅了し、陛下のお心まで簡単に奪っていった。彼女がいた七年もの間私は心を病み醜く嫉妬を燃やして」


 彼女を


「王城から追い出した。陛下が四大侯爵と元老院の決定に否を突き付けなかったのは私を哀れと思ったからなのだ。決して彼女を見捨てたのではないのだと」


 分かっておくれ


「陛下が愛したのは彼女ただ一人」


 手を伸べて小さな鐘のような可憐な花にそっと触れて王妃は声を震わせる。


「あんなにも与えてくれた陛下から私は愛する者と息子を奪ってしまった。奪うばかりでなにも返せていない」


 だから


「喪が明けたら私は王妃の座を退きアルベルティーヌ第二王妃を城に迎えてもらえるよう陛下に頼むつもりだ」

「そんな、王妃殿下」

「案ずるな。正当な者の元に戻るだけのこと」


 カールレッド王子がアシュラムに言った言葉と同じことを口にしてフェアビアンカ王妃は微笑んだ。どこかすっきりとした顔の王妃を見て無性に腹が立つ。


「案じてなどおりません。無礼を承知で進言いたします。どうか勝手に話を進めるのはお止めただきたい」


 喜んで受け入れてもらえると思っていたのか。王妃は口元に笑みをたたえたまま目を丸くしている。


「アルベルティーヌ様はここを恐ろしい場所だとおっしゃっていました。どこにでもついて回る視線と陰口、笑顔で毒を注ぎ込まれ、自室にいても心は休まらない。傍に味方のいない者には救いがなく永遠に続く責め苦のようだったと。フォーサイシアに来てようやく自分で呼吸ができるようになったと笑う彼女に城へ戻って王妃になれとどうして言えましょう」


 貴方をあんな所に行かせることになるなんて、と涙したアルベルティーヌの顔をアシュラムは忘れることができない。


「アルベルティーヌ様はそれを望んでおりません」


 現にアシュラムが王家へと迎え入れられた式典へ招待されたアルベルティーヌは式典が終わるのを待って直ぐにフォーサイシアの屋敷へと帰って行った。ローム王とも一言も交わさずに。それは戻るつもりはないという彼女の意思表示。


「奪うばかりだと王妃殿下は嘆かれますが、四十年近く陛下のお傍にあり支え続けたのは他でもないフェアビアンカ様ではありませんか。陛下の愛をお疑いならば直接お聞きになればよいのです」


 ローム王の真心の在処などアシュラムには分からないが、第三者だからこそ見えるものもある。


 新しい名と冠を戴くための式典に挑み、多くの者が両側に立つ長い通路を進んだ先に儀礼用の服をまとった二人が並んでいるのを見た瞬間にアシュラムは王とは王妃とはこうあるべきなのだと言葉ではなく感覚として受け止めた。


「私の目には互いを信じ強い絆で結ばれたご夫婦に見えます」


 穏やかで鷹揚な王と隙を見せない用心深い王妃。


「陛下も王妃殿下も補いながらここまで来られたのでしょう?フィライト国の正当な王妃はフェアビアンカ様以外にはいらっしゃらないのですから」


 跪き左胸に手を当ててアシュラムは長椅子に座る王妃を仰ぎ見る。彼女の顔にもう表情はない。だがそれでこそ王妃たる堂々とした威厳を感じさせる。


「どうかそのまま陛下のお傍に」

「……惨いことをいう」


 長年制御できない心を抱えながら王妃としての仮面を被り続け、すり減らした精神は限界が来ていたのかもしれない。そこへ愛する息子を失うという大きなストレスがかかれば王妃を辞したいと思いたくもなるだろう。


 だが。


「王妃殿下が退けばその座は空となり陛下は妻に逃げられた愚王と後ろ指をさされかねません。それでも決心は変わらないとおっしゃいますか」


 そこにはフェアビアンカ王妃にいてもらわなければならない。


「確かに陛下はお優しい。ですが優しさは弱さと表裏一体。フェアビアンカ様という支えを失った陛下が判断を誤り失策を重ねて陥れられればあっという間に形勢は逆転。いまいま王子となった私などよりプリムローズ公爵が支持を得て王座に就くことは赤子の手を捻るより簡単なことでしょう」

「陛下は優しいが愚かではない」

「そうでしょう。ですが陛下も大切な王子を失ったのです。フェアビアンカ様と同じように」


 悲しみの中にある。


「私は望んで王子アシュラムになったわけではありません。全てを放棄して逃げ出したいと心底思っていました」


 それでも逃げずにここにいるのは大切な人たちがいるこのフィライト国を守るため。そもそも逃げ出すことは許されていなかったけれど。


「もう普通の生活に戻ることは私には許されない。カールレッド王子ともお約束しました。この国を愛し、護ると誓いましたから。だからどうかフェアビアンカ様。私のためにもこのまま王妃としての地位に留まってください」


 王ほど国の犠牲になる者はいない――そして王妃もまた多くの犠牲を払わされる。分かっていてもアシュラムはその場に居座って欲しいと乞う。


「育ちの卑しい私に王妃とは王族とはこうあるべきだという態度で示し続けてください。その姿を見て私は学び、磨き上げて、誰にも侮られぬような王子となりたいのです」


 跪いたままゆっくりと頭を下げる。無防備にうなじを晒すのは恭順の姿勢を示すもの。命すらあなたの思うがままだと。


「我が忠誠はフェアビアンカ王妃とフィライト国へ」


 実の父であるローム王にではなくフェアビアンカ王妃に従うと宣言したのはなにもこの場限りの虚言ではない。彼女もまた運命に翻弄され、今まで懸命に戦ってきたことを敬いまた同情できるからこそ。


 そして


「なるほど」


 王妃が薄っすらと微笑む。


「陛下ではなく私の後ろ盾を欲しいということか」

「さすが王妃殿下。私の浅はかな思惑などすぐに見抜いてしまう」

「白々しい」

「傍に味方がいない者にとってここは救いのない場所。表立って力を貸してくださらなくていいのです。むしろその方が都合が良い。王妃殿下は今まで通り振舞ってくだされば」

「……そなたは忌々しいほど王族の素質があるな」

「お褒めにあずかり光栄です」


 王妃はふんっと横を向いてカンパニュラをしばし見つめ「分かった」と呟いた。それ以上の言葉はなく、視線で下がるようにと命じられたので深く一礼してから立ち上がり部屋を辞した。




 二週間が経ちようやくセシルが帰ってきた。サミーを連れて執務室へと入ってきた姿は旅の疲れも汚れもなく元気そうで安心した。レインという一族は旅慣れているから当然なのだろうがやはり心配はする。


「お帰りセシル。ご苦労さま」

「ただいま。カールレッド王子は残念だったね」

「そうだね。でも遅かれ早かれ別れは来るものだから」

「そういうこと」


 肩を竦めたセシルの後ろにいるサミーは落ち着かない様子で下を向いていたのでそちらにも声をかける。


「サミーも長旅ご苦労だった」

「は、はい。ありがとうございます」

「手は治ったか?」

「それはもう!セシル様のお薬は本当によく効いて。すぐに痛みも腫れも無くなって治ってしまいました」

「どれ、見せて」


 朝から座りっぱなしでちょうど腰が痛み始めていたから立ち上がり執務机を回り込んでサミーの前へと向かう。


「あの、ほんとにもう」

「いいから。私が見ないと安心できないんだ」

「はい……」


 促されて出した手のひらは薄っすらと赤みを残しつつも新しい皮膚ができていて、引きつれもなく綺麗に治りかけていた。


「まだしばらくは重いものを持ったり、水仕事はさせられないな」

「いいえ!できます」

「サミーには私の傍で身の回りの世話をしてもらう」

「え?」

「まずはライカを探して仕事を教えてもらうといい」


 今までアシュラムの傍で細々としたことをやっていたのはライカだった。護衛としての仕事ではないことをさせていたのは信用できる使用人がいなかったからだ。


「よろしく頼むよ」

「は、はい!」

「では行っておいで」


 サミーは笑顔で返事をしてライカを探しに執務室を飛び出して行った。セシルが不思議そうにアシュラムを見ているので「なに?」と問う。


「少し変わったね」

「そうかな」

「ま、いいんじゃない」


 適当に返されてその力の抜けた答えが案外嬉しくて思わず笑った。


「詳しい報告書はまた後で提出するけど、毒を盛ったあの二人はデシ砦に預けてきた。あっちで取り調べをしてくれるらしいからなんか分かったら知らせが来ると思う。あとこれ」


 四つ折りにされた紙を差し出されたので開いてみると所属と出身と名前が書かれていた。どういう意図で渡されたのか分からずに視線を上げると鼻先が触れる距離にセシルの顔があり驚いて後退る。


「デシ砦は国境を護る重要な場所だからいい人材が揃ってたよ。護衛を増やすつもりならその中から引っ張ってくるのもいいんじゃない?それから帰ってくる道中の従者の素行や仕事ぶりを見てて合格したのは五人だけだったよ。あとは配属替えしてもらうのをお勧めする」

「そ、そうか。ありがとう」


 まさかちゃんと監督してしかも査定までしてくれているとは思っていなかった。ありがたく受け取って検討することを約束する。


「じゃあ煩いのが帰ってくる前に行く」


 煩いの呼ばわりされているライカを気の毒に思うけれど、好意を示すやり方が荒っぽいことを思えばセシルの方の肩を持たざるを得なくなる。なんでも器用にこなしてきたライカがこんなにも情けない男になるとは。


「ちゃんと手綱を握っててよ」

「努力はする」

「頼りないなぁ」


 じゃあまたねと手を振ってセシルは出て行く。手の中の紙をもう一度見て思い立ち扉開けてアシュラムは外に控えている従者にマルランを呼ぶように言づけた。


~おわり~

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― 新着の感想 ―
[良い点] ライカくん、マジで可哀そうなことに……! 振られ前提で一緒にいるの寂しすぎる。 いや、しかしヘレーネ嬢はほんと、立派になった! 相変わらず美しいのも素敵です。折られても立ち上がる麗しき王子…
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