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王子の初仕事⑦


 光が弱まり魔力が緩むとそこはもうショーケイナではなく、フィライト国の都ディアモンドにある青く美しい王城の奥深く。王族たちが住まう場所だった。


「なるほど……確かにザイル殿以外の適任者はいなかったかもしれない」

「だから言ったでしょ。ほら急いで」


 騎士団所属の魔法使いではこんな奥まで移動できない。急かされてアシュラムは廊下を進む。一年前グラウィンド公爵に連れられ訪れた部屋へ。

 扉を護る近衛騎士がアシュラムを認めて敬礼をする。しっかりと閉じた扉の向こうはやけに静かですべてが終わってしまった後なのではないかと思えるほど。


「アシュラムです。報せを受けショーケイナよりただいま戻りました」


 震えそうになる声を張り上げると扉はそっと開いた。深々と頭を下げたカールレッド王子の乳母のブリジットに中へと促される。これから先へはライカもマルランも公爵の子息であるザイルも入れない。

 アシュラムはひとりで扉を潜り先へと進んだ。濃厚な死を想起する臭いが部屋中に満ちていて歩む足が止まりそうになる。それでも静々と進むブリジットの後ろをついて行く。

 王子の寝台には王妃がつき、その小さな手を握って息子の顔から一時でも目を逸らさぬようにと見つめていた。


「アシュラム殿下がいらっしゃいました」

「……そうか」


 ブリジットにかすれた声で返すとフェアビアンカ王妃は手を離し離れようとする。アシュラムは慌てて「どうかそのままで」と引き留めた。


「カールレッド王子のお傍に行ってお顔を拝見してもよろしいでしょうか」

「……そなたに会いたがっておったから喜ぶだろう」

「では失礼します」


 許しを得て近づいて見下ろした王子の顔はひどくむくんでいて、あの愛らしい面影を探すことが難しいほどだった。蜂蜜色の髪が汗で額に貼りつき、浅く呼吸を繰り返す小さな唇の向こうにぽかりと暗い闇が見える。一年前よりも痩せた体はそれでも必死に命を燃やして横たわっていた。


「カールレッド王子。遅くなり申し訳ありませんでした。ただいま戻りました」


 膝を着き枕元に顔を寄せると臭いがきつくなる。終わりが近づいていることを如実に感じられ胸がシンッと冷え切っていく。


「ロッテローザ王女にお会いしてきましたよ。噂通りとても優しく気高い方でした。夫となられたコウサ王子も気さくな方でこんな私にも笑顔で大変よくしてくださりました」


 落ちくぼんで濃いクマができた王子の瞼が微かに動いた気がしてアシュラムは言葉を続ける。


「コウサ殿は武に秀でたお方で狩りも得意なのだそうです。今度お会いする時には一緒に狩りをしようと約束させられたのですが、どうやって逃れようか今から考えておかねばなりません」

「……で、ない、ですか」

「カールレッド王子」


 薄っすらと開いたまつ毛の先に紫の色が見えた。ゆっくりと傾けられた顔がアシュラムに笑みを向けて。


「あに、うえ……が、かってみせて、くだ……さい」

「そんな無茶をおっしゃらないでください。カールレッド王子はコウサ殿下とお会いしたことがおありですか?私とは違って背も高くがっちりとしていてとてもじゃありませんが勝てる見込みはありません」

「ふふ……」


 か細いけれど明るい声にアシュラムも笑顔になる。掛け布団の中から細い腕が伸びてきて後ろでひとつに束ねた髪が肩から落ちている一房に触れた。うっとりと瞳を潤ませて「ナモレスクの真珠」と呟く。


「あにうえに、おあいできて……よかった」

「私もです」

「あにうえ」

「はい」

「どうどうと……て、おられれば、いいのです。だれが、なにを、いおうが、あにうえが……」


 第一王位継承者なのですから


「せいとうなひとのもとに、もどっただけのこと」


 甘くかすれた声が兄上と呼ぶ。今まで呼べなかった分を取り戻すかのように。あふれ出る涙も熱い瞳もアシュラムを激しく翻弄する。

 カールレッド王子はまだ八歳だ。病に倒れなければ聡明で明るい彼は臣下や国民に愛されていい王となっただろうに。


「あにうえ……おかえしいたします」

「カールレッド、王子」


 なぜだ。なぜ死ななければならない。

 なぜアシュラムではなくカールレッド王子なのだ。


「私はきっと良き王にはなれません」

「あにうえ?」

「ですがこの国を愛し、全力で護ることを誓いましょう」

「ふふ」


 王子は微笑んで頷いた。とても満足げに。


「それで、いいのです……あにうえ、の、あいでこのくにを」


 導いてくださいとゆっくり目を閉じた。疲れたのか深く息をして眉を寄せる。アシュラムの髪に触れていた手から力が抜けて布団へ沈む。


「ロッテローザ王女からの伝言です。『今までよく頑張りました。あなたはわたくしの誇りよ』とおっしゃっておりました。あなたは国民すべての誇りです。そして私にとっても」

「う、ん……は、はうえ」

「どうした」

「あり、が……と」

「大丈夫。カールレッドが謝ることなどなにもない。疲れたであろう?もうゆっくりと眠っていい」


 フェアビアンカ王妃は王子の額にキスを落として優しく頬を撫でた。空いている腕で軽く抱きしめるようにして幼き息子の温もりを感じている。


 これ以上親子の時間を邪魔できない。立ち上がり深く頭を下げて王子の寝室を後にした。




 カールレッド王子はそれから二日後に手の届かない場所へと旅立っていった。ひどく冷え込んだ早朝に王妃と王に看取られて。

 アシュラムは寝台の上でマルランから報告を受け急いで身支度を整え王子の部屋へと急いだ。最期の別れをしているとグラウィンド公爵が駆け付け、アシュラムが終わった後に傍へと跪き長く語りかけていた。付き合いが長いだけにそれは当然のことなのだろう。

 いつもより人は多く出入りしているのに王城には妙な静けさと押し殺したような息遣いがあって騒がしい。通常の公務は休みだが葬儀の準備や確認など忙しく、分からないなりにあちこちへと顔を出し引っ張りまわされている間に日は暮れていった。

 王都の住民もカールレッド王子の死を悼み王城広場に設置された献花台に遅くまで多くの人々が集まってきていたと聞いている。


「寝ないのか」


 枕元の明かりだけを点けた部屋でぼんやりと椅子に座っているとライカが続きの間から入ってきた。


「眠れる気がしない」

「それでも横になって寝る努力はしろ」

「ライカが添い寝をしてくれるなら」

「気色悪いこと言うな。お前との仲を疑われるなんざ今後一切お断りだ」

「つれないな」

「毒を盛られてただでさえ体力を失っているんだ。これ以上無理するようなら力づくで眠らせてやる」


 大股で部屋を横切ってくる幼馴染の顔は真剣でこれは無理やり寝台に投げ込まれると悟り、自主的に布団の中へと潜り込んだ。


「最初から素直にそうしていればいいものを」

「その言い方はまるで悪人みたいだ」

「やられるのが確定しているような雑魚と一緒にするんじゃねぇよ」

「はは。ライカは簡単にはやられないくせに」

「当然だ」


 頬の傷跡を歪めて笑いライカが手を伸ばして布団を丁寧にかけなおしてくれる。柔らかいけれど冷え切っていた寝台が徐々にアシュラムの体温で温かくなっていく。


「明日は葬儀の後カールレッド王子の棺を引いて王都を回る予定だろうが。寒い中夕方までかかる。少しは休まないともたないぞ」

「……分かってる」


 分かってはいるが王や王妃は眠らずに過ごしているだろうに自分だけが寝ていてもいいものかと思うのだ。だけれどカールレッド王子との思い出を辿ろうにも他の人たちほど多くはないからすぐに空っぽになってしまった胸の中でアシュラムは途方に暮れてしまう。


 悲しくないわけではないのに深く悲しめなくて寂しくなる。


「眠るまでここにいてやるから」


 アシュラムは目を閉じた後でライカが座った方へ寝台が傾いたのを感じてほっと息を吐く。眠れるだろうか――などと案じるのは無駄なことだったようだ。よく知った馴染んだ気配が傍にいてくれたお陰でアシュラムの眠りはすぐに訪れた。


 それがたとえ浅い眠りであっても寝られたことは次の日の自分のためとなるのだから。



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